7話 悪魔の呪いを解く方法(永久にとは言ってない)
「こんばんは、マクシミリアン陛下。今宵もよい月ですね」
アストルムで過ごす最後の夜。
どこか落ち着かない気持ちで時を過ごしていた私の元を訪れたのは、この国の王であり先日相談を持ち掛けたウィルフリート殿だった。
月を背にバルコニーに佇む彼が、私を見つめて嬉しそうに微笑む。
「呪いを解く方法が分かったので、報告に参りました」
「それは――本当か? いや、もちろんウィルフリート殿を疑うわけではない。ただ……」
「陛下。ここから先は込み入った話になります故、話し終えるまでに時間が掛かります。
寒空の下では陛下のお身体に障りますし人目にも触れますから、中でお話いたしませんか」
思わず捲し立てそうになった私を、ウィルフリート殿はやんわりと制してくれた。
そうだ。いつまでも外に立たせたままでは風邪を引かせてしまう。
「すまない。どうか、中に入ってくれ」
慌てて室内に招き入れたウィルフリート殿の顔色はあまりよくなかった。
相談の翌日にヴェンディミアへ向かったと聞いたから、きっと寝る間も惜しんで呪いについて調べてくれたのだろう。
呪いを解く方法が見つかったことは喜ばしいが、それと同時に申し訳なさを感じてしまう。
「早速になってしまうが、あの呪いを解く方法を見つけたというのは事実だろうか」
「ええ。ヴェンディミアの機密文書館で記述を見つけました。
あの肉に掛けられているのは、おそらく再生の呪いでしょう」
再生の呪い……聞いたことはないが、その名称から効力は想像できる。
きっと、再生の魔法と似たようなものだろう。
だが、呪いを掛けた理由が分からない。なぜそのようなものを掛ける必要があったのだろうか。
「あの肉は、なぜそのような呪いを掛けられたのだろうか」
思わずこぼれた独り言に、ウィルフリート殿は少し考えたあと口を開いた。
「これはあくまで私の推測ですが、元は呪いではなかったのだと思います。
王が病にかかる可能性を減らし、王家を存続させたい。そのような願いから掛けられたのでしょう」
「そんな理由で……」
確かに、あの肉があれば病にかかる危険は減る。
しかし、人を犠牲にしてまで命を長らえるのは正しいことなのだろうか。
人はいつか死ぬ。王であろうとそれは変わらない。命は等しく平等だ。
死を受け入れるのは悲しくつらいことだが、それを強引に捻じ曲げるのは人のエゴでしかない。
ウィルフリート殿が言うようにあの呪いは王家の存続を願って掛けられたのかもしれないが、だからといって解呪をやめるつもりはなかった。
「その呪いは解けるのだろうか」
「人間には難しいでしょう。
しかし、幸いなことに私には第七天使フェネアン様から頂いた加護があります。
原理が分かった今なら、呪いを解くことも可能なはずです」
その言葉通り、ウィルフリート殿が祈りを捧げるとテーブルの上に置いた肉に金色の光が降り注いだ。
私が王位に就いた時、聖女ベルティーアから受けた祝福と同質の魔力だ。
清廉で暖かく、傍にいるだけで浄化されるような心もちになる。
光はやがて炎となって肉を包み込んだが、呪いを燃やすことに特化しているのかテーブルや周囲が燃えることはなかった。
しばらくすると、肉が苦しげに悶え始めた。呪いに侵された身に天使の魔力は毒でしかないのだろう。
肉の魔力は次第に薄れ、動きも弱まっていく。
やがて肉が燃え尽きて灰となった時、祈っていたウィルフリート殿が顔を上げた。
「これで呪いは解けました。ただ、灰にはまだ微かにその痕跡が残っています。
しばらくの間は手元に置いて様子を観察したいので、この灰は私に頂けませんか?
もちろん、人目に触れぬようにしますので」
彼の申し出は、私にとって願ってもないことだった。
ウィルフリート殿と私は魔力量こそ同等だが、得意とする分野は真逆だ。
魔法の観察や解析のような繊細な魔力操作を必要とする作業は彼の方が得意だし、何かあった場合も防衛魔法に長けた彼なら身を守れるだろう。
「それは構わないが、ウィルフリート殿は王になった身。お忙しいのではないか」
「私にとっては、こういったことは趣味や息抜きのようなものですので」
気負ったところのないウィルフリート殿の様子を見るに、その言葉は誇張や虚勢ではないのだろう。
彼の魔法への深い見識は日々の努力の成果というわけか。
私は勉強より実践を好んでいたから、王位を継ぐ前の教師にはよく「時には書物から知識を得ることも大切になさいませ」などと窘められていた。今後は彼の意見も取り入れるとしよう。
「呪いを解くだけでなくその後の配慮まで頂いたこと、深く感謝する。
私に力になれることがあれば、ぜひ言って欲しい。
王である以上「なんでも」とは言えないが、出来る限り協力しよう」
そう告げると、私を見つめるスミレ色の瞳が微かに揺れた。
経験上、人がこのような目をするのは何かを求める時だと知っている。
長年の悩みを解決してくれた彼が望むものは何だろうか。私に用意できればよいのだが。
「ありがとうございます、陛下。
それでは一つだけ、頂きたいものがあるのです」
彼の願いであれば、それが例え国の宝であれ渡すつもりだった。
さすがに領土や国民は渡せないが、ウィルフリート殿はそれらを望む人ではないだろう。
「ヒュドラの心臓を頂きたいのです。
五百年ほど前にエアトベーレの騎士が倒したと聞きますので、お持ちだと思うのですが……」
「ああ、ヒュドラか。もちろん構わない」
ヒュドラの肉や内臓は効き目の高い魔法薬の材料になるうえ、死んでなお再生能力を持つので使っても尽きることはない。
そして、ヒュドラの再生能力は心臓に宿る。
極端な話、心臓さえあればほかの部位も手に入るわけだ。
現在のアストルムは財政難とまではいかないが、経済的にそれほど余裕があるわけではない。
恐らくウィルフリート殿は、病が流行った時の為にいくら使ってもなくならないヒュドラの心臓を備えておきたいのだろう。
エアトベーレには魔法薬の原料となる素材は他にも多数保管されている。
彼の望みを叶えることに迷いはなかった。
宰相がこの件を知ればひどく騒ぐだろうが、その時は私が責任を持って宥めよう。
そう言うと、ウィルフリート殿はとても嬉しそうに微笑んでくれた。
これで少しは、私が受けた恩を彼に返せただろうか。
+++++
「これがヒュドラの心臓か……ほかの生き物の心臓とあまり変わりませんね」
「首が複数あることと再生能力を持つ以外、身体の構造はほかの蛇とさして変わらんからの。
その水晶からひとたび外へ出せば再生が始まるはず。不用意に出すでないぞ」
「気をつけます」
魔法王からもらったヒュドラの心臓は透明な水晶の中に閉じ込められていた。
魔法薬の材料として使用するときは、水晶に魔力を注いで必要な分だけ取り出すらしい。
そうでないとすぐに再生してしまうそうだ。あまり想像したくない光景だね。
今のところ、私の計画はうまくいっていた。
私が不死鳥から祝福を受けていることは伏せたい――ハープギーリヒ侯爵のように不死鳥の祝福の内容を知っている人がいたら、私が火の審判で奇跡を起こした理由を推察されるかもしれない――ので、天使の加護で呪いを解いたと言ったのだけど、魔法王は少しも疑っていなかったからね。
肉を引き取りたいと言った時も快く許可をくれたし、ヒュドラの心臓もすぐに渡してくれた。
まさか、転移魔法を使っていったん国に帰ってまで持ってきてくれるとは思わなかったよ。
あと私に残されている仕事は、肉をハープギーリヒ侯爵の使いに渡すだけだ。
不死鳥の力を借りて行った魔法の相殺はなかなか負担が大きかったからもう休みたいのだけど、侯爵には今夜計画を実行すると言っているからね。
ここで眠ってしまったら、あとが怖い。
自室の窓辺で侯爵からもらった笛を吹くと、少ししてこつりと窓を叩く音が聞こえた。
見ると、銀色の翼を持ったフクロウが窓枠に止まって佇んでいる。瞳は黒みを帯びた赤色だ。
「君が、ハープギーリヒ侯爵の使いかな?」
窓を開けて尋ねると、フクロウは「そうだ」というように首を上下に揺らした。
すでに再生している肉をフクロウの前に差し出すと、鋭い鉤爪が柔らかな肉にしっかりと食い込む。
血は出ていないけど、見ているだけで痛そうだよ。そういえばフクロウは肉食だったね。
「――賢明な判断をした国王に、一ついいことを教えてやる」
そのまま飛んでいくかと思ったけれど、フクロウは赤い瞳で私を見上げてくちばしを開いた。
「天使は決して善良な種族じゃない。ただ、神に忠実なだけだ」
「それは、どういう……」
言葉の意味を問おうとした時には、すでにフクロウは天高く舞い上がっていた。
あのフクロウがハープギーリヒ侯爵自身だったのか、あるいは使い魔なのか(悪魔が使い魔を使役するのか知らないけれど)はわからない。
でも、無意味な言葉ではないはずだ。
「どういう意味だったんだろう」
「特に深く考える必要はないぞ。単なる事実だからの。
あれにしては珍しく、比喩や装飾などのないごく普通の助言だ」
私の独り言に応えてくれたのは、肩に乗った不死鳥だった。
「あやつらは決して、神の意向に逆らおうとはせぬ。
勇者召喚の儀に手を加えた第一天使ほどではないが、第七天使もなかなかよい性格をしておるぞ」
「神の意向というのは、トレーラントが「悪魔にも叶えることが出来ない」と言っていた死者の蘇生や時間の巻き戻しのことでしょうか」
「ああ、そうだとも。
魂を回収された後の蘇生と過去の変更。そして未来の完全な予知はこの世界では禁じられておる」
……それなら、どうして天使は私に錘を売ってくれたのだろう。
私はずっと、錘で君の肉体と魂を繋げば君が蘇ると思っていた。
天使はあれを「あなたにおすすめ」だと言って錘を売ってくれたからね
でも、そうだ。天使は一言も、あの錘を使えば君を蘇らせることが出来るとは言っていなかった。
私のしようとしていることは、目指していることは、本当に正しいのだろうか。
考えかけて首を横に振る。
現状、君の蘇生という私の目的に最も近しい手段はこれだ。
私は今まで、明らかに理論が破綻している怪しげな黒魔術でも「人を蘇らせることが出来る」と聞けば試してみた。もしかしたら、奇跡が起こるかもしれないから。
今回も同じだ。怪しいと思うなら試してみればいい。
期待を裏切られることには慣れているし、私にはたくさんの時間があるからね。
正確には君が蘇るか私が死を望むまでという制約付きだけど、蘇った君が私の死を望んだ時以外で生を諦めるつもりはない。
だから、安心してほしい。
私は絶対に、何があっても、君を蘇らせるから。




