7話 たのしい迷路が出来ました
例年よりもはるかに多い行方不明者。
その大半が伯爵家の使用人だとわかったのは、自警団全員で手分けしていた聞き込み調査をいったん終えた夕方のことだった。
伯爵家に仕えている使用人は二百七十四人。
そのうち、行方不明者として自警団に届けが出されているのが五十七人。
警備ギルドに捜索を頼む奴もいるだろうし、伯爵家は奥様の意向で孤児院出身だったり身寄りがない者も積極的に雇ってる。
それを考えると、自警団が把握しているよりも多くの使用人が失踪していると見ていいと思う。
これは異常だ。
伯爵家の使用人ばかりが行方不明になるなんて、なにかあったとしか思えない。
「人攫い……じゃ、なさそうか」
人攫いの多くは女性や子供を狙う。そのほうが使い道が多いし、男性を攫うのは危険が高いからだ。
だけど、今回の行方不明者は年齢も性別もばらばらだった。
メイドや見習いもいるけど、フットマンを勤めているような屈強な男も少なくない。
第一、使用人を攫えば領主様は必ず調査に乗り出すだろう。
領主様を敵にするなんてリスクが大きすぎる。
領主様の探知魔法は恐ろしく正確だ。
前に、エテールの近くを通りがかった客船が転覆して、船員や客人が海に投げ出されたことがあった。
自警団と警備ギルドで探索したものの、運が悪いことにその日は風が強くて救助は遅々として進まなかった。
そんな時だ。領主様が港にいらして下さったのは。
領主様が魔法を使った瞬間、海に沈んでいた者達が一斉に浮かび上がった時の光景は今でもよくおぼえてる。
僕たちは、それを回収すればいいだけだった。
魔術師のベルタ曰く、探知魔法で全員の居場所を割り出して風魔法で水から引き上げたのだろう……ということだった。
探知魔法を使えるのは、異世界から召喚された勇者様以外には一握りの魔法使いだけ。
そんな難しい魔法をほかの魔法と一緒に行使できる領主様は、本当にすごい魔法使いなんだ。
そんな領主様の下で犯罪を犯そうなんて、普通は思うだろうか。
僕は思わないし、大半の犯罪者が僕と同意見だということはこの十年間にエテールで起きた事件の統計を見れば一目瞭然だ。
「でも、伯爵家の使用人が昨年末から全く姿を見せていないのは事実よ。
貴方はどう考えるの、イザーク」
ベルタの琥珀色の目が静かに僕を見上げた。
そうだなあ、と空を仰いで考えをまとめる。
「伯爵家で、なにか事件が起きた……ってところかな。
領主様自身、年の初めから全く姿を見せておられないし……」
普段なら年の初めには必ず領主様からの挨拶があるのに、今年はそれがなかった。
年が明けて最初の朝に領主様が昨年の総括と新年を祝う言葉を投げかけられる風習は、先代の頃からずっと続いてきたものだ。なんの前触れもなしに廃止されるなんておかしい。
もし領主様が体調不良だとしたら、奥様が代理として挨拶されるはずだ。
でも、普段は優しい声と笑顔で領民達に労りの言葉を投げかけて下さる奥様も、今年は一度も姿を見せていなかった。
「だけど、考えられないよ。領主様ほどの魔法使いがいるのに、事件に巻き込まれるなんて……」
「その領主様が事件の原因だったとしたら、どう?」
ベルタの問いかけに、僕は一瞬言葉に詰まった。
領主様を疑うなんて、ましてやそれを口に出すなんて、警備ギルドの連中に聞かれていたらすぐに反逆罪で捕まって牢に入れられてもおかしくない。
常識に囚われることなく思ったことはなんでも口に出すのがベルタの性格だとわかってはいたし、好ましくも思っていたけど、さすがにこればかりはすぐに同意することはできなかった。
そんな僕のことなんて気にした様子もなく、ベルタが「例えば」と領主様を疑う根拠を上げていく。
「領主様の魔法なら、人を消すことは容易に出来るわ。
外に姿を見せないようにという意味にしても、この世から完全にという意味でもね」
「それだけで……」
「仮に領主様以外に犯人がいたとして、どうして領主様は姿を見せないの?」
「そりゃあ、監禁されてるとか……」
領主様を監禁できる人間なんて、この国にはまずいないだろう。ということに気がついて、僕の言葉は途中から段々と小さくなっていった。
たった一人でドラゴンを倒せるほど魔法に長けた領主様を拘束するなんて、少人数じゃ絶対に無理だ。
数の暴力で押し切ったとしたら騒ぎになるはずだから、誰もそれに気がつかないのはおかしい。
「それに、イザークも覚えてるでしょう。母さんの話」
「う、うん……まあ……」
領主様は人殺しだ。
それは、十年前にお屋敷勤めをやめたベルタの母親が、病で亡くなる直前に漏らした言葉だった。
十年前、領主様は先代の領主様の奥様とそのご子息……つまり、自分の母親と弟を殺したらしい。
それも、ひどくむごいやり方で。
たまたまその光景を見てしまった自分と友人のうち、自分は見たことを知られなったから助かった。
でも、友人はひと月も経たずに「病死」した。
だからお前たちもこのことは絶対にこのことを誰かに話すんじゃない―――それが、ベルタの母が話の最後に言ったことだった。
もちろん、僕もベルタもこのことは誰にも言っていない。
言ったところで信用されないだろう。
エテールは治安がよくて、税も安い。
なにかあればすぐに領主様が魔法でなんとかして下さるし、奥様だって奉仕活動や寄付に積極的だ。
他よりも暮らしやすい土地だと思うし、他の人間も同じように考えていることは年々増え続ける移住希望者の数を見ればよくわかる。
そんな心優しい領主様が人殺しなんてありえない――と、普段なら言えただろう。
大体、こんな三流小説のような話など現実にあるものか。いくら領主様とはいえ同じ貴族を手にかけたのだから、捕らえられていなければおかしい。
ベルタのお母さんには悪いけど、僕はあの話をあまり信用していなかった。
だけど、その時の僕はいつものように言い返せなかった。
ごくりと喉を鳴らした僕を見つめたまま、ベルタは「もちろん、証拠はないけど」と言葉を続けた。
「でも、確かめる方法があるわ」
「確かめる、方法……?」
「ええ。今朝、ヴァルター団長が領主様のところへ報告に向かったのは知っているでしょう」
ベルタに言われて思い出した。
そういえば、今日はまだ団長の姿を見ていない。
いつも明るくて頼もしい団長の声はうるさいほど大きいから、気がつかないはずはないのに。
「まだ、帰ってきていないそうなの」
「もう夕方なのに?」
「ええ。報告のついでに行方不明者についても話すと言っていたから、何かあったのかもしれない」
「なにか……って……」
せっかくぼかしてくれたベルタの気遣いも、余計に発達した僕の想像力の前では無意味だった。
あっという間に、幾通りもの「最悪の結末」が頭の中で描かれる。
「そう、何か。気になるでしょう。それに、自警団としてもこのまま団長が帰ってこないのは困る。
だから、団長を迎えに領主様の屋敷まで行きましょう。
何事もなければそれでよし。何かあっても、私とイザークなら対処出来るわ」
確かに、僕とベルタは自警団で一番戦闘に長けている。
特にベルタは、難関と言われる王都の魔術学校を首席で卒業したほど優れた魔術師だ。
彼女がいるなら、例え領主様が相手でも逃げることくらいはできるだろう。
それに……ここで尻込みして「イザークって、案外弱虫なのね」って思われたくなかった。
「わかった。なにかあったら、僕に任せて。ベルタ」
「ええ、お願いね」
魔術を発動させるためには陣を描いて呪文を唱える必要があるから、どうしても時間がかかる。
その間、僕が彼女を守ってあげよう。
なにがあっても、絶対に。
+++++
「さて、どうしようかな」
どうやら、彼女たちはトレーラントと契約した男を捜しているらしい。
残念ながら、私も男が今どこにいるかは知らないのだけどね。
トレーラントに聞けば分かるはずだけど、機嫌の悪い彼を呼び出して男の居場所を聞いて彼らの元へ返してあげるという選択肢は私にはなかった。
まあ、彼らも男と同じ場所に送ってあげれば問題はないだろう。
戦闘に慣れているのか、それとも私を警戒しているのか。
屋敷の前に佇む彼らは、先ほどの男よりもずいぶん慎重にこちらの様子を伺っているようだった。
もっとも、それは大した障害にはならない。例えば、ここから風を操って二人の全身を切り刻んでしまえば簡単に殺せるからね。
でも、私の目的は二人を殺すことではなくて、トレーラントと契約させることだ。
そのためにも、うまく絶望させなくては。
レーベンが言うには、人間が絶望するのは大切なものを失った時らしい。
この二人が大切にしているものはなんだろう。
観察してみたけれど、いまいちよく分からなかった。それなら、直接聞いてしまったほうが早い。
庭全体に魔法をかけて、彼らを契約させるのに私がふさわしいと考えたように変えていく。
妻が好きだった白い薔薇をいたるところに張り巡らせて、庭の木を並び替える。
それから、魔法で少し仕掛けを施して……。
「よし、出来た」
出来上がったのは、薔薇で作られた巨大な迷路だった。
迷路全体に強化や飛行阻害の魔法をかけたから、力業で突破することは出来ないはずだ。
そのほかにも、彼らを契約させるためのちょっとした細工が施してある。
センスのない私にしては、なかなかいい作品ではないかな。
出来上がった迷路を見下ろして、一人頷く。
もっとも、この作品は迷路としては欠陥品だけどね。
ルールを無視されるのが嫌いな君だったら、間違いなく怒っただろう。
でも、これは楽しい遊具ではない。彼らを絶望させるためのちょっとした小道具だ。
準備が整ったことを確認して門を開くと、門の前でずっと待ちぼうけをくらっていた彼らはほっとした様子で中を覗き込んだ。
待たせてすまないね。その分、楽しんでいっておくれ。
様子を伺っていると、彼らはやがて恐る恐るといった様子で庭に足を踏み入れた。
もう引き返せないよう、門をしっかりと閉じる。
外から覗いて安全だと判断したのだろうけど、魔法使い相手に表面上の推察はあまり意味がないよ。
理不尽を叶えられるのが「魔法」だからね。
戸惑っている彼らを眺めながら、普段領民達の前で話をする時に欠かせない(君には必要ないけれど、私は声が小さいから)拡声の魔法を喉にかける。
それから、彼らに話しかけた。
「ようこそ、伯爵家へ。
私に用があるのなら、屋敷までおいで。無事に到着出来たら、君たちの話を聞いてあげよう」
来られたら、ね。