14話 死神の動揺
「エテールに帰ってくるのも、久しぶりだね。懐かしいよ」
「伯爵にとってはそうだろうな」
爵位授与式を終えた二日後。私と伯爵はアストルムのエテールへと戻ってきていた。
もっとも、私にとっては特別な土地ではないので「戻った」という感はあまりないが、伯爵は先ほどから嬉しそうだ。
この土地がエミール・モルゲンロートと過ごした思い出のある唯一の場所だからだろう。
「屋敷へ戻ったらどうするつもりだ」
そう尋ねたことに、大して意図はなかった。
単なる暇つぶし。屋敷に着くまで馬車の中が無言で満たされないための繋ぎ。それだけだ。
私は伯爵を嫌ってはいないが、かといって特別に贔屓しようと思うほど好いてもいない。
仮に伯爵がこれから何か事を起こすのだと答えたとしても、協力を要請されない限り「そうか」と答えるだけに留まっただろう。
ヴェンディミアで伯爵の世話を焼いていたのはそれがトレーラントとの取引だったためであって、伯爵個人への感情故ではないからな。
平等を重んずる死神である私がその規則を破るのは、一人のみだ。
「エミールを蘇らせる支度に取りかかるよ」
だから、その返答は全く私の予想外だった。
思わず息を呑んだ私に気づかないまま、伯爵が話を続ける。
「といっても、まだ成功するかは分からないけどね。
でも、必要な道具は揃った。私の仮説が正しければ、きっと成功すると思う」
「……それは、本当なのか?」
ようやく絞り出した声は、みっともないほどかすれていた。
幸いなことに、他者にあまり興味の無い伯爵は呑気に頷いていたが。
「トレーラントからエミールの魂を受け取って以来、どうやって魂を定着させようか悩んでいたんだ。
不死鳥にも尋ねたけれど、一度に死神に魂を回収された後に蘇生させる方法はわからないと言われてしまってね。なかなか思いつかなかった」
それはそうだ、と内心で呟いた。
私は二百年間、一度回収してしまった魂を肉体に定着させる方法について研究してきた。
まだ生きられる魂を狩り集め、対象の魂に貼り付けてその魔力と生命力を注ぐことで再び動かす。
それが、トレーラントから教わったその方法が、人を蘇らせることにもっとも近い方法のはずだった。
もっとも、この方法は回収前の魂を集められる死神か悪魔にしか出来ない。
だから私もトレーラントも、伯爵には言わなかったが……。
伯爵がとても楽しげに口を開いた。
「先日、天使と取引したといっただろう」
「ああ」
伯爵が部屋に戻る途中で倒れたせいで、その身体を運ぶのに苦労したのを覚えている。
普段ならばその時のことに触れてからかうくらいの余裕はあるはずなのに、今はただ短く返事をすることしか出来なかった。
幸いなことに伯爵はそれに違和感を覚えなかったようで「それでね」と話を続ける。
「その時に、どんなものでも繋げる錘と針を貰ったんだ。
時間は無理だといっていたけれど、魂は無理だといっていなかった。
だから……多分、成功するはずだ。あとは身体さえ作れば、きっと……」
晴れやかな顔の伯爵に、私はなんと返事をしたのか覚えていない。
ただ「よかったな」とか「そうか」といった無難な返事をしたのだと思う。
一つだけ、これだけは尋ねたことを覚えている。
「ところでその錘と針、今はどこにしまっているんだ?
いや、伯爵のことだからヴェンディミアに忘れてきたのではないかと不安でな」
「さすがにそんなことはしないよ。
落としたら怖いからね。肌身離さず身につけてある」
ほら、といって伯爵は自分の服の懐から銅色の錘と白銀の針を取り出した。
確かにそれからは天使の魔力が感じられる。
あれは……本物だ。
伯爵が再びそれを懐にしまうまでの間、私はずっとそれを目で追っていた。
「死神も、天使の魔力が苦手なのかい」
それを勘違いしたのか、伯爵が笑って私を見つめた。
今考えていることを悟られないよう、努めて冷静に首を横に振る。
「いや……そんなことはない。
ただ、珍しいからな。見ていただけだ」
「それならよかった。トレーラントがいたらきっと、私に近づこうともしなかっただろうね」
そうだ、今のトレーラントは伯爵に近づくことが出来ない。
正確には、魔力を封じた状態でしか近づけない。
伯爵に私の痕跡が残っていてもヴェンディミアで医師として仕事をした際に接触したせいだと言い訳が出来るが、トレーラントは違う。
スロウスとの対面が終わっていない今の状況で接触しては、計画が台無しだ。
せっかく天使を召喚して痕跡を消した意味がなくなる。
――裏を返せば、今の伯爵に何があってもトレーラントは手を出せない。
気がつけば私は伯爵と共に、エテールの屋敷の玄関に立っていた。
「……ずいぶん、綺麗になったねえ。
私が悪魔に関わったとされた際に没収した財産を戻す時、ついでに掃除してくれたのかな。
それに、前より部屋のセンスがよくなった。
結構時間と手間を掛けて模様替えをしたのに、なんだか落ち込んでしまうよ」
「……そうだな」
家に戻った興奮のためか、伯爵はいつもより興奮しているようだった。
白い頬に赤みが差し、長い前髪から覗く目も普段よりきらきらと輝いている。
けれどそれは、きっと家に戻ってきたことだけが原因ではないのだろう。
「せっかく屋敷に戻れたのだから、祝いとして酒でも飲まないか」
「構わないよ。好みはあるかい」
「任せるとしよう」
「それなら、私が好きなものを持ってくるよ。お酒は強い方だよね」
私の答えに笑って、伯爵は足取りも軽く地下室へと向かった。
その後ろ姿を見送り、ソファに腰掛ける。
……ローザ。
その名前が、思わず口から漏れた。
彼女は大国の王女という以外とりたてて変わったところのない、ごく普通の女性だった。
強いて特徴をあげれば、人間には珍しいその銀の髪くらいだろうか。
ただ、彼女の笑みはとても綺麗だった。
それは、私以外の者には何の価値もないものだったのかもしれない。
だが、私にとってはかけがえのない存在だった。
全ての魂を平等に回収し、転生させなければならない私が、流行病で死んだ彼女の魂だけは転生させることが出来なかったほどに。
私はこの二百年間、ずっと彼女を蘇らせる方法を模索してきた。
けれど、彼女が目を開けることはなかった。
私の行なっている方法は理論上、間違っていないはずなのに。
……伯爵がしようとしていることも、同じなのかもしれない。
理論上は間違っていなくとも、エミール・モルゲンロートは目を覚まさないのかもしれない。
けれど私は伯爵の持つその錘と針が、喉から手が出るほどに欲しかった。
譲って貰おう……という選択肢はなかった。
見たところ、あの錘に巻き付いた糸はそれほど量がなかった。一人分しかない可能性がある。
私だったら断るはずだ。
醜いことをしようとしている自覚はある。だが、それがなんだ。
私は……私は、ローザに会いたい。
そのためなら、私はどんなことでもしてみせると心に決めていた。




