6話 本日より、死神が仲間に加わりました
「私はこの屋敷の主であり、トレーラントの契約者だよ」
「なるほど。君が例の協力者か」
その言動と男から感じられる魔力の量と質からして、彼はやはり人ならざる者のようだった。
トレーラントとはだいぶ種類の違う魔力のようだから、悪魔ではないと思うのだけど。
それにしても、協力者とは何のことだろう。
「私の名はレーベン・リーパー。死神の長だ」
死神。
それはかつて、私が人間の次に憎んだ種族だった。
と言っても、単なる八つ当たりだけどね。
死を運ぶ彼らがいなければ、君は死なずに済んだのに――なんて、君を亡くしたばかりの頃はよく考えたものだ。
もちろん、死神と直接関わったことはないよ。
ただ、「死を運ぶ種族」として描かれる彼らの伝承やおとぎ話をいくつか知っているだけだ。
本を読むのが好きだったから一般貴族よりは少し詳しいけれど、専門家ほど詳しくはない……といった程度だろうか。
そんな程度の知識しか持ち合わせていない私が死神と聞いて真っ先に考えたことなど、彼にはお見通しだったのだろう。
ふん、と鼻を鳴らして、先ほど文句をつけたお茶に再び口をつけた。
思い切り眉をひそめてティーカップを一瞥した彼がようやく口を開く。
「心配しなくとも、伯爵の魂を回収しに来たわけではない」
「それを聞いて安心したよ」
私の言葉に彼は何も言わず肩をすくめて、再びお茶に口を……それからの動作と反応は、先ほどと全く同じだったから省略しよう。
まずいのなら、飲まなければいいのに。
「そもそも、我々死神は死を運ぶのではなく、死を迎えた人間の魂を回収しているだけだ。
アンデッドが溢れる世界をお望みなら仕事を放棄しても構わないが、困るのは君たち自身だろう」
「そうだね。でも、そんな世界も少し楽しいかもしれない」
「正気か?」
レーベンの紫色の瞳が、理解しがたいというように私を見つめた。
ように、というよりも実際にそう思っているのだろう。驚かせようと思ったわけではなくて、単なる本心だったのだけどね。
アンデッドは、いわゆる「動く死体」だ。
私が操っている死体製ゴーレムとの違いは、意思の有無だろうか。
ゴーレムと違って、アンデッドには飢えを満たしたいという意思がある。その意思を曲げさせることはまず不可能だ。
ゴーレムを使役する魔法使いや魔術師がいても、アンデッドを使役する者がいないのはそのせいだ。
もしいるとしたら、どうやって操っているのかぜひ見てみたい。
共存の難しいアンデッド達だけど、だからといって悪いことばかりじゃない。
食べることに執着している彼らは余計なことを言わないし、彼ら相手に見栄を張る必要もないからね。
もちろん腐った身体の処理は大変だろうけど、生きている人の中にもすごい匂いや見た目の人はいる。
共存しようと思うから大変なのであって、一度全員がアンデッドになってしまえば、悪いものでもないと思うのだけど。
「様々な人間を見てきたが、ここまで理解出来ないと思ったのは初めてだ……」
一生懸命説明した結果、心底困惑した目と言葉を向けられた。
ひどいなあ。
「……まあ、いい。そもそも私は、君のアンデッド観を聞きに来たわけではないからな」
「そうだね。私も別に、君とおしゃべりしたくてここに来たわけじゃない。
待たせてごめんよ、エミール。すぐにお茶を淹れるから」
日差しの下で静かに佇んでいる――生前とは大違いだ。生きていた頃の君は、いつ休んでいるのかと不思議に思えるほど常に走り回っていた。主に私が原因だったのだけど――君の髪を撫でると、さらりとした感触が伝わってきた。
私が君に自慢出来る、数少ない成果の一つだ。
切り落とされたばかりの君の首は、口に出すのも憚られるような幽閉生活のせいで本当にひどい状態だったからね。十年間頑張って手入れして、ようやくここまで戻せたんだんだよ。
特に、太陽のようにきらきらと輝く君の髪は戻すのに苦労した。
おかげで、手触りはとてもいい。多分、私よりもいいのではないかな。
疲れた時、真っ暗な地下室で君の首を抱えながらお気に入りの本を読んでいると、それだけで一日の疲れが癒やされたものだ。
以前トレーラントにそれを言ったら彼にしては珍しく当惑した目を向けられたから、悪魔からしてみればあまり一般的な感覚ではないようだけど。
毛並みのいい猫を撫でながら本を読むのと、同じようなものだと思うんだよね。
「エミール・モルゲンロートの魂は、正常なようだな」
「彼を知っているのかい?」
「当然だ。誰がその魂を持ちだしたと思っている」
「トレーラントだと思っていたよ」
「悪魔が魂を持ち出せるわけがないだろう」
私の答えが気に入らなかったのか、レーベンはため息交じりにそう言ってティーカップを傾けた。
そもそも私は、悪魔はもちろん死神のこともよく分からない。自分が契約した悪魔が魂を持ってきてくれたと思って、当然だと思うのだけど。
「死を迎えた全ての魂は死神によって回収され、転生の機会が巡ってくるまで我々のもとで管理される。
一度回収した魂が正式な手続きを踏まずに外部へ持ち出されるなどあり得ないし、本来ならあってはならないことだ。
だが、今回はトレーラントがどうしても契約に必要だと言うから特別に持ち出した」
「それは手間をかけたね」
「全くだ。もっとも、それが私と彼の盟約なのだから仕方がない。
一旦回収した魂を転生前に再び外部に持ち出したらどのような影響が及ぶか、データがなかったから心配だったが……問題がなさそうで安心した」
そう言って、レーベンはそっと目を伏せた。どうやら、彼も私と同じような立場らしい。
そうと知れると急に親近感が湧いてくるのだから、我ながら単純だ。
まあ、彼は私に親近感を覚えられても嫌なだけだと思うから口に出しはしないけどね。
「ここへ来たのは、エミールの魂の様子を見る為かい」
「それもあるが、一番の理由はトレーラントと話をする為だ。
今までは話す場所を見つけるだけで苦労していたが、いい待ち合わせ場所が出来たと呼ばれたからここへ来た。
確かに、死者が大勢出るこの屋敷なら私がいても不自然ではない。いい場所を見つけたものだ」
「ここは、私の屋敷なのだけど……」
自分の屋敷を勝手に待ち合わせの場にされたことに控えめながら抗議したけれど、レーベンが聞き入れてくれそうな気配はなかった。
それにしても、自分で招待しておいて姿を現さないなんてトレーラントは何をしているのだろう。
私に「先へ上に行っているように」と言った時、彼は何も言っていなかったし……まさか、忘れているのだろうか。
だとしたら、この死神がとても可哀想だ。どうか、そうでなければいいのだけど。
「もちろん、場所を使用した代価は払う。
死神は義理堅く公平な種族だ。人間だからといって、無償で場所を提供しろとは言わない」
「その前に私の合意を得て欲しいのだけど……まあ、いいか。何をくれるんだい」
死を司る死神なら、君を生き返らせる方法か、そのヒントでも教えてくれるだろうか。
私の期待を読み取ったかのように、レーベンは形のいい眉をひそめて口を開いた。
「死者を生き返らせる方法は死神でも知らない。そんな方法、私が知りたいくらいだ」
呟いたレーベンの横顔はどこか寂しげで、切実そうな色が滲んでいた。
もしかすると、彼も私と同じような理由でトレーラントと契約しているのかもしれない。
今聞いたところで教えてくれそうな雰囲気ではなかったから、口に出すことはしなかったけれど。
「そうだな……トレーラントから、伯爵の計画とこれまでの進捗については聞いている。
今のところ、ゴーレムとトラップを使って侵入者を撃退しているらしいな。
今後の展開を考えると消耗を抑えるのはとてもいいやり方だと思うが、この屋敷のトラップは稚拙だ。
死神はあまり戦闘向きの種族ではないが、その分トラップを駆使した戦闘スタイルを確立している。長である私が、多少のアドバイスをしてもいい」
「ああ、それはぜひお願いするよ」
レーベンの申し出は、私には願ってもないものだった。
先ほどはトレーラントにトラップが原因で不機嫌なわけではないと言われたけれど、それとは別に工夫を施したかったところだ。
痛みから逃れたくて契約するわけではないとしても、痛みによって絶望が早まることはあるだろう。
それに、レーベンの言う通りトラップで相手を消耗させることが出来れば、私が彼らの相手をする時間は少なくて済む。
つまり、君と過ごす時間が増えるということだ。
私はあまり器用ではないから、二つのことを同時にこなすのはなかなか難しいんだ。
「では、決まりだな。トレーラントにこのことを知らせなければ。
ところで、トレーラントはどこにいる?」
「地下だと思うよ。私が契約にうまく導けなかったせいで、機嫌を損ねてしまったようでね。
先に行っているようにと言われて戻ってきたんだ」
私の言葉に、レーベンは「ほう」と興味深そうに目を細めた。
促されるまま、先ほどあったやりとりを話す。
「……それで、契約するには相手を絶望させることが大切だと言われてね。
ただ、私にはどうやればいいのかよく分からないんだ。
痛みを与えたり、相手を死の淵に追い込んだりしてから契約を持ちかければ、それでいいと思っていたから……」
「そんなに簡単に契約出来れば、悪魔達は苦労していないな。
ただ、着眼点は間違っていない。実際、多くの人間は死の淵に立つと絶望する」
では、それは何故だと思う? と聞かれて首を傾げた。
何故って、誰だって死にたくないからじゃないかな。
「では一つ聞くが、エミール・モルゲンロートが死ぬ直前に延命の契約を持ちかけたとして、彼は契約しただろうか」
「しないね」
今度はあっさり答えられた。
君はあの時笑っていた。最後まで私を優しく見つめていた。誰のことも罵ったり、恨んだりする様子はなかった。
そんな君が、命を延ばしてやると契約を持ちかけられて契約するとは思えない。
悪魔との契約は、どのような状況であれ忌むべきものとされているからね。
「そうだ。それは、エミール・モルゲンロートに命よりも大切なものがあったからだ。
では次に、伯爵の命と引き替えに契約をするよう迫ったとしたらどうしたと思う」
「契約、してくれたと思うよ。彼はそういう人間だ」
これは私の自惚れではない。実際、君は私の為に命を捧げてくれた。
君は私を見捨てさえすれば助かったんだ。私ではなく弟を伯爵家の当主として支持すると、一言口にすればよかった。
君はとても優秀だったし、伯爵家に代々仕えてきた家の中ではもっとも力のある家の出だったから、弟は喜んで君を迎えただろう。
……ああ、なんとなく分かってきたかもしれない。
人間が絶望し、契約を結ぼうと考える理由が。
「多くの人間が死に絶望を感じるのは、彼らにとって命がもっとも大切なものだからだ。
逆に言えば、命より大切なものがある者は絶望しない。例えば家族、仲間、友人、愛情、財産、名誉……こんなところか。
死に瀕しても契約に応じないのならその人間が何を守りたがっているのか観察して、失わせればいい。
難しいことではないはずだ。悪魔には色々と縛りがあるが、人間である伯爵にはないのだから」
「そうだね。ありがとう、参考になったよ。
これなら、次はトレーラントに怒られずに済みそうだ」
ほっと胸を降ろした時、屋敷の周囲に張り巡らせていた探知魔法に反応があった。
また、誰か来たようだ。それも複数。
『突然の無礼をお許し下さい、領主様。
自警団のイザークと、リーダー補佐役のベルタです。先ほどこちらを訪れた、ヴァルターを迎えに参りました』
運がいいのか悪いのか。屋敷の入口前に立っていたのは二人の男女だった。
どちらも隙のない出で立ちをしていて、特に女性の方は魔術の心得があるようだ。
この二人をうまく契約まで導くことが出来たなら、トレーラントの機嫌も今度こそ直るかもしれない。
「ちょうどいいところに来たものだ。
死神は、直接人間の生死に関わることは出来ない……ことに、なっている。
アドバイスはした。あとは見物させてもらうとしよう」
「満足させられるものが見せられるかは分からないけれど、努力はするよ」
彼らが、うまく絶望してくれるといいのだけど。