8話 死神の機嫌はすこぶる悪いようです
額にひやりとしたものが触れて、意識が引き戻された。
「起きたのか」
目を開けると、穏やかな声が届くと共に手が引かれる。
火照った身体にあの温度は心地よかったのに、残念だ。
先ほどまで鉛のように重かった身体はすっかり軽くなっていた。
どうやら、魔力は問題無く回復したようだ。
「まだ起きるな。しばらく寝ていてくれ」
身体を起こそうと身じろいだ途端、ため息交じりの言葉と一緒にベッドの中へ押し戻された。
呆れの色を濃く浮かべた紫の目が私をのぞき込む。
「迷惑を掛けたね……」
「全くだ。次に倒れたら、置いていくからな。
私は本来、死んだ人間担当なんだ」
「そういえば、レーベンは死神だったね」
その言葉にレーベンは「そういえば、じゃない」と眉をひそめて私の額をつついた。
言葉の割に目に怒りの色はないから、さほど怒っているわけではなさそうだ。
「後でお詫びをするよ。なにがいい?」
「考えておく。
今はひとまず、身体を治すことに専念してくれ。私の身体が保たない」
うん、それもそうだね。
第一、今の私は金貨一枚持っていない。
何を望まれるにしても、まずは屋敷に戻ってからでないと用意するのは難しいだろう。
これ以上レーベンの手を煩わせないためにも、大人しくしていよう。
それから三週間、私はレーベンに言われたとおり治療に専念した。
といっても、頑張ったのは主にレーベンやカンネリーノなのだけど。
私はただ眠って、出された食事を食べて、室内を軽く散歩をして体力を取りもどしていただけだ。
レーベンに言わせれば「それが一番ありがたい」そうだけどね。
その間、トレーラントと会うことはもちろん、視界を共有したり手紙をやりとりしたりすることさえなかった。
せっかく天使を召喚したのに、下手に接触してまた悪魔の魔力が残ったら困るから……らしい。
つまり、ハープギーリヒ侯爵とスロウスへの対応が終わるまで彼とは連絡を取れないということだね。
「……退屈だ」
今の私は、端的に言って暇をもてあましていた。
なにせ、体調はだいぶよくなってきたからね。
体力も戻ってきたし、もう元のように魔法を使ったり、罠を作ったり、侵入者を契約に誘い込んだりしても問題はないと思う。
そんな私が今もなお一日の大半をベッドの上で過ごす羽目になっているのは、私が再び倒れたと知ってカンネリーノがひどく心配したためだった。
完全に体調が治り、決して倒れることがないと分かるまではほんの少しの無理もさせられないと大騒ぎしたらしい。
気持ちはありがたいのだけど、彼は私を病弱な子供だと勘違いしていないかな。
私は本来、そこまで身体が弱い方ではないのだけどね……強い方でもないけれど。
誤解を解こうと思って何度か「私は簡単には死にませんから」と訴えてはみたけれど、なかなか納得してくれなかった。
彼の目の前で何度も気を失っている上に、現状私は寝込んでいる。そんな状態で大丈夫だと言い張ったところで、説得力は薄いらしい。
それは仕方のないことなのだけど……こうも自由を制限されるとは思わなかった。
確かに私はあまり外を好む方ではないし、むしろ部屋の中で本を読んでいたいほうだ。
でも、ここまで外出を制限されると気が滅入ってくるよ。
不思議なものだね。自分の意思で一ヶ月近く外出しないことなど頻繁にあるのに。
レーベンやカンネリーノが持ってきてくれる本のおかげでなんとか時間は潰せている。
でも、いい加減にこの生活そのものが飽きてきた。
そろそろ、屋敷に帰りたいのだけど……。
「眠るのはもう飽きたよ」
「いいから眠っていろ」
日課である朝の診察を終えて器具を片付けているレーベンに訴えると、素っ気なく返されてしまった。
最近のレーベンは少し苛立っているようだ。
私の世話からなかなか解放されないせいだろうか。だとしたら、申し訳ないな。
ここで騒いで彼に迷惑を掛けるわけにも行かないし、言われたとおり眠っているとしようか。
決心したのはいいものの、ベッドに潜って目を閉じても眠気は一向にやってこなかった。
きっと、最近眠りすぎたせいだ。
とはいえ、ここで起きれば間違いなくレーベンの心労は増すだろう。
目を瞑っていればそのうち眠くなる。それまでじっとしていよう。
予想通り、布団にくるまってじっと目を閉じているうちに再び強い眠気が襲ってきた。
君と話しているうちにいつの間にか眠ってしまったり、疲れ果ててすぐに意識を飛ばしてしまう時とは違う、ふわふわとした掴み所のない感覚が身体を巡る。
心地よいとも気持ち悪いともいえるこの感覚が、私は結構好きなんだ。
父にそのことを言ったら、くだらないと怒られてしまったけどね。
あの頃の私はまだ幼かったから感情を上手く制御できなくて、自分の部屋で泣いたものだった。
君が慰めに来てくれた時には嬉しいやら申し訳ないやらで更に泣いてしまって、迷惑を掛けたね……。
いつものように頭の中で君に話しかけているうちに、段々と君への言葉が思いつかなくなってきた。
きっと、そろそろ眠りに落ちる頃なんだろう。
おやすみ、エミール。たまには本物の君が、私の夢に出てきておくれ。
君に一時の別れを告げた時、扉を慌ただしく開く音が辺りに響いた。
せっかく眠気が忍び寄っていたのに、今の音のせいで半分ほど吹き飛んだよ。
まだ瞼を開けられるほど目が覚めたわけではないから、耳だけそちらに傾ける。
「病人の部屋には静かに出入りする。
それくらいの常識も無いのか。枢機卿というものは」
「し、失礼した。伯爵に伝えたいことがあるのだが、いいだろうか」
「今は眠っている。私が取り次ぐから、用件を言え」
「それなら、ここで待たせてもらおう」
「邪魔だ」
どうやら、カンネリーノが訪ねてきたようだ。
この三週間私につきっきりだったために色々と溜まるものがあったのか、対応するレーベンの声はいつも以上に冷たい。
大人しく眠ろうとして正解だったよ。彼のように物静かな人ほど、怒らせたら怖いからね。
もっとも、レーベンは人ではないけれど。
私? 私はどうかな。
確かに普通よりも大人しい性格だとは思うけれど、私が怒ったところであまり迫力は無いと思うよ。
むしろ私は、君が怒る方が怖い。
そんなことを考えている間にも、空気はますます重苦しくなっていった。
この三週間二人を見てきた私が断言するけれど、これ以上放っておくとあまりよくないことになる。
さっきも言ったように、レーベンは朝も晩も私につきっきりなんだ。
つまり、機嫌が悪いとそれが私に伝わってくるということでね……。
決して私に八つ当たりはしないけれど、部屋の空気が悪くなることは確かだからそれだけは避けたい。
最初から目が覚めていたことを悟られないよう控えめに身じろぐと、どちらからともなく声が止んだ。
私が目覚めたのか、それともただ寝返りを打っただけか、判断しかねているようだ。
……そこまで心配なら、外でやってくれないかな。
いや、それはそれで話の内容が聞こえない分、戻ってきたときのレーベンの機嫌が怖いのだけど。
「……おはようございます、ヴィータ先生。
ああ、カンネリーノ枢機卿もいらしていたのですね」
極力普段と変わらないふうを装って起き上がると、レーベンが責めるような視線をカンネリーノに投げかけた。
一瞬怯えたように肩をすくませたカンネリーノが、慌てた様子でこちらへやってくる。
どうやら、私が寝たふりをしていたことはばれなかったようだ。
「おはようございます、アーチェディア伯爵。身体の具合はいかがですか」
「おかげさまで、すっかり良くなりました。むしろ、最近は退屈で困ってしまうほど。
ただ「病は治りかけの時ほど再発しやすい」とよく言うそうですから、今はおとなしくしています」
そう言うと、カンネリーノはようやく安心したようだった。
普段ならここで熱は何度だったか、食欲はあるのかなどと尋ねられるところなのだけど、今回は「伯爵にお伝えしたいことがありまして」と本題に進む辺り、よほど重要な知らせを持ってきたのだろうね。
その声はどこか弾んでいるから、悪い知らせではなさそうだ。少なくとも、カンネリーノにとっては。
「まず、ヴェンディミアの爵位授与式とアストルムの戴冠式の日程が決まりました。
授与式は二週間後。戴冠式は半年後になります。
急な日程ではありますが、なにぶん現在のアストルムを治めるものが誰もおりませんので」
「分かりました」
カンネリーノの言うとおり急なことではあったけれど、納得は出来た。
いつまでも王位を空けたままにしておくのはまずいからね。
別に戴冠式を行なわなくても王位を継ぐことは出来るけれど、周辺国には王として認められない。
戴冠式で聖女の祝福を受けてこそ王の証と、ヴェンディミアが決めたからだ。
私はそのヴェンディミアが擁立した王なのだから、批判は少ないかもしれない。
だけど、皆無ではないだろう。ヴェンディミアをよく思わない国も当然あるからね。
式を行なっていない為に遠回しな嫌がらせを受けるかもしれないから、批判の種になりそうなことは早めに済ませておくに限る。
爵位授与も同じだ。王位を継承する前に行なっておかないと、ヴェンディミアの貴族でない私にヴェンディミアが援助するのは内政干渉だと騒がれる可能性がある。
爵位授与式は戴冠式ほど改まった式ではないから、優先的に日程を組んだのだろう。
「それから、爵位授与式の前日にハープギーリヒ侯爵と会って頂きたいのです」
「ええ、覚えています」
その為に天使を召喚したくらいだから、さすがにね。
これで忘れていたら、いくら私でも自分の記憶力を心配するよ。
「こちらも急なことではありますが、なにぶんハープギーリヒ侯爵は多忙ですので」
「それは構わないのですが、式の支度はどうすればよいのでしょう」
「式典にふさわしい服などはこちらで用意しますので、伯爵は何もせずとも問題ありません。
授与の際に宣誓の言葉を述べる必要はありますが、これも長い言葉ではありませんから」
ああ、すっかり忘れていたよ。宣誓の言葉。
あの長くて古めかしい言い回しの言葉を大勢の前で告げるのが、私は苦手でね。
いや、一度しかしたことがないのに苦手も何もあったものではないと思うけれど……。
でも、二回目なら何とか言えるだろう。
そう心に決めたとき、カンネリーノが「強いていえば」と、軽い調子で言葉を続けた。
「宣誓の言葉は古代ヴェンディミア語で述べる必要がありますので、アストルム出身のアーチェディア伯爵には慣れないかもしれません。
ただ、先ほども言ったように長い言葉ではないので覚えることは簡単かと。
授与式自体は現在の言語で行ないますから」
「……そう、ですか……」
古代ヴェンディミア語、というのは今では聖書や論文にしか使われない言葉だった。
今はヴェンディミア側が私に合わせてアストルム語を話してくれているし、私も長くここにいるから現代のヴェンディミア語を聞き取ることは出来るようになってきた。
ただ、もちろん古代ヴェンディミア語を話せる素養は私には無い。
たった二週間で、覚えられるだろうか。
ハープギーリヒ侯爵に会うよりも、授与式そのものよりも、宣誓の言葉の方がよほど手強いよ……。




