7話 行商天使と行う真摯な取引
「わたくしは第七天使フェネアン。希望を司る者。
召喚者はあなたですね」
立ち尽くす私に掛けられたのは、その姿からは想像もつかないほど美しい声だった。
人の顔から発された、男性とも女性とも分からないけれど耳に心地よい声が空気を震わせる。
なるほど。確かに彼……彼女? は、天使かもしれない。
「はい。私の名前はウィルフリート・フォン・アーチェディア。
確かにフェネアン様を召喚しました」
「分かりました。それでは早速取引を始めましょう」
……取引?
確かに私は天使を召喚したけれど、別に何か望みを叶えて貰おうと思っていたわけではない。
トレーラントは人を生き返らせることは不可能だと言っていたから、天使も例外ではないだろうしね。
ただ会って、トレーラントの魔力を上書き出来ればよかったのだけど……。
「代価さえ支払えば、どのようなものでも用意しますよ」
私が言葉の意味を理解できていないことに気がついたのだろう。フェネアンと名乗った天使は優しげな声で私に告げた。
天使も悪魔同様に、契約をするのだろうか。
「その……私は天使を召喚したのは初めてなのであまりよく分かっていないのですが、天使も悪魔同様に契約を行なうのですか?」
その問いかけを投げかけてから、しまったと内心焦る。
天使と悪魔が仲が悪いというのは、先ほどのトレーラントの話から分かったことだ。
仲の悪い種族と一緒にされていい気分になる者はいないだろう。
けれど、予想とは違って天使が怒り出すことはなかった。
こちらに向けられた人の顔や、翼の間から覗く瞳がまるでこちらを安心させているかのように穏やかに微笑む。
……怖い。
「なるほど。あなたはどうやら、悪魔のやり方に慣れているようですね。
ああ、怖がらなくともいいですよ。
同僚の中には悪魔を嫌う者もいますが、わたくしにとっては悪魔も人間もお得意様ですから」
そう言って、フェネアンは丁寧に取引の内容を説明してくれた。
簡単にいってしまえば、普通の買い物と同じだ。
私が望んだ物、あるいはそれに近い物をフェネアンが用意し、私がそれに納得すれば代価を払う。
悪魔の契約と異なる点はフェネアンが扱うのはあくまで「商品」であるため、例えば「君を蘇らせて欲しい」「国を滅ぼして欲しい」といった願いは叶えられないこと。
品物を著しく破損していない限りは返品に応じるということ。
それから最後に、フェネアンの気持ち次第では値下げも出来るということ。
……なんだか、想像していた取引と違うね。
「わたくしはあらゆる世界を巡っておりますから、大抵のものは取りそろえています。
例えば、世界各地の香辛料。持ち主を呪う美しい宝石。問いかければ必ず返事をする鏡。
異世界のものなら、知りたいことを入力するだけで答えを検索し、表示する小型の通信機。
ボタンを押すだけでもみ洗いから乾燥まで行なってくれる便利な大型洗濯桶。
馬の代わりに液体で走る屋根付きの馬車。
いかがですか? 他にも様々な商品を取りそろえているので、目当てのものはきっと見つかりますよ」
異世界からの輸入品としてあげられた道具がどんなものなのかいまいち想像はつかなかったけれど、ともかく幅広い商品を扱っていることは分かった。
まるで商人を相手にしているようだと感じた私の心を読み取ったのか、それともそのように私の顔に出ていたのか、フェネアンの四つの顔が楽しげに笑う。
……それはいいけれど、人と獅子と牛と鷲の声が辺りに響く様というのはなかなか不気味だね。
どの声もそれ自体はとても美しいから、なおさら。
「わたくしを「行商」と呼ぶ悪魔もいます。実際、わたくしはその呼ばれ方が気に入っていましてね。
ですから、あなたの考えていることは間違っていませんよ。ぜひ、その認識のままでいて下さい。
さて、希望の品は決まりましたか?」
「……どんなものでもいいのですか」
「ええ。もっとも、人を蘇らせたり、時を戻したりするような道具は売れませんが」
やはり、その辺りは悪魔と共通らしい。
残念だな。もしそんな道具が異世界にあればどんな代価でも支払ったのに。
……ああ、もちろん君の魂以外でだよ。
それが駄目となると、あとはあまり思いつかなかった。
トレーラントの魔力は今のところこの天使の魔力で十分に上書き出来たと思うし(なにせこの天使、トレーラントよりも魔力が高いからね)、侵入者を捕らえるためのトラップも自分で作れるから特に購入する必要性はない。
賢くない私には、思いつかないな。
「おすすめの品はありますか」
だから、ここは一つ向こうに任せることにした。
品物については天使の方がよく知っているのだし、何かいいものを提案してくれるかもしれない。
購入するかしないかは、こちらに選択権があるようだしね。
「それでは、こちらはいかがでしょう」
天使は特に迷った様子もなくどこからか品物を取り出して、私の前に差しだしてくれた。
近くでご覧なさい、と促されてそれを手に取る。
それは、銀の糸が巻き付けられた赤銅色に輝く錘だった。
見た目には特に変わったところはないけれど、糸や錘からは僅かに魔力を感じる。
ただ糸を紡ぐための道具ではなさそうだね。
「それは、今のあなたにもっともおすすめの品ですよ」
私が興味を抱いたことを感じ取ったのか、天使は柔和な笑みを浮かべてそう言った。
どういうことなのだろう。自慢ではないけれど、私は糸を紡いだことなど一度も無いよ。
一度だけ、妻に連れられて孤児院を見に行ったときに糸を紡いでいる少女達を見たことがあるだけだ。
「この錘に巻き付けられた糸を使えば、どのようなものでも縫い合わせることが出来ます」
「どのようなものでも?」
「ええ。壊れた家、割れた大地、喧嘩別れした相手との関係……。
時を繋ぎ合わせることは出来ませんが、それ以外のものなら制限はありません」
うん……なんというか、すごいとしか言いようがないね。
さすがは天使。取り扱っているものが普通ではなかった。
それに、確かにこれは今の私がもっとも求めているものだ。購入することに迷いはなかった。
問題は、代価なのだけど……。
「今なら、縫い合わせるための針もついてきます。お買い得ですよ」
「いかほどですか?」
私の魂などと言われたらどうしようか。
この天使がそんなものを要求するとはあまり思えなかったけれど、人(では、ないけれど)は見かけによらないと学んだからね。
せめて、アストルムやヴェンディミアの人々の魂とか命とか、そんなものだったらまだいいのだけど。
「あなたが持っている、持ち主が次々に怪死していくという逸話をもった指輪があるでしょう。
わたくしはそれが欲しいのです。
お得意様の悪魔が、呪いの掛かった装飾品を集めることを趣味にしていましてね」
思ってもみなかった要求に、天使が求める指輪が何のことか思い出すのが少し遅れた。
まだ弟が生きていた頃、私に贈ってくれた指輪だね。
結婚間近の侵入者が持って帰ろうとしたときに、罠に掛かって死んでしまったことを思い出す。
確か、あの後すぐに回収して宝石箱にしまっておいたはずだ。
ヴェンディミアに没収されていなければ、まだ屋敷にあるだろう。
持っていても身につけることはないし、それなら欲しがっている相手に渡った方が指輪も弟も嬉しがるかもしれない。
「分かりました。お渡しします。ただ、今は手元にないのですが……」
「代価は後払いで構いませんよ。
用意が出来たときにわたくしの名を呼べば、回収に伺います。
さあ、どうぞ。これはもうあなたのものです」
その言葉と共に、錘がほんのり暖かくなった。
質の高い魔道具は所有者を選ぶ。これは恐らく、私が魔道具に所有者と認められた証だろう。
ここで拒絶されなくてよかったよ。
ほっと胸をなで下ろす私をよそに、天使が再び何かを取り出した。
「こちらもどうぞ。ほんのおまけです」と差し出されて思わず受け取る。
炎のような緋色の羽根だ。きっと、天使の身体を覆う翼から取ったものだろう。
「それを触媒にすれば、次回も私と取引することが出来ます。
末永くご贔屓に」
そう言って、天使の姿がかき消えた。
召喚陣とその中央に立っていた蝋燭が消えたおかげで暗くなった室内の中、渡された羽根だけがうっすらと輝いている。
これで、全て終わったのかな。
「終わったようだな」
聞き慣れたその声に振り返ると、予想通りレーベンが立っていた。
普段着ていたような黒いローブではなく、最近ようやく見慣れてきた白衣を着ている。
どうやら、私が部屋に戻る途中で人に会っても怪しまれないよう迎えに来てくれたらしい。
「トレーラントは?」
「付き合っていられないと、先に帰った。
……実際はあの素材を身につけていることに耐えられなくなったせいだとは思うが、それは言わないでやれ」
「分かったよ」
私が天使を召喚してからどのくらい時間が経ったのかは分からないけれど、廊下の天窓から差し込む月明かりはここを訪れたときよりもやや傾いていたから、少なくとも一時間以上は話していたのだろう。
昨夜のトレーラントの様子から見て、あまり長い間保ちそうにはなかったからね。
いないのは当然かもしれない。
レーベンの言葉に頷いて、促されるままに部屋を出る。
天使を召喚するために使用した陣や蝋燭はいつの間にか消えていたから、片付ける必要は無かった。
ただ、天使の魔力だけは残ってしまったけどね。
まあ、ここは神に仕える神官達が集まる場所。
天使の魔力が残っていても、悪魔よりは怪しまれないのではないかな。
事が終わったと安心した途端、堪えきれない眠気が襲ってきた。
足下がおぼつかない私に気がついたレーベンが、私の腕を強く掴む。
「しっかり立て……といっても、魔力を消費しすぎているから無理か。
肩を貸すから、自分で歩いてくれ。私は非力なんだ」
「うん……すまないね」
言われたとおりレーベンの肩にもたれながら、ゆっくりと歩を進めた。
なるほど。この眠気は魔力切れが近いせいか。
召喚魔法というものは大抵の場合多くの魔力を消費するから、それが原因かもしれない。
「それにしても、だいぶ残ったな」
「分かるかい?」
「ああ。ハープギーリヒ侯爵は間違いなく嫌うだろう」
どうやら、私が召喚した天使はかなり力の強い天使だったらしい。
魔力切れになるわけだよ。召喚魔法で消費される魔力は、召喚する者の魔力量によって決まるからね。
おかげで、トレーラントの魔力の痕跡をかき消せたわけだからよかったのだけど……。
「……レーベン。部屋まであとどのくらいかな」
「もう少しだ。歩けるだろう」
「……眠くて、もう……」
「伯爵!」
重い瞼に耐えきれなくて目を閉じると、身体から力が抜けた。
「冗談だろう」と泣きそうなレーベンの声が耳に届く。
「トレーラントといい伯爵といい、どうして君らは自力で部屋に戻ることをしないんだ。
私は便利屋じゃないんだぞ」
ああ、もしかしてトレーラントも倒れて運ばれたのかな。
すまないね、と再度謝ろうとしたけれど、もう全く口が動かなかった。
「これは伯爵への貸しだからな」
そんな私を見かねたのか、レーベンが私の身体を背負う。
記憶にある限り、誰かに背負われたのは君以外では初めてだよ。
「……重い」
「それほど太ってはいないと思うけど……」
「いくらやつれているとはいえ、成人した男が軽いわけないだろう。
私は死神だぞ。魂と大鎌よりも重いものは持ったことがないんだ」
それって、どのくらいの重さなんだい。
その問いかけを口に出す前に限界が来た。
レーベンの愚痴を聞きながら、次第に遠くなる意識に身を任せる。
……死神への礼になりそうな品物って、何かあったかな。
起きたら、確認するとしよう。




