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悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる  作者: 紫苑
3章 悪魔の道具は今日も真摯に取引する
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5話 悪魔も弱るときがあるようです

 それからしばらくカンネリーノの話が続いて、ようやく彼が下がった頃には鐘が鳴ってからだいぶ時間が過ぎていた。

 トレーラントは待っていてくれているだろうか。

 不安を抱きながら、レーベンに教わった懺悔室までの道を辿って小さな扉を開く。


「遅いですよ」


 魔力と気配で私がこちらに来るのを察していたのだろう。

 修道服に身を包んだ清楚な女性へ姿を変えていたトレーラントが、その柔和な顔立ちに似合わない不機嫌そうな表情で私を迎えた。

 

「すまないね。カンネリーノの話がなかなか終わらなかったんだ」

「一々付き合うからでしょう。

 とはいえ、伯爵に話を切り上げさせる技術を期待しても仕方がありませんね。

 夜のうちにここへ来られただけでも、よしとしましょう」


 そう言って、トレーラントが深くため息を吐いた。

 「ひどいなあ」と言いかけて、その顔色があまりよくないことに気がつく。

 もともとトレーラントの肌は白いけれど、今のように青ざめて見えることはなかったはずだ。

 それに、普段ははっきりと感じ取れるはずのトレーラントの魔力が全く感じられないことも気になる。


「トレーラント。君、具合が悪いのかい」


 出来ればもう少し遠回しに、彼のプライドを逆撫でしないように聞くのがいいのだろうけど、私にそんな高等技術はなかった。

 直接的な私の言葉に、トレーラントの眉がはっきりとひそめられる。

 ただ「余計なことは気にしなくてよろしい」と撥ね除けられることはなかったから、私の予想は当たっていたのだろう。


「魔力を抑えているだけですよ。

 体調が治り次第、ハープギーリヒ侯爵に会うのでしょう。

 僕の痕跡を残すわけにはいきませんからね」


 そう言って、トレーラントが首に提げていたロザリオを掲げた。

 形状は神官や修道女が身につけているものと変わらないけれど、その色は通常の銀や金ではなく青みがかった色をしている。

 普通の装飾品ではなさそうだね。


「伯爵が以前嵌められた、魔法を封じる枷。それを更に強力にしたものがこれです。

 人間や他種族が作る魔法封じの道具は悪魔に通用しませんが、これはその悪魔が作り出した魔法を封じる金属。上位の中でも限られた悪魔以外、これが近くにある間は魔法を使えません」

「つまり、今のトレーラントは魔法が使えないというわけだね。不便じゃないのかい」

「不便に決まっているでしょう」


 トレーラントは不愉快そうに肩をすくめた。

 それなら、どうしてそんなものをわざわざつけているのだろう。


「言ったでしょう。僕の痕跡を残すわけにはいかないと。

 これをつけている間は魔力が体外へ放出されないので、僕の痕跡が伯爵に残ることはないのですよ。

 もっとも、この金属は本来身につけるものではありません。

 大きさなどを工夫して効果を調整しないと今のように気分が悪くなりますが」


 なるほど。強い薬が毒になるのと同じ原理だね。

 トレーラントは私よりも遙かに魔力の高い悪魔だ。その彼が体調を崩すほど魔力を抑えられているのだから、あの金属はよほど強力な魔法封じの力を持っているのだろう。

 私に使われないことを願うよ。


「あまり長くは持たないので、手短に済ませますよ。

 今から魔物が多く住まう迷宮に放り込むので、自力で戻ってきてください」

「……理由を聞いても?」


 私は何か、彼を怒らせるような真似はしただろうか……ああ、うん。山のように心当たりがあるよ。

 一人納得している私を無視することにしたのか、トレーラントが「簡単なことです」と言葉を続けた。


「いくら距離を置こうとも、こうして僕の魔力を抑えようとも、既に伯爵には僕の痕跡が残っている。

 レーベンが言うには、体調は二週間ほどで戻るそうですね。

 色々と理由をつけて完治まで引き延ばしたとしても、一ヶ月が限度でしょう。

 それくらいの時間では、薄れはしても消えることはありません。

 僕は力の強い悪魔ですし、あの二名も伯爵以上に探知の上手い悪魔ですから」

「おや、そうなのかい。

 ハープギーリヒ侯爵についてはレーベンから聞いていたけれど、もう一人に関しては初めて知ったよ」


 そう言うと、トレーラントは「そうでしょうね」と頷いた。


「レーベンは先輩よりもずっと古い死神です。

 ハープギーリヒ侯爵は同年代ですからよく知っているでしょうが、先輩とは親しくないでしょう」

「スロウスは君の先輩なのかい?」


 恐らく、先輩と呼んだのは無意識だったのだろう。

 私の問いかけにはっとした様子のトレーラントが、一瞬視線を彷徨わせる。


「……ええ、そうですよ」


 別にここで「いいえ、違いますよ」と言われても……そしてそれが例え嘘であったとしても私としてはよかったのだけど、トレーラントは結局頷いた。

 前から思っていたけれど、悪魔は案外律儀なのかな。


「……先輩については、今はいいでしょう。時間がありません。

 ともかく、あの二名を欺くには何か強い魔力で僕の痕跡を上書きするしかないのですよ。

 魔力の高い魔物が生息する迷宮に一週間も籠もっていれば、誤魔化すことは可能でしょう。

 魔物の雑多な魔力は、悪魔が嫌いますから」

「それは確かにそうかもしれないけれど……カンネリーノ達にはどう言い訳するんだい。

 第一、彼らだって療養していたはずの私が魔物の匂いをさせていたら怪しむと思うよ」


 トレーラントのことだからきっとその辺りも考えているだろうと思いつつ尋ねると、予想に反して返事は返ってこなかった。

 どうやら、私が思っていた以上にトレーラントは動揺しているらしい。


 彼は「先輩」と呼ぶ悪魔にずいぶん執着していたから、思いがけず再会の機会が巡ってきて気が動転しているのかもしれない。

 比べては怒られるだろうけれど、私だって仮に君がいきなり「二週間後に会いに行くから」なんて言ったら喜ぶよりも先に驚いて、普段は容易に扱える魔法ですら失敗してしまうかもしれないからね。

 もちろん、嬉しいことに変わりはないのだけど。


 特に、トレーラントの場合は「先輩」に気が付かれてはいけない事情がある。

 今回は私の目を通してしか「先輩」を見られないわけだから、色々と思うところがあるのだろう。

 まあ、これはあくまで私の予想だから本当は全く違うことを考えているのかもしれないけれど。


「トレーラント、一つ聞きたいのだけどいいかな」

「今回の件に役立つことなら構いませんよ」

「精霊の魔力では、上書きできないのかい?

 不死鳥の祝福を受けた時、わずかな間だったけれどトレーラントの魔力がわからなくなった。

 ハープギーリヒ侯爵やスロウスと会う際に不死鳥を連れていけば、誤魔化せると思うのだけど」


 いい案だと思ったのだけど、トレーラントは首を横に振った。


「人間は誤魔化せても、悪魔相手では厳しいですね。

 そもそも、祝福の際は普段纏っている魔力よりも濃厚な魔力が放出されます。

 不死鳥が普段放出している魔力は、あれよりずっと低いのですよ」

「そうか……では、天使を召喚することは可能かな」


 あの時、トレーラントは不死鳥の魔力は天使の魔力に似ていると言っていた。

 天使がどれだけの魔力を持つかはわからないけれど、聖書では悪魔と天使は対立する存在だ。

 同等の魔力を持っていてもおかしくない。


「……出来ないことはないでしょう」


 しばらく悩んだ後、トレーラントは頷いた。


「実行したことはありませんが、天使を召喚したという記録は見たことがあります。

 ……なるほど。確かに天使の魔力は悪魔と相反するもの。

 僕の痕跡は消えるでしょうし、先輩達も天使の痕跡が残った伯爵に近づこうとは思わないでしょうね。

 ですが、どうやって召喚するつもりです」

「ヴェンディミアの機密文書館に「天使召喚の儀」という本があるはずだ。

 書かれていることが事実かは分からないけれど、もし召喚できたら悩みは解決するんじゃないかな」


 トレーラントと契約する前、君を蘇らせる方法を探していた時に耳にしたんだ。

 悪魔召喚の方法を書いた魔術書はよくあるけれど、天使召喚の方法はめったに聞かない。

 ぜひ閲覧したかったのだけど、その時は陛下の許可なしにエテールを離れられなくてね。

 閲覧自体、教皇以外は枢機卿と聖女にしか認められていないそうだから諦めたんだ。


 ただ、私が知っているのはそこまでだし、今の私は自由があまりない。探す事は出来ないけれど。

 それが何を示すのか、トレーラントも悟ったのだろう。

 ため息交じりに「そういうことですか」と呟いた。


「つまり、僕に探せということですね。

 ……いいでしょう。痕跡を悟られても伯爵は知らぬ振りを通せるでしょうが、僕は困ります。

 明日、もう一度ここへ来なさい」

「ずいぶん早いね」

「伯爵と違って、僕は有能なのですよ」


 うん、確かにその通りだ。

 思わず頷いた私を見て、トレーラントがまたため息を吐いた。

 ずいぶん私に呆れて……いや、それだけでもなさそうだ。


「顔色が悪いよ。本当に大丈夫かい」

「こんな短時間で、僕のように力のある悪魔が弱るはずがないでしょう。

 伯爵の目が悪くなったのではありませんか」


 そういったトレーラントの声はいつもより弱々しかったし、息も僅かに乱れていた。

 彼は矜持が高いから、あまり私に弱った姿を見せたくないのだろう。

 いくら問い詰めたところで、きっと本当のことは言わないだろうね。


「……うん、確かに最近暗いところで本を読みすぎていたかもしれないね」

「どんな状態で本を読もうとそれは勝手ですが、暗いところで本を読みふければ視力は落ちます。

 伯爵は確かに死にませんが、それは身体の機能が元通りになることと同一ではありません。

 自分の身体機能には気を払うことです」

「肝に銘じておくよ。じゃあ、また明日」


 もう夜も遅いからと戻る素振りを見せると、薔薇色の瞳に僅かな安堵の色が過ぎった。

 やはり、辛かったのだろうね。

 「今度はもう少し早く来なさい」と投げかけられた言葉に頷いて、部屋を出る。


 あの本の内容が真実だったらいいのだけど……。

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伯爵が悪魔と契約するきっかけとなった話
日陰で真実の愛を育んでいた子爵令嬢は神様に愛されていると信じていた

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マシュマロ
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