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悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる  作者: 紫苑
1章 悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる
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5話 黒豹先生、人間に人間の心理を教える

「ああ、よかった。領主様! 玄関を通ったら、いきなり床が崩れたんです。

 誓って、俺……いや、私は、ただ約束通りにここを訪れただけで他には何も……」


 私が近づくと、男は自らの事情を切々と訴え始めた。

 どうやら彼は、あれが事故だと勘違いしているらしい。顔が真っ青だ。


 王国では、平民が貴族の持ち物に触れただけで罰せられることもある。

 まして、破壊したと疑われるような状況に置かれているのだから、彼が怯えるのも当然かもしれない。

 私は特に彼らを罰したことはないのだけど、思い込みというのは根深いからね。理解してもらうにはかなりの労力が必要だ。


 そこまでして彼に私の性格を知ってもらう必要はないし、そのつもりもない。

 だから、話したいなら気の済むまで話させてあげよう。無駄な話なら聞き流せばいい。

 立場上、そういったことには慣れている。


 男の話に耳を傾けると、彼がここへ来た理由が段々と分かってきた。

 どうやら、彼は自警団のリーダーらしい。

 例年よりも行方不明者の報告が多かったことから人攫いが現れたのではないかと考え、昨年の自警団の活動報告がてら私に知らせに来たようだった。


 彼は口に出さなかったけど、ついでに魔法で行方不明者を探してもらえないかという思いも多少あったのではないかな。

 街に何か起きた時は大体、私が魔法で解決していたからね。

 単に、他の領主達のように対策を考えるのが面倒だっただけなのだけど。


 なにはともあれ、現在の街の状況は分かった。

 もうそこまで気がついているなんて、わが領の民はなかなか優秀だね。


 こうなると、行方不明者のほとんどが伯爵家の使用人だと気づかれるのは時間の問題だろう。

 じきに警備ギルドから人が派遣されてくるに違いない。きっと忙しくなるはずだ。

 今のうちに、魔法以外での戦い方にも慣れておかないとね。


「あ、あの。領主様……?」


 いつまでも黙り込んでいる私を不審に思ったのだろう。男がおずおずと声をかけてきた。

 そうだった。すっかり忘れるところだったよ。


「ああ、すまないね。つい考えごとをしていて」

「いえっ、私の方こそ邪魔をしてしまい、申し訳ありません!

 ですが、その……実は、落ちた時に怪我をしたようで……」


 男の声は、先ほどよりも少し震えていた。息づかいも荒い。

 それはそうだろうね。彼の手足は、どうやら全て粉々に砕けているようだから。

 客観的に見れば、昨日の子供よりも酷い状態だ。

 悪魔と契約しても逃れたいほどの痛み、にはなっているだろうか。


「痛むかい?」

「え、ええ。それはもう……」

「だったら、悪魔と契約してみないかい? 楽になるよ」


 彼の怯えを緩和しようと努めて明るい声で誘ってみたのだけど、男の反応は芳しくなかった。

 暗がりでも分かるほどはっきりと顔が引きつっているし、目には明らかな恐怖が浮かんでいる。

 どうやら、失敗したようだ。トラップの威力が足りなかったのかもしれない。

 子供よりも大人の方が痛みや苦しみには強い。もっと、痛くて苦しい思いをさせないと契約する気にはなれないのかな。


「あ、悪魔? 領主様、何を……」

「別に、魂を差し出せといっているわけではないよ。命は保証されるし、痛みからも解放される。

 ただ、君と悪魔が契約してくれないと私の願いを叶えることが出来ないんだ。

 どうかな」


 再三誘いをかけてみたけれど、男はその度に首を大きく横に振った。

 つまり、死にたいということだろうか。

 自殺希望者だったとは知らなかった。いろんな人がいるものだね。


「分かった。じゃあ、悪魔と契約して君の望む死に方を言えばいい。

 どんな死に方が望みなんだい?」


 男の口から漏れたのは、ひいひいと喘ぐような声だけだった。

 意味は分からない。外国の言葉だろうか。


 翻訳魔法を発動させてみたけれど、男の言葉が翻訳されることはなかった。

 久々に使うから発動方法が間違っているのだろうか。

 困ったな。私は自国の言葉以外は魔法を介さないと理解出来ないんだ。


「すまないね。翻訳魔法がうまく発動しないんだ。

 もう一度、アストルム語で話してくれるかい」


 伝わらなかったことがよほどショックなのか、男の目が大きく見開かれた。

 口が何度も開閉するが、言葉は出ていないようだ。

 それとも、私の耳が変になっているのだろうか。


「全く、埒が明きませんね」


 どうしようかと考えている私の背後から、ため息混じりの声が聞こえてきた。

 トレーラントだ。

 今は人の姿を取る気分だったようで、最初に私と出会った時と同じ青年の姿を取っている。

 真っ白な服と淡い金色の髪が相まって、見た目だけなら聖職者のようだ。


「た、たすけてくれ!」


 ようやくアストルム語を話すつもりになったのか、それまで荒い呼吸音か訳の分からない言葉ばかり漏らしていた男が声を張り上げた。

 私がいくら促しても話をしてくれなかったのは、単に私のことが気に入らなかった為だろうか。

 嫌われるのは慣れているけれど、さすがに領民にまで嫌われているとは思わなかったよ。

 まあ、私は君にさえ好かれていればそれでいいのだけど。


「りょ、領主様が悪魔に憑りつかれた! そ、そいつを殺してくれ! 俺を助けてくれ!」

「悪魔は憑りつきませんし、そこにいるのはただの人間ですよ。

 人間と悪魔の区別もつかないとは、なんと愚かしい」


 トレーラントの言葉を聞いて、男はまた「ああ」や「ひい」といった私には理解出来ない外国語を話すようになってしまった。

 二か国語を瞬時に話し分けられるなんて、彼はずいぶん器用だね。

 でも、相手は選んでほしかったな。私相手にそれを披露しても意味はあまりないと思うんだ。


「契約すれば、命だけは助けてあげますよ。

 しないのなら、このままここで朽ち果てなさい」


 悪魔であるトレーラントにとって、男の言葉は問題なく理解出来るらしい。

 柔らかな薔薇色の瞳を男に向けて、優しげな声で語りかけていた。

 言っている内容は優しくないけどね。


「だれが、悪魔なんかと……な、仲間がきっと、お前を殺して、俺と領主様を、たすけ……」

「君の仲間が助けに来ることはありませんよ。この部屋は伯爵家の当主しか知りませんから。

 しばらくは暗闇の中で飢えと渇きに苦しむでしょうが、三日もすれば楽になります。

 よかったですね。人間の身体が脆弱で」


 不思議なことに、トレーラントは強引に契約を持ちかけようとはしなかった。

 ただ、ここに留まり続けた場合に男を待っているであろう現実を淡々と語っているだけだ。

 トレーラントは男が死ぬことを望んでいるのだろうか。

 もし彼が死んでも、ゴーレムの素材として使えるから私としてはいいのだけど。


 ああ、君の身体を作る材料として採用するのは止めておこうね。

 君の身体にしては筋肉が付きすぎているし、年齢も合わない。


「いやだ……いやだ、そんな死に方はいやだ!」

「おや、そうですか? でも僕と契約したくないのでしょう」

「そ、それは……」

「これ以上話していても時間の無駄です。

 行きましょうか、伯爵」

「そうだね。お腹も空いたし」


 特に逆らう意味もないので、トレーラントの言う通りに上へ戻ろうと踵を返した。


「待ってくれ!」


 男の声が響いたのは、一歩踏み出した瞬間だった。

 立ち止まった私と違って、トレーラントは何も聞こえない素振りで更に歩みを進めていく。


「まって、まってくれ。たのむ! 契約する。契約するから!」

「そうですか。では、契約を」


 懇願に振り向いたトレーラントが、つまらなさそうな目で男を見下した。

 私と契約した時と同じように自分の名前と男の名前、それから契約内容を復唱した後、間違いがないかを男に尋ねる。


 無事に契約が結ばれた途端、男の姿がかき消えた。

 先日の子供の時も思ったのだけど、ずいぶんあっさりしたものだね。

 あの時は子供相手だからかと思っていたけれど、どうやら対応は全ての人間共通らしい。


 ちなみに、トレーラントが妻や使用人と契約した時の記憶はない。

 あの時の私は、自室でぐっすり眠っていたからね。

 彼らを死の淵に追い込んでおいて眠るなんて薄情だと思われるかもしれないけれど、直前まで屋敷の扉を全て封鎖したり、魔法がまんべんなく部屋全体に降るように調整したりと忙しかったんだ。

 それに、もう少しで君と会えるのだと思うと興奮してしまってね。

 前の晩はずっと眠れなかったから、その反動が出てしまったのだろう。


「伯爵」


 君のことを考えるとつい夢中になってしまう私を引き戻したのは、トレーラントの冷ややかな声だった

 どうやら、彼の機嫌は直るどころか悪化したらしい。男を早々に契約させられなかった為だろうか。


 さっさと契約に持ち込んでも手ごたえがないと言われ、手間取ればぐずぐずするなと怒られる。

 それならどうすればいいのかと聞きたいところだけど、私に分からないだけできっとトレーラントなりに不満な点があったのだろう。


「僕がどうして不機嫌なのか、分かりますか?」

「契約させるのに手間取ったからかい?」

「ええ。さすがにそれくらいは分かるようですね。

 それで、解決策は?」

「そうだね……トラップの威力を、もう少し改良すべきかな。

 もっと高いところから落とすとか、杭でも立てておくとか。

 あとは、彼が話してくれるように嫌われない話し方を心がける、とか?」

「違います」


 私なりに考えて出した結論は、彼のお気に召さなかったらしい。

 トレーラントが大きくため息をついて、首を横に振る。


 さて、ではなんだろう。弟のように「お前の顔が気に入らない」と言われても困るのだけど。

 いや、母のように「お前の存在が気に入らない」と言われる方が、来るものがあるかな。


 おかげで幼い頃、私は自分の姿……特にこの黒い髪が大嫌いだった。

 母と弟は亜麻色で、父の髪は祖父同様の赤褐色。私だけ仲間外れみたいで、いやだったんだ。


 まあ、今は好きだけどね。

 君曰く、黒は夜の色で、夜はたくさんの夢を見る。だから黒は、夢の色。希望がたくさん詰まった、みんなが大好きな色……らしいから。

 理論的な慰めではないけれど、私にとってはなによりも嬉しい言葉だった。


 ……トレーラントへの返事を考えるつもりが、いつの間にか君のことを考えてしまっていたよ。

 直すつもりはないけれど、私の悪い癖だ。


 真面目に考え直すとして、トレーラントが私の答えを否定した理由はあまり思いつかなかった。

 トラップでないとすれば、なんだろう。もっと熱心に、粘り強く契約に誘えばよかったのかな。


「諦めないこと、かな」

「もういいです」


 試しに言ってみると、今度は違うとも合っているとも言われなかった。

 代わりにため息交じりにそう言われて、肩をすくめられる。

 これ、否定されるよりも心に来るね。


「分からないようですから答えを言いますが、伯爵は人間の心理を理解していなさすぎます」

「まさか、悪魔に人の心が分かっていないと言われるなんて思わなかったよ……」

「僕だって、人間に人間の心をレクチャーする羽目になるなんて思いませんでしたよ。

 いいですか? 人間は痛みから逃れたくて契約するのではありません。

 一度絶望したから、契約するんです」

「絶望?」


 繰り返した私に頷いて、トレーラントが更に言葉を続けた。


「自分の力ではどうしても叶えられない願いを諦めきれないからこそ、人は悪魔に縋ります。

 伯爵だって、自分で願いを叶えられないと悟ったからこそ僕と契約したのでしょう」

「まあ、そうだね……」


 言われてみればその通りだ。

 自分の力で叶えられる願いを悪魔に望む人間はいない。

 悪魔と契約するのは、この国のみならず世界各国でもっとも忌まわしい大罪とされているからね。


「もちろん、痛みから逃れることを望んで契約する人間もいるでしょう。ですが、痛みだけでは絶望しない人間も大勢いる。

 あの男は「仲間が助けに来る」という希望を捨てきれないでいた。

 だからその希望を全て摘み取ったんです」


 ああ、なるほど。仲間が助けに来られる状況ではないと悟ったから、あの男は契約したわけか。

 確かに、私も君ともう二度と会えなくなったと分かった時には絶望したからね。気持ちは分かる。


「悪魔が報酬をつり上げる時に使う手としては基本中の基本ですが、伯爵は全く理解していない。

 それでは、いくらトラップを改良したところで結果は変わりませんよ。

 痛みに屈服する人間もそこそこいますから全く無意味とは言いませんが、費用対効果は悪いですね」

「トレーラントは、ずいぶんと人間に詳しいんだね」

「当然です。僕は優秀な悪魔ですから。

 僕より上手に報酬をつり上げられる悪魔なんて……本当にごく僅かですね」


 感心する私とは裏腹に、トレーラントは冷めた目をしていた。

 薔薇色の瞳に一瞬寂しげな色がよぎったように感じられたのは、気のせいだったのだろうか。

 もう一度確認しようとするよりも前に、トレーラントが顔を背けた。


「まあ、いいです。一度に色々言ったところで、伯爵の愚鈍な頭では理解しきれないでしょう。

 それに、僕も用事がある。先に上へ戻って、僕が今言ったことをよく考えるのですね」

「そうさせてもらうよ。すまないね」


 トレーラントの言葉に促されて、私は一足先に君のいる自室へ戻ることにした。

 彼の言う通り、私の小さな頭ではトレーラントの今の言葉を処理するのでめいっぱいだったから。


 それにしても、痛みよりも絶望か……難しい話だな。

 私だったら、目の前で君が死んだり、君に嫌いだと言われたりしたらすぐに絶望するのだけど……。


 ……考えていたら、気分が重くなってきた。

 想像の中だけとはいえ、君に嫌われるなんていやなことを考えたものだ。


 とりあえず、君の下へ戻ろう。今度こそ、おいしいお茶を淹れてあげるからね。

 それから、昼食の時間が近いからそろそろ準備をしないと。何がいいかな。

 そんなことを考えながら、自室の扉を開ける。


「トレーラント、なんだこのお茶は。

 やたらと渋くて、飲めたものではない」


 今朝トレーラントが座っていた席に、真っ白な髪の男が腰掛けてお茶を飲んでいた。

 多分、私が淹れた美容と健康にいいあれだ。

 よほどまずかったのか俯いて顔をしかめていた男がこちらを見上げて、首を傾げた。


「……誰だ、君は」


 それは、私の言うべき台詞だと思う。

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伯爵が悪魔と契約するきっかけとなった話
日陰で真実の愛を育んでいた子爵令嬢は神様に愛されていると信じていた

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