26話 悪魔の請求
トレーラントが陛下と交わした契約の報酬として要求したのは、私の魂だった。
陛下が忌々しげにトレーラントを睨み、首を横に振る。
「悪魔よ。余はこの国の貴族と言ったのだぞ。
ウィルフリートからはすでに伯爵位を剥奪した。対象には……」
「初代ブレンネン公爵に加護を与えた炎の高位精霊イフリートは、彼が爵位を継ぐことを認めました。
この国において、あの家だけは王よりもイフリートによる任命が優先されます。
つまり彼はこの国の貴族。報酬の対象です」
ブレンネン公爵家は私の生みの母の実家だ。
交流はなかったけどね。祖父である公爵家の当主は娘が死んだ理由である私を憎んでいたから。
公爵家の後継者は母の兄とその子供だったから、交流する必要もなかった。
私の記憶が正しければ、公爵家の継承制度はアストルムの一般貴族とは少し違っていた。
基本的には他の貴族と同じく長男が継承権第一位となるのだけど、初代公爵に加護を与えたイフリートが認めた者がいた場合はそちらが優先されるんだ。
たとえ、王が認めなくともね。
もともと、精霊に気に入られた人間を国に取り入れたいがために与えられた爵位だ。
当時の王としては、イフリート好みの人間の血を残すことで炎の高位精霊から加護を受けやすい人間の血筋を残したかったそうだよ。
ただ、当のイフリートが公爵家の後継者に意見したことは一度もなかったそうだけど。
特に気に入られるようなことをした覚えはないのだけど、どうして私が指名されたのだろう。
「高位精霊が人間の世界に口を出すはずはない!」
「人間如きが、何を分かったように高位精霊について語っているのです?
言っておきますが、証書はありますよ」
トレーラントが取り出したのは燃えるような深紅の巻紙だった。紙からは人間でも悪魔でもない、肌を焼くようなピリピリとした魔力が漂っている。
残滓だけでこの濃密さだ。間違いなく、高位の精霊が作成したものだろう。
文面はここからでは見えなかったけれど、陛下の顔色から内容はなんとなく察せた。
「し、しかし……精霊が定められるのは後継に関してのみだ。
現在の公爵が引退でもしない限り、ウィルフリートが跡を継ぐことはない」
「ああ、公爵家の人間は揃って焼死しましたよ。なかなか楽しい余興でした」
淡々と告げられた事実に、陛下は声が出ないようだった。
私も驚いたよ。だって、あの家は仮にも炎の精霊から加護を受けた人間の血を継いでいる。
火の魔術を得意とする人間が多いから、焼死はまずありえないはずなのだけど。
「本来なら、貴族の任命には国王の承認が必要です。
しかしブレンネン公爵位だけは精霊の許可さえあれば継げる。
彼は今、間違いなくブレンネン公爵ですよ」
ああ、そういえばそんな決まりもあったね。すっかり忘れていたよ。
確か、爵位を与えた当時の王が精霊の力を軽んずる王が現れた時に備えて定めたのだったかな。
高位精霊を怒らせて国が滅んだ例はいくつもある。当時の王はきっと、イフリートの意思を無視したことによってアストルムが滅びることのないようにと考えたのだろう。
まさか、悪魔に利用されるとは思わなかっただろうけど。
「っ……ウィルフリート! その悪魔を……」
陛下が私に命令を下す直前、トレーラントが陛下の頭を蹴りつけた。
何気ない動きだったけれど、見た目以上に力が籠っていたらしい。壁に頭を打ちつけた陛下が微かに痙攣してうなだれる。
見たところ死んではいないものの意識は失われたようだから、再度命令されることはないだろう。
「無駄な足掻きを。
どれほど魔力が高かろうと所詮は人間。伯爵が僕に対抗出来るわけがないでしょう。
道具はその性質を把握し、適切に扱ってこそ役立つのですよ」
冷ややかな声でそう言って、トレーラントが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
うん、そうだね。私も勝てる気はしないよ。おそらく、勝負にすらならないと思う。
私はあくまで人間としては魔力が豊富なだけで、人間でないものには対抗出来ないことも多々ある。
ああ、そういえばこの首輪はどうしようか。
破壊出来る気がしないのだけど、ヴェンディミアなら外せるかな。
何気なく首輪に触れていると、トレーラントが手にしていた鞘から剣を抜いた。
鞘から抜いた途端に燃え始めた剣が私の首に当てられる。
「首を切られたくなければ、大人しくしていなさい」
「分かったよ」
言われた通り大人しくしていると、隷属の首輪が真っ二つにされて床に落ちた。
悪魔は剣の腕も人間より優れているのかな。
「あいにく、これは僕の腕ではなくて剣の効果です。
業火の剣は全てを断ち切りますからね。もっとも、これは借り物ですが」
「そんなに便利な剣、よく貸してもらえたね」
「僕は優秀ですからね」
そう言って、トレーラントがおもむろに指を鳴らした。
途端、見慣れた姿が別のものへと変わる。
淡い金色の髪は私と同じ黒に染まり、顔も普段と違う……私によく似た顔立ちになった。
垂れ目がちで目の下に黒子があるという違いはあるけれど、兄弟だと言われれば納得しそうだ。
薔薇色の瞳だけが最後に残った彼らしい部分だった。
「すごいね。ディートフリートそっくりだ。
でも、どうしてその姿なんだい?」
先ほどの姿のままでも、別にいいと思うのだけど……。
「僕の姿を教会に知られたら、面倒ですからね。
後れを取ることは万が一にもありませんが、相手をするのは時間の無駄です」
なるほど、確かにそうだね。
私も、ヴェンディミアの神官が何度も屋敷を訪れてきた時は困ったものだ。
「う……ぅ……」
「おや、目が覚めましたか。ちょうどいいですね」
気を失っていた陛下がよろよろと起き上がった時、閉ざされていた扉が勢いよく開いた。
飛び込んできたカンネリーノの顔がこの現状を見て青くなり、すぐに赤くなる。
「第七枢機卿レオンツィオが命じる。アストルム国王を捕らえよ!
命に従わぬものは、ヴェンディミアの敵と見なす!」
彼が率いてきたのはアストルムの兵だったけれど、彼らは即座に彼の言葉に従った。
それはそうだろう。アストルムよりもヴェンディミアのほうが国力は上だし、なにより陛下が悪魔と契約していることは明白だからね。
陛下は魔法を使ってこの場を逃れようとしていたけれど、本調子でない上にこれだけ数の差があっては逃げられるはずもない。
転移魔法が使えるわけでもないから、捕らえられるのはすぐだった。
陛下が悪魔と契約している絶対的な証拠をカンネリーノに見せることは出来た。
他の貴族たちが悪魔と通じているという私の話も、きっと信用されるだろう。
私の計画通りだ。いや、むしろそれ以上に上手くいったと思っていい。
もともとは、アストルムの貴族たちにその身分に見合わない高価な装飾品をトレーラントに売りつけてもらった後、悪魔と契約して財を得ていた貴族の名を記したリストを隠し部屋に配置する予定だったからね。
ああ、もちろんリストの内容は捏造だし、装飾品に使用した魔石は魔物退治の際に私が得たものだよ。
竜や水龍から取れた魔石は入手の危険度からとても高価なものとして知られているけれど、私はいくらでも手に入れられるから余っていたんだ。
彼らを「欲望のために悪魔と契約した悪しき貴族」に仕立てるにはちょうど良かった。
あとはカンネリーノと離れている間に姿を消して、リストのある隠し部屋に身を潜めるだけだ。
さも、アストルムの悪魔崇拝者に攫われて監禁された場所にたまたま証拠があった……と、見せかけるはずだったのだけど、まさか嘘のほとんどが事実になるとは思わなかったよ。
「僕はもう行きますよ」
目の前の戦闘をぼんやりと眺めていた私の意識を引き戻したのは、トレーラントの声だった。
いつもと異なる姿の中、それだけは変わらない薔薇色の瞳が私を見つめている。
「時間もありませんから、手短に話しますが」
いまだに争っているカンネリーノと陛下をちらりと見て、トレーラントが言葉をつづけた。
「僕がアストルムの国王と交わした契約は「ウィルフリート・フォン・アーチェディアと接触する」というものです。
接触した後のことは特に定められていません」
「うん、分かっているよ」
いくら契約でも、トレーラントが自分の意思以外で契約者を選ぶとは思えないからね。
そう言うと、トレーラントは「よろしい」と満足げに頷いて姿を消した。
彼の機嫌を損ねなくてよかったよ。今の私には、彼の好きな葡萄酒を用意することは難しいから。
「アーチェディア伯爵!」
胸を撫で下ろしていると、カンネリーノが一人の兵士と共にこちらへ駆け寄ってきた。
私はもう伯爵位を剥奪されているし、トレーラントの言葉が正しければブレンネン公爵になるのだけど、これは言ったほうがいいのだろうか。
まあ、私としては長年親しんできたこちらの名のほうが通りはいいのだけど。
「怪我はありませんか」
「ええ、この通り」
先ほど殴られた時に出来た痣は陛下が治療してくださっているし、もともと陛下は私を傷つけるつもりではなかったようだからね。
それに、多少の怪我では私は死なないから。
ということは伏せて曖昧に微笑むと、カンネリーノはほっとした様子で息を吐いた。
「申し訳ありません。まさか、枢機卿たる私がいる場で悪魔を呼ぶとは思いませんでした。
伯爵がなかなか戻られなかったので付近を捜索していたのですが、偶然近くを通りがかったこの兵士がここまで案内してくれなかったら、きっと――」
「え?」
兵士がここまで案内をした? それは少し、妙ではないかな。
ここは王族しか出入りの仕方を知らない隠し部屋だ。一介の兵士が知るはずがない。
ああ、もしかしてトレーラントが兵士のふりをして誘導してくれたのだろうか。
そんなことを思いながら、カンネリーノの隣に立つ兵士を見上げる。
緑の目をぎらつかせた彼は、風の魔力を宿した槍をこちらに向けて構えていた。
「――死ね、伯爵」
とっさに魔法障壁を張ろうとして身体を動かした途端、視界が揺れる。
盛られた毒の効力が微量に残っていたのか、あるいは弱った身体が動きについていけなかったのか。
どちらにしろ、私は防御に失敗した。
槍が私の左胸を貫く。
そこで、意識が途切れた。




