24話 楽しく平和なお茶会(安全とは言っていない)
「久しいの、アーチェディア伯爵」
宰相に連れて来られたのは、陛下の私室だった。
部屋のあちこちに陛下が好む黒い薔薇が飾られているせいか、甘い香りがほのかに漂っている。
私室に招かれたということは、公的な呼び出しではないのだろうか。
「ヴェンディミアからの長旅、ご苦労であった。
疲れているであろう。掛けるがよい」
勧められるがまま腰掛けると、部屋の隅に佇んでいた侍女が静かにお茶の用意を始めた。
私は召喚されたのであって、陛下の私的なお茶会に招かれたわけではないはずなのだけど……。
「どうした。好みに合わぬか?
そなたの好きなスミレの砂糖漬けも用意したのだが」
「いえ、頂きます」
不思議に思ったけれど、陛下を問いただすわけにもいかない。
陛下が用意してくださったものに手をつけないのも失礼だから、頂くことにした。
念のために毒などが入っていないか魔法で確認をしてから、口をつける。
うん、おいしい。いつも通り、いい風味だ、
スミレの砂糖漬けも、普段私が食べているものよりずっと香りがよかった。
今度、君にも食べさせてあげたいな。
「口には合ったかの」
「はい」
「ならばよい。そなたのために取り寄せた甲斐があった」
それからしばらくは、いつものように魔法の運用やエテールの近況を話すだけだった。
まるで、トレーラントと契約する前に戻ったようだ。
「――さて、アーチェディア伯爵」
気がついた時には、最初は部屋にいたはずの侍女や騎士たちがいなくなっていた。
残っているのは、私と陛下と宰相だけだ。
すごいね。いつの間に部屋を出て行ったのだろう。
探知魔法を発動していなかったから、ちっとも気がつかなかったよ。
私が感心していることに気がつかれたのか、陛下がうっすらと微笑む。
「これに、見覚えはあるか」
陛下が差し出されたのは、一枚の契約書だった。
契約者は私で、内容は君を蘇らせる代わりにアストルムの人々を悪魔に捧げるというもの。
なるほど、これは――。
「いえ、ございません」
うん、見覚えは全くない。
そもそも、私はトレーラントと契約する際に書類なんか交わしていないからね。
陛下はいったい、どこでこれを手に入れられたのだろう。
「そうか。やはり、罪は認めぬのだな」
「陛下……?」
「アーチェディア伯爵。そなたは悪魔と契約し、アストルムの民を捧げた。
このように、そなたと悪魔が交わした契約書もある。言い逃れは出来まい」
どうやら、陛下は私の言葉を聞き入れてくださるつもりはないようだった。
私は契約書に見覚えがないといっただけで、悪魔と契約したことまで否定してはいないのだけど。
「しかし、そなたにも余の言葉を否定する時があったのだな。少々驚いたぞ」
そうだろうね。陛下の命に逆らったことはもちろん、意見したことさえ一度もない。
陛下は私の取り柄が魔法しかないことをよくご存じだったから、必要がなかったんだ。
護衛と牽制を兼ねて他国を連れ回されることだけは、少々気が重かったけれど……。
「まあよい。そなたが認めなかろうと証拠がある以上、無罪とみなすわけにはいかぬ。
故に、そなたのエテール領主の任を解き、伯爵位を剥奪する」
「――かしこまりました」
陛下は有言実行の方だし、一度口にしたことを翻すことは滅多にない。
私がいくら言葉を弄したところで、今の発言が撤回されることはないだろう。
それに、私はすでにアストルムの王侯貴族が悪魔と契約しているとヴェンディミアに告発している。
計画通りにいけば、陛下も明日には「悪魔と契約した大罪人」として捕縛されるだろう。
召喚に応じたのは、アストルム貴族としての義務だからというのもあるけれど、なにより証拠を作るためだからね。
陛下が私を陥れるつもりだとは思わなかったけれど、計画を遂行するにはちょうどいい。
この後はきっと牢にでも入れられるだろうから、そこで……。
今後について思いを馳せていた時、視界がぐらりと揺れた。
城が攻撃を受けているのかと思ったけれど、目の前の陛下は笑顔のままだ。
自分の身体が傾いているのだと理解したのは、椅子から崩れ落ちた時だった。
「ようやく効いたか。少々時間が掛かったの」
身体の自由が利かない。頭がぐらぐらと揺れる。
私の身体に現れているのは、なんらかの毒の症状だった。
でも、お茶やお菓子に毒が含まれていないことは確かめたはずだ。
いったい、どこに盛られていたのだろう。
考えても答えが出ないまま、意識が途切れた。
「……起きろ」
身体を乱暴に揺さぶられる感覚と冷たい空気が肌を撫でる感触に、目を開いた。
気を失ってから、どのくらいの時間が経ったのだろう。
石造りの壁と床に、魔法灯の僅かな明かりしかない薄暗い空間。
ここは、陛下の私室にある仕掛けを操作することで現れる隠し部屋だった。
戦争等で敵に攻め込まれた際に王族が逃れられるようにと用意されたもので、ここへ降りる方法は基本的に王族しか知らないようになっている。
私がこの部屋の存在を知っていたのは、城全体に防衛魔法を掛けるよう命ぜられたことがあるためだ。
広範囲に効率よく魔法を掛けるには、対象の構造を熟知していたほうがいいからね。
陛下は隠し部屋について教えてくださらなかったから、探知魔法と根気で城中を調べたものだよ。
中には探知魔法を妨害する魔道具で守られた部屋もあったから、本当に大変だった。
あの時は魔法で調査しただけだったから実際に立ち入るのは初めてだけど、なかなかいい雰囲気だね。
出来ることなら君と一緒に籠もって本を読みふけることに使いたいくらいだ。
「ずいぶん、余裕があるようだな」
思いがけず部屋の雰囲気に夢中になってしまったことが、私を起こした人物の不興を買ったのだろう。
頭から水を掛けられてずぶ濡れになってしまった。
このままでは風邪を引いてしまいそうだから、早く乾かそう。
魔法を発動させようとした途端、頭の中に靄が掛かった。集めた魔力が霧散する。
何度発動させようとしても駄目だ。発動が出来ない。
ヴェンディミアで枷をつけられた時とは違う。魔力は動かせるのに、魔法の形にならない。
同じ理由で、魔術も発動出来なかった。いったい、どうしてしまったのだろう。
「はは……アストルム一の魔法使いも形無しだな」
「ええ、そのようですね。何か、理由をご存じですか?」
魔法の発動を諦めて目の前の男――宰相に尋ねると、彼は呆気に取られた様子で私を見た後、顔をゆがめて私の腹を蹴った。
身体を丸めて咳き込むと、さらに背中を蹴られる。
昔、よく使用人にされたから慣れているけれど、やめてほしいな。痛いものは痛いんだよ。
特に今は、身体強化もしていないし……。
「よくものうのうと……っ! マリアを殺した大罪人が!」
「申し訳、ない。私は、人の名前を覚えることが、本当に苦手で……」
だから、マリアと言われても誰か思い出せないんだ。マリア自身、よくある名前だからね。
そう言うと、緑の目をぎらつかせた宰相が絶叫した。
「自分の妻の名前も、貴様は忘れたというのか!」
「……ああ」
そういえば、妻はそんな名前だった。
普段は彼女の話に耳を傾けて返事をするだけで名前を呼ぶことはなかったから、忘れていたよ。
宰相は妻の兄だったから、そこで思い至っておけばよかったね。
「あの子がお前に何をした?! ただお前に従って、愛してやっただけだろう!」
「ええ、そうですね」
彼の言う通り、妻は何も悪いことをしていない。ただ、エミールの蘇生に必要だっただけだ。
それを言ってしまえば、私が今まで契約に誘ってきた人々はみんなそうだけどね。
でも、それがなんだと言うのだろう。
弟に伯爵家を継がせるのに必要だから、母は君を殺した。
罪人に罰を与えることは当たり前で必要なことだから、領民は君に石を投げた。
賃金を得るのに必要だから、処刑人は君の首を落とした。
君は何もしていないのに。
妻は、仕方がないことだといった。
アストルムの法で裁かれた君が処刑されるのは、ここがアストルムである限り仕方のないことだと。
では、私が君を蘇らせるために人々が犠牲になるのも仕方がないのではないかな。
だって、君に今度こそ幸せな人生を歩んでもらうために必要なのだから。
そんなことを考えていたら痛みが止んだ。
気が済んだのだろうか。
「どうやら、目が覚めたようだな」
「陛下……」
白髪交じりの金の髪と、アストルムの王族特有の空色の瞳。
先ほど向かい合ってお茶をしていたはずの陛下が部屋の入口に佇んでいた。




