23話 アストルムへの帰還と企み
「アーチェディア伯爵」
囁くような声とは裏腹に身体を強く揺すられ、沈みかけていた意識が引き戻された。
そろそろ見慣れてきたカンネリーノの姿と、見慣れない壁が視界に映る。
ああ、もう目は覚めたよ。だから、そろそろ身体を揺さぶるのは止めてくれないかな。
そう言いかけて、ここが馬車の中だと思い出した。
ああ、そうだ。私はアストルムに帰ってきたのだったね。
目的地はエテールではなく王都だから、正確には帰ってきたのではなくて向かっていると言ったほうがいいのかもしれないけど。
私とカンネリーノがアストルムを訪れたのは、審問から三日後のことだった。
以前彼が言っていた「私と伯爵で王都に向かい、アストルムの王侯貴族が悪魔を崇拝している証拠を掴む」という提案がすばやく認められたため……ではない。
審問の翌日、私宛にアストルムから召喚状が届いたためだ。
私の屋敷で起きた一連の事件に対する説明を陛下の前で行うように、とのことだった。
まあ、それはそうだろうね。至極まっとうな理由だと思う。
ただ、ヴェンディミアは「自分たちの罪を外部に密告したと察知したアストルムが伯爵を呼び出して、手を下そうとしている」と考えたらしい。
私を素直に向かわせて良いのか、当初はいろいろと議論になったようだ。
もっとも、私がアストルムの貴族である以上は召喚状に応じる義務がある。
なんらかの罪を犯して拘留されているならまだしも、不問にされた私を引き留める権利はヴェンディミアにはない……ということで、最終的には応じることになった。
ただし、私の身の安全を保障するためにいくつかの対策を施した上で。
それが、枢機卿であり教皇侍従でもあるカンネリーノの同行だった。
彼は枢機卿の中でも武闘派で魔法の扱いにも長けているらしい。
だからいざという時に私を守って戦えるし、その地位でアストルムを牽制することも出来るから、ということだった。
表向きは、無断で国土に侵入して貴族である私を連れ去ったことへの釈明をするためについてきたことになっている。
「そろそろ支度を」
そう言ってカンネリーノが取り出したのは、淡い紫色のブローチだった。
綺麗な見た目だけど、れっきとした魔道具だ。二つで一対になっていて、充填されている魔力がある限りは連絡が取れる。
渡されたブローチと対になるものは、カンネリーノが持っていた。
「アストルムでは、私が同行出来ない場面もあるでしょう。
ブローチに込められている魔力量なら、一分は通信が可能です。危険が迫った時にお使いください」
「ええ、大切に使わせていただきます」
契約の仲介にね。
+++++
「陛下から召喚を受けたのだけど、通してくれるかな」
「お待ちしておりました。どうぞ、中へお入りください」
伯爵が身分と名を告げると、アストルム城の衛兵は恭しく礼をして城門を開いた。
彼らはどうやら、我々の企みには気がついていないようだ。
あるいは、気がついた上であえて素知らぬふりをしておびき寄せようとしているのか。
どちらにしても、ここまで来てしまった以上は引き返すわけにはいくまい。
覚悟を決めて、足を踏み入れる。
そして、息を呑んだ。
アストルムの城に満ちる様々な魔力。
その中に、微量だが悪魔の魔力が混ざっていた。
城を守る兵や魔術師たちは気がついていないらしい。
当然だ。魔力を持たぬ平民が悪魔の魔力を感知することは不可能に近いのだから。
一体どれだけ長い間、彼らは悪魔の魔力に晒され続けたのだろう。
ただ真面目に職務に打ち込んでいるだけの善良な民の魂が穢されていることを思うと、その元凶であるアストルムの王や貴族への怒りがふつふつと湧いてきた。
必ずや彼らを捕らえ、この国を浄化しなければ。
……だが、伯爵の話によればアストルムの堕落は少なくとも十年前から続いている。
人は通常、三日も悪魔の魔力に晒されればその虜になり、悪魔の命令を聞くようになるという。
伯爵のように神の寵愛を受けている者ならまだしも、おそらくそうでない彼らは助かるのだろうか。
一瞬過ぎったその思いを伯爵に悟らせないよう、どうにか心に押しとどめる。
彼はヴェンディミアなら民を救ってくれると信じて自国の罪を告白したのだ。
私が諦めるわけにはいかない。
その時、前を歩いていた伯爵が不意に立ち止まった。
周囲に向けていた注意を、伯爵の視線の先へと向ける。
「よく来たな、アーチェディア伯爵。来ないかとも思っていたが」
「陛下の召喚に応じるのは、アストルム貴族の義務ですから」
「――そちらは」
視線を投げかけてきたのは、焦げ茶色の髪を後ろに撫でつけた長身の男だった。
年は、私や伯爵よりも十ほど上だろうか。
人の良さそうな笑みを浮かべながらも、眼差しだけは鷹のように鋭く私と伯爵を観察している。
だが、それよりも私が気になったのは彼が身に着けている魔石のブローチだった。
何の変哲もない装飾品だが、そこにあしらわれている魔石は教皇台下ですらなかなか手にすることが出来ぬほど大きく美しいものだ。
決して裕福とは言えないアストルムの貴族が、手に入れられる品だろうか。
「ヴェンディミア第七枢機卿レオンツィオ・ディ・カンネリーノだ。
アーチェディア伯爵をヴェンディミアが保護した件について説明に来た。
本来は使者を送って日程を定めるべきだが、説明が後手に回っては礼を失する。
取り急ぎ、伯爵に同行した次第だ」
「それはそれは、ご足労をお掛けいたしました。
私はアストルム王国の宰相を勤めるユルゲン・アヒム・フォン・シュトゥルムと申します」
彼のことは知っていた。伯爵の妻の兄ということで調査したのだ。
宰相を多く輩出しているシュトゥルム侯爵家の中でも優秀で、国民の利益となる政策を次々に打ち出しているとして、国内外ともに評価の高い男だった。
ただ、魔物を討伐する際の手配だけは妙に悪かった。
正確には、ドラゴンやオーガのような難易度の高い魔物討伐時の時のみ、ミスが多いのだ。
ドラゴンの成長度を誤って伝えていたり、補給の日程を間違えたり、魔物の繁殖率をあからさまに低く見積もって作戦を立てていたり……。
――宰相がミスを犯すのは決まって、伯爵一人だけに魔物の討伐が任された時だ。
それに気がついた時は背筋が冷えた。
数日接して分かったが、伯爵は決して要領のいい人物ではない。嘘や隠しごとには向かない性格だ。
彼はおそらく、伯爵が自分たちを告発しようとしていることに気がついたのだろう。そして、事故に見せかけて葬ろうとしていた。
私の推測が正しければ、彼は危険だ。
「早速ですが、カンネリーノ枢機卿は長旅でお疲れでしょう。
部屋を用意させますので、本日はそちらでお休みください」
「いや、私はヴェンディミアの誠意をお伝えするためにここへ来たのだ。
アーチェディア伯爵から離れるわけにはいかない」
「ヴェンディミアの誠意は、枢機卿自らが足をお運びくださったことで十分伝わっております。
なにより、アーチェディア伯爵と二人でお話しされたいというのは陛下からのご希望ですので」
「……承知した」
だが、向こうは私の訪れを予知していたらしい。
出来ることなら伯爵に同行したかったが、他国の人間である私が無理を通すことは出来ない。
明確な証拠があったり緊急時であればともかく、今は平時だ。従うよりほかはない。
「では伯爵、こちらへ」
伯爵に視線を移した宰相が、ふと唇の端を歪ませた。
やはり、彼は伯爵が情報を漏らしたことを察しているのだろう。
あとはただ、危害を加えられる前に伯爵が私に連絡を取ってくれることを祈るだけだ。
それにしても、やはり違和感がある。
騎士に案内されて城を案内されたが、時折すれ違うアストルム貴族が身に着ける装飾品には、宰相のブローチ同様に良質な魔石がいくつもあしらわれていた。
悪魔との契約で人が望むものは不老不死に死者の蘇生、そして莫大な財産が定番だ。
断定は出来ないが、おそらく彼らは悪魔と契約を行って財を得たのだろう。
そうでなければ、魔石の産出国でもなければ決して裕福でもないアストルムの貴族たちが、あれだけ高価な装飾品で着飾れるはずもない。
――伯爵以外のアストルムの王侯貴族は、もう手遅れなのかもしれない。
今すぐに辺りを浄化したかったが、今動けば伯爵に危害が及ぶ。今はまだ、大人しくしていよう。
伯爵の保護が終わり次第ヴェンディミアへ連絡を取り、アストルム全土を浄化するのだ。
私は神に仕え、その加護を受けた枢機卿。
必ずや、悪魔の手からこの国を救ってみせる。




