22話 真実
「先ほど申し上げた通り、私の目的は悪魔を崇拝するアストルムの王侯貴族の告発でした。
それが無実の罪を着せられて死んだ私の親友、エミール・モルゲンロートへの償いになると思ったためです」
エミール・モルゲンロート。その名前は私もよく知っていた。
代々伯爵家に仕えてきた家臣家の出身であるにも関わらず先代のアーチェディア伯爵を毒殺し、エテール領民の前で斬首された大罪人だ。
その彼が無実だと、伯爵は言った。
事実ならば大変なことだ。平民とはいえ無実の人間を処刑し、その名誉を貶めたのだから。
「彼は私の唯一の味方でした。
物心がついた頃から、あの屋敷に私の居場所はありませんでしたから」
そうして伯爵が話し始めた半生は、聞いているだけで気分が悪くなってくるものだった。
伯爵の様子や振る舞いから、彼があまりよい半生を送ってこなかったであろうことは察していた。
背後から歩み寄れば必ず身を硬くし、大声に身体を震わせるあの仕草は、親からの虐待で教会や孤児院に保護された子供の多くが持っている特徴だ。
だが、それにしてもひどい。
確かに、貴族家の継承争いは激しいものだ。先妻の子と後妻の子で対立しているとなればなおさら。
だからといって、彼らが伯爵にした仕打ちが許されていいはずがない。
私が孤児院に勤めていた時でさえ、ああまで過酷な仕打ちを受けた子供はほとんどいなかった。
伯爵が広範囲かつ高精度の探知魔法を扱える理由が適性だけでなく、生き残るために必要だったためだと告げられた時には目眩がしたほどだ。
「義母が私を嫌うのは、私が先妻の子であるためだとばかり思っていました。
彼女が私に危害を加えるようになったのは、弟が生まれてからのことでしたから。
本当の理由が分かったのは、父が病で亡くなるほんの数日前のことです」
ある夜、いつものように見舞いへ訪れたアーチェディア伯爵に父が懺悔したのだという。
それは、義母が悪魔に願って彼の生母を殺させたというものだった。
「二人は、父が結婚する前から愛しあっていたそうです。
けれど父は家のために私の生母と結婚した。義母はそれをひどく憎み、悪魔と契約したと……」
代償は自分の子供。まだ妊娠はおろか結婚すらしていない彼女には払えない代償だ。
だが、悪魔との契約では代償をすぐに払う必要はない。
彼女は伯爵を代償として使う予定だったのだろう。
結婚すれば、血の繋がりこそないものの伯爵はれっきとした彼女の子供になる。
悪魔へ支払う代償は自身が持つ財産や土地。領主であれば領民のように、契約者が所有しているものが対象だ。親にとっての子供も、悪魔への代償としてよく使われるものの一つだった。
伯爵の義母が自身が子を産むまで伯爵に危害を加えなかったのも、おそらくそれが原因だ。
悪魔が彼を連れて行く前に殺してしまえば、代償として使える者がいなくなる。
そうなれば当然、次の標的になるのは正真正銘自分の子だ。
だが、十年が経っても伯爵は連れて行かれず、あまつさえ自身の子が生まれてしまった。
義母はきっと焦ったことだろう。悪魔に連れて行かれる可能性は、名実ともに彼女の子である弟のほうが高いのだから。
伯爵を殺そうとしたのが単なる八つ当たりなのか、それとも手を下せば悪魔への代償になると考えたのかは分からないが、どちらにしても愚かなことだ。
悪魔は狡猾な種族。
人間の浅知恵で思い通りに操れるようなものでないと、彼女には分からなかったのだろうか。
「私は父の告白に驚き、悩み、エミールに相談しました。
彼以外に相談出来る人はおらず、また私自身一人で抱えきれるほど心の強い人間ではなかったのです」
「教会に相談しようとは、思わなかったのか」
「……お恥ずかしい話ですが、私はまだ義母を信じていたのです。
私には生母の記憶がありません。私にとって、母は義母一人でした。
彼女が教会に罪を告白して悔い改めれば私は彼女を許そうと、そう思っていました」
だが、それは敵わなかったと伯爵は続けた。
数日後、父を殺害したという罪で捕らえられたのだと。
この件については、私も他の枢機卿たちもよく知っていた。
アーチェディア伯爵の身辺調査をした際、彼が悪魔と契約して罪を逃れたのではないかという疑いから入念に調べたためだ。
間違いなく冤罪であったと分かったため、それ以上は深入りしなかったのだが……もっとよく調べるべきだった。
「義母はきっと、再度悪魔を召喚して私を報酬として押しつけようとしたのでしょう。
私が無事に解放されたのは、エミールが無実を証明してくれたおかげです。
ですが義母は、そんな彼を許さなかった。
彼は……」
そこで伯爵の声が詰まった。肉付きの薄い背が微かに震えている。
おそらく、言葉に出来ないのだろう。
それもそうだ。唯一の味方であった友が自分を庇ったために汚名を着せられ、首を刎ねられたのだから。
思い出すことすら、本当は辛いに違いない。
しばらくしてようやく続けられた伯爵の言葉は、微かに揺れていた。
「アストルムの実態を知ったのは、王に忠誠の誓いを立てるために王都へ向かった夜のことでした」
「悪魔召喚の儀に参加したのか」
「……はい。
忠誠を誓った以上はアストルムの発展のために尽くすようにと言われ、魔力を魔法陣に注ぎました」
「それから? 悪魔は現れたのか。周囲にいた者の名は」
ヴェッキオ枢機卿の興奮気味な問いかけに、伯爵は静かに答えていった。
菫色の瞳は揺れることなく、ただ淡々と前を見据えている。
だが、その線の細い横顔は見ているこちらが心配になるほど青白かった。
「当時の私はエミールの件から立ち直れていなかったこともあり、翌日には領地に戻りました。
屋敷には……まだ、義母と弟がいました」
まだ。
その響きに、思わず息を呑んだ。
そうだ。すっかり忘れていたが、伯爵はこの後で二人を殺したのだ。
ヴェッキオ枢機卿もそれを思い出したのか、話の続きを静かに促した。
「私はずっと、エミールの汚名を濯ぎ、名誉を挽回する手段がないか調べていました。
それを達成するまで死ぬわけにはいかなかった。
ですから、悪魔が代償を回収しにきたと言って母と弟の前に姿を現した時も、私は彼らを守ろうとは思いませんでした」
その発言に、再び室内が騒がしくなった。
顔を見合わせる枢機卿たちを横目に、伯爵が起こした事件についての詳細を思い出す。
血塗られた部屋の中、ばらばらに引き裂かれた二人の遺体の前で伯爵はただただ笑っていたという。
人間が行なったとは思えないほど凄惨な……ああ。
「今でも、弟が引き裂かれた時の悲鳴と義母の叫び声は耳に残っています。
義母は弟を本当に愛していたようでした。悪魔に抵抗を試みる程度には」
その時の光景を思い出したのか、伯爵の声は冷え切っていた。
無理もない。彼女たちのことを直接知らない私ですら、報告書を読んで現場を想像した時には気分が悪くなったのだから。
「悪魔の邪魔をしなかったおかげで、私は殺されずに済みました。私だけが、生き残りました。
エミールに罪を着せたとはいえ長年生活を共にしてきた義母と、半分は血の繋がりがある弟を見殺しにしたのは私の判断です。
私が殺したと言われても仕方のないようなもの。
本来であれば私はすぐにでも教会に行き、罪を告白して、裁かれるべきでした」
それまで気丈に顔を上げていた伯爵が、その時微かに俯いた。
菫色の瞳を伏せた横顔は、まるで辛い事実を告白する勇気を神に乞おうとしているかのように見える。
しかし、それは一瞬だった。ヴェッキオ枢機卿が声を掛ける前に顔を上げた伯爵が言葉を続ける。
「ですが、私は生きて彼の汚名を晴らしたかった。
彼に罪を着せた元凶を全て暴き、これ以上の被害者を出さないようにしたかった。
そのためならばと悪魔に関する書物を集め、証拠を探していました。
しかしその結果、私は悪魔に利用されて領民を危険に晒してしまった。
これが私の罪です」
伯爵の話が終わった後も、誰一人口を開こうとはしなかった。否、開けなかったのだ。
静寂を破ったのは、ヴェッキオ枢機卿だった。
「……アーチェディア伯爵。
先ほどの火の審判で証明された際に告げた通り、我々は貴殿の話を信用している。
貴殿にもいくつか落ち度はある。だが、そのうえで貴殿は神の加護を受けておられるようだ。
すなわち、神はすでに貴殿をお許しになっているということ。神が許した貴殿を、我々人間が責めるわけにはいかない。
よって、今回の件は不問とする」
「ありがとうございます」
それまで蒼白だった伯爵の顔に、ようやく微かに赤みが戻った。
安堵の表情で礼を述べる伯爵を見て、ヴェッキオ枢機卿が難しい顔で言葉を続ける。
「だが、アストルムへの対応については少々待ってもらいたい。
事は一国の存亡に関わる故、慎重に議論する必要がある。
その間、安全のためにも伯爵にはヴェンディミアに留まってもらう。構わぬな」
「はい……それから、厚かましい願いではありますが」
審問の中断を宣言しようと木槌を振り上げたヴェッキオ枢機卿に、伯爵が縋るような声を掛けた。
初めの頃よりも幾分か柔らかな声で「言いなさい」とヴェッキオ枢機卿が声を掛ける。
「私の知る限り、アストルムで悪魔を信仰していたのは王侯貴族ばかりです。平民に罪はありません。
どうか、寛大な処置を願います」
「考えておこう。
では、アーチェディア伯爵への審問はこれにて終了とする」
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木槌が振り下ろされた時、私はようやく胸を撫で下ろすことが出来た。
ああ、疲れた。あんなに大勢の前で話をするのは久々だったから、緊張したよ。
ある程度は内容を考えていたのだけど、途中で忘れてしまってね。危うく変なことを言ってしまうところだった
それにしても、不死鳥の祝福があって本当によかった。
炎を癒しに変えてくれるあの祝福がなかったら、なかなか話を信用してもらえなかっただろう。
ちなみに、悪魔関係の話は全部嘘だ。
アストルムでは別に悪魔崇拝なんて流行っていないし、父も私に懺悔なんてしていない。
ただ「次期当主として、ベロニカとディートフリートの面倒を見るように」と言われただけだ。
もちろん、母と弟を殺したのは私だよ。正真正銘、私がやった。
簡単には死なないように調整しながら、氷の刃で細かく切り刻んでね。
君を愚かな人間だと嗤ったことが許せなかった。
でも、悪魔と関係のない話は事実だ。
私に母や使用人がしたことも、探知魔法の扱いが上達した理由も、君が無実の罪を着せられて処刑されたこともね。
もし計画が上手くいけば、私はたくさんの貴族を契約に誘えるし、君の名誉は回復する。
私は、それが楽しみで仕方ないよ。
最悪、契約に誘うほうは失敗してもいいんだ。
トレーラントには怒られるだろうけど、君の名誉が回復すれば、それで……。
「アーチェディア伯爵」
喜びを噛み締めていると、背後から聞き覚えのある声が掛けられた。
慌てて笑みを隠し、何事もなかったかのように振り返る。
声を掛けてきたのは、やはりカンネリーノだった。
悲しみと同情が隠しきれない目で私を見つめている。
他から向けられる視線もおおむねそんなものだから、あの作り話を信じた者は多いのではないかな。
問題は、火の審判の結果以外にアストルムが悪魔を信仰しているという証拠がないことだ。
まあ、当たり前なのだけどね。嘘だから。
祝福のことがばれない限り、発言の信憑性が疑われることはないだろう。
だけど、決定打には欠ける。彼にはもう少し働いてもらおうかな。
「先ほどはありがとうございます。
カンネリーノ枢機卿のおかげで、落ち着いて話が出来ました」
「あれは当然です。
伯爵の話を最後まで聞かぬ、ヴェッロ枢機卿が悪いのですから」
カンネリーノはそう言って、私たちから少し離れた場所で別の枢機卿と話をしている男性にちらりと視線を向けた。
私に背を向けていたから顔までは見えなかったけれど、どうやら彼がヴェッロ枢機卿らしい。
まあ、関わることはないだろうから覚えるつもりはないけれど。
「それだけではありません。
貴殿のおかげで、私はまた人を信用することが出来た。
もしカンネリーノ枢機卿がおられなければ、私は自身の罪を告白することが出来なかったでしょう」
そう言うと、カンネリーノの目に誇らしげな色が浮かんだ。
私もそうだけど、自分が得意としていることを褒められると嬉しいよね。
「けれど……アストルムは救われるのでしょうか」
「ヴェッキオ枢機卿やノルマーレ枢機卿は、私情に惑わされることのない公平な方。
それに、伯爵の正しさは火の審判で証明されております。心配はいりません」
「私のことはどうでもよいのです。
悪魔と関わりを持ったことは確かですし、義母と弟が死んだのは私の責任なのですから。
ただエミールの名誉の回復と民の安全は保証して頂きたい。彼らは被害者です」
「アーチェディア伯爵……」
ちなみにこれは九割方本当だよ。
私は悪魔と契約しているし、母たちが死んだ原因は私なのだからその責任も私にある。
君の名誉を取りもどしたいのはもちろんだし、国民がいなくなったらトレーラントと契約させる人がいなくなってしまうからそれは避けたい。
自分はどうでもいい、という部分だけ嘘だ。私がいないと君の蘇生が出来ないからね。
「……分かりました。これから、枢機卿のみが参加する会議が開かれます。
そこで私と伯爵で王都に向かい、アストルムの王侯貴族が悪魔を崇拝している証拠を掴むことを提案しましょう。必ずや、案を通してみせます」
おや、ずいぶん大胆だね。
でも、いい案だ。私もちょうど、そんなことを言おうと思っていてね。
向こうから提案してくれたおかげで、私が誘導する手間が省けた。
案外、私と彼は気が合うのかもしれない。
「ありがとうございます。
カンネリーノ枢機卿だけが、私の頼りです」
私が無事に屋敷に戻るまではね。




