17話 ゴーレムは報われない
これが、悪魔か。
不気味な笑みを浮かべたままゆっくりとこちらへ向かってくる悪魔に、とっさに背後に隠した伯爵が怯えているのが伝わってくる。
伯爵の魔力はまだ回復していないようだし、私の魔力では話にならないだろう。
せめて、他の神官がいれば……。
「ああ、そんな……助けてくれ、誰か」
伯爵が泣きそうな声で呟いた一言が合図だったかのように、悪魔が右腕を上げた。
何か魔法を使う気だ。
だが、それが発せられることはなかった。
「カンネリーノ様!」
「お前たち! 来ていたのか」
階段の上から差し込む眩いばかりの光と大勢の人間の気配に動じることもなく、悪魔が一歩近づこうとした。
その瞬間、私の背後から放たれた氷の刃が悪魔の首元を切り裂いた。
急所を裂かれたためか、悪魔の体勢が僅かに崩れる。
隙が出来た。今が好機だ。
他の神官たちと一瞬目を合わせてタイミングを計り、一斉に炎の魔法や魔術を浴びせかける。
燃えさかる炎のせいで詳しい様子は見えないが、どうやら効き目はあったようだ。
緩慢な動きでこちらを見上げた悪魔が炎と煙に飲まれ、姿が隠れる。
その際に一瞬見えた左目の下にある泣きぼくろが、しっかりと頭に焼きついた。
安堵の胸をなで下ろした瞬間、人が倒れるような鈍い音が辺りに響いた。
伯爵だ。
苦しげに呼吸を繰り返す彼の肩を支え、慌てて声を掛ける。
放たれた位置からして恐らく、先ほどの氷の刃は伯爵の魔法だろう。
魔力が尽きていても魔法を使う術はあるが、その際には身体に大きな負担が掛かる。
特に伯爵は心神の衰弱が激しかったようだから、負担に耐えきれなかったに違いない。
「申し訳ありません……私は、アストルム一の魔法使いだというのに……」
「気にすることはありません。どれだけ優秀な魔法使いであれ、魔力切れに陥ることはあります」
むしろ、長いこと悪魔に監禁され、その影響を深く受けていたにも関わらず悪魔に攻撃した伯爵の精神力を讃えるべきだろう。
人間は通常、三日も悪魔の支配下に置かれれば正気を失い、悪魔の命に従うようになる。
神の試練を乗り越えて加護を受けた聖女様や、厳しい修行を受けた我々聖職者なら正気を失わずにいられる期間も長いが……伯爵は聖職者ではないはずだ。
それだけ神に寵愛されているのか、あるいは元から伯爵が悪魔と繋がっていて、我々の目を欺こうとしているのか……。
素直に神に愛された人物なのだと思えばいいものを、つい疑ってしまうのはもはや職業病だ。
思考を巡らせかけた時、それまで支えていた伯爵の身体から力が抜けた。魔力を失いすぎたせいで、意識を保つことが難しくなったらしい。
慌てて手持ちの魔石を握らせて魔力を分け与え、意識を引き戻す。
「気が回らず、申し訳ありません。気分はいかがですか」
「ええ……よい、とは言えませんが、先ほどよりはよくなりました。ありがとうございます。
私はすでに悪魔によって穢された身だというのに、よくしていただいて……」
表に出したつもりはない意識を言い当てられて、心臓が大きく跳ねる。
だが、伯爵がこちらを責める様子はなかった。ただ、諦観の色を宿した瞳をそっと伏せるだけだ。
それが却って、責め立てられるよりもこちらの心を蝕んだ。
「……失礼しました」
「それが仕事なのですから、どうかお気になさらず。
おかげでエテールは守られました。私への疑いなら、晴らせばよいだけです」
そう言って、伯爵がぎこちなく微笑んだ。
ただ、やはり心身が弱っている状態で大勢に疑いの目を向けられるのは辛いらしい。
細い身体は固く強張り、肩は微かに震えている。下手に触れれば壊れてしまいそうなほど繊麗な容姿をしているだけに、無理に平静を装おうとしている姿は何とも痛ましかった。
それでもなお顔を上げて気丈に振舞っているのは、貴族たるもの人前で恐れや怯えといった負の感情を露わにしないよう自制しているためだろう。
他の神官たちに目配せし、室内に他の悪魔や魔物がいないか点検作業に回らせる。
向けられる視線が少なくなれば、多少は気が楽になるはずだ。
「あれは……あの男は、もう……」
「いえ、残念ながら」
本来ならここで頷いて安心させるべきなのだろうが、そうもいかない。
確かに姿は消えたが、あの程度の攻撃で死ぬほど悪魔はやわではないからだ。
伯爵が不安を紛らわすように手を握ったのを視界の端に捕らえながら、話を続ける。
「ですが、心配されることはありません。
伯爵が再び悪魔に囚われることのないよう、ヴェンディミアで身柄を保護します。よろしいですね」
これまでの伯爵の振る舞いや様子からして、恐らく本当にただその魔力を利用されていただけだろう。
だが、悪魔と繋がっていないという明確な証拠を見つけられないかぎり、解放は出来ない。
仮にその証拠が見つかったところで、再びその身が悪魔に利用されないよう、ヴェンディミアの監視下に置かれることは間違いないだろうが……。
後ろめたさを感じながら告げた言葉に、伯爵は怒るどころか安堵したように微笑んだ。
暗い表情がいくらか明るくなるのを見て、重かった胸が軽くなる。
「ええ、ありがとうございます。
ですが、私がいない間この屋敷は……それに、エテールは……」
「それは……」
心配そうな伯爵に「屋敷とエテールは任せてくれ」とは言えなかった。
屋敷は恐らく、悪魔の痕跡がないか徹底的に調査されるだろう。
その結果如何によっては……一度は中断したあの作戦を、再度実行するようにとの命が下る可能性は非常に高い。
台下は、悪魔の影響を恐れて強硬な手段を取る傾向がある。
確かに悪魔は恐ろしいが、無関係な市民を巻き込んではカルト集団と変わりないと思うのだが。
代々教皇の相談役を務めているハープギーリヒ侯爵は先日「台下とは、少々話をしなくてはならないな」と漏らしていたが、果たして変わるだろうか……。
「私はどうなっても構いません。どうか、エテールとこの屋敷だけは傷つけないで下さい。
エテールの民に罪はありません。それに……屋敷には、思い出が……」
口籠る私を見て状況を悟ったのか、伯爵は必死に私に縋ってきた。
どれだけ縋られても、一枢機卿でしかない私に決定権はない。
しかし、親から引き離された子供のように不安げな表情を見せている伯爵に、とてもそのように無慈悲なことは言えなった。
「……私から、台下に話をしてみましょう。ただ、確約は致しかねますが……」
「ありがとうございます」
「その代わり、伯爵が悪魔に囚われていた間の悪魔の様子を聞かせて頂きたい。
無論、容態が回復してからで構いませんが……」
私の申し出に、伯爵は特にいやがる素振りも見せず「ええ」と頷いた。
「私にお話し出来ることは、すべてお話しします。
ただ、ずっと囚われていたので大したお話は出来ませんが……」
「構いません。悪魔と長く接して正気でいられる者自体、貴重ですので。
それから、ヴェンディミアへ入国する前に洗礼を受けていただきます」
「洗礼でしたら、産まれた時に受けたと聞いていますが……」
「いえ、それとは別の洗礼です。
長い間悪魔に囚われておられた伯爵の身体に残る、悪魔の影響を浄化するためのものとなります」
悪魔の影響が残っていればいるほど、洗礼時の苦しみは強くなると言われている。
きっと、今の伯爵には辛いはずだ。
もっとも、洗礼を受けられるだけまだよいのだが……。
「穢れたこの身が清められるのなら、私はどのような試練でも受け入れましょう」
私の説明を聞くと、伯爵は気丈な笑みを浮かべて頷いた。
悪魔と協力していたのならこのようなことは言えないはず。やはり、彼は被害者なのだろう。
これで、悪魔の企みを一つ挫くことが出来た。
勇者召喚の儀まで、何事も起こらなければよいのだが。




