13話 本日の悪魔は不機嫌なようです
「まったく。相変わらず、主張の激しい魔力ですね」
「すまないね。いやだったかい?」
毛繕いを終えたトレーラントに尋ねると、彼は不機嫌そうな様子で頷いた。
「ええ。不死鳥の魔力は、悪魔とは逆の性質を帯びていますからね。相性が悪いんです」
トレーラント曰く、不死鳥の魔力は悪魔の魔力と反発しやすいらしい。
天使と悪魔ほど正反対ではないけれど、似たようなものではあるらしいね。
「もしかして、調子が悪いのかい?」
自分と異なる性質の魔力にあてられて体調を崩すというのはよくある話だ。
私も、陛下の命で幼生のドラゴンを討伐に行った時は少し辛かった。
「まさか。不死鳥程度の魔力が僕に影響を与えるはずがないでしょう。
ただ、鬱陶しいだけですよ」
「それはすまなかったね。部屋を移ろうか」
「結構。魔力は伯爵自身に染みついているのですから、移動時間の無駄です。
どうせ一月もすれば薄れますから、それまでは大人しくしていなさい。
まったく。これならいつもの伯爵の魔力のほうがずっといい」
嘆息したトレーラントの尻尾がソファを軽くたたいた。
彼の言う通り体調は問題なさそうだけど、機嫌はあまりよくなさそうだね。
「それより、覚えていますか? 伯爵が僕に支払う報酬」
「ああ。両目だったね」
悪魔と契約しておいてその報酬を忘れるなんて、さすがにそこまで馬鹿では……あれ、なんだかこの会話、前もしたような気がするね。
まあ、別にいいのだけれど。
結局今回は君を蘇らせる方法を見つけることが出来なかったけれど、それは私の都合だ。
トレーラントは契約通り不死鳥の封印を解いてくれたのだから、支払いを渋るつもりはなかった。
君の笑顔をもう一度見られなくないのは、少し辛いけどね。
ああ、でも視力に支障はないと言っていたから見ることは出来るのかな。それならいいのだけど。
そんなことを考えていると、トレーラントの指が私の前髪を掻き上げた。
君との会話に夢中になっている間に、いつもの姿に戻っていたらしい。
私にはとても真似出来ない早業だ。
普段は前髪によって遮られている薔薇色の視線が、正面から注がれる。
そろそろ慣れてきたとはいえ、やはり君以外の誰かと直接目を合わせるのは緊張するね。
目を逸らしてもいいかなと考えていた時、トレーラントの指先が不意に私の目に伸びた。
思わずつぶった瞼に、ひやりとした皮膚が触れる。
直後、軽い刺激が目に走った。
「いた……く、ない?」
つい声を上げたけれど、刺激はそれ以上強くなることも持続することもなく、すぐに終わった。
特に違和感も感じないし、見えるものも変わらないから、今のところは何も変化がないように思える。
それなら、目の色でも変わったのかな。
部屋の大鏡を覗いてみたけれど、私の目はいつものように青みがかった紫色をしていた。
君がよく「スミレ色」とか「夜明け前の空の色」と褒めてくれていた色だね。
「……何をしたんだい?」
魔力の痕跡は感じるけれど、微か過ぎて上手く探れない。
不思議に思って尋ねると、トレーラントは「ああ」と肩をすくめた。
「伯爵の視界を僕も共有出来るようにしただけですよ。
伯爵の手札は限られている上に偏っている。
あの魔術師が不死鳥の力を完全に制御出来ていた場合、伯爵に勝ち目はなかったでしょう」
「そうだね」
私が人より優れているのは魔力と、君が蘇るか自ら望まない限り死なないという点だけだ。
だから、私より魔力に長けた者とは相性が悪い。
この世界で私より優れた魔法使いはほとんどいないはずだけど、不死鳥のような高位精霊の力を宿した魔道具を複数使役されたら、負けることもあるかもしれないね。
もっとも、そうした魔道具の多くは国宝や大貴族の家宝として大切に保管されている。
高位精霊の力を制御出来る魔術師だって、少なくともアストルム国内にはいない。
そこまで追い込まれることはさすがにない……と、思いたいけれど……。
「昨夜も言いましたが、新しい道具を探すのは手間です。簡単に壊れてしまわれては困るのですよ。
かといって常に様子を伺うのも面倒なので、保険を掛けることにしました。
伯爵の話は分かりづらいこともありますから、直接視界を共有したほうが僕としても分かりやすい」
「それはいいけれど……」
「何か、文句でも?」
私の言葉に、トレーラントが微かに眉をひそめた。
別に、文句はないのだけどね。
「そんなことでいいのかい?」
「愚問ですね。僕にとっては重要だからこそ、報酬としたのですよ。例え、伯爵に理解出来なくともね。
返事は?」
「分かったよ」
そう言って頷くと、トレーラントは満足したようだった。
ちなみに、視界を共有する際はその前に合図をくれるらしい。
一応、その時の私の意見も聞いてはくれるそうだ。取り入れてくれるとは言っていなかったけどね。
よかった。私は女性ではないから着替えや入浴を見られても特に気にしないけれど、君に話しかけているところを見られるのは少し恥ずかしい。
もちろん、私の視界を共有するわけだから私の姿は映らないだろうけれど……なんというのかな。その時の私の気持ちが知られるようで、少しね。
もっとも、トレーラントにいったら「馬鹿馬鹿しい」と一蹴されてしまったけれど。
ひどいなあ。私にも、人並みの羞恥心はあるんだよ。
結局、不死鳥の杖の出所はどこなのだろう。
新たな契約を結んでから数日後。トレーラントと繋がった(いまだにその感覚は薄いけれど)右目の瞼に触れながら、頭の中を整理した。
放っておいて、今度はウンディーネの力を宿した杖を持った魔術師が押しかけてきたら厄介だからね。
そんなものがあるかは分からないけれど。
不死鳥は二百年ほど前に持ち去られたと言っていたから、今回の事件がきっかけで急遽用意したわけではないはずだ。
どこかの大貴族、あるいは王家の所有物だとは思うのだけど……。
「……私、そんなに他の貴族に恨まれるようなことをしたかな?」
まず、王家ではないはずだ。それなら、先日の騎士団に持たせればいいからね。
だとすると所有者は国内の、少なくとも伯爵以上の貴族ということになる。
でも、私は舞踏会にもあまり出ないし他の貴族の妨害をした覚えもない。もちろん、男女間のもつれにも心当たりはないよ。
殺されるような恨みを買った覚えはないんだよね。
しいて言うなら、生みの母の実家であるブレンネン公爵家だろうか。
生みの母の父、つまり私にとっては祖父である公爵にはひどく嫌われているからね。
彼にとって、私は大切な娘を奪った人殺しも同然らしい。
生みの母は私を生んですぐに亡くなったから、そう思われるのも仕方ないけれど。
何より、あの家は炎の精霊と縁がある。
初代が炎の高位精霊から加護を受けたことで爵位を賜ったことが公爵家の始まりだからね。
その成り立ち故に、後継者に関しては法や陛下の命よりも加護を与えた精霊の意思のほうが優先されるという特殊な世襲制度――もっとも、精霊が後継者に口を出したことはこれまでに一度もないそうだけど――を続けているブレンネン公爵家は、その家宝も炎の精霊にまつわるものだと聞いたことがある。
可能性としては、他の貴族よりも高いのではないかな。
「……もしブレンネン公爵が実行者なら、今後の心配はいらないかな」
あの家は数年前に投資で失敗して、財政難に陥っている。
新しく強力な魔道具を購入する余裕はないはずだ。
心配なのは他国からの介入だけど、これは当分気にしなくていいかな。
確かに私は大勢の人間を悪魔との契約に誘ったけれど、それを理由に他国の魔術師が私を殺しに来たら国際問題になってしまうからね。
いくらアストルムの戦力が心許ないとはいえ、戦争の種を撒くような真似をするはずは……。
「屋敷に巣喰う悪魔に告ぐ!
ヴェンディミアの名において、我々は貴様を必ず殺し、この街を浄化する! 覚悟するがいい!」
不死鳥が飛んで行ってから開け放したままになっていた窓の外で、大きな声が響いた。
きっと、普段私がしているように拡声の魔法を使っているのだろう。
ヴェンディミアか。あそこの葡萄酒は関税の分だけ高価だけど、とてもおいしいんだよね。
……どうやらさっそく、他国が介入しにきてしまったらしい。
この国、大丈夫かな……。




