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悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる  作者: 紫苑
1章 悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる
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3話 幼い勇気とその結果

「おかしいねえ。あの子がこんなに遅くまで帰ってこないなんて……」


 新年だってのに、母さんは浮かない顔だった。

 昼を過ぎても姉ちゃんが帰ってこないからだ。


 領主様のお屋敷に住み込みで働いてる姉ちゃんと会えるのは年に一回。新年の時だけだ。

 だから、母さんも俺も新年をむかえる何日も前から大はりきりだった。

 ごちそうを作る母さんの代わりに家中ぴっかぴかに掃除するのはちょっとつかれるけど、姉ちゃんと母さんが喜ぶことを考えたらどうってことない。

 それに、姉ちゃんはいつも「母さんには内緒ね」っておかしをくれるし!


 だけど、いつもなら昼前に顔を見せてくれるはずの姉ちゃんは昼を過ぎても帰ってこなかった。

 ……なんだろう。なんか、イヤな予感がする。


「俺、ちょっと様子見てくる!」

「あ、こら! どこ行くんだい!」

「すぐ戻るって!」


 心配そうにさけぶ母さんにそう返して、家を飛び出した。

 うっかり屋の姉ちゃんのことだし、もしかして今日が新年ってことを忘れてんのかもしれない。金だけ払って商品を忘れてきたことのある姉ちゃんならやりそうだ。

 もし本当に忘れてたら、いっぱいからかってやろう。


 途中で姉ちゃんとすれちがわないよう周りを見ながら来たせいか、お屋敷に着いた頃にはあたりは薄暗くなってた。

 夕日に照らされたお屋敷はちょっとぶきみだ。

 そうっと裏口に回って、様子をうかがう。


 毎年姉ちゃんをお屋敷に送っていく時には必ず立ってて「去年よりも背が伸びたか?」とか「風邪引くなよ」なんて声をかけてくれる門番の人たちは、今日はなぜか一人もいなかった。

 新年だから、みんな家に帰ってんのかな。

 不用心だけど、領主様は国一番の魔法使いらしいから心配ないのかもしれない。


 しばらく待ってみたけど、中からだれかが出てくる気配はなかった。

 もしだれか出てきたら、姉ちゃんがお屋敷を出たかどうかたしかめられたのに。

 どうしようかまよってる間にも、あたりはどんどん暗くなってきてた。

 このままじゃ、母さんがせっかく用意してくれたごちそうがムダになるかもしれない。


 まよったあげく、俺は「ごめんなさい」って心の中であやまって、姉ちゃんがいつも出入りしてる裏口の扉に手をかけた。

 鍵はかかってなかった。でも、中はまっくらで明かりは一つもついてない。


 見つかったら絶対に怒られるし、姉ちゃんにも迷惑がかかる。だから慎重に歩くことにした。

 しばらくして目が暗闇に慣れてくると、近くに扉があることに気がついた。

 どこの部屋につながってるのか気になって、扉をほそく開ける。


 そのとたん、向こう側から強い力で扉がひっぱられた。

 転んだ俺の視界に、黒い革靴とスカートのすそが映る。

 まずい、見つかった!


「ご、ごめんなさい!」


 あわててあやまると、その人はなにもいわずにゆっくりとしゃがみ込んだ。

 両肩にそっと手をおかれて、おもわず顔をあげる。


 俺の前にいたのは、栗色の髪を一つにまとめたやさしげな女の人だった。

 もしかしたら、事情を話してちゃんとあやまればそんなに怒られずにすむかも。


「あ、あの。俺、姉ちゃんを探してて……」


 全部いいおわる前に、女の人にぎゅっと抱きしめられた。

 香水でもつけてんのかな。なんか、いいにおいがする。

 あれ、でもそれに混ざってなんか……変なにおいもする。肉屋にいくと嗅ぐにおいだ。


 なんだろうってもう一度嗅ぐ前に、なにかが折れる音がした。

 腰のあたりに強く殴られたみたいな衝撃が走る。


「え……」


 それがおさまる前に、今度は背中におなじような衝撃が走った。衝撃がおさまった腰から耐えられないくらいの痛みがつたわってくる。

 腰と背中がどうなってるのか確かめたかったけど、身体はちっとも動かなかった。

 どうにかいうことを聞く首だけ動かして、女の人を見上げる。

 この人なら、俺の身体になにが起きてるのか知ってるだろうっておもったから。


「ひっ」


 女の人の薄茶色の目はどんより濁ってて、生きてるかんじがしなかった。

 これ、ダメだ。はやく逃げないと。

 わかってるのに身体が動かない。


 背中の、さっきとはちがう部分に衝撃が走った瞬間、視界が大きく変わった。

 入ってきた扉とその先が、反対向きに映る。

 俺の身体、腰から二つに折れてるんだ。


 気がついたらもうダメだった。

 こわい、いたい、帰りたい。今すぐにここからはなれたい。


「た、たすけて……」


 開きっぱなしの口から、声がもれた。

 もう、だれでもいいからたすけてほしい。

 だれでも……母さんや姉ちゃんじゃなくてもいい。

 いつもイジワルばっかりしてくるハンスとか、となりの家の頑固ばあさんとか、怒るとめちゃくちゃこわい肉屋の親父でも、ぜんぜん知らない人でも。

 人間じゃなくたって。


「助けてほしいかい?」


 気がついたら、領主様がいた。

 涙のせいで顔はぼやけて見えるけど、まっくろな髪の人なんてこの街では領主様くらいだ。

 よかった。領主様なら、あんな女の人なんかすぐにやっつけてくれる。俺、助かるんだ。


「悪魔と契約しても?」


 あくま? なんだっけ、それ。

 痛みのせいで、領主様がいってることがよくわからない。

 でも、領主様の声はとってもやさしいから、たぶんうなずいてもだいじょうぶだ。


「なん、でも……なんでも、いい、から……」

「分かった。

 トレーラント、出番だよ」


 領主様がそういうと、目の前に黒い猫があらわれた。

 俺の知ってる猫よりずっと大きくて、赤い目をしてる。

 喰われるっておもった瞬間、その猫が口を開いた。


「では、お望み通り助けてあげましょう。その代わり、僕の望みを叶えること。

 条件に同意しますか?」


 俺はただ、ひたすらうなずいた。

 そしたら、きゅうに痛みがなくなって―――。



 +++++



「契約しがいのない人間でしたね」

「子供相手に、ずいぶんと無茶な要求をするね」


 あまりにあっさりと契約を結べたことが、トレーラントにはかえって不満のようだった。

 五、六歳の子供に悪魔を楽しませろとは、ひどい言い様だ。

 あの状況でも泣きわめかずにきちんとこちらの話を理解してくれたのだから、むしろ褒めるべきだと思うのだけど。


「私があのくらいの年の頃は、そもそも他人とまともに話が出来なかったよ」

「それは、伯爵が不出来だったというだけでしょう」

「ああ。だからあの子は、当時の私と比べればよほど立派だ」


 あの子供の盲目的な勇敢さは、昔の君を思い出させて私はけっこう好きだった。

 幼い頃は君の勇気と機転にずいぶん助けられたものだ。


 もっとも、同じ状況でも君ならずっとうまくやってのけただろう。

 それに、いくら門番がいなかったとはいえ他人の屋敷に勝手に入り込んだことは少々頂けない。

 でも、あの子が大人になっていたらきっと君のように優しい人間になっていたと思う。


 まあ、その未来は私とトレーラントが摘み取ってしまったわけだけど。


「大人よりも子供の未来を潰す方が胸が痛むというのは、なんとも不思議なことだね。

 大人にも、未来はあるというのに」

「僕はむしろ、そう感じられるだけの心が伯爵にまだ存在していたことの方に驚いていますよ」

「もちろんだよ。私は別に、心を殺したわけでも感情を捨てたわけでもないからね」


 だからといって、君の蘇生を諦めるのかと聞かれれば答えは否だ。

 私はこれから先も侵入者が悪魔と契約するよう唆していくし、相手が女性や子供だからといって手加減しようとは考えないだろう。


 現に、先ほど感じた胸の痛みはとっくに薄れている。

 明日にはきっと、子供が侵入してきたことすら忘れているんじゃないかな。そんなことを覚えている余裕なんて、私にはないからね。

 日々薄れゆく君の記憶を留めておくためには、余計なものはどんどん捨ててしまわないと。


「ほんの十年前のことですら意識しないと頭にとどめておけないなんて、人間というのも大変ですね」

「全くだよ。悪魔はきっと、記憶力がいいんだろうね」

「ええ。生まれてから今日まで、いつどこで何があったか鮮明に覚えていますよ」


 彼がどのくらい生きているかは分からないけれど、以前「僕は伯爵よりもずっと長く生きているのですよ」と言っていたから、少なくとも二十八年以上は生きているはずだ。

 それだけの時を鮮明に記憶しているというのだから、やはり悪魔は人間よりもはるかに賢いらしい。

 少なくとも、一週間前に何を食べたかさえ忘れる私や魔術の一つも覚えられなかった君とは比べものにならないだろう。


「次元の低いところで比べないで下さい」


 私の言葉を聞いて、トレーラントは嫌そうに顔をしかめた。

 せっかく褒めているのに、嬉しくないらしい。


「それではまるで、僕が伯爵達よりも少し賢いだけに聞こえるでしょう。

 褒めるなら、もっと上手に褒めなさい」

「注文の多い悪魔だね……」


 さして小さくない呟きが耳に入ったのだろう。トレーラントの薔薇色の瞳に呆れたような色が宿った。

 ような、ではなく実際に呆れているのか、長い尻尾が不機嫌そうに地面を叩いている。


「伯爵の気が利かないだけです。

 全く。伯爵に仕えていた者が哀れに思えてきますよ」

「細かなところはいつも、彼がいなくなる前は彼が。いなくなってからは妻や執事が気をつけてくれていたからね」


 ……ああ、そうだ。妻と言えば。


「トレーラント、一つ聞いてもいいかい」

「報酬次第ですね」

「上質な葡萄酒があるのだけど、どうかな。

 悪魔の口に合うかは分からないけど、私の口にはぴったりの代物だよ」


 私の言葉に、トレーラントは少し悩んで「それは紫がかった濃い赤色ですか?」と聞いてきた。

 もちろん、と頷いて様子を見る。

 わざわざ色を尋ねてきたということは、白やロゼは嫌いなのだろうか。


「まあ、いいでしょう。たまには、人間の作った物を嗜むのも悪くありません。

 葡萄酒に見合うだけの答えは差し上げましょう」

「大した質問ではないから、きっとそれで間に合うと思うよ。

 君、妻と契約したかい?」

「ええ、しましたよ」


 どうやら、妻は神の御許ではなく悪魔の下を選んだらしい。

 少し意外だけど、彼女も人間だったということだろうか。

 彼女の新しい一面を知ることが出来たことを、夫としては喜ばしく思うべきなのかもしれない。


「いくら聖女と称されていようと、所詮はなんの力もないただの人間。

 生きながら身を引き裂かれる苦痛には耐えられなかったようですね」

「そうだね。彼女は侯爵家の出身だし、本物の聖女のように厳しい試練を乗り越えたわけではないから。

 だけど、慈悲深い女性だったよ」


 定期的に孤児院へ通っては子供達の世話をしていたようだし、神への祈りも欠かしたことがない。

 領民や王都の人間が、彼女を「まるで聖女様のようだ」と慕うのも当然だった。


「でも、そうか。君と契約したのなら、彼女は今もまだ生きているんだね」

「ええ。優しいでしょう。「生きたい」と望まれただけなのに、わざわざ長生きさせてあげるなんて」


 うん、確かにその通りだ。

 私の勝手な印象だけど、悪魔というものはただ「生きたい」という望みを叶えるのにほんの数秒だけ命を延ばして「ほら、生かしてやったぞ」とばかりに魂を奪い去るような狡猾な種族だと思っていたから。


 そう言うと、トレーラントは「勘がいいですねえ」と機嫌良さそうに尻尾を揺らした。どうやら褒められたようだ。

 君に褒められた時ほどではないけれど、なかなか嬉しい。


「本来なら、報酬を受け取った後で延命を止めてもよかったのですよ。

 まあ、僕の望みを叶えさせるには生きていてもらわないと困るので延命を続けていますが。

 もっとも、あくまでただ生きているだけです。

 ここに戻ってきて伯爵の邪魔をすることはありませんから安心なさい」


 小さく笑ったトレーラントが微かに喉を鳴らした。

 まあ、戻ってきたらその時は殺すだけだけどね。


「ところで、君の望みってなんだい」

「葡萄酒分の答えはもう返しましたよ」


 好奇心から投げかけてみた問いかけは、涼しい顔をしたトレーラントにあっさり躱されてしまった。

 仕方がない。誰にでも秘密にしたいことの一つや二つはあるものだ。


 今はひとまず、君と会える日が近づいたことを祝おう。

 紫がかった、濃い赤色の葡萄酒でね。


 ……ところで、グラスはどこにあったかな。

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伯爵が悪魔と契約するきっかけとなった話
日陰で真実の愛を育んでいた子爵令嬢は神様に愛されていると信じていた

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マシュマロ
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