10話 悪魔は特別を望む
二杯目の葡萄酒を味わっていると、白い頬をほんのりと赤く色づかせたトレーラントが言葉を続けた。
「僕は手の掛からない優秀な後輩でしたから、先輩にはいつだって褒めてもらいました。
先輩が向けてくれるのは笑顔ばかりだったんです。
ですが、先輩はごく普通の優秀な悪魔です。決して、正の感情しか持たない悪魔ではありません。
実際、他の悪魔には怒ったり苛立ったりと別の……負の感情も見せていました。もちろん、喜びも。
僕は先輩の一部しか知らないのに、他の悪魔は僕よりたくさんの先輩を知っている。
それがいやだったんです。僕も、先輩にいろんな感情を向けて欲しかった」
「それなら、わざと失敗すればいいのではないかな。契約や、魔法や、その他いろいろと」
「確かにそれなら他の悪魔が知っている先輩の感情は知ることが出来るでしょうね。
ですが、僕はそれだけでは足りません。僕は、僕だけの先輩を知りたいのですよ」
なるほど、つまり。
「トレーラントは、その先輩の悪魔にとって特別な存在になりたいのかな」
「ええ。この僕が、特別な存在として認めているのです。
先輩にも同様に思って欲しいと考えるのは当然でしょう」
「それで、わざわざ禁止されている行為をしているのかい?
ばれたら怒られるし、上位の悪魔という地位も取り上げられてしまうかもしれないのに」
「位階など最初から興味はありませんし、そのためにやっているのですから構いませんよ」
多くの人間を契約に誘い込ませているのは、そのための下準備らしい。
先輩の元へ姿を現す時、他の悪魔が邪魔してくることを防ぐための策だそうだ。
悪魔は召喚されたら必ず応じなければいけないそうだからね。
……悪魔がどれだけいるかは分からないけれど、その目的なら数百人では足りないんじゃないかな。
「ええ。そのうえ人間は寿命が短いので、数を維持するのが難しい。
担当の悪魔も多いので、こうして伯爵にお任せしているというわけです。
僕だけでは効率が悪いですからね」
それに加えて、カモフラージュの目的もあるそうだ。
今のトレーラントは死亡(悪魔の間では消滅、というらしい)扱いになっていて、その存在を他の悪魔に悟られてはいけないらしい。特に、人間を担当する悪魔には魔力の痕跡すら知られたくないそうだ。
トレーラントは人間との契約を担当していた悪魔で、先輩や周囲の悪魔も同じく人間を担当している。
つまり、人間を担当する悪魔には彼を知る悪魔が多くいるということだからね。
「そう簡単に僕の生存が知られないよう細工はしてありますが、僕より優秀な悪魔もいますからね。
自分の実力に自信はありますが、過信はしていませんよ」
そこで、私を使って契約を仲介させることにしたらしい。
人間が人間を殺すのはごく普通のことだから、屋敷でたくさんの人間が死んだり消えたりしてもさほど怪しまれずに済むとのことだった。
あれ。それなら、私が悪魔の振りをして人間を契約に誘っているのはまずかったかな。
「目の色も違いますし、今の時代に翼を生やした悪魔なんていませんよ。
人間が悪魔の振りをするのはよくあることです。
おおかた、黒魔術に狂った伯爵が暴走していると思われているでしょうね。
目をつけられるかもしれませんが、殺されることはないでしょう。
最悪、僕の存在がばれなければ構いません。伯爵を失った程度で、僕の計画に支障は出ませんから」
「ひどいなあ」
「伯爵も考えは同じでしょう」
彼の指摘に大きく頷いた。
私も彼と同じく、エミールさえ蘇らせることが出来るのなら他の何を犠牲にしても構わないと思っているからね。違うのは、私はトレーラントを失ったら困るということくらいかな。
「ご安心を。僕が消滅したところで、伯爵の寿命が自動的に元に戻ることはありませんから」
「おや、そうなのかい」
「契約の解除には双方の同意が必要です。
けれど、解除を申し出られたところで伯爵は同意しないでしょう」
「そうだね」
それなら私は、トレーラントがいなくなっても自分が望むかエミールを蘇らせるまで生き続けることが出来るね。まあ、トレーラントへの報酬をどこに払えばいいのかという問題はあるけれど。
ああ、でも。
「トレーラントがいなくなったら、寂しくなるね」
意外だったのか、トレーラントは不思議そうな顔をしていた。
私にだって、そのくらいの感情はあるよ。
「……伯爵にそんな感情があったとは、驚きですね」
「別に、感情を捨てたわけではないからね」
悲しいと思う時もあれば、嬉しくなる時もある。
まあ、その基準が少し……いや、だいぶ君寄りになっているのは自分でも認めるけれどね。
一応、君に関わらないことでも感情は動くんだよ。多少だけど。
「僕にそのような感情は理解出来ませんが……まあ、出来ることならこの契約を解除したくないという気持ちは同じですね。
せっかく馴染んできた道具を捨てて、また一から育成し直すのは面倒ですから」
「私よりも性能のいい道具はたくさんあると思うけどね」
例えば、私よりも力のある人間とか、賢い人間とか……。
魔力で私に勝る人間はなかなかいないだろうけれど、それ以外なら探せばいくらでもいるはずだ。
いや、探さなくてもいるだろうね。
きっと、その辺を歩いている平民のほうが(教育で得られる教養などは抜きにするとして)魔力以外の能力では私より上のはずだ。
「人間の性能など、たかが知れています。
僕たち悪魔に比べて魔力や身体能力が劣るのは当然ですし、多少賢かろうが知識があろうが僕や先輩に比べれば誰であろうと同じこと。僕に従順であれば構いません。
もっとも、伯爵があれほど人の心に疎い人間だとは思いませんでしたが」
「あれは、迷惑を掛けたね」
「全くです。見た目は先輩に似ているのに、中身は少しも似ていない……」
うん?
その言葉に私が首を傾げたのと、彼がはっとした様子で口を噤んだのはほとんど同時だった。
あれ、もしかして。
「トレーラント、道具は外見で選ぶタイプかい?」
「まあ……こと人間に対しては、そうですね」
何故か気まずそうな様子でトレーラントが目を逸らした。
彼が言うには、その先輩は私と同じ黒い髪をしているらしい。
人間でも珍しい黒髪は、悪魔の間でも珍しいようだ。
変化の魔法が使えるのなら、どんな色の髪でもいそうな気はするのだけど……。
「そうではなくて、僕たち悪魔が日常的に使っている姿の時にという意味ですよ。
この姿は、僕たち悪魔が生まれて初めて頭に思い描いた姿であることが多いですからね。
……それで、何か他に反応はないのですか?」
「え? ええと……見た目が似ているからといって、性能まで似ているとは限らないんだよ。と言うくらいしか、私には出来ないかな……」
「それくらい知っています。そうではなくて……」
トレーラントにしては珍しく、歯切れの悪い言葉だった。
私に相手の考えをくみ取るなんて高度な技術を期待するのは無茶だから、はっきり言ってほしいのだけど……。
「……普通、誰かと重ね合わせられたら悪い気分になるでしょう」
「ああ、私が気分を害したのかと思ったのかい。別に構わないよ。
君の先輩と同じ振る舞いを期待されたのなら困っただろうけど、そうではないからね」
内心でどう思っていても、それを表に出さなければ問題はない。
今トレーラントが口を滑らせたのも、きっと葡萄酒を飲み過ぎたせいだろうからね。
その証拠に、普段は白い頬がほんのりと赤く染まっている。
気がつけば、葡萄酒も残り少しだ。
私はまだ飲み足りないから、もう一本持ってこようかな。
「言っておきますが、髪の色と背の高さ以外は全く似ていませんからね」
「一般的に、悪魔は息を呑むほど美しいとされているからね。私には当てはまらないよ」
君はよく「ウィルはとても綺麗な顔をしているんだから、自信を持っていいんだ」と褒めてくれたから、それほど醜いわけではないと思う。
けれど、人に好感を与える顔立ちかと聞かれると自信がない。
「かわいげがない」「愛想がない」と、母にはいつも言われていたからね。
笑えば愛想くらいは出るかと思って昔は頑張って笑ったのだけど「ただでさえ男らしくないのだからやめろ」と父にひどく叱られてやめた。母より父のほうが、叩かれた時に痛かったからね。
両親にすら受け入れられなかったのだから、人を惑わすと言われる悪魔と同等の外見をしているとは端から思っていないよ。中身はもちろん、いうまでもないしね。
「分かっているのなら、構いません。
ともかく、これで話は終わりです。他に聞きたいことがあろうとなかろうと、僕はもう寝ます」
「ありがとう。おやすみ、トレーラント」
そう言うと、トレーラントはふいと顔を背けて部屋を出て行ってしまった。
怒らせたかと思ったけれど、雰囲気は穏やかだったから大丈夫だろう。
さて、次を飲もうか。
私の好みとしては、ヴェンディミアの名産である淡い薔薇色の葡萄酒がいいかな。
あそこの葡萄酒はとても質がいいんだ。
目が覚めると朝だった。
葡萄酒のおかげで深く眠れたせいか、普段よりも気持ちがいい朝だ。
でも、あまり深く眠りすぎると探知魔法が反応した時に目が覚めない可能性があるから、危ないかな。
そう、ちょうど今みたいに。
「……燃えてる……」
さすがにこれは驚いたよ。目が覚めたら、屋敷の周囲で盛大に火の手が上がっているんだから。
それはもう、人間のローストでも作る気かい? って、聞きたくなるほどね……。




