6話 人喰い迷路の攻略法
「ここが、伯爵家の庭園か。噂に違わぬ美しさだ」
もっとも、伯爵家の庭園が美しいと噂されていたのは年が明ける前までのこと。
今となっては、ここに足を踏み入れたが最後、誰一人としてまともな状態で帰ってきた者はいないと言われる「人喰い迷路」と噂されているが。
一般的な伯爵家の屋敷と比べると幾分立派な正門をくぐり抜けると、そこには純白の薔薇の迷路が広がっていた。
美しいが、本能がここに立ち入ってはならないと警鐘を鳴らしている。
それだけ、ここで多くの人間が死んだのだろう。
ジークヴァルト団長から借りてきた魔術師と騎士が小さく息を呑む気配が届く。
「……マインラート様。この迷路、どのようにして攻略されるおつもりですか。
報告では、正門から入って無事に帰れた者はいないとのことでしたが……」
自分の背よりも長い杖を抱きしめた魔術師は、ひどく不安げな様子だった。
おそらく、私が報告した情報を聞いているのだろう。
これまで屋敷に挑戦した冒険者八十余人の中で帰還者は八人のみ。
そのうち、正門から侵入を試みた者は三人。
正気だったのは一人だけで、それも両足をもぎ取られて冒険者としては再起不能になっていた。
唯一正気を保っていた冒険者によると、迷路をどこまで進んでも白薔薇しか見えず、疲弊していたところを植物の化け物に襲われたらしい。
全身を拘束された後、意識のあるまま足をもぎ取られる痛みで気を失い、気がつけば屋敷の前に打ち捨てられていたのだという。
「何か、迷路を抜ける方法が……」
「そのようなものはない」
私の言葉は予想外だったのだろう。
魔術師の口から、微かに引きつった声が漏れた。
「え……な、ないとは?」
「そのままの意味だ。何か言いたいことがあるのかね」
貴族である私に、魔術師としては高い地位にあるとはいえ平民である彼が意見出来るはずもあるまい。
少々高圧的に尋ねてみれば、彼は青い顔のまま首を横に振った。
冷静に考えれば、事前に情報を集めた上でわざわざ正門から侵入する道を選んでいるのだから、対策を何もしていないなどあり得ないと気がつくはずだ。
とっさのことにうまく対応出来る知恵がないのか、それとも経験が不足しているのか。
どちらにしても、私の指示にさえ従ってくれればそれでいい。
「では、どのようにして屋敷内に侵入するおつもりですか」
おどおどと落ちつきのない魔術師とは反対に、騎士はさすがに冷静だった。
近衛騎士団は、一定以上の魔力と剣の腕前を認められた貴族しか加入を認められていない。
彼の家の格は知らないが、簡単に動揺を表に出さないよう教育を受けているのだろう。
「君は風の魔法が得意だったな」
「はい。さすがに、この薔薇を全て吹き飛ばすことは出来ませんが……」
「だが、我々を飛ばすことは可能だろう?」
この言葉で、彼は私が何をしようとしているのか悟ったらしい。
納得がいったという顔で大きく頷く。
一方、魔術師はまだ理解出来ていないようだった。不思議そうに私と騎士を見比べて首を傾げている。
全く、察しの悪い平民だ。まあ、使い道はいくらでもあるが。
「魔術師。君は探知の魔術が得意だったな」
「は、はい!」
「この迷路に、飛行を妨げる魔法が掛かっているか分かるかね」
「ええと……」
いくら頭が悪くとも、自分の職務を忘れるほど愚かではないらしい。
私の言葉に素早く頷くと、地面に陣を描きながら呪文を唱え始めた。
一般的な魔術よりも少々長い呪文が終わった後、魔術陣が淡く輝く。
「……迷路の中には、飛行の魔法が発動出来ないように魔法が掛けられています。
ただ、迷路の外からなら問題なく使えるようです」
つまり、迷路に立ち入ったが最後、出口にたどり着くまでひたすら迷路を進むしかないように出来ているわけだ。
確かに、目の前に迷路が現れてすぐ「この迷路を飛び越えよう」と考える者はなかなかいないだろう。
冷静に考えればそのほうがいいのだろうが、人間というものはどうも目先の試練を打ち破ることに目が向きがちだ。
一度迷路に足を踏み入れれば、もう飛行の魔法は使えない。
これまでの報告から考えるとおそらく後戻りも出来ないような仕掛けになっているだろうから、迷路の情報が持ち帰られることもほとんどない。
だから、事前に対策される心配もしなくてよかったのだろう。
「では、これから君を迷路の向こうまで飛ばす。
連絡の魔法で常に君と繋がっておくから、君は飛ぶ方向を指示して欲しい」
「は、はい!」
与えられた任務に緊張しているようで、返された言葉はどこか固かった。
緊張感があるのはいいことだが、しすぎるのも困りものだ。仕方あるまい。
「心配することはない。
あの十三人の中から、君は選ばれたんだ。実力のない者を、私は選んだりしないよ」
「あ、ありがとうございます。僕、精一杯頑張ります!」
声掛けが功を奏したのか、魔術師の表情がぱっと明るくなった。
未だに緊張感は抜けきっていないようだが、このくらいならいいだろう。
部下を思い通りに動かしたいのなら、まずは心を掴まなくては意味がない。言葉一つで操りやすくなるのなら、安いものだ。
「用意はいいか、ウド」
「はい! 問題ありません!」
ウドと呼ばれた魔術師の威勢のいい声に頷いて、騎士が魔法を発動させた。
コントロールがいいのだろう。浮かんだのはウドだけで、周囲の薔薇はかさりとも揺れていない。
同様に私も彼に魔法を掛けて、いつでも連絡が取れるようにした。
通信魔法は魔力の消耗が激しいので私の魔力量では数分しか使えないが、今回は魔力を回復させる薬を多めに持ってきている。魔力切れの心配は当分ないはずだ。
「期待しているよ、ウド」
「お任せ下さい、マインラート様。ユストゥス様」
張り切った様子で手を振るウドの姿が少しずつ遠くなり、やがて見えなくなった。
あとは彼の声を騎士、もといユストゥスに伝えてうまく迷路の向こうまでコントロールするだけだ。
「……マインラート殿。一つお伺いしたい」
「何かね」
ウドからの報告に備えていると、私の隣にいたユストゥスがふと口を開いた。
話をする許可を与えて、言葉を待つ。
「このようにまどろっこしい真似をせずとも、俺もウドについていけばマインラート殿の魔力を消耗せずに済んだのではないでしょうか」
「ああ、なんだ。そんなことか」
重苦しい顔の割に、用件はくだらないものだった。
無論、私とてそのくらいは考えている。
確かに、魔術師は「迷路の外からなら飛行の魔術を使える」と言った。王国の魔術師団に所属する彼の言葉を疑うわけではない。
だが、空を飛んで迷路を飛び越そうとすると途中でトラップが発動する可能性や、私たちがしていることを察した向こうが何らかの対処を取ってくる可能性は十分あった。
犠牲は可能な限り少ないに限る。
無論、私とて無意味に手駒を消費したいわけではない。
だからこそ、人数を絞ったのだ。
今頃はきっと、ジークヴァルト団長が残りの部下を率いて屋敷内に侵入しているだろう。
近衛騎士団の中でも選び抜かれた精鋭たちを相手にするのに自動的に発動するトラップだけでは力不足のはずだ。必ず、伯爵自身が対処する必要性が出てくる。
それに比べて、こちらは三人だ。
同じ精鋭でも数が多いほうと少ないほう、どちらを優先するかは容易に想像出来る。
ジークヴァルト団長たちが奮闘してくれている間に、さっさと迷路を抜けてしまおうという算段だった。
「確かに、二人一組で行けば私の魔力を消耗する必要はなくなる。
だが、伯爵はアストルム一の魔法使いだ。我々の行為に気がついた時、まず狙われるのは飛行魔法の使用者である君だろう。
伯爵の魔法から逃げ回りながら、自分と彼の身を守ることが君に出来るのかね?」
「……いえ」
「今ならまだ、ジークヴァルト団長たちが伯爵の気を引きつけているから安心なはずだ。
心配せずとも、無事に屋敷の近くまでたどり着けるだろう。
……ああ、ちょうど連絡が来た。もう少し南の方向へ向かって欲しいそうだ」
「分かりました」
私の言葉に、ユストゥスはようやく納得したようだった。
無論、これは嘘ではない。思惑を全て伝えていないだけだ。
先ほどのやりとりを見る限り、ウドとユストゥスはそれなりに親しい関係らしい。
私としては失っても惜しくない手駒を露払いに出しただけだが、それを素直に伝えればユストゥスは必ず私に対して反感を抱くだろう。そうなれば、万一の時に裏切られる可能性が高くなる。
適当に言いくるめておくのが最善だ。恨みを買ったところで、得することなど何もないのだから。
しばらくして、無事に屋敷の近くに到着したとウドから連絡があった。
何もなかったというウドの言葉に、ユストゥスがほっと胸をなで下ろしたのが分かる。
平民の安否にそこまで一喜一憂する必要性があるのかは謎だが、士気が保たれるのならいいだろう。
ウドの言っていた通り、迷路の上には何も仕掛けられていなかった。
ただただ、眼下に白薔薇の迷路が続くだけだ。
ほどなくして、私とユストゥスは無事にウドが待つ屋敷の正面玄関前へ到着した。
「大きなお屋敷ですね……」
庭園からは見えなかった屋敷を見上げて、ウドがため息を吐いた。
確かに、一般的な伯爵家と比べると立派な屋敷だ。
歴史を感じさせる扉に手を掛けて開く前に、探知魔術で中を探らせる。
「……どうやら、玄関ホール全体に巨大な落とし穴があるようです」
「ふむ。ではユストゥス、頼めるかね」
「かしこまりました」
あらかじめ飛行の魔法を使用しておけば、落とし穴に掛かることはない。
他にトラップの類がないかよくよく確認させた後、扉を開いた。
どのくらい進んだだろう。
途中、いくつかトラップはあったものの「部屋に入る前に必ず探知魔術で中の様子を探らせる」ということを徹底していたおかげか、トラップの数や種類そのものが少なかったためか、被害はなかった。
「報告を聞いた時は、もっとトラップだらけの館を想像していたのですが……」
「それは裏口から侵入した者たちの報告だ。
おそらく、あの迷路で正門からの侵入者をほとんど排除出来てしまうため、正面玄関側にはあまりトラップは仕掛けられていないのだろう」
無論、油断は禁物だ。
生還者たちの話によると彼らは皆、気が緩んだところを狙われている。
おそらく伯爵は探知魔法で侵入者の様子を確認し、油断していると判断したところで凶悪なトラップなり魔物なりをけしかけているのだろう。
いくら気を張っていても、いや、だからこそ気が緩む瞬間は訪れる。
厳しい訓練を受けた近衛騎士団や、報告を受けて手口を知っている私も例外ではない。
このまま進んだところで、いつかは集中力が途切れる。そこを狙われれば、数の少ない我々ではどうしようもない。
ならば、ここでおびき出すとしよう。
「どうやら、ここまで来れば安心なようだ。
伯爵の元までどの程度あるかは分からないが、きっともう少しでたどり着けるだろう。
裏口から侵入しているジークヴァルト団長よりも早く到着し、手柄を我らのものにしようではないか」
明るい声でそう言って、二人の肩を一定の間隔と回数叩いた。
近衛騎士団、そして魔術師団に所属しているものなら誰でも知っている符号だ。
逆にいえば、このどちらかに所属していなければ意味が分からないだろう。
「そうですね! さすがはマインラート様。
ここから先は、どんどん先に進みましょう」
「ええ……ただ、念のために探知の魔術は使ったほうがいいかとも思いますが」
「それはもちろん。ですが、そこまで細かく調べる必要はないですよ。
そうですよね、マインラート様」
私のいいたいことが伝わったのか、ユストゥスとウドは努めて明るい声で返してくれた。
少々演技がぎこちないような気もするが、伯爵は人の心に関心がない。緊張しているのだと考えてくれるはずだ。
無論、警戒は今後も続ける。ただ、それを表に出さないようにするだけだ。
その甲斐があったのだろうか。上の階へ上がる階段までたどり着いた時、頭上から微かな物音がした。
少しずつこちらへ近づいてくる……足音か?
目配せで素早く符号を送り、警戒するように促す。
「そこにいるのは誰だ!」
剣を抜いたユストゥスが、私とウドの前に素早く立ちふさがった。
周囲の空気が震えるほどの声だというのに足音は乱れることがない。
団長やその部下ではなさそうだ。
伯爵か。それとも魔物の一種か。
しかし、どこかで聞いたことがある足音だ。
記憶を探りかけた時、足音の主が姿を現した。
上品にまとめられた栗色の髪。いつもならきらきらと輝いているはずなのに今はどんよりと曇っている薄茶色の目。
それから「奥様に気に入られた侍女しか着られないのよ」と自慢していた、襟元に淡い紫のリボンがついた黒いエプロンドレス。
「……カリーナ」
「お、お知り合いですか?」
緊張に身体を強張らせたウドが、おそるおそるといった様子で尋ねてきた。
知り合いも何も。
「私の、妹だ」
伯爵家に勤め、私に情報を流してくれた。
両親を亡くした私にとってたった一人の家族であり、もう死んだものと思っていた妹が、そこにいた。




