5話 地獄への道は善意で舗装されている
「おや。あの薬、捨ててしまうんだね。
残念だな。せっかく調合したのに」
始めて作ったものだから味はおいしくないだろうけど、材料はいいものを使っているから効き目は抜群のはずだ。
彼らのためにわざわざ用意したのだけど、気に入らなかったようだね。
選ぶ時に楽しんでもらえるよう、魔法でさまざまな色に染めてみたのに。
さすがに、明るい黄緑やオレンジは派手過ぎたかな。
それにしても、絨毯の上で薬を引っくり返すことはないと思わないかい?
汚れてしまった絨毯を綺麗にするのは、魔法を使ってもなかなか大変なんだよ。
人の屋敷をなんだと思っているのだろうね。
次の部屋に進んだ彼らは、探知の魔術を使ったり議論したりした結果、夜の間へ進むことに決めたようだった。他の冒険者たちのように、二手に分かれて進むことはしないらしい。
今までの動きからして、彼らはおそらく私のやり方を知っている。
私が他の侵入者たちにやってきたように、分断されることを警戒しているのだろう。
もっとも、その行動に対する対応は既に想定済みだ。
私も初めは驚いたけれど、冒険者というのは発想が豊かでね。
彼らがやったように薬を飲まずにあの部屋を抜けたり、二手に分かれることを恐れてひとまとまりになって動いたりと面白い動きをしてくれるんだよ。
おかげで、私もそれなりに対応力がついてきたように思う。
彼らは、自分たちが選んだ部屋を順調に進んでいるようだった。
夜の間はその通り、灯り一つない真っ暗な部屋だ。
灯りをつける魔術の心得がない冒険者たちは、大体ここで仕留められる。
ランプや蝋燭をつけると、部屋に充満している可燃性の気体に引火するように作ってあるからね。
火の海に囲まれて平静を保てるものはなかなかいない。
他の部屋に燃え移らないよう耐火の魔法を部屋全体に掛けてあるから、その点は安心だ。
問題は、早く契約すると言ってくれないと火だるまになって死んでしまうことだろうか。
そのせいで侵入者がここで何度か死んでしまってトレーラントから文句を言われていたから、そろそろ撤去しようかと思っていたんだ。
幸い、彼らには魔法や魔術の心得がある。火の海に飲まれることはないはずだ。
あれだけの人数だからね。一人一人に契約を持ちかけていたら、あっという間に灰になってしまう。
それは私としても避けたかったから、ぜひ火はつけないでもらいたかった。
私の願い通り、彼らは魔術で灯りをつけて部屋の中を探索していた。
火の広がりを調整するために室内には何も置いていないから、扉はすぐに見つけられるはずだ。
『ありました、団長』
『よし。扉の向こうはどうだ。何か危険はあるか』
『私の魔術では、そのようなものは感じません』
私に声を聞かれることを恐れているのか、囁くような小さな声の会話が私の耳に届いた。
いくら声をひそめても魔法で全て拾えるのだから、普通に話せばいいのにね。
団長と呼ばれたひときわ立派な鎧を身につけた男が、ゆっくりと扉を開く。
『な、なんだこれは!』
その途端、扉の向こうから霧があふれ出した。
とっさに後ずさったようだけど、もう遅い。
『どうなっている。危険はなかったんじゃないのか!』
『そ、その通りです。私にも、よく……』
先ほど「危険は感じない」と言っていた魔術師はひどく狼狽しているようだった。
魔術で探知されないように仕掛けを施すことなど私にとっては簡単なのだから、気にすることはないと思うのだけど。
魔術は詠唱と陣を描く時間が長いほど強力になる。
あの魔術師はさして時間を掛けずに探知していたから、その精度はさほど高くなかったのだろう。
最初は時間を掛けていたから、単調なトラップが続いて油断したのかな。
私だって、あれで仕留められるとは考えていないよ。
ただ、単調なトラップを続けた後なら手の込んだトラップに掛かってくれやすいから設置しただけだ。
たまに、単調なほうに引っ掛かる者もいるけどね。あれは正直、とても驚いた。
ちなみに、霧が吹き出す扉の奥は行き止まりだ。
次の間に進むには、まず入口近くの壁に書かれた暗号を解読して、部屋の中央から左に二つ下に三つ下がったところにある床石の下にある鍵を持って茨の間へ行き、鍵の掛かった引き出しから暗号を入手して解読し、壁に掛けられた絵を一定の順番で叩いて夜の間に階段を降ろさないと、天井近くにある扉には入れないようになっている。
初めは暗号を解読するだけだったのだけど、簡単すぎるかと思って改造していったらどんどん複雑になってしまったんだよね。
トレーラントに呆れられるほど複雑なこの仕掛けを突破して先へ進めた者は、今のところ一組だけだ。
まあ、その直後にトラップに引っ掛かっていたけれど。
さすがに集中力が切れるみたいだね。
もちろん、私は普段そんな面倒なことはしていないよ。
階段なんて使わなくとも、魔法を使って空を飛べばいいだけだからね。
皆、意外と上は見ないようで扉に気がつかれたことは今まで一度もない。
……さて。そろそろいいかな。
霧を吸い込んだ彼らはずいぶん衰弱しているようだった。
弱いながらも毒性のある霧だからね。いくら訓練されているとはいえ、しばらくまともに動くことは出来ないだろう。
拡声と変声の魔法を喉に掛けて、彼らのいる部屋に声を届かせるとしようか。
「やあ、こんにちは。大変な目に遭ったね。大丈夫だったかい?」
『伯爵……? いや、違うな。誰だ! どこにいる!』
おや、まだ動けるんだね。
私の声に反応した団長が、剣を抜いて辺りを見回した。
動きは鈍いけれど、あの霧を吸っても動けるとはさすがだ。
「私はこの屋敷の主だ。今は私の部屋にいるよ。
君たちからはきっと見えないだろうから、気にしないでいい」
『姿を現せ、卑怯者が!』
「気が向いたらね」
今行ったところで私がやれることは何もない。
もう少しエミールとの時間を堪能したいから、彼の要望にはまだ応えられないかな。
そう言うと、団長はひどく怒ったようだった。
卑怯と言われても、これが私のやり口なのだから仕方がない。
むしろ、事前連絡もなしに大勢で人の屋敷に乗り込むほうが礼儀知らずだと思うのだけど。
『こんな卑劣な罠を仕掛けるとは、人として恥ずかしくないのか!』
平民一人を罪人に仕立てるために金をばらまいた子爵家よりは、ましだと思うな。
まあ、彼に言ったところで分からないだろうから伝えなかったけれど。
それに。
「確かにトラップは仕掛けたけれど、事前に対策も用意しておいたよ。
私の親切心を捨てたのは君だろう」
『……何を言ってる?』
「さっきの薬はこの霧に対する解毒剤でね。
残念だよ。全員飲んでいれば、助かっただろうに」
私の言葉に、団長の顔色が明らかに悪くなったのが分かった。
それから、彼の弱り切った部下たちの空気が変わったことも。
嘘はついていないよ。あの薬はちゃんと解毒剤だ。
効き目が強いから、規定量である小瓶一本より多く飲んでしまうと身体には毒だけど。
ただ、それも全員が一本ずつ飲んで残りの一本は彼がやったように捨ててしまえば問題なかった。
この状況では、もう遅いのだけど。
『そんな……デタラメを……』
「君の言う通り、デタラメかもしれないね。そうでないかもしれないけれど」
どちらでもいいんだ。重要なのは、そこではないから。
あの霧の毒性は弱いから死ぬことはない。
ただ、死んだほうがいいと思えるくらいには苦しむし、舌が膨れて話せないようにはなる。
最初は毒性を調整するのに苦労したけれど、侵入者たちに協力してもらってようやく完成した。私の自信作だ。
自分が解毒剤を捨てなければ、部下たちは苦しまずにすんだ。
彼がそう思ってくれればしめたものだ。
部下たちが実際何を思っているのかはどうでもいい。どのみち伝えられないだろうから。
以前この屋敷を訪れた警備ギルドの副長のように、責任感の強い人間は自分が苦しむよりも仲間や部下が苦しむところを見るほうが堪えるらしい。
これで絶望してくれれば(実際、それで契約してくれた冒険者もいた)それでいいし、そうでなくとも心が弱ってくれれば十分だ。
あの部屋から逃げることは出来ないからね。彼を絶望させる時間はたっぷりある。
部下は後で、解毒剤と引き換えに契約に誘うつもりだ。身体的にも精神的にもだいぶ弱っているから、契約してくれると思う。
もし拒むようなら、霧が充満した部屋に放置しておけばいい。そのうち誘いに乗ってくれるはずだ。
少なくとも、今まではそうだったからね。
さて。彼らはひとまず部屋に閉じ込めておくとして、もう一組に対処しようか。
ついでのように言ったけれど、私にとってはこちらのほうが重要なんだよね。
なにせ彼ら、迷路を攻略してしまったようだから。




