4話 見え透いた罠
マインラートの報告によると、伯爵家への入口は二つあるらしい。
正門から入れば巨大な迷路が。裏口から入れば多数のトラップと謎解きが待ち受けているという。
トラップや迷路で消耗する人間を安全なところから優雅に見学とは、いかにも陰険な伯爵らしい。
「では、ジークヴァルト団長。当初の予定通り、私は正門から侵入します。どうかお気をつけて」
「ああ。任せたぞ」
連絡の魔法が使えるマインラートは、風の魔法を得意とする騎士と探知の魔術が得意な魔術師を連れて迷路を攻略するつもりらしい。
どんな手を使うつもりか俺にはさっぱり分からないが、あいつの企みは大体成功する。心配する必要はないだろう。
「皆、用意はいいか。
分断されないように各々警戒して進め。見慣れないものには極力触れず、すぐ報告するように。
いくぞ!」
残りの団員たちに向けて声を張り上げると、いつも通り揃った声が帰って来た。
魔術師や治癒魔法使いも隙のない目で屋敷を見つめている。
ここを出る時、彼らが一人も欠けていなければいいのだが。
裏口に回ると、まるで我々を待ち構えていたというかのように大きく開いた扉が目に入った。
いかにも怪しいが、入らないという選択肢はない。
罠や毒の感知が得意な魔術師が「問題はありません」と頷いたのを確認して、注意深く扉を開けた。
扉の向こうに広がっていたのは、貴族家としてはごく一般的な使用人用の通路だった。
想像していたような死体の山や血の跡は一切なく、肉の腐った匂いや血生臭さも一切感じられない。
だが、油断は禁物だ。気が緩んだところを襲う作戦かもしれないからな。
その予感は見事に当たった。
一つの部屋を進む度に壁や床から槍が突き出し、矢が放たれ、頭上からは石像が落とされる。
各部屋に必ず三つはトラップが仕掛けられているのだから、まさに気の緩む暇もない。
ただ、そのどれもが単調で見え透いたものだった。
部屋に仕掛けられているトラップの位置や種類はどれも同じようなものばかりだ。
初めこそ驚いたが、同じことを四回も繰り返した頃には「右の壁からは矢が、左の壁からは槍が突き出し、青い床石を踏むと頭上から物が降ってくる」という構造を、部下の誰もが把握していた。
あまりに単調な罠の数々に拍子抜けしたが、考えてみれば冒険者はほとんどが平民だ。教養も知識もない彼らを罠に掛けるのは簡単だろう。
彼らの基準で、事を図りすぎたのかもしれない。
だが、油断は禁物だ。
魔法を使えば俺たちを殺すことなど容易なはず。
今の時点でそれをしないのは、トラップで仕留めきれると甘く見ているのかもしれない。
侮られていると考えれば腹が立つが、その余裕がどこまで持つかと思うと却って楽しく思えてきた。
今のうちに、優越感に浸っておけばいい。
「鍵が掛かっているようです」
いくつかの部屋を抜けた先。これまでの部屋よりも少し広めの部屋で進むことが出来なくなった。
次の部屋へ続いているであろう扉が、しっかりと閉ざされていたせいだ。
ただ鍵が掛けられているだけであれば、鍵開けの技術を持った者が開けられる。
だが、魔術師によれば扉は物理的な鍵によってではなく魔法によって閉ざされているようで、無理矢理こじ開けるわけにはいかないとのことだった。
「壊すことは出来ないのか」
「扉や周囲の壁自体、魔法で強化されているようです。
強化魔法に費やされた魔力以上の出力で攻撃すれば突破可能ですが、我々では……」
魔術師の言葉はもっともだった。
伯爵以上の魔力を持つ魔法使いなど、この国はもちろん世界にすらそうそういない。
力づくで破ることはまず不可能と見ていいだろう。
だが、わざわざこじ開ける必要はなさそうだった。
扉の隣にこれみよがしに置かれたテーブルと、その上に一列に並べられた十三の小瓶に視線を移す。
同じ大きさと形をした小瓶は色とりどりの液体で満たされていた。
見た目からしていかにも怪しい代物だ。普段なら、決して手をつけようとは思わないだろう。
すぐ横に添えられた紙に、こんな文言が書かれていなければ。
【一つ飲めば救いの薬 それ以上は毒となる
全ての瓶を空にした時 道は開かれる】
つまり、あの瓶を全て空にしなければ先に進めないということか。
屋敷を訪れたのは十五人。うち二人はマインラートが連れて行ったから、ここにいるのは十二人。
瓶の数は十三だから、この紙に従って全ての瓶を空にしようと思えば一人は犠牲になる必要がある。
戻って別の道を探そうにも、入って来た扉はいつの間にか固く閉ざされていた。
餓死したくなければ先へ進むしかない……という寸法なんだろう。
先ほどまでのものよりも少しひねられてはいるが、それにしても見え透いたトラップだ。
笑ってしまうほど単純だが、平民ならこんなトラップにも引っかかるか。
もっとも、騎士団には通用しない手口だが。
瓶の蓋を取り、中の液体を全て床にぶちまけた。
まるで砂糖菓子のような甘ったるい匂いが鼻をつく。
「飲まなくともいいんですか、団長」
「ああ。その紙にはただ「空にしろ」としか書かれていなかった。
飲もうと床に流そうと、空にしたことに変わりはないだろう」
マインラートからの情報によると、伯爵家に仕掛けられたトラップの多くは複数人を分断させるためのものらしい。
ここで一人を犠牲にさせることで我々の士気を下げて結束に亀裂を入れようとしたのかもしれないが、残念だったな。
俺は団長だ。指揮を執らねばならない自分も大切な部下も犠牲にはしない。
小瓶が全て空になった瞬間、閉ざされていた扉がゆっくりと開いた。
提示された条件を満たせばどんなやり方であろうと先へ進ませてくれるらしい。
「……今度は、分かれ道か」
次の部屋には二つの扉があった。
それぞれの扉にはご丁寧に「夜の間」「茨の間」と銀色に輝く文字で記されている。
「中の様子はどうだ?」
「それが……どうやら、探知魔術を妨害する魔法を掛けられているようで、奥までは探れませんでした。
ただ、「茨の間」からは僅かに危険を感じます。安全なのはおそらく「夜の間」かと」
どちらに進むのが正しいのだろう。
侵入者を分断するのが伯爵お得意の手だということは、マインラートから聞いてよく知っている。
当然、部下たちを二手に分けるつもりはさらさらなかった。
狙いがあからさまなトラップに、わざわざ引っかかってやるつもりはない。
それにしても、先ほどの瓶といい仕掛けられているトラップはどれも単純なものばかりだな。
これまで屋敷に侵入してきた冒険者や警備ギルドの一員のような平民たちならまだしも、俺たちにまでこんなトラップを仕掛けてくるとは相当甘く見られているのか。あるいは他に手が思いつかなかったのか。
見た目も中身も精巧に作られた人形のような男を脳裏に描くが、判断はつかなかった。
まあ、伯爵がどんな意図でトラップを仕掛けたのかはどうでもいい。
問題は、どちらのルートが正しいかだ。
普通に考えれば、危険を感じる茨の間ではなく、安全そうな夜の間に進むべきだろう。
だが、魔術師はあまり奥までは探れなかったと言っていた。もし魔術では探れないほど奥深くに危険なトラップが隠されていたら……。
しかし、探知の魔術や魔法は限られた人間にしか扱えない特殊なものだ。我々の到着は伯爵にとって想定外だったはずで、騎士団用の対策を立てる時間はなかったと見ていい。
マインラートが連絡魔法を使えることは、伯爵も知らなかったはずだからな。
探知の魔術を使える可能性の低い平民を罠に掛けるために、わざわざ対策を用意しておくだろうか。
陛下のように賢い方ならまだしも、あの伯爵が。
先ほどまでの単純なトラップを思えば、そこまで裏を考えているとは到底思えない。
「夜の間へ進むぞ」
考えた末、魔術師が安全だと判断した夜の間へと進むことにした。
二手に分けることはしない。戦力を分散させなければ、途中で何かあっても対処しやすいからな。
仮にルートを間違えたとしても、再び戻ってやり直せばいいだけだ。
長期戦になった時のことも考えて、水と食料は十分に持ってきてある。
ゆっくりと時間を掛けて、確実に伯爵のところまでたどり着けばいい。
待っていろ、アーチェディア伯爵。




