精霊の気まぐれ
「お願いします。どうか、どうか貴方様の力をお貸しください!」
地に額を擦りつけて懇願する女を見下ろすと思わずため息が漏れた。
全く、無礼な人間だの。
我の眠りを覚ましておきながら、挨拶もなく要求を突きつけるとは。
己の欲求のためなら他者を顧みぬところはまるで赤子だ。
もっとも、この女は赤子のように愛らしくはないが。
「――我の力を借りて、どうするのだ」
追い返さずに話を聞いたのは、目の前の女から炎の中位精霊の加護を感じた故だ。
飽きるまでは執着心の強いあやつのお気に入りを無下にすると後が面倒だからの。
形だけでも話を聞いてやろう。それで何か変わるとも思えぬが……。
「貴方様のお力で、彼を蘇らせて頂きたいのです」
頭を上げた女が取り出したのは白く歪な球体……否、人の頭蓋骨だった。
もう何年も前に死んだのだろう。骨はすっかり乾燥して固くなっておる。
詳しく見ずとも、魂と肉体が死神によって切り離されていることは明白だった。
その目に狂気じみた光を浮かべた女が言葉を続ける。
「彼が死んでから十年間、私は貴方様を探し求めて参りました。
再生を司る貴方様なら、彼を蘇ることも出来ると信じて。
そして今、私は数多の試練を潜り抜け貴方様の元に辿り着きました。
ですからどうか、力をお貸しください」
「何故、そなたに力を貸す必要がある」
至極当然の問いを投げかけると、茶の目が呆然と見開かれた。
確かに、人の身で精霊たちが多く住まうこの地へ来るのは大変だったろう。
しかし、だからと言って力を貸す義理はない。
ここを訪れたのも「試練」とやらを受けたのも、全てはこの女の意思なのだから。
どのような種族であれ、その行動には責任が伴う。ただそれだけのことだ。
「信じていたのに……」
「何を信じようと、それはそなたの自由だ。
しかし、そなたの思い込みに我が付き合う義理はない。
ウィスプの加護に免じて、我の安眠を妨害したことは許そう。立ち去るがよい」
項垂れた女が動く気配はなかった。
特段難しい要求を突き付けたわけではないはずだ。
言葉が届いておらんのか、聞く気がないのか。いずれにせよ不愉快だの。
最終警告を告げようとした時、女が口を開いた。
「どうか、どうかお慈悲を!
私に捧げられるものなら、どのようなものでも捧げます。
財産も名誉も命さえ。ですから――」
「そのようなものは必要ない」
財宝は数えれ切れぬほど持っておるし、名誉や命など貰ったところで意味がない。
ならば全てを奪い、奴隷にでもするか? ……馬鹿馬鹿しい。
人に出来ることで我に出来ぬことなど、せいぜい子孫を残すことくらいだ。
しかし人が産めるのは人の子であって、不死鳥の子ではない。
無力な女を貰い受けたところで何の役に立つというのだろう。
そもそも、我は「死と再生の象徴」であり「蘇生の象徴」ではない。
死神に魂を刈られる前に肉体を再生しておるだけで、蘇ってはおらぬ。
この女が求むような蘇生能力など端から持っていなかった。
もっとも、それを教えてやるつもりはないがの。
「では、いったい私はどうすればいいのですか?!」
「次の手を考えるがよい」
死者を蘇らせるとされる方法は、我に縋る以外にもあるはずだ。
悪魔と契約する、黒魔術を行う、そういったものが一般的かの。
絶望するのはそれらを試した後でもよいと思うのだが。
もちろん成功する保証はない。
女が願いを叶えられる確率は万に一つ……よりもずっと低いであろう。
なにしろ死者の蘇生は世界の禁忌だ。我ですら叶えることは出来なかった。
しかし、だからといって挑む前から諦めては万に一つの可能性すら掴めまい。
どれほどの幸運を持っていたとしても、実行しなければ奇跡は起きぬのだから。
もっとも、この女の心はすっかり折れてしまったようだが。
「ああ……ああぁ……」
話が終わった以上、ここに留まる必要はない。じき立ち去るだろう。
そんな我の予想とは裏腹に、女はただ地に伏して嘆くばかりだった。
子守歌としては最悪だ。百年ほど、散歩にでも出掛けようかの。
そう考えた時、洞窟内の魔力が僅かに揺れた。
「おやおや。これは結構なお出迎えで」
現れたのは炭のように黒い鱗を持つ二足歩行のトカゲ――サラマンダーだった。
頭には小さなシルクハットを乗せ、首元には瞳と同じ赤色のリボンを飾っている。
相変わらず、見た目は洒落者だの。
中身は洒落っ気とは程遠い、原始的な欲に塗れておるが。
「久しいの、サラマンダー。招待した覚えはないが」
「ええ、お久しぶりです。不死鳥。
おいしそうな匂いがしたので立ち寄らせて頂きました。
時に、こちらのお嬢さんは貴方がお招きしたので?」
「いいや、単なる侵入者だ」
我の言葉に、灼熱の石炭を思わせる瞳が微かに細くなった。
二股に分かれた長い舌がチロチロと見え隠れする。
さて、どうしようかの。
招待した覚えがないとはいえ、何もせぬのも野暮というもの。
もてなすための茶菓子はちょうど、新鮮なものがそこに転がっておる。
来客用の木の実などを出すよりもそちらのほうがサラマンダーは喜ぶはずだ。
掃除にもなるしの。
しかし、あれを差し出すとウィスプがうるさかろう。
相手は中位精霊だが、位階が低いからと軽んじていいわけではない。
面倒だが、あの茶菓子には丁重にお帰り願うとしようかの。
「人よ、最後の警告だ。早々に立ち去るがよい」
「おやおや。ひどいことをおっしゃる」
そう言って肩をすくめたサラマンダーに女が視線を向けた。
その目には隠しきれぬ期待の色が浮かんでいる。
よもや、サラマンダーが自分に同情したと思ったのではあるまいな。
仮にも中位精霊から加護を受けた者が、そのような誤解はせぬと思うが……。
そんな我の予想とは裏腹に、女の口から出てきたのは懇願の言葉だった。
「サラマンダー様。どうか、お言葉添えをお願いいたし――」
言葉が終わるよりも前に、サラマンダーが女と視線を合わせた。
途端、女が呻き声を上げてその場をのたうち回った。
白く滑らかだった肌は見る間に黒ずみ、干からびていく。
豊かな栗色の髪は束になって抜け落ち、洞窟の床に散らばった。
呻き声は次第に掠れて、しわがれていく。
女が黒く痩せこけた肉塊になるまで数秒も掛からなかった。
ああ、これはもう駄目だの。
サラマンダーに話しかけた女の末路を眺めながら、心の中でため息を吐く。
憐れみはあるが、同情心は一欠片もない。
何度も警告したにも関わらず聞き入れなかった女の落ち度だ。
サラマンダーの魔力には毒がある。ひとたび触れればほぼ確実に死へ至る猛毒だ。
ヒュドラの心臓から生成した解毒剤を服用するか、己の魔力でサラマンダーの魔力を打ち消す以外に助かる方法はない。
故に、視線に乗せられた魔力に触れた女が助かる可能性は限りなく低かった。
中位精霊のウィスプではサラマンダーの魔力を薄めることすら出来ぬからの。
そもそも女は加護しか受けておらぬ故、ウィスプの魔力は借りられまいが。
我ならば解毒可能だが、眠りを妨げた人間を助けるつもりはなかった。
警告は幾度もした。それを聞き入れなかったのは女のほうだ。
特に気に入ってもいない相手を救ってやるほど心は広くない。
これがサジェスならちと小言を言って、助けてやるのだが。
まあ、あの悪魔が我の警告に耳を傾けぬことなどまずないがの。
「少々やりすぎましたねえ。
せっかく新鮮なお茶菓子を用意して頂いたのに申し訳ない。
人間に気安く声を掛けられたと思うと、つい腹が立ちまして」
「我は何一つ手間を掛けておらぬからそれは構わぬよ。
後始末さえしてくれればそれでよい」
「もちろん、承知しておりますとも」
そう言って、サラマンダーが女の傍に屈みこんだ。
道端の石を見るような視線が獲物を見るそれに変わり、長い舌がちろりと覗く。
次の瞬間、女の腹が食いちぎられた
痙攣する女を押さえつけて食事を進めるサラマンダーに、ついため息が漏れる。
何とも食欲の失せる光景だ。いっそ、ひと思いに殺してやればよいものを。
毒で干からびた肉体のおかげで洞窟が血で汚れなかったことだけが救いかの。
「ウィスプが文句を言ってきたら、そなたがしたと伝えるからの」
「構いませんとも。ですが、その心配はないでしょう。
加護を与えた人間が死にかけているというのに、来る気配がありませんからねえ。
もう飽きているのでは?」
「そうかもしれぬの」
精霊は加護や祝福を与えた相手の様子をある程度察知出来る。
故に、女が死にかけていることもウィスプには伝わっているはずだった。
女を気に入っておるのなら、そろそろ文句を言いに来てもよい頃合いだ。
その気配がないということはサラマンダーの言うとおり、飽きたのだろう。
ウィスプは中位精霊の中でも力が強く、人に加護を与えることの多い精霊だ。
だがその分移り気で、加護を与えた人間を捨てることも多い。
サラマンダーの茶菓子となった女もその一人なのやもしれぬ。
それなら加護を取り消してくれればよいのだが、ウィスプは忘れっぽい。
女に加護を与えたことさえ忘れている可能性は大いにあった。
全く困ったものだ。
思わずそう呟くと、それに同意するようにサラマンダーが頷いた。
「本当に。すぐに飽きる程度の人間に加護を与えるなんて理解できませんねえ。
自分の力を安売りして何が楽しいのやら」
「それは様々な精霊を敵に回す故、あまり言わぬ方がよいぞ」
精霊が加護や祝福を与える基準を個体によって異なる。
我やサラマンダーのように滅多に加護を与えぬ者もおれば、ウィスプや水の精霊王のように少し気にいれば加護を与える者もいる。
どちらが正しいわけでも、間違っているわけでもない。考え方の違いだ。
ウィスプのように、加護を与えたことすら忘れる者は少ないがの。
「時に、何用だ? まさか茶菓子を食べに来ただけと言うわけではあるまい?」
「もちろんですとも。貴方の羽根を頂きに来たのです」
「そなたが我の羽根を欲するなど、珍しいこともあるものだ。
涙でなくてよいのか?」
我の羽根と涙はどちらも強力な治癒の力を秘めているが、その効果は少々異なる。
羽根は外傷を、涙は毒や病を癒すのだ。
サラマンダーにとって己の毒は武器だが、同時に凶器ともなる。
制御を誤れば、加護を与えたい人間をも殺しかねんからの。
気に入りの人間を殺しかけたと我に頼ってきた時のことを思い出して尋ねると、サラマンダーが得意げな顔で首を横に振った。
「ええ、ええ。構いませんとも。
ワタシの騎士は一切の毒が効きませんからね。
赤ん坊のころから少しずつ慣らした甲斐がありました。
今や、ワタシに触れることだって出来るのですよ!
矮小な人間としては素晴らしい成果でしょう?」
「確かに、それは称賛に値するの」
人間がサラマンダーに触れれば、先程の女より惨い最期を迎えることとなる。
か弱い人間がそれだけの耐性を手に入れたことも、サラマンダーが人間のために辛抱を重ねたことも我にとっては驚きだった。
この精霊にとって、人とは娯楽品以外何物でもないからの。
「そなたが気に入るとは、よほど火に縁が深い人間なのであろうな。
しかし、何故我の羽根を欲するのだ?」
「ああ、ヒュドラ退治に行くのですよ。王があの子に命じたのです」
「それはまた、厄介な命を受けたの」
ヒュドラは複数の首を持つ大蛇だ。
国によっては土地を守る守護獣とも、凶悪な魔物とも扱われる。
最近ではその見目から後者として扱われる方が多いの。
だが、魔物扱いされど狩られることは滅多にない。
その鋭い牙には掠っただけで命を落としかねない猛毒が仕込まれているためだ。
その上、ヒュドラには高い再生能力がある。
首を切り落とそうと心臓を貫こうと、あっという間に再生してしまうのだ。
殺すには全ての頭を切り落とし、高い火力で傷口を焼くしかない。
ただの人間に任せるには厄介すぎる難題だった。
我の羽根を欲するのも納得出来る。
「そうそう。羽根は少々多めに下さい。
これからも厄介事を頼まれるでしょうから」
「何故そんなことがわかる?」
「あの子は前王のご落胤ですからねえ」
「そういうことか」
ここ二百年ほど人間社会から遠ざかっていた我でも、その意味は理解できた。
高位精霊から加護を受けた者は強い力を得る。
ヒュドラの討伐を命じた王は、その力で王位を奪われることを警戒したのだろう。
まったく、愚かなものだの。
精霊が愛する人間を邪険にすれば王位どころか国が消えかねんというのに。
心の中で呟いた独り言を肯定するかのように、サラマンダーが口を開いた。
「あの子を嫌う王など国ごと滅ぼしてもよかったのですが、嫌がられまして。
まあ、あんな国でもあの子にとっては故郷ですからね。
しばらくは望むとおりに行動させてあげる予定です。
国を焼くのもあの子の記憶を改変するのも、いつでも出来ますしねえ」
サラマンダーの言葉は決して虚勢や冗談ではない。
高位精霊の力があれば、国一つ滅ぼすなど容易いだろう。
戦闘があまり得意ではない我でさえ、昔いくつか滅ぼしたからの。
「そういうわけなので、羽根を下さい。
勝手に毟るので、こちらまでいらして下さるだけで結構ですよ」
「遠慮しよう。ほれ」
サラマンダーの前に降り立てば、羽根どころか肉まで毟られかねん。
いくら我にとっての死が非常に軽いものであるとはいえ、死に様は選びたい。
羽根を数枚抜き取って地に落とすと、サラマンダーが残念そうにそれを拾った。
「ああ、残念。味がよくなったか確かめて差し上げようと思ったのに」
「腹が減っておるのなら、外で食事をしてくるがよい」
「ご冗談を。精霊に空腹などという概念があるわけないでしょう」
「まあ、それもそうだの」
我もサラマンダーも肉体を持っておるが、これはただの器にすぎぬ。
魔力が尽きぬよう気を付けておれば、肉体を保つのに食事をする必要はなかった。
精霊や悪魔のような魔力を消費して生きる者にとって、食事はただの娯楽だ。
もっとも、悪魔の中でも力の弱い者は魔力供給のために食事を必要とするがの。
「単なるスキンシップですよ」
「それならば、そなたの愛し子とするがよい」
「駄目に決まっているでしょう。あの子は生きているんですよ!」
「死んでも蘇るだけで、我も生きておるぞ……」
「では、ワタシはこれで。
あの子がヒュドラを討伐した暁には自慢話をしに来て差し上げましょう」
我の呟きを無視したサラマンダーの言葉が終わるや否や、その姿が炎に包まれた。
炎が消えれば後には何も残らない。加護を与えた騎士の元へ帰ったのだろう。
サラマンダーが土産話を持ってくるのはいつになることか。
静寂を取り戻した洞窟の中、少々の期待を胸に我は眠りについた。
Twitterで行っていた企画で寄せられたリクエスト「不死鳥主役のお話」を書きました。




