1話 晴れ時々企み。ところによっては血の雨が降るでしょう
「……ええ。帰還者はアメリー・キルヒシュラーガーのみ。しかし心神の衰弱が激しく、復帰の見込みはありません。
彼女ほどの逸材が惜しいことです。ぜひ、調査の許可と応援を……ありがとうございます。
感謝するのはこちらですよ。本当に……ああ、そろそろ時間のようです。
今日の通信は、これで失礼します」
数日前にアメリーが犯した失態について報告を終えて通信を切った後、思わず笑みがこぼれた。
警備ギルド初の女性役員として抜擢されるほど優秀な彼女が五名の部下を失い、自身も心神耗弱に陥るなど、誰が予想出来ただろうか。
いや、誰も思うまい。少なくとも、このエテールの住民は誰も。
深く息を吐いた私の側に、慣れ親しんだ気配が近づいた。
「先ほど、冒険者ギルドへ依頼を掛けました。
一つの情報につき銀貨五枚の報酬を設定いたしましたので、じきに情報が集まるかと」
「ご苦労。君は実に優秀だ。
君なら、私が次に頼みたいか分かるだろう」
私の言葉に、信頼している片腕である彼女はハシバミ色の目を僅かに細めた。
察しのいい彼女はいつも、私が望む答えをくれる。
「上等な葡萄酒をお持ちいたします」
「祝いにふさわしい、黄金色にしてくれたまえ」
そう、祝いだ。
あの忌々しいアメリーがようやく舞台を降りたことの。
そして何より、私の作戦が成功したことへの。
彼女やその部下たちが死を迎えるであろうことは、初めから分かっていた。
伯爵は政務においては無能だが、魔法に関してはこの国で右に出る者がいないと謳われる天才だ。
彼女たちで対処出来るなら、伯爵が義母と弟を惨殺した事件が隠蔽されることもなかっただろう。
伯爵の魔力は膨大だ。彼一人いるだけで他国の干渉を抑制出来る。
軍事力の低いアストルムにとって、それを失うのは大きな痛手だった。
だから、あの事件は隠蔽されたのだ。王を、国を、民を守るために。
事件の隠蔽は容易だった。第一発見者であるメイドが真っ先に私とアメリーの元へ知らせに来てくれたおかげだ。
私はただ、メイドがこの件を外部に漏らさないようにする配慮を伯爵家の執事に求めるだけでよかった。むしろ、あの事件を調査したがるアメリ―を止めるほうが厄介だったと言える。
あれから十年が経った今、エテールで再び事件が起きた。
伯爵が今回も加害者かは不明だが、関係者であることは違いない。
彼ほどの魔法使いが被害者になるなど、ドラゴンが相手でもない限りありえないのだから。
「お待たせいたしました」
「いい葡萄酒だ。今日にふさわしい。
君も飲みたまえ、ローザリンデ」
掛けられた声に、それまで忙しく働いていた思考を一旦中断させた。
せっかく祝いの美酒を飲むのだから、考え事をしていたのでは失礼だろう。
愚かなアメリー。君の犠牲は忘れないよ。
アメリーが辿る結末は、初めから予想出来ていた。
生まれた時からこの街を出たことのない彼女は自身の力を過信していたのだろう。初の女性役員として抜擢されたこともその思い込みに拍車を掛けたのかもしれない。
彼女程度の実力を持つ者など、王都には掃いて捨てるほどいるというのに。
「今後、どうされるご予定ですか」
「アメリー・キルヒシュラーガーとその部下五名の被害について報告してある。
王都からの応援が到着次第、屋敷内を捜索する予定だ」
我が警備ギルドの職員が伯爵の屋敷を訪ねて被害を受けたのなら、原因を調査する必要がある。
屋敷に踏み入る口実は確保してあった。
アメリ―に屋敷の捜索を許可したのは、何も邪魔者を片付けたいためばかりではないのだ。
伯爵家で何が行なわれているのかは知らない。
だが、私は陛下の命で十年間伯爵を監視してきた。
妹から伯爵が人を生き返らせる方法を探していたことは聞いているし、一時は怪しげな黒魔術じみた儀式に手を染めていたことも知っている。
それから、伯爵がエミールにいまだに依存していることも。
おおかた、精神の均衡を失って人を蘇らせる黒魔術にでも手を出したのだろう。
あるいは、悪魔と契約でもしたか。いや、いくら伯爵が愚かでもそんなことはしないか。
いずれにせよ、これ以上伯爵を放置するのは危険だ。
伯爵家の使用人二百名弱や自警団、警備ギルドの職員だけならまだいい。
だが、行方不明者の中には侯爵家出身の伯爵夫人までいる。
今はまだ一連の事件についてエテール領内に留めておけているが、これ以上事が大きくなれば夫人の実家にも届いてしまう。
当然、侯爵家は怒るだろう。独自に調査をされれば我々が隠蔽した伯爵の過去が公になりかねない。
伯爵の名誉はどうでもいいが、そのせいで彼の処刑を願われると厄介なのだ。
王国の平和のためには、今のうちに伯爵を保護する必要がある。
伯爵さえ確保してしまえば、あとは適当な人間に罪を着せて事態を収束させればいいだけだ。
向こうの意志など関係ない。陛下は伯爵の保護を望まれているのだから。
今のうちに打てる手は全て打っている。あとは王都から応援が到着するのを待つだけだ。
伯爵も、これほど早く王都に事が伝わっているとは思っていないだろう。
仮にも子爵である私が、栄えているとはいえ辺境の警備ギルド長などに収まっているのは、使い手が少ない通信魔法の適性があるためだ。
先ほどの通信によれば、応援は一週間ほどで来るらしい。
それを待つ間、伯爵家の内部調査を冒険者ギルドに依頼してある。
成果は期待出来ないだろうが、何もしないよりはいい。身軽な冒険者のほうが案外、有用な情報を持ち帰るかもしれない。
冒険者がいくら死んだところで、私には関係のないことだ。
伯爵を捕らえれば私の役割は終わりだ。晴れて王都に帰り、長年の苦労にふさわしい褒美を頂ける。
妹を連れて帰れなかったことだけは残念だが……仕方あるまい。
その分は、事の発端となった伯爵に償ってもらうとしよう。
なに、殺さなければいいのだ。身体に傷を残さず苦痛を与える術はいくらでもある。
その日が楽しみだ。
+++++
「これでいいかな。
上手くくっついたと思うのだけど……」
君の腕を手に入れてから数日が経った。最近は侵入者もなくて平穏な日々を送っている。
今もちょうど、四体目のゴーレムを修理し終えたところだ。
人の身体を繋ぎ合わせるのにも慣れてきたから、君の身体を作る時にはきっと上手に作れると思うよ。
とはいえ、これは嵐の前の静けさというものなのだろうね。
警備ギルドの人間が五人も戻らなかったのだから、調査の手が伸びてもおかしくはない。
もう少し時間が経てば、王都からも近衛騎士団や魔術師団が派遣されるだろう。
どうやら私はこの王国内で特別扱いされているようだから。
十年前に君が処刑された後、私は母と弟を殺した。
君を愚かだと嗤う母たちをどうしても許せなかったんだ。
当然、死刑になると思っていた。
君がせっかく助けてくれたというのに、私はなんて馬鹿なのだろうと悔やんだよ。
でも、私は何も咎められなかった。
理由はなんとなく分かる。いくら不出来でも私は伯爵だからね。貴族社会の考え方はよく知っている。
この国の情勢と私の持つ魔力を考えれば、国でもっとも優秀な魔法使いを失いたくないのだろうという推測にたどり着くのは簡単だったよ。
私の利用価値なんて、それしかないからね。
事件をもみ消してまで利用価値があると認めた人間を、王国が野放しにしておくわけがない。
きっと、監視もついていると思うよ。調べる必要性を感じなかったから、具体的な数までは把握していないけれど。
だから今回も、前回と同じことをしようとするはずだ。
違うのは、あの時は母と弟だけで事が済んだけれど今回は終わりが見えないということかな。
消える人が増えるほど事件をもみ消すことは難しくなる。騒ぎがこれ以上大きくなる前に、私を捕らえようと考えるはずだ。
名目が加害者の捕縛になるか、被害者の保護になるかは分からないけどね。
そのためなら、騎士団や魔術師団くらいは惜しみなく出してくれると思う。
もっとも、王都からエテールまでは馬車で一週間ほど掛かる。
事件が起きてからそれほど日も経っていないし、王都から人が派遣されるのはもう少し先だろうね。
今はまだ、君とのんびりしながら侵入者を契約に導いていこうかな。
「おや、誰か来たようだね」
君を抱きかかえて魔術書を読み耽っていると、裏口で反応があった。今回は二人だ。
君にふさわしい足や胴体や臓器をもっている人ならいいのだけれど。
『おっ、開いてる開いてる。運がいいな、こりゃ。
見つからねえうちに、さっさと入るぞ』
裏口の前に立っていたのは、弓を背負った小柄な青年と斧を持った大柄な男の二人だった。
武装はしているけれど服装はばらばらだから、警備ギルドや自警団の人間ではなさそうだ。
彼らだったら制服を着ているか、揃いの装飾品を身につけているはずだからね。
それにしてもあの男、ずいぶん大きいね。君よりも背が高いし、腕の太さときたら私の腰ほどもある。
一体、何を食べればあそこまで筋肉がつくのだろう。捕まえて秘訣を聞いたら教えてくれるかな。
鍵を掛けていない裏口の扉をそっと押し開ける青年とは裏腹に、大男のほうはなんだか心配そうだった。
そわそわと辺りを見回した後、身体をかがめて青年に耳打ちしている。
『兄貴、ここ本当に大丈夫か?
この前調査に向かった警備ギルドの人間が、まだ帰ってきてないって聞いたけど。
噂じゃ、屋敷に住み着いた魔物に殺されたとか……』
『バカだな、お前。だからこそ入るんだろうが。
どんな情報でも、伯爵家の情報を持ち帰れば銀貨五枚だぞ。
そんな大金がありゃあ、お前の斧も俺の商売道具も新調出来るじゃねえか』
『でも、兄貴……』
不安げな大男とは対照的に、青年が大きく胸を張った。
この二人、見た目から受けるイメージと実際の性格が全く違って面白いね。
見た目も中身も暗い私や、見た目も中身も明るい君とは大違いだ。
『大体、伯爵家といったらたんまり蓄えてるって噂だぜ。
スリルがある上お宝まで手に入るなんて、こりゃあもう迷宮みたいなもんだろうが。
迷宮の目の前まで来て挑まないなんて「勇猛のモーガン」の名が泣くぜ!』
『「猪突猛進のモーガン」の間違いじゃないか?』
「勇猛のモーガン」か。なんだかかっこいいね。冒険者がよくつける、二つ名というものかな。
私も何か二つ名が欲しいから、君が蘇ったら一緒に考えて欲しい。
『さ、行くぞ!』
モーガンが、渋る大男の腕を引いて颯爽と扉を開けた。
いらっしゃい。うちには魔物はいないけれど、悪魔とゴーレムと人間がいるよ。
それから、伯爵家に代々伝わる家宝や、母や妻が集めていた宝石も山のようにある。
どれでも好きなものを持っていくといい。
帰れるかは、君たち次第だけどね。




