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悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる  作者: 紫苑
リクエスト企画
199/201

世界で最も美しい絵画 後編

 カーテンの陰から飛び出してきたのは手のひらに乗るほどの小鳥だった。

 灰色のひよこのようにも見えるが、飛んでいるので別の種類だろう。

 迷いこんだのだろうかと思った矢先、小鳥はまっすぐに教皇の肩に止まった。

 それを見上げた黒猫の尻尾がゆらりと揺れる。


「あ、猫が……!」

「大丈夫だよ。この子はイカスミと仲がいいから」


 あわてて鳥を逃がそうとしたジェレミアを止めて、教皇が言った。

 天敵であるはずの猫と鳥が仲がいいなどにわかには信じがたい。


 だが実際、黒猫が小鳥を害す様子はないし小鳥は楽しそうにさえずっている。

 天使に愛される教皇の前では、動物すら争いを止めるようだ。

 感心している私を尻目に、ジェレミアが口を開いた。


「その小鳥も飼っているんですか?」

「よく遊びに来てくれるだけで、飼っているわけではないよ」


 その言葉に同意するように、小鳥が教皇の頬に身体を擦りつけた。

 野生とは思えない仕草だ。本当に懐いているのだろう。

 それを見たジェレミアが再びあの質問を口にした。


「名前はあるんですか?」

「ええと……ローストと言うんだ」

「た、食べるんですか……?」


 衝撃的な名前にジェレミアの声が上ずった。

 私も、猫にイカスミはともかく鳥にローストはどうかと思う。

 いや、教皇に限って本当に食べるとは思っていないが……。


「みぅ…………」


 気のせいか、黒猫もどこか呆れた様子だ。

 灰色の小鳥だけは状況が理解出来ていないのか楽しそうにさえずっていた。


「もちろん食べないよ。

 ただ、この子は鳥だし火が好きだからぴったりだと思ってね」

「それは止めてあげたほうがいいと思います」


 ジェレミアの言葉に心の中で同意した。

 猫が平気なのはともかく、火が好きというのはどんな好みなんだ。

 生存本能を蔑ろにしすぎていないか?

 そんなことを考えながら、下書きにこっそりと小鳥を書き足した。


 黒猫と違って、小鳥は取り立てて美しいわけではなかった。

 しかし、ただの鳥とは思えない不思議な存在感がある。

 教皇の傍に置いても違和感がないどころか、よく馴染んでいた。


 それに異なる動物が教皇を中心に寛いでいるというのはいい構図だ。

 彼の慈悲深さや公平さを匂わせるには丁度いい。

 膝に黒猫を、肩に小鳥を乗せた教皇の姿を描き終えた時、扉を叩く音がした。

 同時に、昼時を知らせる教会の鐘が鳴り響く。


「あ、もうこんな時間ですね。

 昼食でも持ってきてくれたんでしょうか」


 そう言いながらジェレミアが扉を開け、不思議そうに首を傾げた。

 どうしたと問いかけるよりも早く「わん!」と威勢のいい鳴き声が響き渡る。

 視線を下にやったジェレミアが驚いたように声を上げ、後ずさった。


「うわ、犬?!」

「え?」


 部屋に入ってきたのは赤茶色の毛並みが美しい大型犬だった。

 脇目もふらず、一目散に教皇のもとへ駆けよっていく。

 鼻先を擦りつけられた教皇は戸惑った様子で犬の顔を覗き込んだ。


「ええと……君も来たのかい?」

「ばう!」

「そ、その犬も飼い犬ですか?」


 扉を閉めたジェレミアが恐る恐るといった様子で問いかけた。

 犬が苦手な彼にとって、あの大型犬はなかなか近寄りがたいのだろう。

 人懐っこく甘える犬を撫でながら、教皇が頷いた。


「そうだよ」

「ちなみに、お名前は……?」

「ジークと言うんだ」


 まともな名前だ。


 私とジェレミアの心が一つになった瞬間だった。

 名付け親が別にいるのか、あるいはその時だけ神が名付けのセンスを与えたのか。

 どちらにせよ、喜ばしいことだった。

 密かに胸を撫で下ろす私を見て、教皇が慌てたように口を開く。


「ああ、すまないね。絵を描いている最中に邪魔をしてしまって」

「いえ、お構いなく。

 最初に申し上げた通り、何をされても台下の美しさは損なわれませんから。

 むしろ、動物たちと共にいる時の方が纏う雰囲気が柔らかくなられている。

 民を思い、天使から加護を受けた教皇としてはこのほうがよいでしょう」


 私の言葉に教皇は小さく首を傾げた後、曖昧に微笑んだ。


「それなら、君に任せるよ」


 そう言って、教皇は再び視線を動物たちに向けた。

 犬の鼻先を叩く黒猫を宥めたり、黒猫の頭に乗る小鳥を撫でたりと、細く骨ばった両手は先ほどから忙しなく動いている。

 彼らに向ける表情はどの瞬間を切り取っても楽しげで、慈愛にあふれていた。


 動物たちが教皇に向ける表情や仕草も同様だ。

 つんと澄ました黒猫は関心が自分から逸れたと見るや気を引こうと動き出す。

 軽やかに飛ぶ小鳥は黒猫や犬をからかいつつ、最後は必ず教皇の肩に止まる。

 人懐こい大型犬は二匹の世話を焼きながら、教皇に撫でられる度に尻尾を揺らす。

 反応はそれぞれだが、彼らが飼い主に懐いていることはよく伝わってきた。


 長椅子に腰掛ける教皇の膝に猫を、肩に小鳥を。傍らには犬を。

 下描きをあらかた描き終えた頃、ふたたびカーテンがひらめいた。

 陰から現れた青い羽根の蝶が教皇の髪に止まる。


 時折羽根を動かしているが、飛び立つ様子はなかった。

 室内には花も飾られているというのに見向きもしない。

 まるで懐いているような仕草を見て気になったのか、ジェレミアが問いかけた。


「あの、もしかしてその蝶も……?」

「心当たりがないから、これは野生ではないかな」


 どうやら予想は外れたようだ。さすがに蝶は飼っていなかったらしい。 

 飾られた花を魔法で引き寄せた教皇が「おいで」と蝶に声をかける。


「そこに止まっていても蜜は出ないよ」


 すぐ近くで花を揺らすが、蝶が動く気配はない。

 その時、膝で寛いでいた黒猫が唐突に伸びあがった。

 前足が教皇の頭をぱしりと叩き、その振動が伝わったのか蝶が飛び立つ。

 ひらひらと窓の外に出ていった蝶を見送って、黒猫が満足気に鼻を鳴らした。

 細い指先がその喉をくすぐる。


「ありがとう、助かったよ。イカスミ」

「みっ!」


 教皇の言葉に、黒猫が長い尻尾をぱしりと長椅子に叩きつけた。



 +++++



「やっと終わった……」


 日が暮れかけた道を走っていく馬車を窓越しに見送ってため息を吐いた。

 いつもより疲れを感じるのは気のせいではないだろう。


 座りっぱなしで固まった身体を伸ばしていると、不意に膝が重くなった。

 見れば、トレーラントが不機嫌そうな顔で丸まっている。

 ……言いたいことはなんとなくわかるよ。


「気に入らなかったかい? あの名前」

「当たり前でしょう。なんですか、イカスミとは」


 しなやかな尻尾が私の足をぴしゃりと叩いた。

 同じ黒だからいいと思ったのだけどね、イカスミ……。


「よいではないか。我は「ロースト」という名前が気に入ったぞ」


 私の肩に止まった不死鳥が楽しげにそう言った。

 そちらを見上げたトレーラントが気に入らないというように鼻を鳴らす。


「では、その名前にふさわしい身体にしてあげましょうか」

「そなたの魔力では、焼き加減はレアがいいところだの。

 人間が鳥を食す際はよく火を通さねばならぬ故、遠慮しておこう」

「食べるのは僕なので心配なく」

「そなたは相変わらず、老鳥に優しくないの」


 大袈裟に嘆いてみせる不死鳥をトレーラントが有無を言わさず叩き落した。

 不死鳥が即座に空中で体勢を立て直した辺り、手加減はしているようだ。


「ほら、ウィルフリート」


 膝の上で繰り広げられる戦いを眺めていると、後ろからカップが差し出された。

 言うまでもなくジークだ。今は人間の姿に戻っている。


「ありがとう」


 差し出されたカップを受け取って口をつけると、優しい甘さが広がった。

 冬の定番、ハイセショコラーデだ。

 疲れた体に染み渡る甘さに思わず息を吐く。


「疲れたか?」

「うん。ただ座っているだけだと思っていたのだけど、想像以上に大変だったよ。

 ……ところでジーク。どうして昼間、犬になっていたんだい?」


 彼が部屋に入ってきた時は驚いたよ。

 トレーラントと不死鳥がやってくるのはいつものことだけど、彼は違うからね。

 一瞬、本当に犬がやってきたのかと思ってしまった。

 魔力が違ったから、正体はすぐにわかったけどね。

 そう言うと、ジークは「ああ」と頷いて口を開いた。


「単なる興味本位だ。

 もともと、俺の魔石を人間以外の死体に移したらどうなるか気になってたからな。

 お前が面白そうなことをしてると不死鳥から聞いて、参加しようと思っただけだ」

「面白そうなこと?」


 私はただ絵を描かれていただけで、何かしたつもりはないのだけど。

 首を傾げると、ジークがにやりと笑って私の頬をつついた。


「俺にも名前つけてもらえると思ったんだけどな。

 せっかくおめかしして来たんだ。ジーク、なんてひねりの無い名前で呼ぶなよ」

「君は必要ないからね」


 トレーラントや不死鳥をあの場でいつも通り呼ぶわけにはいかなかった。

 特にトレーラントは名前の響き自体珍しい。

 うっかり口にして、それがハープギーリヒ侯爵の耳に入ったら大変だからね。


 だから別の名前を考えたのだけど、ジークにその心配はない。

 考えるのも面倒だったから普通に呼んだのだけど、どうやら駄目だったらしい。


「俺だけ仲間はずれなのも寂しいから、何か考えてくれよ」

「ううん……ではレンガなんてどうかな」

「なんで俺だけ食い物じゃないんだよ」

「赤茶色の食べものでよさそうなものがなくてね。

 気に入らないかい?」


 尋ねると、ジークは「いや」と首を横に振った。


「可愛い子孫が名付けてくれたんだ。気に入らないはずがない。

 ……でもまあ、もしお前が子供を作った時は俺を名付け親にさせてくれ」

「あったらね」


 私は妻以外の女性と結婚するつもりはないし、妻は夢魔の女王の下にいる。

 子供を授かることはきっと、一生ないだろう。

 そんなことを考えながら頷くと、ジークは安心したように笑って私の髪を撫でた。

Twitterで行っていた企画で寄せられたリクエスト「国民から見たウィルフリート」を書きました。

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伯爵が悪魔と契約するきっかけとなった話
日陰で真実の愛を育んでいた子爵令嬢は神様に愛されていると信じていた

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マシュマロ
― 新着の感想 ―
[一言] レンガなジークが可哀想wwww 赤茶色な食べ物は確かに難しいですね。イチジクとかビーフジャーキー???
2022/11/12 17:27 退会済み
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