22話 再会
「エミール」
優しい声と頬に触れる温もりに意識が浮上した。
目を開けば見覚えのある色が飛び込んでくる。
「……ウィル……」
「ああ、エミール。調子はどうだい?」
そう言って微笑んだのは紛れもなくウィルだった。
記憶にある姿より少し大人びたように見えるけど、面影は色濃く残っている。
他の誰かと見間違うはずがない。
喜びに突き動かされるがまま伸ばした手は途中で止まった。
どこか違和感を覚えたからだ。
俺の知っているウィルとは何かが違う気がする。
具体的にどこが違うとは言えないけど……。
「……ごめんよ、エミール」
俺の心を読んだようなタイミングでウィルが呟いた。
その声は微かに震えている。
「ウィル。まさか、危険なことはしてないよな?」
記憶が正しければ、俺は旦那様を殺害した罪で処刑されたはずだ。
投げつけられる罵声や首に嵌められた枷の冷たさは今でも鮮明に思い出せる。
涙を零すウィルに笑いかけた瞬間に感じた首の痛みも。
それなのに俺はこうして生きている。
手も足も動くし、話しすぎたのかひりひりする喉以外に痛む箇所はない。
たぶん、記憶が途切れた後に何かあったんだ。
何があったのか予想はつかないけど、実行したのはウィルだろう。
当時、俺を助けたい人間は他にいなかったはずだ。
その証拠に、夜明け前の空を思わせる瞳は先ほどから下を向いたままだった。
ウィルが隠しごとをしている時の癖だ。
成長してもそこは変わらないままで少し安心した。
早まる鼓動と熱くなる胸を押さえながら静かに問いかける。
「答えてくれ、ウィル。
お前が何をやったとしても、嫌いになったりしないから」
「うん……」
語られたのは予想より遥かに大掛かりで危険な行いの数々だった。
まさか自分が一度死んでいて、数百年も経過しているとは思わなかった。
ウィルの肉体や精神に後遺症が残らなかったことが救いだ。
不思議なことに、犠牲になった人々への罪悪感はあまり湧かなかった。
同情や憐れみはあるが、だからといってウィルを糾弾しようとも思えない。
相手の顔を知らない上、規模が大きすぎて実感が湧かないせいかもしれない。
……それに、もしウィルの冤罪を晴らせなかったら俺も同じことをしたはずだ。
そんな俺にウィルを責める権利はないし、そのつもりもない。
「ごめんよ、エミール。
私はもう、君の知る私ではないんだ」
震える声で呟いてウィルが俯いた。その瞬間、胸がひやりと冷える。
まるで昔に戻ったみたいだ。あの頃のウィルはいつも怯えていた。
当時は主に奥様が原因だったけど、今は違う。
ウィルを怯えさせているのは俺だ。俺が手を伸ばすことを躊躇したせいだ。
あの時はまだ事情を知らなかったとはいえ、見た目が変わるほどの年月が経っていることは察していた。それなら、雰囲気が変わっていても何もおかしくないのに。
「ごめんな、ウィル」
そう言って、今度こそ手を伸ばした。
相変わらず細い身体を昔みたいに思いきり抱き締める。
「エミールが謝る必要はないよ。
全て私の自己満足だ。君は悪くない」
「そんなわけないだろ」
俺が選択を間違えなければ、こんなことにならなかったはずだ。
身に覚えのない罪を着せられた後、ウィルは俺を助けに来てくれた。
「牢から出て一緒に逃げよう。自分の魔法ならそれが出来るから」と言って。
それを断ったのは他でもない俺だ。
有罪判決を下された俺を連れ出せば、ウィルは日陰の身になる。
家族に怯えてきたウィルに、今度は追っ手に怯える生活をさせるなんて酷な話だ。
ウィルにはどうか、明るく幸福な人生を歩んでほしかった。
俺が死んだ後、ウィルを守る人がいなくなることを気にしなかったわけじゃない。
牢に入れられる直前で陛下に会わなければ、ウィルの手を取っていただろう。
あの時、陛下は約束してくれた。
これからは俺の代わりに自分がウィルを守る。
だからどうか、ウィルを唆して共に逃げたりしないで欲しい、と。
今まで静観していたくせに何をいまさら、という反感はあった。
だけど陛下の庇護下にいればウィルが傷つくことはなくなるはずだ。
毎日の食事に怯えることも、奥様の一挙一動に震えることもない。
傷の手当てをしたり、慰めたりすることしか出来なかった俺とは違う。
陛下がウィルを気に掛けているのはその強大な魔力が国の防衛に役立つからだ。
それなら、途中で切り捨てたりはしないだろう。
前にウィルから聞いた話では、魔法が使えなくなることはないらしいから。
そう考えて、俺はウィルを置いていく道を選んだ。
だけど、その判断は間違っていたらしい。
結果的にウィルは悪魔と契約して、自分も含めて大勢を犠牲にした。
引っ込み思案で争いが嫌いなウィルがそんなことをした原因は俺だ。
もちろん、全て俺のせいだとは言わない。
最終的に決定して、行動したのは他ならないウィルだからな。
小さな子供ならまだしも、ウィルはもう立派な大人だ。
だから――。
「半分だ。俺もウィルと同じだけ悪い。
だから自分のことだけ責めないでくれ」
「エミール……」
腕の中で骨ばった身体が小さく震えた。
俺の名を呼ぶ声も伝わってくる体温も間違いなくウィルのものだ。
未だに違和感は拭えないけど、きっとじきに慣れるだろう。
そう考えながら言葉を続ける。
「俺に幸せな人生を歩んで欲しいって言ったよな?
それなら、俺の人生にはウィルが必要だ。一緒に生きてくれ、ウィル。
今度はお互い寿命で死ぬまで楽しく暮らして、死んだら一緒に地獄へ堕ちよう」
「…………君は、それでいいのかい?」
身体を離したウィルが俺をじっと見上げる。
澄んだ瞳がゆらゆらと揺れた。
「先ほども言ったように、私はもう君の知る私ではないんだ。
好みや性格が変わっているかもしれない。
それでもいいのかい?」
「好みなんて普通に生きてても変わる。
まして、ウィルは数百年も生きてるんだ。変わって当然だろ。
これから教えてくれ。今のお前が何を好きで、何を嫌っているのか」
俺の言葉にウィルが俯き、やがて小さく頷いた。
頬を伝う雫を指で拭って、その肩を叩く。
すると、目元を濡らしたウィルが顔を上げて悪戯っぽく微笑んだ。
「今度はうんと年を取ってから死んでおくれ、エミール」
「ウィルもな」
髪の上から額を軽くつつくと、ウィルがくすくすと笑った。
いつも通りのやり取りに胸が仄かに暖かくなる。
違和感はもう、気にならなかった。
「ところで、これから何をするんだい?
私に出来ることなら何でも協力するよ」
葡萄酒で満たされたグラスを手にウィルが首を傾げた。
ちなみにこれを用意したのは俺ではなく「ジーク」という男だ。
ウィル曰く、先祖のゴーレムらしい。
伯爵家の先祖が人工物だとは思えないから、たぶん何か省略してるな。
詳しい話は後で聞くとして、今はウィルの疑問に答えるか。
「そうだな……この時代に慣れるまでは、昔みたいに過ごしたい。
その時にウィルのことも教えてくれ」
ウィルは俺が生きていた時代から文化はあまり変わっていないと言ってたけど、俺にとっては「多少」の変化でも重要だ。
事を起こす前に出来るだけ把握しておきたい。
そう言うと、ウィルは子供のようににこにこと笑って頷いた。
「分かったよ。それならさっそく、明日出かけよう。
君に見せたいものや食べさせたいものがたくさんあるんだ。
そのうちいくつかはレシピを調べたから、あとでジークに作ってもらおうね。
私が作ってもいいけれど……」
「危ないからやめてくれ」
魔法と魔道具関係以外では不器用なウィルに料理なんてさせられない。
指を切った時のことを考えただけで背筋が冷える。
俺もそれほど料理が得意じゃないから、人のことは言えないけどな。
宥める俺にウィルは少し残念そうにした後、すぐに言葉を続けた。
「そうだ。何を知りたいとか、希望はあるかい?
この数百年間、いろんな所へ行ったからね。どこにでも連れていけるよ。
極光が見られる場所にもね」
「へえ。見に行ったのか?」
魔法で転移できるのは一度行ったことのある場所だけだ。
エテールからほとんど出たことのなかったウィルがそんなに遠くへ行ったのかと思うと、なんだか感慨深い。
俺の問いかけにウィルが嬉しそうな顔で頷いた。
「うん。三百年くらい前にね。
とても寒かったけれど、綺麗だったよ」
「なら、今度の誕生日が楽しみだな」
ウィルはいつも、俺の誕生日になると魔法で極光を見せてくれた。
氷の星や雪の花に反射する揺らめく光が美しかったことをよく覚えている。
何より、俺のために魔法を作ってくれたことがとても嬉しかった。
平民の俺でも、新しい魔法を作り出す難しさは知ってたからな。
本によると、アストルムで魔法の発明がされたのは三百年ぶりだったはずだ。
そんな偉業を成し遂げたウィルを大勢に自慢したくて、でも俺のために作ってくれた魔法を誰かに知られたくない気持ちもあって、あの時はさんざん悩んだ。
結局、ウィルの意向で二人だけの秘密になったけどな。
本物の極光を見たのなら、あの魔法にも磨きが掛かっているはずだ。
今は実物よりもそっちを見てみたかった。
もちろん、機会があれば実物も見たいけど……ちょっと怖い気もする。
ウィルの魔法のほうが綺麗だ、なんて思ってしまいそうだから。
「そうだね。楽しみにしていておくれ」
俺の考えていることが伝わったのか、ウィルがそう言って微笑んだ。
それに合わせてマントを止めている薔薇色のリボンが微かに揺れる。
昔のウィルなら選ばない色だけど、よく似合っていた。
明日の朝、身支度を手伝う時が楽しみだ。
昔のウィルのクローゼットには黒い服ばかり並んでたからな。
今は案外、白や淡い色の服も並んでいるかもしれない。
未来のことを考えると、楽しみで仕方なかった。




