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悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる  作者: 紫苑
1章 悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる
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18話 夢見がいい夜

「ただいま、エミール」


 いつものように君の首を抱きしめてベッドに潜り込む。

 服を着替える気にも、傷ついたゴーレムたちを修復する気にもなれなかった。


 魔術師も含めて、予定していた五人は全員契約させることが出来た。

 あの魔術師は暗い場所にいやな思い出があったようでね。ずっと茨に視界を覆われていたせいか、様子を見に行った時はすっかり精神が参っていたんだ。

 他の仲間たちがどうなったのかを伝えたらあっさりと契約してくれた。


 トレーラントは「本来は精神が崩壊した者と契約するには審査が必要なのですが、まあいいでしょう。今の僕には関係ありませんからね」と言っていたから、あまり好ましいやり方ではないのだろう。

 私の気持ちを察してくれたのか単にそういう気分でなかったのか特に文句は言われなかったけれど、次回からは気をつけるとしよう。


 一仕事終えて、トレーラントからも怒られなくて(むしろ「人間にしては上出来です」と褒めてもらえた)、君の腕も調達出来たというのに、気分は少しも晴れなかった。


 君をあれほど貶められたのは久しぶりだ。最近は皆、君のことをすっかり忘れてしまっていたからね。

 心配しなくていいよ。蘇った君が罪人として後ろ指をさされることのないよう、必ず君の名誉を取り戻すつもりだからね。


 ただ、君を蔑むあの目で思い出してしまったんだ。

 君が死んだ日のことと、そのきっかけを。


 今から十八年前、弟が生まれた。

 それまで伯爵家の子供は私だけだったから、家を継ぐのは私と決まっていたんだ。

 母もそれに異論はないようだった。


 私の産みの母よりも身分が低かったとはいえ、母も貴族家の出身だからね。

 跡継ぎがいなければ家が断絶しかねないと理解していたのだろう。


 でも、弟が生まれてから状況が変わった。

 やはり、自分が産んだ子に跡を継がせたかったのだろうね。私よりも弟のほうが魔法以外の出来はよかったからなおさら。


 ただ、アストルムの法律や父はそれを認めなかった。

 この国では、よほどの問題がない限り長男が家を継ぐと決まっている。

 私は確かに出来の悪い跡継ぎだったけれど素行は真面目だったから、法を遵守する父がそれを認めないのは当然だった。


 それからは君も知っての通りだ。

 食事に毒を盛られるのは日常茶飯事だし、事故を装って階段から突き落とされたり、頭上から物を落とされることも珍しくなかった。

 水も食料も与えられないまま、何日も部屋に閉じ込められたこともあったね。

 大体は君が助けてくれるか魔法で解決出来たから、問題はなかったのだけど。


 父も周囲もそれを止めなかった。

 気づいていなかったのか、弟が跡継ぎになることを期待していたのか……父の場合は、母に負い目があったせいかもしれない。


 父と母は昔、燃え上がるような恋をしていたらしい。母がよく口にしていたから覚えている。

 ただ、父は幼い頃から私の産みの母との結婚が決まっていた。

 伯爵家の跡継ぎである父が、公爵家の令嬢である産みの母との婚姻を破棄したら大変なことになる。

 だから、父に頼まれて母は泣く泣く身を引いた……らしい。


 結婚して子供が生まれてからならともかく、結婚前に男女が深い仲になるのはどうなのだろうと思うけれど、それだけ情熱的な恋だったのだろうね。

 私も一度、そういう恋をしてみたいものだ。

 妻のことは愛していたけれど、全てを忘れて打ち込めるような恋をしたことはついぞなかったから。


 君はどうなのかな。そんな恋をしたことがあったかい。

 思い返せば、こういった話はしたことがなかったね。蘇ったらぜひ聞かせて欲しい。


 話を戻すとして、そういう経緯があったからか父は私を積極的に庇おうとはしなかった。

 逆に、私を跡継ぎから外そうともしなかったけどね。

 母からどれほど詰られてもその意思を貫き通してくれた点は本当に感謝している。


 私が十八の時、父が亡くなった。

 正真正銘、単なる病気だ。父を検死した医師や、魔法でそれを確認した私が断言する。

 検死を担当した医師は陛下が派遣してくださった侍医だから、診断に間違いはない。


 私が父に毒を盛ったのだと母が騒ぎ立てたのは父の葬儀が済んだ後だった。

 悪いことに、君以外の使用人は全て母の味方だった。

 使用人の人事権は女主人である母にあったからね。敵対して首にされたくなかったんだろう。


 貴族が貴族を殺した場合、毒を飲んで死ぬことになる。

 自室に監禁されて死を待つばかりだった私の代わりに、君は寝る間も惜しんで奔走してくれた。

 検死した医師に父は間違いなく病死であったと証言してもらったり、私が父に盛ったとされる毒の特性を調べて母や使用人の証言に矛盾がないか確かめたり……。

 おかげで私は無事、死を逃れることが出来た。


 けれど、母は収まりがつかなかったのだろう。今度は君が父を殺した犯人だと言い出した。

 本当に君が犯人だったなら私を庇うのはおかしいのに、めちゃくちゃな言い分だ。

 でも、母の主張は通ってしまった。


 私は貴族だったから、まだ公平な裁判を受けることが出来た。

 けれど、君は違う。代々伯爵家に仕えてきた力のある家臣家の出身とはいえ、身分は平民だ。

 母の実家の息が掛かった者ばかりが揃った裁判所で君が有罪にされるのは当然の流れだった。


 君が処刑されるまで何をされていたのか、精神の療養(・・・・・)のためと薬を飲まされて屋敷に閉じ込められていた私には分からない。

 ただ、刑が執行される直前に見た君の姿からして、ひどい扱いを受けたのだろう。


 もし刑が執行される前に君が私を見捨てていれば、君は今ごろ弟の補佐として働いていたはずだ。

 母や弟は君を欲しがっていたからね。それくらい君は優秀だった。


 領民も、妻――当時はまだ婚約者だったけれど――も、君が父を殺したと信じ切っていた。

 だから笑っていた。妻に至っては「本当によかったですね」と涙ぐんでいた。

 それだけ父は領民から慕われていて、妻は私のことを案じてくれていたのだろう。


 だから別に、彼らを恨んではいない。慈しんでもいないけどね。

 全ては君を守り切れなかった私の力不足が原因だ。

 それに……どうしても弟に跡を継がせたかった母や、その実家かな。


 もし私がもっと優秀で誰からも愛される人間だったら、君はまだ生きていたのだろうか。

 それか、私と弟の生まれる順番が逆だったら。


 そもそも、私が生まれていなければ全ては丸く収まったのかもしれない。 

 私がそんな弱音を吐くと、君は決まって「ウィルがいないと俺が寂しいだろ」と言ってくれたけれど、私のせいで死んでしまうくらいなら――。


 考えれば考えるほど、頭の中が真っ黒になっていった。

 一度思考の渦に嵌まるとなかなか抜け出せないのは、私の悪い癖だ。

 こんな時、君がいてくれたらきっと「気分転換に散歩でもしよう。部屋に籠もってるから、気分が暗くなるんだよ」などと言って、連れだしてくれるだろうに。


 ……ああ、違うんだ。別に君を責めたいわけじゃないんだ。

 君はちゃんと傍にいてくれているのに、こんなことを言ってすまない。私は、ただ……。


「ベッドの中で、いつまで唸っているつもりですか」


 呆れた声と同時に、突然毛布がはぎ取られた。

 薔薇色の目と視線が合う。


「……や、やあ。トレーラント。ずいぶん早い朝だね……」

「あいにく、まだ夜ですよ。

 起きなさい。食事の時間です」


 その言葉通り、部屋の中にはいつの間にかいい匂いが漂っていた。

 今日は食堂ではなくて、私の部屋で食べるつもりなのかもしれない。


 そういえば、今日の夕食は何にするかまだ決めていなかった。

 ……作る気がしないから、あり合わせのものでいいかな。あまりお腹も空いていないし。


「ぐずぐずしていないで、席に着きなさい」


 書き物机に並べられたパイとカップに入った飲み物を眺めていると、鋭い声が飛んできた。

 彼の言葉に逆らってもいいことがあるわけではないと知っているから大人しく指示に従う。

 まだ自分の食事を用意していないから、席に着いたところでトレーラントが食事しているところを見るだけになると思うのだけどね。


 パイを取り分けて優雅に口へ運ぶトレーラントをぼんやりと見ていると、彼が不思議そうに私を見た。

 形のいい眉が怪訝そうにひそめられる。


「食べないのですか」

「食べていいのかい? 人間が手をつけたものなんて、悪魔は好まないと思っていたのだけど」

「人間の食べ残しを食べたくないだけですよ」


 嫌味ではなく純粋な疑問をぶつけてみると、トレーラントはどこか不機嫌そうにそう答えた。

 つまり、彼が作ったものを私に分け与えるのはいいらしい。

 基準がよく分からないけれど、まあいいか。


「言っておきますが、これは僕が伯爵に情を感じているわけではありませんよ。

 むしろ、とても合理的な理論によるものです」

「私には想像もつかないけれど、どんな理論なんだい」

「人間は栄養が不足すると体調を崩したり、頭の回転が鈍くなることはご存じですね」

「まあ、多少はね」


 本で読んだことがあるし、実際に体験したこともある。

 次第に頭がぼうっとしてきて、そのうち自分の名前も答えられなくなってくるんだ。

 君にはそれで散々心配を掛けたね。


「ですが、この数日観察してみたところ伯爵はろくな物を食べていないようです」

「私は至極まっとうな、人間の食べ物を食べていたつもりなのだけど……」

「あれが食べ物というのなら、この屋敷で働いていたコックの腕を疑います」


 どうやら、私の料理はトレーラントから見れば及第点すらもらえないレベルのものだったらしい。

 そこそこおいしいと思ったのだけどね。トレーラントがひときわ厳しいのか、私の味覚の許容範囲が広いのか、どちらなのだろう。


「栄養不足で頭の回転が鈍った伯爵が怪我をする分には構いません。

 ですが、治療中に契約者が増えないのは困ります。

 伯爵の不器用さを見る限り、調理技術の向上を待つのも非効率のようです。

 そこで、僕がある程度伯爵の生活を管理することにしました」

「それは……心配してくれていると取っていいのかな」

「心配? ええ、確かにそうですね」


 トレーラントが、こちらを見下すように笑った。


「伯爵は思った以上によく働いてくれる。

 役に立つ道具を手入れするのは、持ち主として当然でしょう」

「ありがとう。助かるよ」


 トレーラントが言うには、毎日ではないけれど彼がいる時にはちゃんとした(・・・・・)食事(・・)を私に与えてくれるらしい。

 手入れをしてもらえる程度には、大事に思ってもらえているようだ。


 スパイスの効いた複雑な味わいのパイを口に運びながら――彼が私に合わせてくれたのか、悪魔の味覚と人間の味覚が近いのか、少し味が濃いけれどおいしいパイだったよ。君にも食べさせてあげたいくらいだ――、胸をなで下ろす。

 見捨てられないでよかった。君を蘇らせるには、トレーラントの協力が必須だからね。


「それにしても、おいしいね。このパイ」

「当然でしょう、僕が作ったのですから。

 あんな料理とも呼べない料理を食べているから、思考が変な方向に行くのですよ」

「……もしかして、悪魔は心が読めるのかい」

「伯爵が分かりやすいだけです」


 どうやら、彼には私がベッドの中で何を考えていたのかすっかり分かっているようだった。

 私が知らないだけで心を読める魔法でもあるのかと思って尋ねたら、呆れられてしまったけどね。

 そんなに分かりやすい顔をしているだろうか……。


「悪魔にも出来ないことはあります。

 死者の蘇生、完全な予知。それに過去への干渉……。

 伯爵はそのうちの一つに挑戦しているのですから、他の分野については考えないほうが得策ですよ。

 その低能な頭でいくら考えたところで、労力の無駄にしかなりません」

「そうするよ」


 とても遠回しで分かりづらいけれど、彼が何を言いたいかは分かった。

 まあ、彼にとっては慰めではなく「目標に集中して、余計なことを考えるな」と道具に対して忠告しているだけなのだろうけど。

 それでも、私の気分は少し晴れた。


 過去を変えられたらと考えるのは、もう止めよう。

 私の目的は、君を蘇生させて幸せになってもらうことだけなのだから。

これにて1章は完結です。次話はまとめと小話になります。

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伯爵が悪魔と契約するきっかけとなった話
日陰で真実の愛を育んでいた子爵令嬢は神様に愛されていると信じていた

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マシュマロ
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