8話 やさしい王とおろかな騎士の苦悩
「何度も言っているだろう。私は……」
「病にはかからない、とおっしゃるのでしょう」
宰相に言葉を先取りされ、私は無言で頷いた。
彼の目が呆れを宿しているように見えるのは気のせいではないはずだ。
この半月、同じやり取りを幾度も繰り返してきたのだから。
「確かに陛下は人並外れた魔力をお持ちですし、王にふさわしい方です。
ですが、人間なのです。人間は怪我もすれば病にもかかります。
王家直系の血を守るためにも、見舞いを認めることは出来ません」
「だが、私はフリードリヒの父親だ!」
「エアトベーレの王でもあります。どうか、自覚をお持ちください」
怒りを抑えきれずに机を叩いた私を見て、宰相が微かに眉をひそめた。
自覚を持て、というのは私が王らしからぬ行動――エルとともに前線に出て女王を討ち取ったり、まだウィルフリート殿がアストルムの伯爵だった頃に魔法の教えを請うたり――を取った時にいつも言われていたことだ。
普段なら素直に聞き入れられるのだが、今回ばかりは譲れない。
フリードリヒが病に倒れてから既に半月以上が過ぎた。
全身から透明な花が生えるという奇病の原因はいまだにわかっていない。
そのせいで、私はもうずっと息子に会えずにいた。
王の身を守るためだということは分かっている。
私に兄弟はいないし、子供もあの子だけだ。
あの子の病に私まで感染すれば、宰相の言う通り直系の血が途絶えてしまう。
だが、分かっていても会いたいという気持ちは抑えられなかった。
彼らの心配が無用なものだと分かっているせいかもしれない。
エアトベーレ王家に代々伝わっていた、病を防ぐ肉。
今は無きあの「肉」を食べた私は病にはかからない。
原因不明であろうと、それが「病」である以上、恐れる必要はないのだ。
しかし、肉の件を医師や宰相に話すわけにはいかなかった。
王家の秘密や私の個人的な感情だけを問題にしているのではない。
国家間の争いに発展する可能性があるためだ。
あの子が病に侵されたと知った時、私は「肉を食べさせていれば」と悔やんだ。
あれが何の肉か知っているにも関わらず、だ。
正体を知らない彼らが肉の効果だけを知れば、なぜ処分したのかと問うだろう。
私が責められるのならいい。それは当然だ。
だが、呪いを解くのに協力してくれたウィルフリート殿にも責が及ぶ恐れがある。
そう思うと安易に動けなかった。
彼は私の友であり、多くの民や信者から慕われる教皇でもある。
ヴェンディミアとエアトベーレはただでさえ関係がよくない。
二国間の溝が深まるような真似は出来ることなら避けたかった。
特に今は。
「……分かった。
それなら、エルフ女王に会いに行く」
「なりません! また戦争を始められるおつもりですか?!」
「だが、フリードリヒの身体に咲いた花は女王があの子に渡した薔薇とそっくりだ。
何か関係があるのは明白だろう」
赤や白ならともかく、透明の薔薇などそうそうあるものではない。
これで関係がないと思う方がどうかしている。
ただ、エルフが悪意を持って薔薇を贈ってきたのかは断定しかねた。
我々人間とエルフは見た目こそ似ているものの種族は違う。
人間には無害でもエルフには有害なものは多くあるし、その逆もある。
向こうは祝福のつもりで贈ったものが不幸な事故を引き起こした可能性はあった。
……もっとも、その可能性はかなり低かった。
エルフは確かに他種族に興味がないが、愚かではない。むしろ賢い種だ。
ついうっかりで戦争の火種になりそうなものは送らないだろう。
向こうが勝ったのならまだしも、勝利したのはこちらなのだから。
だが、話を聞く材料にはなる。
エルフたちが何かしたと決めつけるのではなく、ただ「不幸なすれ違い」がないか確認したいだけと言えば角は立たないはずだ。
しかし、宰相は無言で首を横に振った。
「エルフたちは矜持の高い種族です。
そのようなことを口にすれば、馬鹿にされたと怒るだけでしょう。
実際、先代はそれで和平交渉に失敗しております故」
宰相の言葉に父が犯した失態を思い出し、唇を噛んだ。
かつて、父がエルフの女王に和平を提案したことがあった。
だが、結果は決裂。
原因は、和平を結ぶに当たって女王が出してきた条件の曖昧な箇所を明確にしようと、向こうに問い合わせたためだった。
和平を拒絶する口実などではない。本気で言っているのだ。
もともとエルフは人間を見下している。
了承以外の言葉を掛けられること自体、エルフにとっては耐え難いのだろう。
頭を抱える父を見て、子供ながらに「エルフとの和平は無理だ」と悟ったものだ。
「だが……」
「明確な証拠があるわけではないのです。
エルフに悪気があろうとなかろうと、問えば戦争の火種にされるだけでしょう。
今のエアトベーレに、エルフと再度戦争をする余裕はございません。
民を思うなら、どうかそれだけはおやめください」
「…………」
エルフとの戦争が終わってもう十年余りが経つ。
既に軍は縮小し、そこに割いていた予算の大半は復興に回していた。
もし戦争になれば、民への負担は大きいものになるだろう。
前のように私とエルがエルフの森に潜入して短期決戦を挑めば、あるいは……いや、さすがにそれは警戒されているはずだ。同じ手は使えないだろう。
最悪の場合、エルを失うかもしれない。
そうなればエアトベーレの敗戦は濃厚だ。何より、私が耐えられない。
「しかし……それならどうすればいい。
フリードリヒが苦しむのを黙って見ていろというのか」
「酷ですが、現状はそうして頂くよりほかはございません。
殿下のお世話は妃殿下がされております。
公務を担える者が他にいない以上、陛下に今倒れられるわけにはいかないのです」
そう言った宰相の顔は傍から見てわかるほど強張っていた。
妻であるシシーは宰相の孫だ。
孫娘とひ孫を国のためと切り捨てられるほど、彼は冷血な人間ではない。
私を止めるため、あえて悪役を演じてくれたのだろう。
親友と妻がいない今、私に苦言を呈せる者は宰相と騎士団長だけなのだから。
いつも歯止めをかけてくれる親友は今、妻と共にフリードリヒを世話している。
フリードリヒの苦痛を和らげられるのが妻だけだからだ。
彼女は植物の成長を操る独自魔法――名前の通り、その人にしか使えない魔法のことだ――を使える。それで花を枯らす以外、あの子を楽にできる方法はなかった。
エルがフリードリヒの傍に就いているのは本人の希望と、妻のためだ。
いつ治るかもわからないのにずっと寄り添っていては、彼女まで倒れてしまう。
妻が休む間、フリードリヒの世話を代わってもらうためについてもらっていた。
本来なら妻の侍女がすべき仕事だが、エルはあの肉を食べた一人だ。
もしあの子の病が伝染するものだったとしても、エルなら感染しない。
「すまない。嫌なことを言わせた」
「ただ事実を申し上げただけです。
それに、カンネリーノ枢機卿の件もございますので……」
「あれか……」
第七枢機卿レオンツィオ・ディ・カンネリーノの身柄を解放せよ。
そんな内容の親書が届いたのはつい数日前のことだった。
まるでこちらが枢機卿を拉致したかのような言い分だが、心当たりはない。
彼が見舞いに来ることは知っていたが、迎えを断ったのはあちらだ。
ただでさえフリードリヒのことで頭がいっぱいだというのに面倒な事件を持ち込まれて、正直なところ少し苛立っていた。
だが、彼がエアトベーレに通ずる転移陣を使ったところを神官が目撃している。
この国で消息を絶ったことが確かな以上、何もしないわけにはいかない。
騎士団長に命じて転移陣付近を捜索はさせているが、結果は芳しくなかった。
国境を越えた可能性も見越して旧ドルン王国領を調査する計画も進めているが、あそこは凶悪な魔物が多く生息している。
通り抜けるだけならまだしも、捜索するなら人員と装備を整える必要がある。
今はまだ、調査の目途は立っていなかった。
さらに悪いことに、今朝新たに通告が来た。
十日以内に枢機卿を解放しなければ、異世界の勇者を調査に送りこむというのだ。
調査されたところで疚しいものは出てこないはずだが、周辺国の目は厳しくなる。
ヴェンディミアに目を付けられることを恐れて、取引を制限する国も出るだろう。
そうなれば、今でさえ豊かとはいえない民の生活に影響が出てしまう。
だが、あと十日でヴェンディミアが満足する結果を得られる気はしない。
どうしたものかとため息を吐く私を見かねたのか、宰相が口を開いた。
「――確か、陛下は教皇台下と親しいそうですね」
「ああ……私信を送れというのか」
「陛下が教皇台下との付き合いに政治を持ち込みたくないことは承知しています。
しかし、民を思うのならどうか決断して頂きたい」
ウィルフリート殿は慈悲深いが、それ以上に公平な人だ。
本当に第七枢機卿の失踪に私が関わっていると思うなら、いくら友情に訴えても調査を止めようとはしないだろう。
だが、同時に彼はやさしい人でもある。
せめて旧ドルン王国領の捜索が終わるまで調査を待って欲しいと頼めば聞き入れてくれるはずだ。
出来れば彼との交友関係に政治の話は持ち込みたくなかったが、宰相の言う通り甘いことを言っていられない状況だというのは理解している。
「分かった……手紙を書いておく」
些かの不安を胸に、私はペンを手に取った。
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「いたい……いたいよぉ……」
「フリッツ……」
人のかたちをした、花のかたまり。
それが今のフリッツだった。
すこし前にエルフから花をもらってよろこんでた面影はまったくない。
「たすけて、たすけてエル……かあさま……」
いたい、たすけて。
花が生えてからフリッツはなんどもその二言をくりかえしていた。
今のフリッツをたすけられるのはシシーだけだ。
俺はただ、彼女がやすんでいるあいだフリッツをみまもるしかできなかった。
……いや、みまもるなんて大層なものじゃない。
フリッツがどれだけ苦痛をうったえても、俺にはなにもできないんだから。
ふつうの病気なら背中をさすったり、手をにぎったりできる。
でも、いまのフリッツにそれをやるのはかえって逆効果だった。
身体に――というよりも花に――ふれられると、すごくいたいらしい。
花がうごくたびに、茎にびっしり生えてるトゲが傷口をひろげるせいだ。
最初は俺もシシーもそれがわからなくて、なんどもフリッツにさわってしまった。
ただふれただけの俺たちですらトゲが刺さっていたい思いをするんだ。
フリッツがいたがるのもムリはないのに、気がつくのがおそかった。
このままじゃだめだ。
フリッツの声はだんだんちいさくなってるし、シシーの顔色もわるくなってる。
魔力が尽きてるのに生命力をけずって魔法をつかってるせいだ。
いずれどちらかに限界がくる。
貴族なのに魔力を持たない俺が人間になれたのはマックスとシシーのおかげだ。
犬みたいに「わん」と鳴くようにしつけられてた俺に言葉や剣を教えてくれたのはマックスだし、礼儀作法や人付き合いの方法を教えてくれたのは従姉のシシーだ。
そんな二人の子どもであるフリッツは俺にとっても宝物とおなじだった。
どうすればあのいまいましい花をとりのぞけるだろう。
剣で切って解決するならなんだって切ってみせる。
竜でもエルフの女王でも異世界の勇者でも。
実際、俺はそうやってマックスたちをこまらせるものをたおしてきた。
だけどあの花はダメだった。いくら切ってもきりがない。
フリッツに根づいているから燃やせないし、引きぬくこともできない。
「たすけられるなら、なんだってするのに……」
フリッツにあの花をわたした女王を切ればいいならそうする。
俺が持っているものならなんだって、剣でも勲章でも勇者の称号でも、命だってさしだす。
マックスとシシー、それにフリッツを悲しませること以外ならなんだってする。
だからどうか、フリッツを治してほしい。
「みゃあ」
そのとき、どこかでねこの鳴き声がした。




