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悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる  作者: 紫苑
1章 悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる
17/201

17話 本日は閉館しました。またのご来場をお待ちしております

「私にしては上出来かな」


 野菜とチーズをパンに挟んだだけの簡単な料理だけど、味はなかなかおいしかった。

 バターを上手く塗れなくてパンが少しふやけてしまったけど、この前の目玉焼きよりずっとおいしい。

 切ったり焼いたりするのは魔法を使って簡単に出来るのだけど、それ以外のことは苦手でね……。


「この調子なら、君が蘇る頃には私はコックになっているかもしれないよ」

「それはいい。伯爵の料理をトラップとして使えば、相手はきっと絶望するでしょう」

「それはちょっとあんまりじゃないかな」

「その程度の腕で夢を見ている伯爵を正気に戻してあげただけですよ。

 第一、コックになって誰に料理を振舞うというのですか」


 言われてみれば、それもそうか。

 心の中では納得したものの、素直にそれを認めてしまうのはなんだか悔しかった。

 黙り込んだ私に呆れたのか、自分の分のパイを切りわけていたトレーラントが小さく肩をすくめる。


 ちなみに彼と同じ食卓を囲んではいるものの、食べる料理は別々だ。

 彼は人間の作った料理なんて食べたくないそうだし、私も悪魔の好みに合わせて食事を作れる気がしないからね。悪魔がどんな味覚を持っているかは知らないけれど。


 さて、お腹も満たされたことだし、そろそろ副長の様子を見てこようかな。

 狂っていなければいいのだけど。



 +++++



 ここに落とされてからどれだけ経ったのだろう。

 時間の間隔なんて、とっくになくなっていた。


 自分の呼吸音と声以外、なんの音もしない。

 暗闇に慣れたはずの目には何も映らない。

 起き上がろうにも、手足が折れているのか指一本さえ動かせない。

 初めは仲間に助けを求めたり伯爵を罵ったりしていたが、声の枯れた今ではそれすら出来なかった。


 私は、このままここで朽ち果てていくんだろうか。誰にも見つけられないまま、ゆっくりと……。

 考えるだけで、恐ろしいほどの恐怖が襲ってきた。

 普段なら、警備ギルドの一員である以上はどんな死に方をしても仕方ないと受けいれられたはずだ。

 今はそれが無性に怖い。いやだ、誰でもいいから見つけてくれ。


「おはよう。目は覚めているかな」


 聞き覚えのない声と目を刺すような明るさに、心が一瞬躍った。

 それを表に出さないように努めながら、声の主を睨み上げる。


 目元を覆うほど長い黒髪と、そこから覗く菫色の目。

 伯爵によく似た顔の男がそこにいた。


 屈強な男でも怯むはずの私の視線を正面から受けているというのに、その表情が変わることはない。

 ひ弱そうな見た目に反して精神が強いのか、それとも私のことなど歯牙にも掛けていないのか。

 あるいは、その両方かもしれない。身動きが取れなければ、どんなに鍛えていても単なる肉の塊だ。


「狂ってはいないようだね。よかった」

「自分でおとしておいて、なにを……」


 口から出たのは、自分でも驚くほどかすれた声だった。

 それに気がついてようやく、自分の喉がからからに渇いていることを実感する。

 水。水が欲しい。


「本当はもう少し閉じ込めておくつもりだったのだけど、君の部下にお願いされたからね。

 帰すことにするよ」

「かえ、す……?」


 かえす。帰す? 私は、ここから出られるのか? 警備ギルドに帰れるのか?

 よほど暗闇に参っていたんだろう。部下のことを思い出したのは、帰れる喜びをひとしきり味わった後だった。


「まて。わたしの、部下はどうした……」

「契約したよ」


 その言葉の意味は、男の背中に生えた羽根を見て理解した。

 強大な魔力。コウモリのような黒い羽根。そして「契約」という言葉……。

 間違いない。この男は悪魔だ。


 悪魔はこの世界で最も忌まわしい存在だ。

 甘い言葉で契約を迫り、財産も肉体も、魂さえ代価として搾り取っていくと言われている。

 だから、どの国でも悪魔との契約は重罪だ。

 例え貴族であろうと死刑になるし、平民ならば晒し首にされて墓にすら入れてもらえない。

 その悪魔と契約した? 法を破った人間を取り締まる側の警備ギルドの人間が?


 そんなはずがない。

 私の部下たちが、悪魔に縋ったなどと貶められていいはずがない。


「うそをつくな!」

「嘘ではなくて、真実だよ。願いの一つに君を助けてくれというものがあってね。

 本当は君も彼らと同じ目に遭ってもらう予定だったのだけど、君だけは帰すことにしたんだ」


 私だけ……ではつまり、彼らは私を救うために契約したというのか。

 微笑み続ける伯爵に、ふつふつと怒りが湧いてくる。


「……ふざけるな」

「私はいたって真面目だよ。君の部下は、とても上司思いだね」

「貴様に何が分かる!」


 警備ギルドで女性が役職に就くのは、私が初めてだった。

 当初はいろいろと言われたさ。昇進するために身体でも使ったんじゃないか。女に指示されるなんてまっぴらだ……そればかりだ。


 それでも彼らは私を信頼し、着いてきてくれた。

 私の部下であるというだけで嘲笑されたり、時には適切に評価してもらえないこともあったというのに、命を預けてくれたんだ。

 それをこいつは貶めた。この、伯爵によく似た悪魔は!


「彼らは、エミールのような裏切り者とは違う! 私の忠実な部下で、善良な人間だ!

 よくも、彼らを貶めるようなことを……」

「エミールは、裏切ってなどいないよ」


 悪魔の声が急に冷ややかになった。青みがかった紫の目が私を見下ろす。

 だが、私にはその意味を考えるだけの余裕はなかった。


「ふん。人間の事情など知らない悪魔が何を言う。

 あの男は善良に見えて狡猾だ。父親殺しの罪を伯爵に着せ、さも自分が庇ったかのように振舞うことで伯爵家の実権を握ろうとしたんだぞ」


 それが、エミールの処刑の際に皆の前で告げられた事実だった。

 何度か言葉を交わした時にはとてもそんなことをする男に見えなかったし、冤罪だという噂があることも知っている。だが、今の私にはどうでもいいことだった。

 ただ、私や部下を貶めた悪魔の言葉を少しでも否定したかっただけだ。


「……では、君は部下の心を理解しているのかい?」

「当たり前だ! 私と彼らは、十年間を共に……」

「それなら聞いてみようか。彼らの本心を」


 悪魔が腕を軽く振うと、途端に空気が張り詰めた。


「ゆっくり聞くといいよ。その間、私は用事を済ませてくるから」

「ま――」


 踵を返した悪魔を引き留める直前、別の声が部屋に響いた。


『……なら、エグモントを生き返らせてくれ!

 俺はどうなったっていい。だから、頼む』


 それは、別ルートから屋敷に潜入したはずのホルガーの声だった。

 姿は見えない。魔法で声だけ別の場所から届けているのか?

 ホルガーが口にした言葉の意味を理解するよりも前に、別の声が耳に届いた。


『な、なんでもする。

 なんでもするから、ホルガーだけは……お、おねがい』

『死にたくない、死にたくないんだ。俺だけは助けてくれ。な、頼む。頼むよ!』


 エグモントと、ゲルトだ。

 二人の言葉を聞いて、私にもこれが何を示しているのか理解出来るようになってきた。


 これは、三人が悪魔と契約する際に言った願いだ。


 信じたくなかった現実を突きつけられて、心が押し潰されそうになる。

 三人とも、私が聞いたことのないほど怯えた声だった。

 そこまで追い詰められたのか。私のせいで。私が失敗したせいで。


『……なら、それは違う』


 次に届いたのは、ダミアンの声だった。

 三人よりはまだしっかりとした声に、はっと顔を上げる。

 ダミアンなら。あの芯の強い男なら、悪魔との契約をはねのけたんじゃないか。


 だが、私の耳に届いたのは今までの何より衝撃的な言葉だった。


『……復讐だよ。俺や仲間たちをこんなことに巻き込んだ、あの女への。

 本当は俺のほうが有能なのに、あの女は身体を使ってギルド長に取り入りやがった。

 おかげで、俺はいつもあの無能の尻ぬぐいばっかりだ。もううんざりなんだよ!』


 それは、私がこれまで言われてきた理不尽な言葉の数々だった。

 その言葉が事実無根だということは、部下なら……特にダミアンなら、よく分かっているはずだ。

 分かってくれていると、思っていたのに。


 愕然とする私を無視して、ダミアンの言葉は更に続いた。


『おかげで、厄介事に巻き込まれる羽目になったし、大事な仲間が死んだ。なにもかも、あの女のせいだ

 だが、あいつが死んだって仲間は戻ってこない。

 だったら、生きてギルドに帰って、苦しんでもらうほうがいいだろ?』


 ……そうか。

 部下が死んだのは私のせいで、彼は私に――苦しんでもらいたかったのか。

 ……声に出さなかっただけで、悪魔と契約した他の部下たちも内心では私を責めていたのか。


 頭がぐらぐらと揺れる。これまで信じてきた全てが崩れ落ちていく。

 部下に信頼されていると思いこんでいた私を嘲笑うかのように、彼らの――特にダミアンの言葉が何度も何度も繰り返された。

 耳を塞ぎたくとも腕が動かないからどうすることも出来ない。


『……ええ、ぜんぶ副長のせいですよ。

 副長さえいなければ、こんな目にあわなかったのに』


 そのうち、もう一つ声が加わった。

 ラウレンツだ。

 まるでうたうように何度も「副長さえいなければ」と繰り返している。


 もうやめてくれ。聞きたくない。

 かすれた声を張り上げて彼らの声をかき消そうとした瞬間、その試みを嘲笑うかのように声が更に大きくなった。

 天井に反響した声が幾重にもなって耳に届く。

 まるで、何十人もの部下たちから責められているような気分だった。


 どのくらい経っただろう。気がつけば、声は止んでいた。

 聞こえるのは、枯れ果てた喉から絞り出される自分のすすり泣きだけだ。


「ようやく用事が済んだよ。待たせてしまったね」


 いつの間にか、目の前に悪魔が立っていた。

 手足の拘束は解かれている。悪魔は本当に私を帰してくれるつもりらしい。

 だが、それを喜ぶ気持ちは今やすっかりなくなっていた。


 私に生きて戻る権利はあるのか。

 彼らが悪魔と契約したのは私のせいだ。私が、伯爵への復讐心から屋敷の調査を望んだためだ。

 部下を理解しているなどおこがましい。私は――。


「これで君は自由だ。あとは好きに暮らすといい」


 まって。まってくれ。もういっそ殺してくれ。

 

 訴えようとしたが、喉が枯れているせいか声が出ない。

 その時、悪魔が振り向いた。


「そうそう。さっき君は「貴様に何が分かる」と言ったけれど、私には結局分からなかったよ。

 自分の部下に恨まれる気持ちなんて」


 だって、エミールは私を一度も裏切らなかったからね。


 それが、私がこの屋敷で聞いた最後の言葉だった。

 意味を理解する前に意識が遠のき、やがて途切れる。


 次に目を覚ました時、私の頭には常に彼らの声が響くようになっていた。

 誰がどんなことを話しても、私を恨む彼らの声が聞こえる。

 少しでも笑えば、心が明るくなれば、その度に「どうして苦しまないのか」「一人だけしあわせになるつもりか」と誰かが囁く。

 それがどの部下なのかは、もう分からなかったが。


 どんなに謝罪を繰り返したところで、声は晴れなかった。

 もう何日職場に行っていないだろう。

 両親やギルド長に心配を掛けていることは分かるが、もう何もする気が起きなかった。


 毎日死にたいと願っている。だが、その気力すら既にない。

 これから先、ずっとその繰り返しなのだろう。

 死神が私を迎えに来るその日まで。


 今日も、私は生きている。

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伯爵が悪魔と契約するきっかけとなった話
日陰で真実の愛を育んでいた子爵令嬢は神様に愛されていると信じていた

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マシュマロ
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