28話 教皇台下の暖かな慈悲
「異世界より召喚されし男、ユウキ・サイト。
悪魔に唆されたとはいえ彼は主の御言葉を騙り、天使を貶めました。
斯様に穢れた魂が現世で救われることはもはやありません。
よって、彼には浄化の炎による最後の慈悲を与えます」
聖女の言葉に、パレードの観客たちはいっせいに歓声を上げた。
ここから見た限り、反対する者はいないようだ。
仮にいたとしても、この状況ではとてもその意思を表明できないだろうけど。
勇者をお披露目するはずのパレードは、今や彼を処刑するための場へと変わっていた。
裁判などは行われなかったよ。神と天使への侮辱は異世界の勇者でも許されることではないからね。
彼が天使に斬りかかったことはこの場の全員が知っている。それだけで、処刑されるには十分だった。
教会の体面を保つため、勇者が罪を犯したのは悪魔のせいということになったけどね。
正確には、悪魔に唆された教皇に洗脳されたせい……だったかな。
勇者の浄化に抵抗を示す人が少なくなるよう、ハープギーリヒ侯爵が誘導してくれた結果だ。
そんなことはさておき、勇者が処刑される前に一つやっておかないといけないことがある。
「台下、この男は悪魔と通じた大罪人です。
近づいては御身が穢れてしまいます」
火刑台に縛り付けられた勇者の元へ歩み寄ろうとすると、ヴェッキオ枢機卿に止められた。
私はすでにトレーラントと契約しているし、何ならすぐそばにハープギーリヒ侯爵がいる。
今更穢れるも何もないと思うのだけどね。
「……たとえ大罪人とはいえ、魂は救われるべきです。
彼の魂がその死後一日でも早く救われるよう、どうか祈りを捧げさせて頂けませんか。
私のことは、どうかご心配なさらず。第七天使様がついておりますから」
「堕ちた魂にも慈悲を掛けるなど、台下はなんと寛大な……」
「やはりあの方は、天使様に寵愛されるにふさわしい無垢な魂をお持ちなのだ」
ここで止められては本来の目的を果たせない。
それは困るから適当にそれらしいことを口にすると、ヴェッキオ枢機卿をはじめとした周囲の人々は全員納得してくれたようだった。
天使から寵愛を受けるどころか、激怒されそうなことをこれからするのだけどね。
「ユウキ・サイト。君の魂が、どうか救われますように」
罪人に捧げるお決まりの文句を口にしながら指輪をはめた手で勇者の身体に触れると、白い光が周囲にあふれ出した。
先ほど勇者に直撃したものと違ってごく弱い光だったけど、天使の魔力が含まれていることは分かる。
スキルらしき魔力が魔石に流れ込むにつれて光は強まり、透明な石は次第に染まっていった。
「う、ぅ……」
その時、勇者が微かにうめき声をあげた。どうやら意識が戻りかけているようだ。
ハープギーリヒ侯爵曰く「当分は動けない」とのことだったから先ほどのように暴走はしないだろうけど、このままだと彼は意識のあるまま焼かれることになる。
陛下の時もそうだったけれど、炎による浄化では生きたまま焼かれるのが決まりだからね。
勇者が罪を犯したのか否か、私には判断できない。
彼の行動はこの世界の人々にとっては正しくなかったようだけど、彼にとっては正しかったかもしれない。それは彼にしかわからないからね。
彼を異世界から呼んだのは魔力を捧げた私と魔法王であり、召喚を行った聖女であり、それを望んだ教皇とこの世界の人間だ。
呼んだ者の礼儀として、死ぬ際の痛みくらいは取り除こうか。
万が一のことがあっても怖いしね。
強まる光に紛れて、勇者の全身に変化の魔法を掛けた。
ジークと練習した時に学んだ、神経に影響を及ぼすほど大きな変化をさせたあとすぐに元に戻す。
見た目は変わらないけれど、これで全身の神経は機能しなくなっただろう。
痛みも感じなければ身体も動かせないし、呼吸も出来ないからじきに死ぬはずだ。
『……ウィルフリート。
ウィルフリート・フォン・アーチェディア』
頭の中に声が響いたのはその時だった。
優しげで、悪意などまるでないように聞こえる声だ。
きっと、勇者が動けなくなったから近くにいた私に標的を変えたのだろうね。
『あなたはこれまで、とてもつらい思いをしてきましたね。
かわいそうに。わたくしが救って差し上げましょう』
その言葉に心臓が高鳴り、胸がざわついた。
声はなおも続けている。
『あなたの親友を殺した民が、世界の管理者を名乗りながら救ってくれなかった悪魔が憎いでしょう。
わたくしの力を受け入れさえすれば、あなたの苦しみはきっと晴れるはず。
かわいそうなウィルフリート。さあ、受け入れ――』
「君に救ってもらうことは何もないよ」
私の願いはただ一つ。君を蘇らせて、幸せな人生を歩んでもらうことだけだ。
天使の力を借りても蘇生が叶わないことはすでに知っている。それでは私は救われない。
声を無視してスキルを奪うことに集中していると、眩しかった光が次第に弱まってきた。
それと同時に、声もだんだん聞こえなくなっていく。
光が収まると、優しげな声は全く聞こえなくなった。
代わりに、周囲の歓声が耳に飛び込んでくる。
断片的な言葉から察するに、私は勇者を浄化したと思われているようだ。
浄化はしていないけれど、スキルは奪えたよ。
これで、私が今回任された役はすべて終わったはずだ。
安堵した途端、自分とかけ離れた魔力に当てられたことによる魔力酔いに襲われて目の前が眩む。
「おい、大丈夫か」
「ああ、少し酔ってしまってね。
一瞬だけ眩暈がしたけれど、もう大丈夫だよ」
倒れそうになった身体を支えてくれたのはジークだった。
心配する彼にそう返して、体勢を立て直す。
実際、眩暈はすでに治っていた。魔力の濃度自体はそれほどでもなかったからね。
間近で天使の魔力に触れたことと、私が人より魔力に敏感だから具合が悪くなっただけだろう。
「ハープギーリヒ侯爵は?」
「お前がスキルを奪ったのを見届けた後、用があると言って帰った。
後日、教皇台下のご機嫌伺いに来るそうだ」
「来なくていいのだけどね……」
「表向きにはお前の方が偉くなったんだ。こき使ってやれよ」
そう言って、ジークが片目をつぶった。
今の立場的に彼をこき使っても文句は言われないだろうけど、その後が怖い。
あとで、トレーラントと相談しながら対応を決めるとしよう。
その後、勇者の火刑は速やかに行われた。
私が浄化したから、炎での浄化はしなくともいい……とはならなかったようだね。
彼の魂が浄化されたかは知らないけれど、少なくともこれ以上苦しむことはないはずだからどうか安心して死んで欲しい。
君のスキルは、私がトレーラントのために有効に使うから。
+++++
「ただいま、トレーラント。不死鳥」
「ご苦労。無事に終わったようですね」
「よくやったの。偉いぞ」
部屋に戻るとトレーラントと不死鳥、それに君が出迎えてくれた。
アストルムの私の部屋で留守番をしてくれているはずの君がここにいるとは思わなくて、驚いたよ。
でも、とてもうれしい。ちょうど会いたかったところなんだ。
「ただいま、エミール」
先ほど言いそびれた帰宅の言葉を掛けながら隣に腰かけると、君が少し笑ってくれた気がした。
もちろん、私の気のせいだと分かっているよ。
待ちかねたように膝へ飛び乗ってきたトレーラントの前に、借りていた指輪を差し出す。
そこで気づいたのだけど、指輪の魔石はいつの間にか透明から澄んだ青へと色を変えていた。
魔石の色は魔力によって変化するから、これが第一天使の魔力の色なのかもしれない。
「返した方がいいかい? それとも、私がつけていればいいかな」
「いったん返しなさい。魔力を解析します。
異世界の人間に合わせて調整されたスキルをこの世界の人間である君が扱って、問題が起こらないとは限りませんからね。
もっとも、魔石から魔力を出すわけにはいかないので正確には観察ですが」
天使の魔力が籠っているから私が身に着けておいた方がいいかと思ったけれど、確かにトレーラントのいう通りだね。
人間の魔法なら私も知識があるけれど、それ以外の種族の魔法には疎い。ここは彼に任せよう。
指輪を外して渡すと、彼は嫌そうに顔をしかめながらそれを咥えて私の膝から飛び降りた。
隣室へと続く内扉を押し開けて、するりと姿を消す。今から解析に取り掛かるのだろうか。
そんなことを考えていると、不死鳥が私の肩に止まって楽しげに話し始めた。
「しかしまあ、そなたが無事に戻ってきて本当に良かった。
あの猫もこれで少しは安心するであろう」
「心配してくれていたのですか?」
「うむ。天使の魔力がひときわ濃くなったときなどは、それはもう落ち着きなくうろうろと――」
「余計なことは言わなくて結構」
羽根を動かしながら語っていた不死鳥の身体を形の良い白い手が掴み、その言葉を遮った。
どうやら、もう戻ってきたらしい。ずいぶん早い――と思いかけて、変化に気が付く。
「元の姿に戻ったのかい?」
「この姿は戻るではなく、なるというのですよ」
そう言ったトレーラントは、最近見ることの少なかった人型の姿を取っていた。
手にはゴブレットが三つ乗ったトレイを持っている。
あれはいったい何だろう、と考えていると彼はゴブレットを取り上げて私と君の前に置いた。
「飲みなさい」
「くれるのかい?」
「以前、このリボンに見合った報酬を払うと言ったでしょう。
自分が糾弾されることなくハープギーリヒ侯爵に与えられた役を演じ、勇者からスキルを奪ったことは君にしては上出来です。いい機会ですから、今支払いますよ」
「つまり、お祝いと言うことかな」
「そう思いたければ結構」
肯定はされなかったけれど、本当に的外れなことを言っているのなら否定してくれるはずだ。
だから、これはお祝いなのだと思うことにした。
思うだけなら自由だからね。私は人間だから、信じたいものを信じるよ。
「ありがとう、うれしいよ」
「報酬ですからね。支払って当然です」
「当然でも、うれしいことに変わりはないよ。
それで、これはなんだい?」
トレーラントが用意してくれたのは、金色のゴブレットに注がれたクリーム色の液体だった。
見たところ、とろりとしていてとても甘そうだ。暖かいのか、微かに湯気が立っている。
「エッグノッグです」
「ああ、あの降誕祭の時に飲むものだね」
主の降臨を祝う降誕祭の日によく振舞われる甘くて暖かな飲み物で、飲むととても幸せな気分になるものらしい、という知識は私にもあった。
らしい、というのは飲んだことがないからだ。私の分にはいつも毒が入っていたからね。
跡を継いでからは、その日は陛下から必ず食事に誘われていたからやはり口にしたことはなかった。
陛下はアストルムの一部の地域でしか作られない菫色の葡萄酒がお好きだったし、甘いお酒はお嫌いだったから。
「では、頂くよ。ええと、乾杯はした方がいいのかな」
「どうぞご自由に」
「では、君に与えられた役割を果たせたことを祝って」
「おお、乾杯」
「よしよし。よく頑張ったの」
「まったく、気楽なものですね……」
私の動きに合わせてトレーラントも渋々といった様子でゴブレットを、ジークと不死鳥は意気揚々とした様子でグラスと片翼を掲げてくれた。
ちなみに、ジークと不死鳥の元にもいつの間にか飲み物が用意されていた。
ジークは琥珀色の蒸留酒で、不死鳥は……なんだろうね。薄い赤と金が層になった液体だ。
「見慣れないもん飲んでるな。そいつはなんだ?」
「金と紅水晶、それから少々の精霊鋼を溶かしたものだ。
まろやかだがピリッとした後味で、なかなかにうまいぞ」
「そいつはなんとも、人間には手の届かない贅沢なお品で……」
「君は人ではなくゴーレムでしょうに」
「人間の思考と人格と肉体を持ってんだから、準人間くらいには認めてくれよ」
彼らのやり取りを聞きながらゴブレットを傾けると、見た目通り優しい甘さが広がった。
これがトレーラントの好きな飲み物だね。スパイスの複雑な香りや蒸留酒の風味と相まって、とてもおいしいよ。甘いお酒が好きなのかな。
私の考えを読んだのか、先ほどからじっとこちらを見つめていたトレーラントが口を開いた。
「僕は味覚が成熟していますから、ハーブやスパイスの利いた複雑な味が好みなのですよ」
なるほど。確かにこれは、アルコールが入っていることを抜きにしても子供向けではないね。
私はとても好きな味だし、甘いお酒を好む君もきっと気に入ると思うけど。
君はまだ目覚めていないから今日は見るだけになってしまうけれど、目が覚めたら一緒に飲もうね。
それまでにレシピを頑張って覚えて……いや、ジークに覚えてもらった方が無難かな。私はどうも料理があまりうまくないようだから。
その時のことを考えると、気分が浮足立つのが自分でも分かった。
君とお酒を飲める日が、早く来てくれればいいのだけど。
これにて5章は完結です。次話はまとめになります。
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