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悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる  作者: 紫苑
1章 悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる
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12話 夢見の悪い昼

『魔法以外に出来ることはないの? さすがは家柄以外取り柄のなかった女の子供ね』

『お前は伯爵家の跡取りという自覚があるのか。何故こんな簡単な事も分からない』


 夢を見ていた。昔の夢だ。弟が生まれる前くらいかな。

 冷たい声が耳に届く。内容はどれも聞き慣れたものばかりだ。

 でも……今思えば、この時はまだしあわせだったかな。誰とも比較されなかったから。


『気にすることなんてないさ。お前は一生懸命やってるんだから』

『でも……このままでは、伯爵家の未来は暗いと父上が……』

『そんなわけない。勉強が駄目でも、運動が出来なくとも、家臣をちゃんと使いこなして領民のことを考えられればそれでいいんだ。

 それに、お前には強力な魔法がある。それは今の旦那様にはないものだろ。

 お前はお前なりの領主になればいいんだよ』


 君の声が聞こえる。

 優しくて明るい、私にとって唯一の希望だった声だ。


 もしかしたら、両親の厳しさは私のことを思ってのことだったのかもしれない。

 君の優しさは、世間一般には私を甘やかしているだけだったのかもしれない。

 でも、私には両親や使用人の、失望と哀れみを含んだ声や視線は辛いものでしかなかった。

 君の励ましがなければ自ら命を絶っていただろう。


 君はまだ私を慰めてくれている。

 大丈夫だから、一緒に頑張ろう。自分がついている。そう言って、私を元気づけてくれている。

 優しい君の声が次第に低くなって、聞き慣れたものへと変化していっていることに気がついたのはそのすぐ後だった。


 このままだといけない。目を覚まさなくては。

 ああ、でももう少し君の声を聞いていたい。


『ウィル』


 疲労が滲んだ、それでもなお優しい声が私を呼んだ。君にしか呼ぶことを許していない、私の愛称だ。

 この後で何を言われたのか、私はよく覚えている。


『俺はもう、あの屋敷へは戻れない。

 お前だけは――』


 その瞬間、眠りに落ちていた意識が強制的に浮上した。屋敷に掛けていた探知魔法が反応したらしい。

 残念なような、聞かなくてよかったような気持ちを抱きながら目を開ける。


 朝日(いや、時間的に昼日かな)に照らされた君は、眠りに就いた時と変わらず穏やかな表情で私を見下ろしていた。

 その首を腕に抱いて、反応に引っかかったものの正体を探る。


「……おや、ずいぶんと大所帯で来たね」


 魔力のない平民が六人。屋敷の前に集まっていた。全員、何かしらの武器や防具を装備している。

 なかなか物々しいね。少なくとも、領主の元へ来る服装ではない。

 今のような格好で報告に来たら、私が何も言わずともすぐに反逆罪で捕らえられるだろう。


 その中でも一人だけ、他の五人よりも立派な装備を身に纏った女性がいた。

 君より少し色の薄い金色の髪を一つにまとめている。思い出せないけれど、見覚えのある顔だ。

 屋敷を見上げた女性が、凜とした声を張り上げた。


「伯爵家を占拠している者に告ぐ。

 我々は警備ギルドの者だ。捕らえている者を即刻解放し、大人しく投降せよ!

 そうすれば、命は助けてやる!」


 ああ、なるほど。見たことがあるわけだ。

 本棚から警備ギルドに関する資料を抜き出して、ページをめくる。


 アメリー・キルヒシュラーガー。警備ギルドの副長だ。

 エテールでは月に一度、全てのギルドがその月の成果を報告しに来る決まりになっている。

 本来ならそれはギルド長の役割なのだけど、警備ギルドのギルド長は忙しいようで報告に訪れるのはいつもギルド副長の彼女だった。

 平民にしては長い名字と、妻が「女性なのに戦いに身を投じるなど、平民の方は大変なのですね」と哀れがっていたので、頭に残っていたのだろう。


「そちらが交渉を拒むというのなら、こちらにも手がある!」


 おや、ずいぶんと早い交渉決裂だ。

 彼女曰く()()()()()()()()()()が逆上して、私たちに危害を加えるとは思わないのかな。


 あるいは、その必要はないと分かっているのかもしれない。

 エテールの警備ギルドは大層優秀らしいからね。

 私が被害者ではないと……つまり、これが私の自作自演だと感づいていてもおかしくはない。


 まあ、どちらでもいい。

 また迷路のトラップに嵌まるのなら、それでよし。

 もし抜け道を見つけられたら、丁重に招待してあげよう。


 たどり着く先は、きっと同じだけどね。



 +++++



「即刻、伯爵家を調査すべきです!」

「そのようなことをして、伯爵の不興を買ったらどうするのだ。

 警備ギルドの予算を減らされたり、規模を縮小されたりした時、君は責任が持てるのかね?」


 聞き分けのない子供に言い聞かせるかのようなギルド長の口ぶりに、頭がかっと熱くなった。

 ギルド長はいつもそうだ。二言目には責任だ、予算だとそればかり……。


 私だって子供じゃない。警備ギルドが活動を続けるために、それらが大切なことも分かる。

 でも、人命がかかっているかもしれない状況で責任だの予算だのと気にしている場合じゃないだろう!


「そんなことを言っている場合ですか!」


 ギルド長の前にある、いかにもお高そうな執務机を思い切り拳で叩いた。

 野蛮な、と言いたげに眉を細めるギルド長に向けて、更に訴えかける。


「年が明けて既に三日。

 その間、伯爵家の関係者が誰一人目撃されていないなんて、おかしいとは思わないんですか。

 昨日伯爵家に行った自警団のリーダーも、まだ帰ってきていないとの情報が入っています。

 伯爵家で何かあったに違いありません!」

「それは君の主観だろう、アメリー」

「ギルド長は、十年前の事件を忘れたんですか!」


 私の訴えに、ギルド長の神経質そうな眉がぴくりと動いた。

 組み合わされた細い指先がきつく握りしめられる。


 十年前の今頃、伯爵家で凄惨な事件が起きた。

 伯爵が、母であるベロニカ様と弟のディートフリート様を殺したんだ。


 ことを知らせてくれたのは、伯爵家で侍女を務めていた私の妹だった。

 気が動転していたのだろう。旦那様が、血まみれで、としか妹は言わなかったから、当然私とギルド長は慌てた。

 伯爵が何か事件に巻き込まれたんじゃないかと気が気ではなくて、急いで駆けつけた。


 その時目にした光景は、今でも鮮明に思い出せる。


 部屋中が赤に満ちていた。

 むせかえるような血の匂いがなければ、赤い絵の具をぶちまけたのかと思ってしまうほど。

 普段は冷静なギルド長も、あの時ばかりは声が出ないようだった。


 でも、私の記憶に焼き付いているのは色でも匂いでもない。

 声だ。

 こちらを振り返った伯爵の、声。


『おや、どうしたんだい。そんなところで。

 声くらいは掛けて欲しいな。驚くじゃないか』


 とても朗らかな、優しげな声だった。

 全身に返り血を浴びた伯爵の穏やかな笑みと声に私は悲鳴を上げて……そこから先の記憶は、ない。

 きっと、失神したか、頭が記憶することを拒んだんだろう。


 いくら貴族とはいえ、殺人は重罪だ。

 普段、貴族が平民相手に暴力を振るったり物を壊したりしたところで罪になることは滅多にない。

 平民が貴族の服を少しでも汚したら重罪になるにもかかわらず、だ。


 だが、殺人は違う。

 平民が貴族を殺せば、あのエミール・モルゲンロートのようにさらし者にされて斬首となる。

 貴族が平民を殺せば、女性なら修道院。男性なら教会でその一生を終えることになる。 


 貴族が貴族を殺した際に受ける罰はその中間、毒を煽っての自死だ。

 表向きは、病死……ということに、なるらしい。


 伯爵も、本来なら当然その罰を受けることになるはずだ。

 だが、何日経とうと伯爵が病気を患うことはなかった。


 それどころか、床についたのは妹の方だった。

 風邪をこじらせて寝込んだ後、たった数日で死んだらしい。

 あまりにも急だから知らせることも出来なかったと、妹の死を知らせに来た使者が言っていた。


 ……妹は今まで、病気一つしたことがなかったのに。


 伯爵が金と権力にものを言わせて握りつぶしたに違いない。

 私にそう思わせたのは、妹の葬儀の際に伯爵家の執事が届けに来た多額の「見舞金」の存在だった。

 たかが侍女が死んだくらいで、平民の四人家族が一生暮らしていけるような金を寄越すわけがない。


 両親は私に「伯爵家で見たことは決して口にするな」と言った。

 私は……私は、ああ、くそ。そうだ。両親の言うとおりにした。

 我が家には、生まれつき胸の病気を患っていた弟がいた。金が必要だった。


 その弟も二年前に死んだが、一度金を受け取ってしまった以上、真実は言えなかった。

 伯爵にとっては端金でも、我が家にとっては大金だ。

 今までの金を返せと言われたら、一家全員死ぬまで働いたって返せる当てはないのだから。


 事件に関わった者全てに同じような対応がされたんだろう。

 伯爵が犯した罪について口にする者は、少なくとも私が知る限り誰一人いなかった。

 それどころか、領民のことを考える心優しい領主様だと、私欲にまみれることのない公平な方だと、褒め称える声ばかりだ。


 このまま、事件は風化されてしまうのか。

 妹の死の真相も分からないまま、伯爵への復讐も出来ないまま。

 時に同僚や恋人と笑い、時に仕事に追われながら妹たちを失った悲しみをゆっくりと癒やしていく中、それだけがずっと心の片隅に引っかかっていた。


 そこへ、今回の行方不明事件だ。

 過剰な反応と言われてもいい。私は妹のように貴族の理不尽さで殺される人達を少しでも少なくしたかったし、伯爵に罪を償わせたかった。


 そんな私の気持ちを見透かそうとするかのように、ギルド長の淡い茶色の瞳がじっと私を見つめた。

 睨まれているわけじゃないのに、自然と背筋が伸びる。


「言動を慎みたまえ、アメリー。

 今の言動が伯爵への侮辱に当たるとして、君を捕らえても構わないんだ」

「お言葉ですが、ギルド長。私は十年前の事件について言及しただけです。

 伯爵については一言も申し上げておりませんが」

「そのように受け取ることも出来る、という意味だ。

 周囲は君が思っている以上に君の言動や一挙一動を見つめている。気をつけたまえ」


 それはギルド長が私に目をつけているせいじゃないんですか、と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 ここで喧嘩腰になったら、向こうの思うつぼだ。

 うまく丸め込まれてうやむやにされた挙げ句、最終的には私が悪いことにされて終わってしまう。


「ギルド長もご存じでしょう。ここ三日間の行方不明者数とその詳細を」

「無論、知っている。だが、それだけでは伯爵家で何か起こったと決めつけることは出来ん」

「二百人以上が三日間、誰にも目撃されていないのに「何も起こっていない」筈はないでしょう!

 きっと、十年前のように伯爵が何か……」

「君が言っているのは、単なる推論だ。証拠はない。

 アメリー。君は知らないだろうが、貴族を平民が疑うというのはそれだけリスクを伴うのだよ」


 ギルド長の言葉はもっともで、私はただ唇を噛むしかなかった。

 もし調査を行った結果本当に何事もなかったら、警備ギルドは間違いなく伯爵の不興を買うだろう。


「ですが……」

「しかし、平民が平民を疑うのは自由だ」

「……は?」


 その発言に、私はただ困惑することしか出来なかった。

 ギルド長の発言は常に正しいが、大体は唐突だ。


「こうは考えられないかね。アメリー。

 伯爵家に平民の不届き者が侵入し、伯爵家を占拠している……と。

 確かに伯爵は力のある魔法使いだが、人間だ。就寝中に襲撃されたり、使用人が手引きしたらひとたまりもないだろう。となれば、伯爵夫妻を守る為にも我々警備ギルドはすぐさま調査に向かわねばならん。

 伯爵は警備ギルドのよき理解者だ。死なれては困る」


 ここまで丁寧に説明されれば、ギルド長が何を言いたいのか私にも理解出来た。

 ぽかんと口を開ける私の間抜けな姿を見て、薄茶色の目がうっすら微笑む。


「私は用事がある。君が部下を連れて、伯爵家に異変がないか調査に向かいたまえ。

 もし異変があった場合、伯爵夫妻の安全を確保する為に突入することも許可しよう」

「……ありがとうございます」

「なに、構わんよ」


 頭を下げようとした私を制して、ギルド長が栗色の髪を掻き上げた。


「あの屋敷には私の妹も勤めている。兄としては、心配でならんのだよ」

「妹さん、ですか?」

「もともとは侯爵家で仕えていたのだが、当時から奥様に気に入られていたようでね。

 お二人の婚姻の際に連れてこられたのだ。

 名をカリーナという。もし会ったら、その時は頼む。無論、伯爵夫妻優先だが」

「かしこまりました」


 もし会ったら、とギルド長は言っていたが、伯爵を捕らえたら必ず彼女を探すつもりだった。

 それが、今回便宜を図ってくれたギルド長への礼になるだろう。


 伯爵夫妻の救出という大義名分を得れば、あとは早かった。

 部下の中でも特に私に忠実で、腕の立つ者を五名集める。

 あえて少人数に絞ったのは、伯爵が腕の立つ魔法使いであるためだ。

 魔法に対して数の暴力は通用しない。それどころか、集まっているところを狙われて一気に殲滅される恐れがある。


 ただ、彼らに私の本来の意図は話さなかった。

 伯爵がこちらの意図を予見していた場合、証拠を隠滅したうえで我々を「屋敷に押し入ってきた不届きもの」と糾弾しかねないからだ。

 その時は、すべて私の独断で事を進めたと言うつもりだった。


 幸い、部下たちは全員、私が話した表向きの理由に納得してくれた。

 やはり、年が明けてから今日まで伯爵家に勤める使用人全員の行方が知れないことに不信感を抱いていたらしい。


「俺の友人も、全く連絡が取れないんです。この時期には必ず休みがもらえてたのに。

 なんかあったにちげえねえって、あそこの使用人と親しい奴はみんな言ってました」

「じ、じつは、ぼくの祖母の隣に住んでいる子供も行方が分からないみたいなんです。

 なんでも、は、伯爵家に勤めている姉を迎えに行ったきり帰ってこないとか……」


 口々にこれまで抱いていた思いを言い合う部下達を見回して、大きく頷く。

 皆、黙っていただけで親しい人の行方が分からない不安は同じなんだ。


「我々はこれから、伯爵家に異変がないか調査に行く。

 ……その際、今回の事件に関与していると判断した者は誰であろうと捕らえる」


 そう、誰であってもだ。

 それが……例え、この地を治める領主であったとしても。


 ただ、殺すことは出来ない。どんな事情があっても、平民が貴族を殺せば死刑だ。

 そんなことは、滅多にないが……。


 十年前に見た、エミールの最期を思い出して思わず震える。

 処刑直前、あの男はうっすらと微笑んでいた。噂ではひどい拷問を受けて頭が狂ったと聞く。

 私はともかく、部下をあんな目に合わせたくない。


 だから、伯爵がこの事件の犯人だったとしても私に出来るのはせいぜい、伯爵が抵抗しないよう手足を拘束することくらいだった。

 魔法に優れた伯爵を捕らえる手段が制限されるのは心許ないが、私も部下も腕に覚えがある。

 必ず、この事件を終わらせられるはずだ。


 そう自分を奮い立たせているうちに、伯爵家へと到着した。

 報告へ来る度に思うが、相変わらず巨大で陰気な館だ。主人が暗いと建物まで暗くなるんだろうか。


 閉ざされた門の前に立って、息を吸う。

 それから、この十年間胸に秘めてきたものをすべて込めて、声を張り上げた。


「伯爵家を占拠している者に告ぐ。

 我々は警備ギルドの者だ。捕らえている者を即刻解放し、大人しく投降せよ!

 そうすれば、命は助けてやる!」


 返事は、ない。

 いいだろう。それなら。


「そちらが交渉を拒むというのなら、こちらにも手がある!」


 今度こそ、ふさわしい罰を与えてやる。

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伯爵が悪魔と契約するきっかけとなった話
日陰で真実の愛を育んでいた子爵令嬢は神様に愛されていると信じていた

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マシュマロ
― 新着の感想 ―
[一言] 基本どんな正義も真実も一方的なものでしかないんだなぁ。
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