11話 死神先生との答え合わせ
執務室から自室へと続く扉を開けると、いい香りが漂ってきた。
途端、お腹が大きく音を立てる。
そういえば、昼食がまだだった。
今の時間帯では、昼食どころか夕食。いや、夜食になってしまっているけどね。
「厨房に食材があったから、適当に拝借させてもらった。
食べたければ食べるといい。少々作りすぎた。腹が減っている時に、食事を作るものではないな」
「それならいただくよ。お腹が減っていたんだ」
勧められるがまま、いろいろな具材を挟んだパンを口に運んだ。
レーベンが作ったという料理はコックが作ったものに比べれば少し味付けが濃かったけれど、疲れた身体にはちょうどいい塩加減だった。
前に本で読んだ、人間は疲れると塩味の効いたものが欲しくなるという話は本当だったらしい。
君がいつも濃いめの味付けを好んでいた理由が分かったよ。
「どうやら、うまく行ったようだな」
「ああ。トレーラントの機嫌も直って、よかったよ。
見ていてくれたかい、エミール」
レーベンの隣で日向ぼっこに勤しむ君に尋ねると、君はどことなく笑ってくれたような気がした。
「そんなわけがないだろう」と、レーベンは私の言葉に呆れていたけどね。
もちろん私も、首である君の表情が変わるなんてあり得ないと分かっているよ。
でも、誰に迷惑をかけているわけでもないのだから別にいいだろう。
私は昔から、君が傍にいてくれないと夜も眠れないほど寂しがり屋だったんだ。
こうでもしないと、寂しくて死んでしまうかもしれない。
「それにしても、あの迷路はよく考えたものだ。
一度作ってしまえば維持に使用する魔力は少なくて済むし、脱出される危険性も少ない」
「ああ。我ながら、いいものを作ったと思うよ」
出口のない迷路。
それが、私が彼らを絶望させるために用意したトラップだった。
あの迷路には初めから出口など存在しない。外に繋がっているのは入口だけだし、その入口も彼らが入ったすぐ後に塞いだからどんなに迷路を進んでも脱出は不可能だ。
迷路としては、欠陥品もいいところだと思う。
もし君がこれに挑戦したら、きっとむくれた顔で「ちゃんとした迷路を作れよ」と怒っただろうね。
君はズルや手抜きを嫌っていたから。
もっとも、私が君相手にこんな迷路を作ることはないけど。
白薔薇で迷路を作ったのは庭にたくさん生えていたからというのもあるけれど、一番の理由は目印になるものを極力排除したかったからだ。
そのほうがループに気づかれにくいし、そのうち出口にたどり着けるだろうと期待を持たせられる。
期待や希望が大きいほど、その後の絶望も大きいからね。
弟が生まれた後の私と同じだ。
当時の私は今よりずっと頭が悪かったから、弟が生まれてから母が私を殺そうとしてくる理由が分からなかった。君に泣いて縋って、よく困らせていたね。
ごめんよ、私の事情に付き合わせてしまって。
それはさておき、私の期待通りに彼らはちゃんと道に迷って、存在しない出口を求めて、最後には絶望してくれた。
魔法で方向感覚や遠近感を狂わせることで屋敷に近づいているように思わせ、期待を保たせ続けていたことも原因だろうね。
それだけでは足りないと思って、ちょっと脅かしてみたりもした。
魔法で風を起こして生け垣を揺らしたり、ゴーレム達を接近させたり、笑い声を流したり。
子供騙しではあるけれど、あの状況ではなかなか効き目があったと思う。
ちなみに、笑い声を担当したのは魔法で声を変えた私だ。笑うのは苦手だからとても頑張ったよ。
脅かすタイミングは、彼らが油断している時を狙った。
気が緩んだ時に驚かされるのがもっとも恐怖を感じると、昔読んだ本に書いてあったからね、
それが事実かは分からないけれど、確かに身構えている時に脅かされるよりも効果はあると思う。少なくとも、私だったらそうだ。
こうして君と穏やかに話をしている時に脅かされたら、驚きのあまり氷で串刺しにしてしまうかもしれない。
それから、庭師のゴーレムを使って彼らが入口に結んだ糸をほどいてもらった。
自分たち以外の誰かがこの迷路内に存在するというアピールになるし、それまで信じて縋ってきたものが無意味だったと知れば絶望もより深くなるような気がする。
そうならなかったらどうしようかと思ったけれど、様子を伺っていた限り彼らはしっかり落ち込んでくれていたようなので問題はなかったのだろう。
「何か、改善点はあるかな」
迷路の仕掛けとその意図について話し終えた後で意見を求めると、レーベンは少し考える素振りを見せた後「そうだな……」と話し始めた。
私は非の打ち所のない策だと思ったけれど、やはりレーベンから見れば改善点はあるらしい。
「人間が絶望するメカニズムについては、伯爵が考えた通りだ。
稀に例外もいるが、今回トラップを使う目的は伯爵の負担を減らすためだから考えなくていいだろう。
迷路を攻略するのも、薔薇にかけられた強化の魔法を解除、あるいは打ち破れるほどの腕を持つ魔法使いが来ない限り不可能だと思う。
だが、迷路を無視してこの屋敷に入り込む方法はある」
おや、それは意外だ。一体どこから入るのだろう。
首を傾げた私に肩をすくめて、レーベンが私の執務机に触れた。
途端に机が鏡のような銀色へと変わり、表面に屋敷周辺の簡略化された地図が映し出される。
屋敷の周囲をぐるりと囲う庭園と、正門と屋敷の入口の間を横切るように作られた迷路をレーベンの指が示した。
「ここが、屋敷の庭園と迷路だ。確かに、この迷路を突破することは出来ない。
だが……」
レーベンの指が、屋敷の入口から裏口までのルートを辿った。
ああ、なるほど。
「迷路は正門から入口までの間にしかない。
裏口から入れば、いくらでも屋敷に侵入出来るね」
「その通りだ。現に、最初の子供は裏口から入ってきたのだろう」
レーベンの言葉に小さく頷いた。
自分が使わないから、すっかり失念していたよ。
「それに、伯爵は迷路の頭上を飛ぶことは出来ないようにしたと言ったが、どのように魔法をかけた?」
「迷路の内部で、飛行の魔法が発動出来ないようにしたよ」
「だとすれば、迷路に入る前に飛行の魔法を使えば容易に迷路を無視出来るな」
うん……まあ、そうなんだよね。
言い訳になるかもしれないけど、仕方ないところもあるんだよ。
なにせ、空は無限に広がっている。その全てをカバーするのは、いくら私の魔力が豊富だと言ってもさすがに無理だ。
一度中に入ってしまえば出られないのだから大丈夫と、思ってはいたのだけど……。
「今回は二人仲良く迷路に入ってくれたからまだいいが、もし片方が中を攻略しているあいだ、もう片方が外で待つことにしたらどうする。
連絡が取れないようにはしていないのだろう」
「うん。連絡の魔法や魔術は限られた者しか使えないし、魔道具はとても高価なものだからね」
でも、存在はする。
王都から兵が派遣された場合に持ち込まれたり、適性がある魔術師が同行する可能性は十分あるね。
「指摘しておいて悪いが、対処の必要はない」
対処法を悩む私に、レーベンはあっさりとそう言った。
どういうことなのだろう。
「伯爵は何も、難攻不落の要塞を作りたいわけではないのだろう」
「そうだね」
要塞にするなら、もっと効率のいいやり方がいくらでも取れる。
出入り口を完全に塞いで、屋敷全体を魔法障壁と探知魔法で覆ってしまえばいい。
もちろん、そんなことをしても私に利はないからするつもりはないけれど……。
「それなら、安全な侵入経路はある程度確保しておいたほうがいい。
加えて、あえて生存者を帰還させることも勧める。
契約に追い込む時とは違って、そういった希望は残すべきだ。
絶対に生きて戻ることの出来ない屋敷にいつまでも人を送り込むほど、人の執着心は強くない」
「なるほど。確かにそうだね」
屋敷で人が次々と消えている以上、当分はこのまま放置されることはないだろう。
そのうちきっと、兵士や騎士が送り込まれてくるのではないかな。
だけど、いつまでも手がかりが得られないといずれは派兵をやめるように進言する者も出てくる。
兵を動かすにも育てるにも費用が必要だからね。
下手をすると、エテールそのものを封鎖して屋敷に人が近づかないようにされるのではないかな。
他国では、危険な魔物やドラゴンの住処周辺を立ち入り禁止区域に指定することもあるという。
危険を排除するのではなく、隔離するのも一つのやり方だ。
屋敷でないと契約に誘えないわけではないけれど、今のところ一番安全なのはこの屋敷だ。
それに、ここには君との思い出が詰まっている。出来る限り、ここに留まりたい。
レーベンの言う通り、侵入者の安全もある程度確保したほうがよさそうだね。
「では、裏口と迷路はそのままにしておくよ。
もちろん、探知魔法は強化しておくけれど」
「ああ、それがいい。今のところ、私から伝えたいのはこれだけだ。
今日はもう帰る。伯爵もそろそろ眠った方がいい。
自覚がなくとも、肉体や精神に疲労が溜まることはあるからな」
「そうするよ。ありがとう」
「屋敷を使用した代価としては、ちょうどいいだろう」
礼を言うと、レーベンは肩をすくめてその姿を煙のように消してしまった。
死神は案外いい種族なのかもしれない。
手元に残った最後の一欠片を飲み込んで、食事を終える。
満腹になったら眠くなってきた。レーベンの言う通り、そろそろ眠るとしよう。
今までは君を隠していたから別々の部屋で眠っていたけれど、今は一緒だ。
ベッドの中にまで君を連れて行くと危ない(妻曰く、私の寝相はすこぶる悪いらしい)から、君の定位置はベッド横にあるサイドテーブルの上だけどね。
目が覚めたらすぐに君の顔を見られるなんて、まるで昔に戻ったみたいでとても嬉しい。
君の声で起きられないのが少し残念だ。
「そろそろ眠ろうか、エミール。
今日はよく眠れそうだよ」
君が傍にいてくれれば、きっといい夢を見られるはずだからね。
おやすみ、エミール。




