第7章
「……んっ?」
かすかな物音を聞き、司はベッドから身体を起こした。
時刻は12時を過ぎたばかり。そろそろ寝ようかと思い、部屋の照明を切ろうとした矢先だった。
「何だ……?」
階下から聞こえてくる。もしかして泥棒だろうか? 司は自分の想像に身震いする。
閉じまりはした覚えがある。だが、もしかしたらピッキングでもして侵入してきたのかもしれない。彼は足音を忍ばせながら、原因を探るべく階下へ向かう。
「泥棒だったら……、まずは警察か」
ポケットに忍ばせている携帯を握り締め、司は薄暗い一階を見回る。だがキッチンにも、リビングにも、客間や仏壇のある居間にも人影はなかった。
「……気のせいか」
司は安堵の息をつく。内心及び腰になりながら、見回りをしていた自分が滑稽みたいだ。まぁ何事もなかったのだから良かったのだが。
「水でも飲んで寝よ」
キッチンに立ち寄り、冷蔵庫からお冷を注いで一口飲むと、気分が落ちついた。そのまま自室へ戻ろうと階段へ向かうと、
「……っ!?」
いきなり、背後に人の気配を感じた。ありえないことだ。今し方まで自分しかいない場所だったのに、他人の気配がするのだから。
背後を振り返りたいが、怖くてできない。このまま部屋に走って頭から布団に突っ込んで無意識の世界へ行きたいが、そうもいかないだろう。
意を決し、背後を向こうとする。だが身体が動かなかった。
「なっ!? んで……」
「ちょっと脳からの命令伝達を遮断させて頂いただけですわ」
背後から女性の声が聞こえる。司はその声に、聞き覚えがあった。脳裏に去来するのは、薄暗い倉庫と人肉が焦げる不快臭。
「ウル……バルティヴァン?」
「あら、覚えて頂けていたのですね。恐縮です」
どこか楽しげな声で、ウル・バルティヴァンは言った。
司は彼女に問う。
「こんな夜中に何の用だ?」
「貴方に会いに来た、と言えば喜んで頂けますか?」
「こんな時に冗談は聞きたくない」
「では、冗談ではないとしたら?」
「……どういう意味」
だ、と続けようとした彼の言葉は、そこで途切れた。ウルが司の延髄に魔法ショックを与えたからだ。
ウルは昏倒した司を担ごうとし、彼のポケットからまろび落ちた携帯に目を留めた。
「結構良いものをお使いなのですね。……でも、邪魔ですわ」
彼女は躊躇いなく、司の携帯をキッチンのシンクへ投げ捨てた。水が張ってあった桶へ見事に入った携帯は、精密な電子回路を水に晒され使用不能に陥った。彼の携帯は防水仕様ではなかったのだ。
「さて、デリングが上手く働いているうちに退散いたしましょう」
ウルはそうひとりごつと、空間跳躍の魔方陣を足元に展開した。彼女の周囲が不自然に歪み、瞬く間に司とウルの姿を飲み込んだ。
キッチンに残ったのはわずかばかりの『歪み』と、動かなくなった携帯のみだった。
+ + + +
「……何っ?」
竜胆家の隣に住む愛音は、肌が粟立つような感じを覚えた。わずかな違和感が肌を這うような、そんな感覚。かつて眠り病の魔禍で愛音が感じたものと、それはひどく似ていた。
「なんだろ、すごく不安な気持ちに……」
彼女は急かされる様に、司の携帯へ電話をかける。彼の身が心配になったのだ。だが通話口から返ってきたのは、
『お掛けになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、掛りません。お掛けになった……』
「……ちょっと、どういうこと?」
愛音の不安は頂点に達した。彼女はすぐさま竜胆家に向かう。三嶋家から竜胆家は歩いて5分もない距離にあるので、瞬く間に彼女は竜胆家の玄関前に着いた。
「嘘よ……。こんなの」
愛音は呻いた。先ほど部屋で感じた不快感。それが竜胆家から強く漂ってきていたのだ。
彼女は確信していた。ここで魔禍が起きたのだと。
「司っ!」
愛音は合鍵で玄関を手早く開けると、足音も荒く竜胆家に上がりこんだ。途端、不快感が更に強くなる。彼女は真っ先に司の部屋に向かう。
「司、無事っ!?」
しかし、そこは無人であった。点けっぱなしの蛍光灯が空しく部屋を照らしているだけだ。
「……トイレかしら」
不安を払拭するようにそうひとりごつ。一旦一階へ引き返し、キッチンへの扉が不自然に開いていたのに気づく。
愛音はそこへ足を踏み入れた。わずかに揺らいでいる空間と、水没して沈黙している司の携帯が目に止まった。
「……なにこれ、どういうこと?」
愛音は誰ともいない無人のキッチンでそう呟く。無論それに答えてくれるものなどいない。
「ちっ、遅かったか」
いきなり、背後からそんな台詞が飛んできた。愛音が振り返ると、そこには魔女会議の二人がいた。
「遅かったって……なに? アンタたち何か知ってたの?」
「さっき、魔女の襲撃を受けました。脈絡の無い唐突なものだったので、つい最近遭ったリンドウの事件との関連を考えて様子を見に来て見れば……」
「手遅れだった……つぅことだ」
「手遅れって、どういうことよ?」
正直、なんとなく察しはつく。だがそれを認めたくない気持ちが、自分で考えることを放棄させていた。
しかしエイルは、そんな彼女へ無慈悲な現実を突きつける。
「恐らく、リンドウは例の魔女に連れ去られてしまったのでしょう。故意に魔禍を撒き散らす異端者の可能性があります」
「……なんで、よ。司が何したってのよ。どうして、司ばっかり……」
愛音は溜まらず膝を着き、顔を手で覆う。嗚咽が漏れ出た。
司には悲しい出来事が多すぎる。なぜ彼はこうも不運に見舞われなければならないのだろう。
「……シグムド、リンドウは何処に?」
「さぁてな。空間跳躍したのは分かっけどよ、これだけじゃ行き先なんて掴めねぇぜ」
「上手く探知魔法に引っかかればいいですが、……この前のように破壊されているかもしれません」
「多分そうだろーよ。向こうだった馬鹿じゃねぇんだからな」
すすり泣く愛音を尻目に、シグムドとエイルは現状打開について話し合っている。
(……どこなの、どこにいるの? 司)
心の中でそう呟く。そんなことで答えが返ってくるはずがないのだが、それでも言わずにはいられなかった。
無意識のうちに、彼女はペンダント──魔宝具『カーバンクルの泪』を握り締めていた。まるで司の温もりを探るかのように。
ふと、愛音は自分の意識が妙に澄んでいることに気づいた。
傍にいるエイルとシグムドの気配はもとより、竜胆家中の空気の流れ、それよりも広がって路地で瞬く街頭の明るさや闇夜を流離う人々の歩調まで、鋭敏に感じ取れている。
(……なに、この感覚?)
突然の感覚に戸惑う。彼女は気づくことが無かったが、これは『カーバンクルの泪』に刻まれていた術式のひとつである広域走査魔法の発動であった。術者の感覚を極限にまで鋭敏化させ、術者を軸にする探知方法である。
エイルやシグムドが仕掛ける探知魔法は、特定の場所にて設置してそこから探知させるため、その魔法を破壊されれば機能しなくなる欠点があるが、これならば自身を探知源にできるため問題ない。
ただ術者の力量や術式の完成度によって左右されるデメリットもあるのだが、幸いにしてこの『カーバンクルの泪』に刻まれていたものは高精度なものだったらしい。
(これの異常な魔力の流れ……っ! 司はここ!?)
そして愛音は探し当てた。町の外れにある倉庫街にて、異常な魔力の流れがあることに。
司がいるという確証はないが、今は少しでも小さな可能性に賭けるしかない。彼女は決然と立ち上がる。
「おいミシマ、どったよ」
そんな彼女の様子を訝るシグムドが声を掛けてくるが、愛音はそれに早口で返す。
「司のところに行くのよっ!」
「……リンドウのいる場所が分かったのですか?」
「分からないわ! でも行ってみるしかないの!」
不審そう(でも眠そうな瞳)に自分を見やるエイルに構わず、愛音は竜胆家を飛び出していった。
司を探し当てたという愛音の能力。
正直、書いた私自身も随分と都合が良すぎたかも……と少々反省気味なのですが、皆さんはどう思ったでしょうか? 感想、お待ちしてます。
次回、最終決戦です。
※次回の更新は6月21日の予定です。