第6話
「……ん〜っと、これでよし」
ノートパソコンとにらめっこを続けていたシグムドは、伸びをしながら電源を落とした。
今し方まで行なっていた業務報告は終了した。彼は振り返ると、ベッドにてうたた寝としているエイルへ声をかける。
「お嬢、起きてっか?」
「……おなかがすきました」
「いや、さっき飯喰ったじゃねーか」
「覚えてません」
人間というものは、眠気があると判断や意識が曖昧になってしまうことがよくあるが、レストランのパスタを一通り食い尽くしたというのに忘れているとは、曖昧にも程がある。彼女の胃袋はどうなっているのだろう。魔女といえども、消化器官は普通の人間と変わらないはずだが……。
だが主人に甘い従者は、彼女に飯を食べてないと言われると食べさせてしまいたくなるものなのだ。完全に親バカのそれである。
「んじゃルームサービスでスイーツでも頼むか。お嬢何喰いてぇ?」
「キャラメルアイスの5段重ね」
「……りょーかい」
さすがのシグムドもげんなりする注文を言いつけてきた。それでも注文を取るべく彼は受話器に手を伸ばそうとすると、脳裏に微妙な刺激が走るのを感じた。
「……シグムド」
エイルも何かを察したようだ。ホテル周辺に配置していた探知魔法に何かが引っかかったのだ。何かというのは、魔法的要因を孕んだ存在──魔女か悪魔、はたまた造魔だ。
そんなものが探知魔法に引っかかるような状態でうろついているということは、あまり好ましくない。自分たちに用があるのかどうかは分からないが、様子を見に行くべきだろう。
「ちょっくら様子見てくる。お嬢は待ってな」
「私も……行きます」
ぐしぐしと目を手の甲でこすりながらそう申し出るエイルにシグムドは不安を覚えるが、結局は了承した。何だかんだあるも、魔女会議で五指に入る魔術師なのだ。心配は無用だろう。
二人は屋上へと向かった。探知魔法は屋上にひっそりと配置してあり、その半径数キロの範囲を探知対象としている。ひとまずは高見から様子を探ろうと思ったのだ。
人目を避けるように屋上へ続く最上階へとたどり着く。辺りは物々しく、薄暗い。
それも当然で、屋上は一般客は立ち入り禁止となっている。だがエイルとシグムドはそんなことに構わず、奥へと進んでいく。ほどなくして、屋上へ出るドアへと辿りついた。
施錠されたドアを目の前にし、シグムドは軽く指先でドアノブを叩いた。ピキン、という軽い音とともに鍵は解除され、二人は何事もなかったかのように屋上へと出た。
今夜は星もなく、空は暗い。光源は遠くに見える、街を彩るネオンライトのみだ。
「随分と近くにいるみてぇだな」
脳裏を走る刺激は、徐々に強くなっていた。発信源である探知魔法に近ければ、当然その反応も強くなる。
それはつまり、何者かがこの周辺近くに潜んでいることとなり、自分たちに関わり合いを求めていることになる。ただ単に通りかかっただけならば、こんなに反応が強いはずがないからだ。
「何の用だか」
「ご挨拶にしては、穏やかな感じがしません」
エイルが護衣を装着しながら、はっきりとした口調で言う。既に彼女の眠気は飛び去り、魔術師としての顔つき(でも目つきは眠そう)になっていた。
二人は互いに背を付けながら、周囲を警戒しつつ屋上の開けた場所へと出て行く。辺りに遮蔽物がなければ、対応もしやすい。
ピリピリとした時間が流れる。探知魔法に引っかかった何者かは未だに動かない。いい加減痺れを切らしそうになったシグムドの耳に、カラスの鳴き声が響いた。
「……あんだ?」
「随分な数ですね」
二人の上空を、無数のカラスが舞っていた。余りにも不自然な光景に、しばし二人の思考が止まる。
しかし何羽かのカラスがこちらへ滑空してくるのを見て、二人の思考は現実へと戻された。
「うぁっ、こいつら!」
シグムドとエイルは慌ててその場から飛び退る。勢い余ったカラスたちはその場にクチバシから激突し、痙攣を起こし動かなくなる。
残っていたカラスは、亡骸となったカラスたちに気を払う様子もなく、再びエイルとシグムド目掛け滑空してくる。
「普通のカラスじゃない……ですね」
「あぁっ、こいつら造魔かっ!」
気づいてはいた。そもそも普通のカラスが、いきなり人間に襲い掛かったりするはずがない。
エイルは周囲から襲い掛かるカラスを魔弾で正確に撃ち落とし、シグムドは魔宝具『グレイプニル』をプロペラのように振り回しカラスの突進を弾く。無数のカラスは魔女会議の二人の攻撃に成す術もなく屍と化していく。
「お嬢、こいつらは何がしてぇんだ?」
「私も……それに疑問を感じています」
二人の顔に疑問が浮かぶ。いきなりこちらにちょっかいをかけ、ただ無意味に死んでいくこの造魔たちの意図──いや、これらを差し向けてきた者の意図が読めない。
造魔を撃退する傍ら、二人は思索に耽る。それでも造魔を屠る手は止まらず、無数も居たと思われたカラスたちも、徐々にその数を減らしていた。
だから、反応が遅れたのだろう。突如、エイルの身体が何かによって吹き飛ばされた。
「お嬢っ!? どこからだ、このっ……!?」
そう言う間に、シグムドも腹部に痛みを感じつつ吹き飛ばされた。魔弾による攻撃である。
魔法防御の効果がある護衣を身に付けていたエイルはどうやら軽症のようだが、普通の私服だったシグムドは苦痛に顔をしかめる。
「ちぃ……。面倒臭がらずに俺も防護膜貼ってきゃ良かったぜ」
苦痛のせいで動きが鈍ってるのを感知したのか、造魔の標的はシグムド一人へと向かった。
「シグムドっ!」
従者の援護に向かおうとしたエイルに、再び魔弾が浴びせられる。瞬時に障壁で攻撃を弾き、その狙撃手を目で追う。
「ちっ、存外にしぶとい奴だ」
そこにいたのは、眦の強いツリ目な魔女──デリング・ザウルトだった。彼女も黒衣に三角帽子といった護衣の出で立ちで、指先には先ほど放ったと思われる魔弾が浮遊している。
「魔術師、貴様にはここで死んでもらう」
侮蔑と憤怒を孕んだ口調で放たれたその言葉を皮切りに、再び魔弾の驟雨がエイルに殺到する。
「くっ」
エイルは再び障壁を張り、その驟雨を凌ぐ。その横では、シグムドはおぼつかない足取りで造魔と死闘を繰り広げている。
早く従者の危機に駆けつけなければならないが、デリングの魔弾がそれを許さない。
「何者ですか、貴女はっ!?」
普段ののんびりとした口調と違う、鋭い口調でエイルが詰問する。それに対してデリングは、
「貴様に言う道理はない! ただここで死んでもらえばいいんだよ!」
言葉は無用とばかりに魔弾の勢いは更に強まった。それに対抗するようにエイルも障壁の強度を上げるが、ずっと魔弾の攻撃に晒されたままでは障壁はもっても、彼女自身が疲弊してしまう。
それは相手にも言えることだから、この場合は先に集中力を切らした方が敗北となる。つまり、この継続している状況を変化させた側の勝利ともなる。
そして、この膠着状態を先に崩したのはエイルの方だった。
「あんまり、……使いたくはなかったのですが」
「何をぶつぶつ言ってる! 独り言とは余裕だ……な、にっ?」
エイルの金髪に付けられていたヘアピンが、突如として意志を持ったかのように動き始めた。魔弾の驟雨を避けるようにいくつかのヘアピンは宙を飛び回り、デリングを包囲するように宙で整列する。
するとそのヘアピンは魔力を帯電し始め、先端から魔力をこごめたビームを撃ち出した。
「馬鹿なっ!?」
全く想像のつかなかった攻撃なだけに、デリングはまともにヘアピン──魔宝具『トリアイナ』からのビームを受けた。護衣で相当のダメージを抑えているが、それでも無傷というわけにはいかない。攻撃の手はすっかり止んでしまった。
魔宝具『トリアイナ』は、所有者の意志のみでコントロール可能な魔弾射出デバイスである。敵の死角から魔弾を撃ちかけたり、周囲を包囲して敵の行動を制限することも可能だ。普段はヘアピンとして偽装させるため、髪に差し込んである。
ちなみにこのコントロールには魔力による念動が活用されるのだが、複数のデバイスを戦闘と並行して操作するのは、当然ながら非常に困難なことである。
「戦闘中に攻撃の手を止めるのは、……随分と余裕ですね」
先ほど言われた皮肉のお返しとばかりに、嫌味な言葉とともに魔弾を撃ち返す。トリアイナからのビームも合わせれば、ほぼ周りを囲まれたも当然だ。
「何なんだこれはっ!?」
「貴女に言う道理はありません」
またもや皮肉で返す。完全に状況はエイル側が有利になっていた。デリングは自分が不利なのを悟ると、ほぞを噛みつつその場で跳躍した。
「シグムドっ!」
エイルは彼女を追わず、手負いで造魔と格闘する従者の援護へと向かった。エイルの周囲に浮遊していたトリアイナが一斉にビームを射掛け、エイルも散弾状の魔弾を放つ。
霰のような魔力の奔流がシグムドへ襲い掛かっていた造魔を貫き、蹂躙する。ほどなく疲労困憊のシグムドの姿のみが確認できた。
「シグムド、無事ですかっ!?」
「あー、なんとかな」
シグムドの顔は笑っているが、口元がひきつっている。腕や顔には造魔から受けた生傷もある。やはり先ほどの魔弾の直撃や傷が堪えているのだろう。
「あー痛ぇ。尋常じゃねぇくれぇ痛ぇ」
「……安心しました」
痛いと言っているのにエイルがそう呟いたのは、シグムドの口が饒舌だったからだ。彼の身体の頑丈さも知っているし、口がこうも達者なのならば大丈夫なのだろう。
「にしても、解せねぇよな……」
「はい。……彼らは、一体何なんでしょうか?」
デリングを撃退した二人は、真っ先に先ほどの疑念を追及した。ただ単に魔女会議が気に入らないから、喧嘩を売ってきたようには見えない。
魔女会議の組織としての力は、決して小さくはない。安っぽい自尊心で殴りこみをかけ、手痛いしっぺ返しを受けたがるものなどいないだろう。
つまりあの魔女は、明確な意志と目的を持って二人に戦いを挑んできたのだろう。多分に感情的であったにせよ、相手の命を奪うことすら躊躇しないほどに。
ならば、その目的とは──?
「まさか……」
エイルは携帯を手に取り、電話帳からひとつの番号を選択しコールする。だが、
『お掛けになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、掛りません。お掛けになった……』
竜胆司への電話は、繋がらなかった。
“雑魚の殲滅戦”ではない、初の“実力者同士の拮抗した戦闘”を書いてみました。
まだまだ戦闘(シーンを書いた)経験がないので描写クオリティーに一抹の不安を覚えております……。
もし良かったら、感想とか意見下さい。
ちなみに『トリアイナ』は、ギリシア神話の海神ポセイドンが使った三又銛だそうです(Wikipedia調べ)
※次回の更新は6月18日の予定です。