第1章
「おぅ、夫婦のご登校だぞ」「仲良いよなーお前ら。結婚しろ」
朝から頭の悪い挨拶をよこされた竜胆司は、相変わらずのクラスメイトたちに困惑の笑みを浮かべた。
外見は中肉中背で、背丈はやや高く、線はやや細い。そんな形容が似合う少年だ。右手首に巻かれている布製のリストバンドが目立つが、本人はそれを数週間前から大事に身に着けている。
その彼の隣りには、眩しい銀髪と翡翠の瞳を宿したハーフの少女が厳しい目つきで歩いている。彼の幼馴染であり、竜胆家の隣りに住む三嶋愛音は頭の悪い挨拶をよこすクラスメイトたちを視線で射殺するが如く、周りの連中へ睨みをきかせている。
「司、気にしなくていいからね」
「いや……。僕は全然気にしたことなんてない」
溜息をつきつつそう返す。いつも飽きずにあんなことを言ってくるとは、脳味噌が弱いのかもしれない。それに、ムキになって突っかかれば余計からかわれているのは目に見える。無視が安全かつ簡単な対処法である。
「うわっ、汚ねっ!」
そしてそのクラスメイトには、天罰とばかりにカラスの糞が降って来た。
「寄るな糞男! 穢れる!」
「ひでーなテメエ!」
まるで爆弾を落とされたかのように、そのクラスメイトたちの周囲に動揺が広がっていく。司と愛音は罰が当たったのだと言わんばかりに一瞥してやり、そそくさとその場を離れた。
「まったく馬鹿ばっかり。司、さっさと行きましょう」
「あぁ」
愛音が駆け出す。司も彼女に続いて歩調を速めた。ほんの数週間前までなら見られない光景だ。何故なら、司の虚弱体質を配慮して激しい運動は控えていたからだ。
司は幼い頃、愛音を庇ったせいで生死の境を彷徨う事故に遭い、一命を取り留めたものの後遺症で虚弱体質となった。
だが、愛音の後を駆ける司の動きに、鈍さは見られない。まるで後遺症などないかのような、自然な足取りだ。
それにも当然、理由がある。
そもそも彼の虚弱体質というのは、彼が愛音を庇った際に一時死を迎えてしまい、逝く行く魂を不完全な『結魂の法』で繋ぎ止めたことが原因だったのだ。
それを行なったのは、司に助けられたその時の愛音であり、彼女は今は行方知れずの母から魔女としての力とペンダント──魔宝具『カーバンクルの泪』を託されていたのだ。
だが、『結魂の法』は不完全なものだった。そのため司の魂の結合は正しく行なわれず、魂からの情報が身体へ充分に伝達されないことによる弊害が発生した。それが司の虚弱体質の真相である。
しかし今は、『結魂の法』で繋がれた糸を外部から魔力で補強する、特殊な術式が身体に刻まれている。それは右手首にあるため、それを隠すのにリストバンドをしていた。
「……何だ?」
二人が学校へ到着し、教室へ来てみるとそこには人だかりができていた。
「何かあったのかしら?」
愛音がその様子を見て首を傾げる。近くにいたクラスメイトは、二人を見つけるとこの人だかりの理由を微笑みながら説明してくれた。
「あぁ、水無月さんが退院してきたんだよ」
「えっ? 本当か!?」
司はすぐさま人だかりの中へ進んだ。人並みを掻き分けると、そこにはクラスメイトと朗らかに談笑している水無月由紀乃の姿があった。
「あっ、おはようございます竜胆君」
「おはよう水無月さん……。退院、できたんだな」
「はい。昨日のお昼くらいには病院から出れました。心配をかけてしまったみたいで、すみません」
「いや。水無月さんは謝ることなんてないさ。元々は……」
こちらの都合で巻き込んだことだ──などとは言えない。彼女は自分たちのように特殊な事情を背負った人間ではない。先の『眠り病』の原因が自分にあることなど、言うわけにはいかない。
「元々、なんですか?」
「……いや、ごめん。何でもない」
「? そうですか」
司は心の中で今一度、彼女が無事だったことに安堵した。
一方、愛音は水無月を取り囲む人だかりを遠巻きにしながら、自分の席に腰掛けた。
以前の司による仲介で彼女へのわだかまりはなくなったが、それも完全ではない。『眠り病』の魔禍の引き金を作ってしまった彼女の罪悪感は薄れず、司や水無月へ対する申し訳なさは心中で燻るばかりである。
だがそれを言外にでも悟られてしまっては、却って彼らの気持ちに負担をかけるのは想像するまでもない。だから、彼らに自分の本音を伝えるわけにはいかないのだ。
「ふぅ……」
どうしてうまく振舞えないのだろうと、思わず溜息が漏れる。
暗澹たる気持ちへ沈んでいるうちに、ホームルームの時間となった。騒ぎ立っていたクラスメイトたちは瞬く間に着席し、狙ったタイミングで担任の教師が入室してきた。
「えーとですねぇ、皆さんにお知らせです。突然でありますが、このクラスに転校生が来ることになりました」
おーっ、と沸き立つ教室。担任はそれを諌める。
「それでは、入ってきてください」
ガラッ、と扉の開く音が耳に届く。しかし愛音は机の木目ばかり見ている。いまだ暗澹たる想いに浸かっている彼女にとって、転校生などどうでも良いことだ。
だがこの直後、彼女と司は自分の耳を疑うことになった。
+ + + +
「初めまして皆さん。エイル・フォールミリアと言います。……以後、お見知りおきを」
「よぉっす。俺、シグムド・フォースミリア。年上そうに見えっけど、お前らとは同い年だからよろしく」
司は絶句した。彼の見つめる先には、二人の男女の姿がある。
一人は金髪にいくつものヘアピンをつけた少女で、もう一人は茶髪をした長身の青年だ。片方は明らかに10代には見えず、もう片方も醸し出す雰囲気はおおよそ高校生に似つかわしくない。
「あの小さい娘、外国人か? 金髪キレイだな……」
「あの男、ホント高校生か? ぜってー社会人だろ」
ぼそぼそと雑談が混じるも、大半のクラスメイトたちはそんな二人へ興味が集中している。だが、司が絶句しているのは二人が珍しい出で立ちだったからではない。エイルとシグムドは、司の知る人物であったからだ。
(……なんであの二人がいるんだ?)
思わず小声でそう呟いてしまう。
二人は『眠り病』の魔禍の際に関わりを持った組織・魔女会議の魔術師と従者なのだ。事情を知っている彼からすれば、二人がこの場に来ることは普通考えられないことだったため、思わぬ事態に絶句しているのだ。
そしてそれは愛音も同様だった。だが彼女は、その瞳に敵意と警戒心を宿している。純粋な驚愕のみの司と違い、彼女の態度は二人を危険人物として捉えている様子だ。
(……あとでこっそり、事情を聞こう)
二人がここに来た理由は、当然物見遊山ではないだろう。自分に関わることかもしれない。司はそう心の中にメモをした。
──だが一時限目が終わると、こっそりというわけにはいかなくなっていた。
「え、えっとぉ。ジャ、ジャパニーズトーキングオーケィ?」
「バカかお前。朝とか授業中だって日本語で喋ってただろ」
「綺麗ねこの金髪。エイルさんもハーフとか何か?」
「このヘアピン可愛いわね。外国産?」
「シグムドってさ、実は20代とか?」
「てっきり体育会系かと思ってたけど、意外に勉強もできるんだな」
「ごくっ、いい体格してるよな……」
転校生としての宿命である、質問攻めに遭っていたのだ。
エイルとシグムドの周囲には人垣が出来、席の離れている司からは既に二人の姿が見えなくなっていた。なので二人がどういう対応をしているのか分からない。
だが周囲の反応は至って普通だ。奇抜なことをやらかさないかと心配していたが、それは杞憂であるらしい。
「参ったな……」
これではこっそり話をするなど無理そうだ。放課後ぐらいになって皆の興味が落ち着いた頃に、話をするようにしよう。
「竜胆君は行かないんですか?」
隣席の水無月が話しかけてきた。かく言う本人も、転校生の二人を遠巻きにしている。
「人だかりはちょっとな」
実際は違うのだが、そう言っておくことにする。実際、数週間前までは少々の人ごみですら息苦しさを感じていたくらいだ。今となってはそれほどの苦痛はないが、それでも人が多い場所というのはとかく苦手だ。
「そういう水無月さんは?」
「あれだけ人が集まってると、近寄りがたいですよー。……興味はあるんですけどね」
「そうだよな、やっぱり」
クラスメイトたちが初めて愛音を見た時の反応を思い出す。彼女も銀髪や碧の瞳が目立つので、当初は休み時間に人が大量に押し寄せてきて大変になっていた記憶がある。
ふと、その人だかりの中に愛音が入っていくのが見えた。何やら厳しい顔つきだ。周囲の人だかりがざわめく。
何をするのかと思いきや、愛音はエイルとシグムドを無理矢理連れ出したのだ。ざわめきは教室中に広がる。
「ど、どうしたんでしょう?」
水無月が戸惑う。だが司もそれに答えられる余裕はない。水無月への返事をせず、慌てて愛音の後を追った。
三人は廊下にいる生徒たちの好奇の視線を完全に無視し、校舎を出て行く。行き着いた先は旧校舎だった。
本来は立ち入り禁止区域になっている場所であるが、以前の魔禍においてこの場に足を踏み入れたことがあったからか、忌避感は大分薄れていた。
「愛音、一体何をしてるんだ?」
「司、着いて来てたの?」
「あんなことをいきなりしたら心配にもなる」
「ごめん。でもどうしてもこいつらに聞きたいことがあったから」
聞きたいことがあったのは司も同じだ。だが、クラスメイトたちの人だかりから無理矢理引っ張り出してくるとは、大胆すぎだろう。
「……さて、説明してもらいましょうか?」
愛音は腕を組み、魔女会議の二人へ振り返り睥睨する。対する二人は、能天気なものだった。
「……何を、ですか?」
「さっぱりだな」
「とぼけないで。何でアンタたちが学校にいるのよ! ここは魔女も何もない、日常の世界よ! アンタたち非日常の連中がここにいる理由を教えなさい!」
エイルとシグムドはうんざりした表情を浮かべるも、やがて観念したかのようにシグムドが口を開く。
「……あー、あれだあれ。上層部からの命令でよ、監視役として転入するようにって言われただけだ。そんだけ」
こくり、と眠たげにエイルが従者の言葉に頷く。随分あっさりと言ってのけたが、愛音や司が感じた衝撃は決して軽くない。
「監視って……、そこまで大層なものなのか!?」
思わず司は声を荒げる。
魔女会議の二人と司・愛音の関係。それは先に起きた魔禍の実行犯としての嫌疑をかけられていることに起因している。
『眠り病』の魔禍の発端は、愛音がイドゥン・アークダイルに唆されたことによって行なった、一般人への強制魔力摘出である。その元凶ともいえるイドゥンは、魔禍の最中に起きた事故により現世から消失している。そのため、この魔禍の責任者となるべき人間が不在となっている。
消去法でいえば、首謀者であるイドゥンがいなければ実行犯である愛音と、その原因を作った司が候補として挙がっている。
だが、彼女はイドゥンと共謀していたというより利用されていた立場であり、彼女自身もイドゥンによって被害を負った事実があるため、情状酌量の余地が少なからずある。
それらを鑑み、現在魔女会議では二人の処遇について検討されている最中であるという。
「だから、それまで俺らに現場を押さえとけってことでここにいるわけだ」
「……まぁ、ともかく事情は分かった。魔女会議からの判決が出るまで、この学校にいるってことなんだろ?」
「そーいうこと。話が早くて助かるぜ、リンドウ」
いきなり肩を組まれた。これまで普通の友人として接してきたかのような気安さだが、司はそれを跳ね除けることなく享受する。実際のところ、彼は愛音と違いエイルとシグムドに含むところがない。このようなスキンシップも不快を覚えるものでない。
しかし一方で愛音は、いまだ二人を警戒の眼差しで見ている。
「まだ納得できねぇってか?」
「……えぇ。でもあれこれ言っても仕方ないみたいだし、今のところはもういいわ」
踵を返し、愛音は教室への道を戻っていく。だが一旦立ち止まり、こちらへ振る返ると一言釘を刺してきた。
「でも忘れないことね。私はアンタ達を信用なんかしちゃいないから」
そう言い残し、愛音は去っていった。そんな彼女の背を見やりながら、シグムドはふぅと溜息をつく。
「なかなかに頑固な女だな」
「すまない……。でも、彼女も色々と思うところがあるんだ」
「気にしちゃいねぇよ。人から恨まれることなんざ、俺たちはしょっちゅうだかんな」
シグムドが肩を竦める。その様を見て、司はこの従者と友人になれそうに気がした。
※次回の掲載予定日は6月3日です。