プロローグ
本編、スタートです。
「――それでは、会議はこれにて終了です」
司会の言葉を皮切りに、魔術師は一斉に席を立った。わらわらと薄暗い会議室から人がまろび出て、最終的に一組の魔術師と従者が残った。
「ふむぅ……」
魔女会議の議長、ミーミル・アッシュとその従者、ヴェオルフである。
ミーミルは年端もいかない少女の容貌でありながら、醸し出す雰囲気はその外見に似つかわしくないほどの冷静さと老練さを持っていた。
それに付き従うヴェオルフは、主人の傍らに直立したまま無言を貫いている。端正で美形と呼ぶに相応しい顔立ちをしているが、表情は固く引き締まっている。
そんな議長のミーミルが手にしているのは、今し方まで行なわれていた会議での資料だ。
現在世界中に蔓延している魔禍の確認や異端者への対策、その他諸々の事項が漏れなく記載されていた。
その中で、一際突出している情報があった。
「竜胆司、か……」
一人の少年の名前を呟いた。
それは日本で数週間前に起きた、『眠り病』と呼称される魔禍に巻き込まれた一般人である。だが、一般人と言うには特殊すぎる事情があった。
「この報告書に記されていることが事実ならば、これほど興味深いことはない。ヴェオルフ、そうは思わぬか?」
「はい、議長」
ヴェオルフは首肯する。その報告書に書かれている事項とは、一般人であるはずの彼が魔法を行使したというのだ。
当然の事実だが、魔法を行使できるのは魔女と、彼女たちから力を与えられた従者、そして異界の住人である悪魔だけだ。そのため、何の変哲もない一般人がその異能を行使できるわけがないのだ。普通ならば。
「しかし、この魔術師の報告は面白い。憑依している別の魂が能力を付与している、じゃと……」
『眠り病』の魔禍を担当した魔術師、エイル・フォースミリアからの報告には、件の人物である竜胆司から興味深い情報が得られたことが記されている。
それによれば、彼にはともに生まれるはずだった双子のきょうだいがいたらしい。だが実際、片割れの双子は生まれず、その存在は一切確認されなかった。彼自身が語るには、片割れの魂は自らの心の中に宿っているかもしれない──と答えている。
「想像するに、その片割れのきょうだいが、魔女としての資質を持っていたというのでしょうか?」
「あくまで可能性としては、だろうがな。事実は分からぬ」
「そうなれば、他の組織へ彼の情報が渡る前に我々が保護するべきではありませんか」
「確かにそうじゃ。だがヴェオルフ……。この魔女会議こそが、もっとも危険な場所かも知れぬということは考えておるか?」
ヴェオルフはそれに無言で応えた。表情はわずかに曇っている。ミーミルの指摘が図星だったからだ。
彼女が指摘していること──それは、この魔女会議にスパイが潜り込んでいるかもしれないという可能性であった。
世の理と秩序の安寧を主義とする魔女会議には、反目するものも多い。魔女が持つ魔法は秩序を歪める悪しきものとされ、それを(完全にではないにせよ)否とされているからだ。
自らの持つ魔力を絶対な力としてそれを誇示するものや、飽くなき魔法への探求から禁忌へ触れるものまで、それこそ多くの思いから魔女会議へ従わない者たちは後を絶たない。
そうした組織に、彼の情報や身柄が渡ることをミーミルは危惧しているのだ。
「だが、だからと言ってあの島国も絶対に安全とは言えぬ。『眠り病』の魔禍が起きたこともある。この問題の処遇は早急に解決せねばならぬな……」
ミーミルは目の前に鎮座している水晶──パンドラの瞳を撫でながら、そう彼女は呟いた。