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第10章

 頭を失い、崩れ落ちたウルの骸を一瞥せず、司は愛音の元へ歩み寄った。

 その足取りは、彼女の安否を一刻も知りたく急いでいるようにも、彼女の無残な姿を見たくないと迷っているようにも見える。

 そんな彼の心配は杞憂で済んだ。愛音の息は、弱々しいものの確かにあった。

「よ、良かった……」

 傷の具合から危険な状態であることには変わりないだろうが、それでも彼は堪らず安堵の溜息をついた。

 ふと、その背後に人の気配を感じた。彼は振り返り、驚愕した。

「ふふっ……。死んだかと思ったか? 残念だな、私は結構しぶといんだよ」

 デリングだった。頭髪や衣服は焦げ、服の破れ目から覗く皮膚は例外なく爛れている。こうして立っているのも奇跡と呼んだ方が良いくらいの状態で、しかしデリングは敵意に瞳を輝かせていた。

 それは奇しくも、今し方ウルを屠った司と同じ顔だった。

「殺してやる……。殺してやるぞ。あぁ殺してやる。そうじゃねぇともう気が済まねぇ。もう計画なんざどうでもいい。死ね人間っ!」

 うわ言を狂った口調で呟き、彼女の激昂に呼応するかのように掌に魔力が収束する。ごく小さな魔弾だが、それでもこの至近距離から喰らえば、当たり所次第では死ぬかもしれない。

 もはや満足に身体の動かない司は、愛音を庇うように彼女へ覆いかぶさった。反撃などできる状態ではない。先ほどの激しい負の感情が引いた際、魔力も消え失せている。

 司は自身を貫く痛みに備え、目を閉じた──。


 だが、待てども何も起きない。司は身体を起こし、再び背後を振り返り、また驚愕した。

「かっ……はっ」

 デリングの腹部から、鋭利な刃が生えていた。彼女の口からは吐血が始まっており、身体中を末期の痙攣が襲っている。

 デリングは断末魔すら上げられず、地面に倒れ伏せた。そして現れたのは、背後からデリングを刺したと思われる人物だった。

「……誰だ?」

「レグナム」

 警戒心を顕にする司の問いに、男は平坦な声で答える。レグナムと名乗った男は、まるで英国紳士のようなスーツ姿ながら、考えの読めない無表情で咥え煙草という出で立ちだった。

 そしてその傍らには、三角帽子に黒衣を纏った魔女の姿もあった。

「間に合って良かったよ。あと一歩遅かったら、君もお陀仏だったかもしれないね」

 魔女が呑気な口調で言い、こちらへ歩み寄ってきた。司は愛音を庇うように身じろぎ、厳しい視線を向ける。

「そう警戒しないでよ。ボクも魔女会議の魔術師だってば」

「……エイルさんの仲間か?」

「そうそう。で、そのエイルちゃんはどこだ? ……ありゃ、やられちゃってみたいだね」

 魔女会議の魔術師は、エイルを見つけるなり表情を曇らせた。彼女の身を案じてるのは一目瞭然だ。

「あっ、自己紹介が遅れたね。ボクはブラギ・フィッシュテイル。治癒とか傷の再生とかが得意なんだよ」

 それを証明するかのように、ブラギは司の二の腕にあった傷口に手を添え、早口に何事かを詠唱する。すると淡い燐光がわずかに灯り、傷口を見る間に塞いでいった。

「すごい……」

「まぁね。それよりも、話したいことがあるんだ」

「話したいこと……?」

「そう。エイルちゃんと彼女の従者君も交えて」



+ + + +



「いやぁ。しかし君たちがやられてるなんて思ってもみなかったよ」

 竜胆家のリビングにて緑茶をすすりながら、ブラギはまるで世間話でもするような軽い口調でそう言ってのけた。

「…………」

「悪かったな」

 それに対し、エイルはわずかだが憮然そうに口を閉ざし、シグムドは投げやり気味に返す。

 魔女会議とあろうものが、本来外部の人間であるはずの司に助けられたとあっては、面目もあったものではない。それを揶揄するブラギも意地が悪いが、彼女はそれを非難するつもりはないようだ。

「それより、何の用でここまで来たんだ? まさか観光じゃねぇだろうよ」

「勿論さ。というより、連絡はいってなかったかい?」

 そう問われ、シグムドは慌ててPDAをチェックする。本部からの新着メールが入っていた。時間を見ると、丁度ホテルの屋上にて襲撃を受けた最中だった。

「タイミングの悪ぃ時に来たもんだな……」

 そう愚痴りつつ、メールの件名を確認する。そこには『任務変更指令』と書かれていた。しかも最重要案件のみに施される暗号化までされていた。

 どういうことだ、とシグムドがブラギへ目で問うが、彼女はともかくメールを見ろと言わんばかりに無言を貫く。

 横からエイルが覗き込んでくる中、復号化したメールを開き本文を確認した彼は、厳かに顔を上げた。

「……そういうことか」

「事態はもう待った無しのとこまで来てるんだ。ホントはあぁなる前にボクたちが到着するべきだったんだろうけど……」

 あぁなる──ウルたちによる司の拉致の件を指しているのは言うまでもない。

「遅れてしまったようだね。悪かったよ」

「別にブラギが悪いわけではありません。……本来は私たちの仕事でした。あの異端者の挑発に乗っていなければ……」

 滅多にないことに、エイルは歯痒さに唇を噛み締めていた。それをあやすように、シグムドが彼女の頭を撫でてやる。

「しゃあねーよ。もう起きちまったことは。要は、これから……だろ?」

 ブラギとレグナムを見ながらシグムドが問う。レグナムは煙草を吸いながら無言で首肯し、

「その通りだよ。もうあんなことを起こしちゃいけない。そのためにボクらは全力を尽くすんだ」

 ブラギも改まった表情でそう語る。

 魔女会議が新たにエイルたちへ与えた任務──それは今まで監視対象になっていた竜胆司の『護衛』であった。

 ブラギ・フィッシュテイルとその従者・レグナムはその任務に対する追加要員である。そのことから、魔女会議の竜胆司へ対する関心の高さが窺える。

「で、その当の本人はどこに?」

「あぁ、コレのとこだよ」

 ブラギの問いに、シグムドは笑みを浮かべながら小指を立てて見せた。



+ + + +



 瞳を閉じ、安らかな寝息を立てている愛音の寝顔を見ながら、司は安堵の溜息をついた。

 ブラギの治癒能力による応急手当の後、彼女をひとまず竜胆家の空部屋に運び込んだ。応急手当と言ったのはブラギ本人であったが、傷はほぼ完全に癒えている。寝顔も苦痛を堪えている様子がないので、心配することはないだろう。

 そうして彼女への心配事がなくなると、次に彼の頭をもたげたのは、あの戦闘中に聞こえたツカサの声である。

(あれは、何だったんだろう……)

 いや。ツカサの声というより、ツカサの声と同じ別人と言うべきだろうか。

 ともかくその声は、愛音を傷つけられ激昂していた自分の負の感情に囁きかけ、唆し、増幅させた。その結果、司はある種の覚醒とも言うべき状態へ変貌を遂げ、あの戦闘に勝つことができた。だが、そのツカサと同じ声の存在が彼にはどうしても気に掛っていた。

(僕が知らない、ツカサの一面があるというのだろうか?)

 その可能性は否定できない。そもそも彼女と意思疎通ができるようになったのは、ここ数週間前からである。

 しかも、それすら完全なるものではなく、断片的な会話の応酬でしかない。それに、彼女が自分の生まれるべきだったきょうだいの片割れであるというのも、司の勝手な想像でしかない。

 もしかして、全く別の何者なのかもしれない……。そう考え、司は身体中の肌が粟立つのを覚えた。自分の中に異質なものが潜んでいる。その可能性に思い至ったからだ。

「……んっ。あ、司……?」

 物思いに耽っていた司は、その声で我に返った。畳みに直接敷かれた布団に横たわっていた愛音が、心配そうに自分を覗き込んでいる。

「目が覚めたのか。良かった」

「何があったの? 私、確かあの魔女に……」

「あれはもう終わったよ。今は僕の家にいる。僕も愛音も、そしてエイルさんやシグムドも無事だ。何も心配しなくていい」

「……そう。良かった」

 愛音も安堵の溜息をついた。やはり変わったな──と司は考える。あれほどまでに嫌っていたあの二人を案じるようになった。これは良いことなのだろう。

「愛音に話さなきゃいけないことがあるんだ。起きれるんならリビングに来てくれないか?」

「……大事なことなのね?」

「あぁ」

 そう答える司の心中は、穏やかではなかった。

 目に見えない大きなうねりは、もはや自分たちを逃さない大波となって押し寄せていた。気のせいだ、などとこの期に及んで悠長に思うわけにはいかない。

 皆を巻き込んだ張本人として、この事態に立ち向かう必要がある。司は心に強く誓った。

 ──戦うことを。

 次回、最終話です。

※次回の更新は6月30日の予定です。

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