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南西地区、スラム街と称される区画を、余たちは歩く。
通りにはゴミが散らかっていたり、夜通し飲み歩いていただろう人間が蹲っており、空気も淀んでいるかのようだった。ただし、水都に咲き乱れる野花たちは、こんな地区にも揚々と生え揃っている。それらは濁った空間を清涼するかのように、異彩を放っていた。
余たちが歩を進めると、数多の視線が突き刺さってくる。
どうやら追い剥ぎをしようとする輩も存在するのか、建物の影からは人の気配が複数感じ取れた。
しかし、ラウナが鋭い眼光をギラつかせているため、余たちを物珍しそうに見ている人々や、隙あらばひったくりを狙っていた者は、蜘蛛の子を散らすようにして、路地裏に逃げ込んでいっていた。
「地下水路を探索するにしても、まずは手がかりが欲しいですわね。地下は広いので、闇雲に探すのは何日がかりになるか、わかりませんから」
ソフィアは司教に手渡された地図に目を這わせながら、言った。
余も彼女におぶさっており、肩越しに地図を眺めていたが、描かれているものが余りにも複雑だったために、頭痛がしてしまいそうだ。
「そういえばフレデリカ様は、事件の情報をどこから手に入れてきたんですか?」
ラウナにそれを問われた余は、ぎくりとして身を強張らせた。
なぜなら、レズ風俗で指名した女の子に聞いた、などと答えられるわけがないからだ。
「その辺の飲み屋で聞いたような……気がするのう」
「……フレデリカ様はあの日、強いお酒の匂いはしていませんでしたよね? していたのは女の子の匂いだけでしたわ」
ソフィアは名探偵さながら、ズバリ言い当ててくる。しかもまだ根に持っているのか、余は彼女の背中から地面に落とされるようにして、降ろされていた。
「そ、そうじゃったかのう」
「この期に及んで、嘘を付くのはおやめください! 浮気だったんですよね? どこでその情報を聞いたんですか!?」
「待て待て、何度も言うぞ。浮気ではないんじゃ。心を許しておるのはソフィだけと言っておろう。それを信じてもらえねば、情報の出どころは、言えん」
「言いたくないなら、それでいいです。勝手に探しますから」
「お主、目的を間違えておらんか!? これは浮気調査ではないぞ」
「ならば、案内してください。浮気ではないんですよね?」
「ここはソフィに則ろうではないか。神に誓って、浮気ではないぞ。ただ……肌には触れたかもしれんがのう」
余は目線を中空に彷徨わせながら、口笛を吹いて誤魔化そうとする。
ソフィアは瞳を潤わせながら、余を見つめていた。
「事件の調査が終わったら……その人にしたこと、全部わたくしにしてくださいね」
「もちろんじゃ。仲直りえっち、まだできておらんしの。楽しみじゃな」
ソフィアはどうにかそれでこの場を鎮めようとしたのか、余の手を握ってくれる。
余もまた、事件解決に意欲が湧き上がり、小さな足を勇み足にして、風俗店に向けて動かしだした。
昨晩ぶりに訪れたその店は、昼間だと様相がガラリと変わっている。
どこか物哀しげな、人の気配すらもひっそりとしているかのような、場末の酒場を想起させる。照明の灯っていない娼館とは、こんなにも寂れているものなのか。
ソフィアはそのいやらしいお店を前にして、顔を赤らめていた。
何せ、女の子同士専門のエッチな店なのだから。彼女は壁に貼られている女の子の写真を、しきりに気にしていた。
ちなみにラウナも、同じである。この二人、性に対する免疫が極端に低いことが共通していた。
「フレデリカ様は、このお店で……。一体どの女の子とえっちしたんですか!」
「これ、耳元で騒ぐな、ソフィよ。というか、営業しておらぬし、誰もいない可能性もあるの」
「どの娘ですか~!?」
肩をガクガクと揺さぶられ、ソフィアは鬼の形相で問い詰めてくる。
これは早いこと、仲直りエッチをせねば、機嫌は治らないのかもしれんのう。
店前で騒いでいたからだろうか。それの様子を見にきたのか、入り口の扉が慎重に開かれた。
「あの、営業は夜からですよ……って、あら。シスターのお客さま? 珍しいわ」
現れた女性は、先日余の受付をしてくれた子だった。彼女はソフィアを視界に収めると、楽しげに微笑む。無論だが、ちびの姿の余を見ても、昨晩利用した客だったとは気づかない。
ソフィアは慌てて手を広げて、否定の意志を見せていた。
「ちちち、違いますわ。わたくし、この近辺に起こった殺人事件の調査を任命された、巡礼騎士第三階位、ソフィア・ルクレールと申します」
「あら、調査の! リースちゃんが言っていたことは本当だったのね。ぜひ、中でお話を。あ、お店に興味があるなら、サービス券もおつけするわ」
「結構です。わたくし、そんなに、女の子に興味津々に見えます?」
「かなり。ネコちゃんとして、才能がありそうだもの」
「ネコちゃん? 猫に似ているとは初めて言われましたわ」
ソフィアは頭に疑問符を複数浮かび上がらせているのか、首を傾げていた。
この受付嬢、レズ風俗に勤務しているだけあって、目が肥えておるの。
ソフィアは超絶受け体質であるのは事実だし、余に出会う前も男性ではなくて、女性を惹きつけているようだった。本人の自覚はないようじゃがの。
「じゃあ、サービス券は余がもらっておこうかの」
「だ・め・で・す!」
ソフィアに睨みつけられ、余は萎縮するしかなかった。
応接間へと通された余たちはテーブルに案内され、紅茶を出されていた。
横長のソファには、中央にソフィア、その両隣にラウナと余が身を沈めている。
向かい側には受付嬢と、昨晩余と一夜をともにしたリースが座っていた。
リースは営業中のような扇情的な服装ではなく、シャツにショートパンツと、ラフなスタイルである。どうやらこのお店は、従業員の住居としての側面もあるみたいだった。
「フレデリカさんが言っていたことは本当だったのね。まさか教団員と知り合いだったとはねえ、人は見かけによらないものね」
リースが余の名を口にしたことで、心臓が飛び跳ねたかと思った。
なぜかといえば、余計なことを口走らないか気が気ではないからじゃ。
そんな彼女もまた、余の存在には全く気づいていないようである。今の余は幼い容姿とはいえ、かすかに面影があると自負しているだけに、少々寂しいの。
ま、一晩たったら子どもに退化した、なんて話、誰しもが夢にも思わないじゃろう。
「あの……フレデリカ様とは、一体どんなことをお話したのですか!?」
予想通りというべきか、食いついたのはソフィアだ。彼女は驚くべきスピードで身を乗り出して、リースに問いただしている。その衝撃によって、テーブルの上は紅茶の中身が飛び散っており、水滴が模様のように零れていた。それほどまでに激しい詰問だ。
リースは及び腰になりながら、ソフィアをまじまじと見つめている。
「ああ、もしかして。あなたがフレデリカさんの恋人さん、だったり?」
「……えっ? フレデリカ様、そんなこと、仰っていたんですか?」
「うん。恋人がいるから、ってわたしはフラれちゃったのよ。よかったわね、大切にしてもらえていて」
ソフィアはそれを受けて、みるみるうちに頬を紅潮させる。彼女は両手を頬に当て、腰をくねくねと動かしていた。嬉しさ、そして恥ずかしさをごちゃ混ぜにしたみたいにして、照れを表現している。
そして、余をちらり、と見やった。
「フレデリカ様が、わたくしのことを……えへへ」
その弛緩しきった表情は、巡礼騎士のものとは到底思えない。今にものろけ話を何十時間と講演しそうな、うら若き乙女である。
同じことを感じ取ったのか、リースたちも不安げな眼差しを向けていた。
「それで、事件について、何か聞きたいんじゃかったの?」
「あっ……。こ、これは失礼致しました。では、そうですね……。犯行現場とかには、心当たりがないでしょうか?」
ソフィアは、こほん、と咳払いをしてから、仕事の表情に切り替える。一瞬にして威儀すらも備えた彼女は、教団員としての矜持を感じさせた。
テーブルには南西地区の地図が広げられ、リースは現場と思しき場所にバツ印を記していく。
それと照らし合わせるようにして、ソフィアは地下水路の地図に印を写していた。
「四箇所、ですね。現場はどれも近いみたいですが……」
ソフィアとリース、そしてラウナは地図とにらめっこしながら、事件について話し合っている。
余は頭脳戦はラウナに任せっきりにして、受付の女の子と遊んでいた。
彼女は板チョコを恵んでくれて、余はそれを頬張りながら、室内をウロウロしている。
じゃが、面白いものは何も見つからなかった。
風俗店だから、興味を惹くものがあってもよかろうに、応接室にそんな物があるはずもない。全くもって、暇な時間の多い日じゃ。
「どうやら、大型下水処理施設の上に、事故現場は集中しているようですね。……そこに、行ってみますか?」
ラウナの提案に、表情を曇らせたのはソフィアだ。
「直接、地下に降りるのは少し危ないかもしれませんわ。そこが犯人の根城だとしたら、待ち構えているかもしれませんし……」
「そもそも、罠、の可能性もありますね」
「罠、ですか?」
ソフィアもどちらかといえば、あれこれ考えるタイプではなく、足で捜査する側の人間である。それに比べてラウナは、一つ一つの可能性を吟味して、潰していくほど慎重だった。
「犯行現場が集中しているのは、おかしな話だと思いませんか? だって、遺体の痕跡は残っているのですよ。わざわざ、証拠を残しているのは、新たな餌を釣ろうとしている罠か、はたまた、物事を思考できない魔獣のどちらかでしょう」
「確かに……そうですわね。でも、魔獣が犯人だとしたら、行方不明はまた別件、ってことになるのでしょうか。どちらにせよ、下水処理施設に足を運んでみる価値はあるとは思いますわ」
「……では、どこから侵入しましょう」
「地図を辿ってみると……街の端っこに、大型の用水路がありますわね。そこから入っていけば、下水処理施設に辿り着けそうですわ」
彼女たちの作戦会議はそれで纏まったのか、地図を丸め込んで、いそいそと立ち上がっていた。
「さすが教団員だねー、お仕事が早い。お姉さんたちも綺麗だから、気をつけてね? 行方不明のほうは、可愛い女の子たちばっかり狙われてるんだから」
「お気遣いありがとうございます。それでは、わたくしたちは、これから調査に行って参ります。皆様の平和を取り戻してきますので、今暫くお待ちくださいませ」
ソフィアは胸の前で十字を切って、一礼する。
それを受けたリースは、宗教にはてんで興味ないのか、困った風に後頭部をポリポリとかいていた。
「シスターのお姉さん、フレデリカさんによろしく言っておいてね」
「ええ。それでは、お世話になりました」
そのフレデリカ本人である余も、リースたちに手を振って、お店を後にした。
「この足で、向かいましょうか? それとも、明日からにしますか?」
お店を出ると、すでに落日は間近にまで迫っていた。ラウナがそう切り出してきたのも、不自然ではない。
付近の娼館もネオンが灯り始めており、夜の店たちには活気の再燃がなされようとしている。
今日はお昼から出発して、街の北区へ行って、それから反対側の南にまで移動していたのだから、日が落ちるのもやむなしではあるな。
「……事件の一刻も早い解決を目指すならば、今から向かいたいところですが」
ソフィアの瞳は迷いに揺れている。急がば回れ。きっと頭では理解できているはずなのに、新たなる被害が現れないか、不安でいっぱいなのだろう。
「余は、明日がいいと思うぞ。……いざというときのために、余の"クールタイム"は消化しておいたほうが、よさそうじゃしの」
昨晩はソフィアの体液をたんまりと嗜んでしまったために、本日は元の姿に戻れるか、怪しい。それならば、休息も兼ねて、探索は明日に回したほうが得策じゃろう。
「……フレデリカ様が大人しくしていられるのならば、私が見回りしていてもいいですしね。見回りついでに、犯人を確保できるかもしれませんし」
ラウナもそのような提案をだしてくる。
確かにラウナほどの実力者ならば、一晩で事件解決をしてもおかしくはないが。
ソフィアはそれでも決めあぐねているのか、不承不承といった感じで頷く。
「では、捜査は明日の朝からにいたしましょうか。ラウナさんは、危ないですから、無理だけはしないでくださいね」
ラウナは鷹揚に顎を引いて、この場は一旦、宿へ帰還することに決めた。
ひとまずそこまでは三人で行動し、宿についてから、ラウナはUターンをする。
余とソフィアは、明日に備えて、室内でくつろぎ始めた。
「……あの~、フレデリカ様」
夕飯をとってから、眠るにはまだ早い時間、余とソフィアはベッドで同衾していた。
セックスを始めよう、という雰囲気ではない。無論、余はムラムラしているが。
明日のことを考えると、自重したほうがいいのだろうな、とわきまえていた。
無闇矢鱈にソフィアの体液を頂いてしまうと、明日、いざというときに、元の姿に戻れぬからじゃ。
「どうしたんじゃ、ソフィ。眠れぬのか?」
布団の中でもぞもぞと動く気配がする。ソフィアの顔は余の傍にぴっとりと密着しており、吐息が耳にかかってきていた。彼女の体温すらも知覚できる距離に、余の性欲は高まってきてしまう。罪深い女じゃ。修道女のくせに。
「今日はえっち、しないんですか?」
思わず、むせってしまいそうになった。
明日には大事な仕事があるというのに、そっちから誘ってくるなんて、いやらしい女にもほどがある。
「したいのは山々じゃが、余は加減ができぬ故。明日の分に力を残しておける自信がないんじゃ。それよりも、ソフィから誘ってくるなんて、随分えっちな子に育ってしまったのぅ」
「だって。……昨日は、他の子としていたのに……」
「くぅう、そんな顔で言われたら、辛抱たまらん。子どもの余を誘惑するとは、お主も罪作りな女じゃあ!」
余はソフィアにがばりと覆いかぶさるようにして、襲いかかった。
なるべくは、理性を保つように努力するつもりじゃ。
せめて、明日の分だけでも……。
が、どこまで抑えきれるじゃろうか。
誘い受けをしてくるソフィアに対して、余は興奮が活火山のごとく湧き上がっているのだった。
翌日。
余はやらかしてしまっていた……。
朝も早いうちからラウナに起こされ、まるで二日酔いでもしてしまったかのように、頭がガンガンと痛む。
昨晩も、ソフィアと激しく交わってしまった……。
行為は深夜にまで及び、夜明け頃まで大人の姿を維持してしまったのだ。
つまり、今日も"クールタイム"に悩まされる一日である。
じゃが、かろうじて、ほんの少しばかりは力に猶予があった。恐らく、今日一日の内、一時間弱は大人になれるはずである。
ま、それくらい戻れるならば、恐れることはないじゃろう。
「……昨晩も、お盛んだったんですか。お気楽ですね。カップルとは」
冷え切った目で訴えかけてくるのは、ラウナである。
独り身の彼女には、永遠に理解されないのであろうな、余たちの営みは。
ソフィアは申し訳なさげに、そしてエッチをしていたのがバレバレだったことの恥ずかしさに、身を竦めている。
「朝食をとったら、すぐにでも出かけますよ。昨晩は異常なしでした」
ラウナの報告に、ソフィアは表情を切り替える。
「ええ。目指すは南西端の用水路ですわ。気を引き締めていきましょう」
ようやく、犯人に対して手がかりを掴めそうな、余たち。
非道なる悪魔よ、懺悔でもして待つがよい。
魔界の女王、フレデリカ様が今、鉄槌を下しに行くぞ。
そんな義憤まみれの余は、ラウナが用意してくれていたトーストを頬張っていた。
……子どもの姿じゃ、いまいち締まらんのう。