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5.



 夜明け前。

 気温は低く、薄闇に包まれた廊下を、余は忍び足でこっそりと進んでいた。


 朝帰りなんて、ソフィアに見つかるわけにはいかぬのでな。音を立てないよう慎重に、抜き足差し足じゃ。

 こんな情けない魔界の王女なんて、どこにもおるまい。


 宿の部屋前に到着して、余は扉に耳を当て、中の様子を探る。

 気分は悪戯をした悪ガキのそれじゃ。十歳に戻ったつもりで、母親に叱られるのを避けるかの如く、こっそりと帰宅しようとする。ま、今の余は大人の姿じゃがの。


 室内は静まり返っているようなので、今がチャンスじゃ♪ ドアノブをそーっと回す。

 ゆっくり、ゆっくりと扉を開け、隙間から部屋内をちらと覗いた。


 目が合った。


「フレデリカ様~~~!」


「げっ、ソフィー! 起きておったのか!」


 ドアの直ぐ側には、ゆったりとしたシャツを身に纏った部屋着姿のソフィアが、仁王立ちをして待ち受けていたのだ。

 両手を腰に当て、怒髪天を衝く様子じゃ。

 まさか、風俗通いがバレておるのか? とも思ったが、そんなはずはない。どうやら、余が一人で遊び歩いていたことに激怒しているようだった。


「起きておったのか、ではありませんわ! こんな時間までどこに行っていたんですか!」


「ま、待て、そんなに怒ると皺ができてしまうぞ。というか、まだ夜明け前じゃ、お主こそどうして起きておるのじゃ」


 ソフィアは一度寝付くと、朝までは起きることがない。

 今はまだ夜明け前。彼女が目を覚ましているなんて、思いもよらなかった。

 

「そ、それは……。隣に、フレデリカ様の温もりがなかったから……」


 ソフィアは冷水をかけられて急激に怒りが萎んでしまったかのように、もじもじと、しおらしくしていた。

 何とも愛らしい恋人じゃのう。


「そうかそうか。余が隣におらんと、ぐっすり眠れぬか。それはすまんかったのう」


「それで、一体どこを遊び歩いていたんですか!」


 照れ隠しのように、頬を再び憤激の赤に彩り、ソフィアは詰め寄ってくる。

 その小さな鼻が、すん、と動いた。


「……女の子の、匂いがしますわね」


 余はギクリとして、背筋が伸びる。

 こやつ、鋭いぞ。

 ……いや、余はシャワーを浴びておらんのじゃったな。激しい情事の後だ、鼻に詰まりものがある鈍感だったとしても、隣に立てばピンとくる可能性は大いにあった。ソフィアは匂いに敏感らしく、やや離れた位置からでも眉根を寄せている。


「そ、そんなはず、なかろう?」


 ソフィアから目を反らし、余は後ずさる。しかし、ソフィアもじりじりと、にじり寄ってきた。すぐにかかとが壁へぶつかり、追い詰められてしまう。


「まさか、浮気してきたんですか、フレデリカ様」


 ソフィアの目はじとーっと据わりきっており、声も低い。余はまるで、断頭台にでも立たされた気分だった。

 魔界第三位の実力を持った余を、ここまで窮地に立たせるとは、余の恋人として鼻が高くなるわい。


「浮気なんてせんよ。余が愛しておるのはソフィ、お主ただ一人じゃからな」


「では、首筋のキスマークはなんですの?」


「なっ、いつの間に……!?」


 余は焦り、ゴシゴシと首元を拭った。

 ……だが、即座に気づく。

 その瞬間、空気が冷え切った。

 

「……はっ。計ったなぁ、ソフィー!」


「やっぱり浮気だったんですのね!? ひどいです、ひどいですひどいです、フレデリカ様っ!」


「うぐぅ、首を締めるなソフィー! これは断じて浮気じゃないのじゃぁ、心を許しておるのはソフィだけじゃ、信じてくれぇ」


 ぎりぎりと首を締められながら、ガクガクと身体を揺さぶられる。ソフィアはわんわんと泣き、余に行き場のない怒りをぶつけていた。余は必死に無実を訴えかけていたが、どこまで彼女の耳に届いているかもわからん。


 嫉妬深いとは思うておったが、ここまでとはな。

 少しは反省せねばいかんか。

 とはいえ、風俗通いは、癖になってしまったがのぅ。


 何はともあれ、まずはソフィアを落ち着かせないといけない。

 力の差でいえば、余は圧倒的に勝っている。ソフィアの腕を払い除け、彼女の顎に手を添えた。


 泣き叫ぶソフィアの口を、余の唇で塞ぐ。

 れるっ、と舌を滑り込ませて、愛し合うものたちが交わすベーゼをした。

 すると、暴れ狂っていたソフィアは、憑き物でも落ちたかのように、ぴたり、と鎮まる。


「落ち着かぬか。愛しておるぞ、ソフィア」


「ずるいですっ、フレデリカ様……」


 キスの後に耳元で愛を語ると、ソフィアは従順な犬かと思うほど、牙が抜け落ちていた。もしも彼女に犬耳が生えていたら、きっと力なく垂れ下がっていることだろう。

 それもこれも、元の姿をした余の特権であるな。


 余が子どもの状態だと、ソフィアはその年齢相応のような接し方をしてくるのだ。余としては、いつでもどこでも愛し合いたいのだから、それはとてもむず痒い。

 だから、浮気がバレて怒鳴られたりするのも、対等の立場な気がして嬉しかったりする。

 ま、そんなこと知られてしまったら、また劣化の如く怒り狂うじゃろうがの。


 余はそっとソフィアを抱きしめて、恋人の抱擁を送った。

 その背に、ごほん、とわざとらしい咳払いが投げかけられる。


「痴話喧嘩は終わりましたか?」


「なんじゃラウナ、お主も起きておったのか」


 すっかりと彼女の存在を忘れておったわ。

 ラウナはこんな時間だというのに、メイド姿のまま、ひっそりと立っていた。

 この部屋にベッドは一つ。彼女は隅っこのソファで、毛布にくるまっていたようだ。少しばかり悪いことをしたかの。


「当然です。私はソフィア様の護衛でもありますから。にしても、ソフィア様はとても素直で良いお嬢さんですね」


「ラウナさんこそ、真面目で物知りで、お料理もお上手で。お友達になれたことに感謝しても、しきれませんわ」


 どうやらこの二人、余がいない間にすっかり意気投合していたらしい。女の子が仲睦まじいのは良きことじゃな。

 ソフィアはおっとりとしているし、誰からも好かれるような性格をしているから、彼女たちが対立するとは思ってはいなかったが。


 そんな心優しいソフィアも、余に対してだけは本音を漏らし、厳しくあたってくるので、優越感を味わえるものじゃ。


「フレデリカ様。ソフィア様という恋人を置き去りにして、他の女性と遊ぶだなんて、言語道断です。誤魔化していないで、今すぐ謝罪をしてください」


「くぅ、ラウナ、お主がソフィの味方をするのか。それは想定外じゃあ……」


 根が真面目で、融通がきかないラウナ。彼女がソフィアと一緒になって、余を再び裁判にかけるかの如く、糾弾してくる。どうやら、罪から逃れることはできないようだった。

 無言の視線は四つとなり、余を刺し貫く。

 ラウナは利用価値があると思っておったが、こうなることは予測できんかった。降参じゃ。


「あいわかった。余が悪かった。よし、ソフィー! 今から仲直りえっちじゃ! 余の身体をソフィで上書きしておくれ。ラウナは外で待っておれ。それとも、えっちを生で見たいのかのう? 経験無しのラウナちゃんよ」


 余に楯突いたことを後悔させるように、ラウナへ意地悪く語りかける。

 彼女は顔を羞恥に彩って、俯いてしまった。

 相変わらず、性経験は皆無のようだ。

 

 余はソフィアの手を取って、ベッドへ向かおうとする。しかし珍しいことに、我が恋人は拒否の意志でもあるのか、その場に留まろうとしていた。


「もう朝ですわ、フレデリカ様。今からは……その……。途中で小さくなってしまいますよ」


「なんじゃ、そんなこと気にせんでもよいではないか。にしても、ソフィもけっこう乗り気じゃのう♪ えっちな娘じゃ」


「からかわないでくださいっ! フレデリカ様はお休みになられていないのでしょう? 今日は大人しく寝てください」


「余は仲直りえっちがしたいんじゃがのう。……っと、残念。時間のようじゃな」


 余の身体に異変が生じる。

 急速に力が抜けきったような感覚に陥り、ついでに立ちくらみが起こった。軽い頭痛と、全身に気だるさが這い寄る。

 余はその場に蹲った。


 片膝をついた姿勢で頭を押さえ、四肢が萎んでいく感触に吐き気を催しそうにもなる。

 余の漲っていた魔力はあっという間に霧散し、情けなくも非力な子どもに退化してしまう。

 着ていたスカートは床にはらりと落ち、余はブラウスの中にくるまれてしまうくらいに、背丈が縮んでしまっていた。


「ほらほら、言った通りじゃないですか。全くもう、おねむなお顔しちゃって、フレデリカ様」


 ソフィアは余を抱っこして、ベッドに連れて行こうとする。それに抗おうとして、余は手足をバタつかせた。


「これ、子ども扱いするでない。仲直りえっちするんじゃ!」


「はいはい。眠たそうなお顔をしながらでは、説得力がありませんよ」


「うぐぐ……」


 大人の身体から子どもに戻ったせいで、力の落差が激しいためか、余は確かに眠気を感じていた。一睡もしていない朝帰りのせいもあるじゃろうが。


「子ども扱いが気にくわんのじゃあ。この姿でも余は余じゃ。ソフィは子どもの余は嫌いなのか?」


「そういうわけでは、ありませんわ。……ただ、その。子どもと、え、え、えっちなことをするのは……罪悪感というか、背徳感というか……」


「そうじゃったか。そういうことなら、いずれ……ふわぁあ……」


 ソフィアにベッドへ寝かされると、瞼が重くて重くてたまらなかった。

 子どもの身体は不便が多いわい。

 ソフィアは余のお腹を、ぽんぽん、と一定のリズムで叩いてくれて、すぐにでも眠りに落ちてしまいそうだった。


 そんな夢かうつつを彷徨う余は、視界の隅にラウナを捉えていた。

 彼女は未だに頬を染めて、ぶつぶつとうわ言のような何かを呟いている。


「フレデリカ様とソフィア様のえっち……考えちゃ駄目、考えちゃ駄目……」


 ラウナよ、純情すぎぬか……。

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