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――一年前。
余が、魔界から人間界へと、旅立った日だった。
両世界が和平を結ばれてから数年。前々から父上にお願いをしていたのだ。人間界で暮らしてみたい、と。
なぜなら魔界は、娯楽が極端に少ないからだった。
そのため、人間界の旅行ガイドブック、なるものが魔界では大流行していたのだ。余もその本を擦り切れるほどに読み耽り、かの世界に興味津々。心はすでに人間界にある、といってもいいものだった。
特に余の心をくすぐった記事は、レズ風俗と呼ばれるものだ。まさか、女性同士の性サービス店が存在するとは。人間界も進んでいるものである。
女性に目が無い余にとって、それはまさに垂涎ものだった。これまではナンパに精を出して、行きずりの一日を得るために、夜な夜な街を徘徊していたほどである。
なので、どれだけ身内に反対をされようが、強行突破をしてでも、人間界に旅立ちたかったのだ。
じゃが心配は無用だったのか、父上は難なく許可をくれた。魔界の跡継ぎには姉上がいるわけなので、余には自由が与えられているのだ。
そんな経緯があって、一人魔界から出奔した余。ブラブラと気ままに風俗店を巡りたかったので、小うるさい侍女たちには内緒で、こっそりとした旅だった。
ポータルを渡り、人間界に降り立った余の目に映ったもの。
それは、ソフィアだった。
花が咲き乱れる庭園にて。今日のように、魔物を相手に孤軍奮闘をしている修道服の女。
余の第一印象には……好みの人間だ、と植え付けられた。
なぜなら、顔がタイプだったからである。
そして、おっぱいが大きい。
一目惚れだった。
何度でも言う。
顔が好みで、巨乳なのだから、恋に落ちる理由はそれだけで充分なのだ。
魔界では見たことのないような、白く透き通った肌。波打つブロンドのウェーブヘアは、あどけなさの残した彼女を若干、大人びて見せているかのようだった。
そして、大きなおっぱい。
おっとりとした、清楚を体現したような顔。紅を塗っていない薄桜色の唇。穢れを知らぬ匂いを運んでくる、柔らかそうな肢体。
そして、おっぱいが大きい。巨乳というレベルを越えた爆乳に近いほどの立派な物だ。
ソフィアは突然現れた余のことを、おっかなびっくり、凝視していた。
彼女が驚いたのも無理はない。
何せ余は、魔界ナンバースリーの実力者。余の上に存在が許されるのは、魔界最強の王である父上ヴァルドと、姉上ローズマリーだけなのだから。
これほどまでに強力な威圧感など、受けたことなかったのだろう。魔物に取り囲まれた状況にもかかわらず、彼女は硬直していた。
しかしながら、余もまた、ソフィアに見惚れて動けない。
それはまるで、聖なる神からの雷撃を撃たれたような気分だった。
魔界に荒れ狂う暗黒の稲妻をその身に受けたとしても、シャワーを浴びるかのように平然としていられる余が、衝撃に身を動けなくしてしまっていたのである。
この爆乳シスターを嫁にしたい。
その一心で、余は呼吸をすること以外、忘却してしまっていたのである。
背後に、魔獣が大口を開けていることすら気づかずに。
余は魔界でトップスリーに入る最強の魔族である。
その魔力に引きずられるようにして、ポータルの入り口が裂け、巨大な歪曲空間を作り上げていたのだ。
それに釣られてやってくるのは、凶暴な魔獣。
無論、余にとってはそんな下賤な者どもは、恐れるに足らぬ相手。後ろにいるのが地獄の番犬ケルベロスだったとしても、ハエにたかられているのと同義だ。
しかし、ソフィアはそうは受け取らなかった。
見た目は深窓の令嬢かのような余じゃ。か弱い女性だと捉えてくれたのだろう。
ケルベロスから余を救おうとして、身を投げ出してきたのである。
余は阿呆であった。
それをソフィアの抱擁だと思い込んで、彼女を受け入れようとしてしまったのだ。
しかし余は突き飛ばされ。
その瞳に映るのは、ケルベロスの顎に横腹を噛み砕かれるソフィアの姿だった。
そこからの記憶はあやふや。
咆哮をあげ、周囲の全てを破壊したような気がする。
ケルベロスを含む、余の視界内全ての魔物を怒りのままに殺戮をした。そんな感触は覚えている。
一目惚れをした女性は、出会ったその瞬間、死に絶えそうだったのだから。
「――お主、名はなんと言う?」
余はへたり込み、ソフィアを膝枕しながら見つめていた。
彼女の瞳は焦点が合わず、茫洋としており、その生命の灯火はいつ消えてしまってもおかしくはないものだった。
「……わ、わたく、し……」
「よ、よい、喋るでないっ!」
なんという律儀な女か。腹を食い破られ、血をゴボゴボと吐き出しながらも、余の問いかけに答えようとする。
それに彼女は、身を投げ売ってでも、他人である余を助けようとしたのだ。献身的な性格もまた、余を引きつけて離さないものだった。
このまま亡くしてしまうのは、余りにも惜しい。
いや、そうはさせない。魔界三番目の魔力を誇る余が、それを許すわけがなかった。
「お主よ、余を信じてくれるか? 今からそなたに、余の生命を分け与える。受け入れてくれるかどうかは、お主次第じゃ……」
「…………」
余とソフィアは、視線を絡ませる。
彼女の瞳は虚空を彷徨い、どうにか意識を繋ぎ止めたのか、余を捉えた。
「良い子じゃ。これから、契約を交わす。今この時から、余とお主の命は、共有される。運命の共同体じゃ♪ 末永くよろしく頼むぞ。余はフレデリカ・ウル・レヴィアンサス。そなたに我が魔力、捧げよう」
自分の体内、全てから魔力を放出し、ソフィアの体に送る。
余たちは青白いオーラに包まれ、花びらが舞い散る幻想的な空間の中、契約を交わしたのだ。
ソフィアの身体はみるみるうちに修復され、余と魂をリンクさせる。
この日から、余とソフィアは二人で一つの命を共有することとなったのだ。
余が息絶えれば、ソフィアも死に。ソフィアが絶命すれば、余の生命も尽き果てる。
そして、その契約の代償として、ソフィアの身体に魔力を注ぎ込んだ余は、元の姿を維持することができなくなっていた。
これからは生涯、チビの身となり、魔力も見た目相応の陳腐なものしか存在しない。
それでも良いと思った。ソフィアが救えたならば、それだけで価値のあるトレードじゃ。
魔界ナンバースリーは、脆弱な童女と相成ったのである。
「……と、いうわけじゃ♪」
コーヒーを口に含みながら、世間話のように軽口で喋り終えた余を見つめるラウナは、愕然とした表情に塗り潰されていた。今日はラウナの顔が変幻自在な日じゃのう、過去を語った甲斐があるわい。
「命の共有……魂の契約ですか!? な、なんてことを……。あなたのお父上に、どのように報告をすればいいのですか、こんな……」
ラウナは頭を抱えて、絶望に身を震わせる。彼女がメイドたる証、ヘッドドレスは、くしゃくしゃになってテーブルの上にぽとりと落ちた。
それをオロオロしながら見つめているソフィアは、ヘッドドレスを拾ってあげるべきなのか、それともラウナに声をかけるべきなのか、迷っているようだ。
「わたくしのせいで、フレデリカ様の大切なお命を……。それは本当に、本当に、責任を感じていますわ……。だからこそ、わたくしは生涯、フレデリカ様に心身を尽くそうと思っています」
「それはよいと言っておるじゃろう。余は対等に愛し合ってくれないと、嫌じゃからな。……ま、ラウナよ、そういうことじゃ。父上には適当に言っておいてくれ」
余りにも呑気な余の態度に憤慨したのか、ラウナは依然厳しい表情で睨めつけてくる。
「フレデリカ様、立場を理解なさってください! 人間のような脆弱な種と命を共有だなんて……あなたは魔界の王女なのですよ!? もしも賊にでも知られてしまったら……付け入る隙を与えているようなものです!」
「まぁ、そうじゃのぅ。じゃが、心配はいらん。チビになろうが余は余じゃ。自分の身を守れるくらいには、力は残っておる」
「そうは言いましても。魔界には、ヴァルド様の転覆を企む不届き者もいるんですよ? そのお姿では、心もとなさすぎます」
「なら、ちょうど良いではないか。お主もソフィの護衛になればよかろう♪」
余の提案に、ラウナは戸惑うように瞳を揺らした。
それは魅力的な交渉だったはずだから。
ラウナは余の専属侍女。恐らくじゃが、余を愛してやまないはずじゃ。しかし、ラウナは貧乳なので、あんまり抱く気がせんから、手を出してはいなかった。
そんな彼女が、また余とともに過ごせる。思い馳せるだけで、心が揺らぐのも無理はない。
「し、しかし、ですが……」
「なんじゃ、不満なのか? お主は父上のメイドではなかろう。ラウナの主人は余じゃ。それに、ソフィも余の命を共有しておる。ソフィを余だと思って守ってくれるなら、安心なんじゃがのう」
「……かしこまりました。これからは私が、二人の御身を命を持って守らせていただきます」
「それは助かった。では早速ラウナ。今日は久々にお主の食事が食べたい。夕飯の食材を買い出しに行ってくれぬか?」
「そ、それでは小間使いではないですか、フレデリカ様! お二人の目を離してしまっては、護衛の意味が……」
「いいから、はよ行かぬか。部屋にいる限り危険などあるわけがなかろう。それに命を狙われたことなんて、一度もないぞ、心配しすぎなんじゃ」
それでもぶつくさと文句を垂れるラウナの尻を叩き、追い出した。
小うるさいメイドが一人増えたが、まあよかろう。適度に雑用をやらせる分には、丁度よい。それに、もう一つ使いみちがありそうじゃしの♪
「あの、よかったんですか、フレデリカ様……?」
ソフィアだけが心配げに余を見つめていた。
彼女にとって、ラウナは初対面なのだから。余たちの秘密をバラしてしまって、不安なのかもしれない。
余はソフィアの頭をよしよし、と撫でてあげた。
周りから見れば、小さき子が大人をあやす、不思議な光景だが。精神面でいえば、余のほうが百歳近く大人なのだ。ま、人間の年齢に換算すると、余もうら若き乙女に相当するがの。
「なぁに、あやつは余と数十年は縁のある、信頼ある女じゃ。平気じゃろう。食い扶持が一人、増えてしまうがのう」
「それは別に構わないのですけども……」
何か言い出し難いのか、ソフィアはもじもじとしていた。
愛らしい女じゃ、まったく。
「なんじゃ、セックスの時間が減ってしまうかと、心配なのかの? どれ、ラウナが戻る前に一発しておかぬか?」
「わたくし、そのようなことはっ……。あ、あのっ、ちょ……フレデリカ様ぁぁ……」
ソフィアをベッドに押し倒す。
じゅるっと舌なめずりをして、彼女の首筋に顔を埋めた。抵抗は、ない。
うむ。最高の香りじゃ。
余はたっぷりと、ソフィアの身体を堪能するのだった。