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「行き先はわかっておろう?」
「はいっ。西地区のF地点から地下に入って……」
「よし、全速力でゆくぞっ♪」
中央広場から西へ抜け出た、余とソフィア。
水都の街路は、予想通りというべきか、やはりどこもかしこも瓦解していた。
目につく住居や、ホテルなどの建物は大半が倒壊しており、地面からは大木のような根っこが突き出ている有様だ。奴らを放置していては街が壊れるだけだが、かといってそれら全てを相手にしていては、日が暮れてしまう。
迅速に、奴の心臓部へ聖水を浴びせてやらねばならなかった。
余とソフィアは奴の蔓に気付かれないよう、建物の裏側を伝い、こっそりと移動していた。
しかし、敵を相手にして逃げ回るような、ネガティブな行動はストレスが溜まるのう。それもこれも、余が子どもの姿のせいであり、その短い足では走る速度がとろいからであった。
「ソフィ、余を抱えて走ってくれんかの。そっちのほうが早く行けるじゃろ」
「で、ですが……そうしてしまったら、わたくし、走るだけで手一杯ですわ。それに、フレデリカ様も咄嗟に動けなくて危険ではないでしょうか?」
ソフィアとて、騎士の端くれ。腰元の剣が飾りではないことを、証明したくはあるのだろう。だが、余の申し出に困り果てたようなソフィアに対して、こちらは目をキラキラと輝かせて、玩具を発見した幼女みたいに訴えかける。
「迫りくるヴァルディッシュは、余が切り払ってくれるわ。ソフィの使っている剣、振り回してみたかったところじゃしのぅ」
「フレデリカ様は、剣の心得もあるのですか?」
「ま、最低限はの。余に武器なんざ必要はないから、何十年も前に手ほどきを受けたくらいではあるがな」
その思い出は、まさに今の余の身体くらいに幼かった日にまで遡るだろう。
じゃが、習い事なんて退屈であったのは、昔の余にとっても同じ。剣の修練など、わずか一日教わっただけで放り投げたことは、黙っておくとしようかの。
ま、剣の授業を放棄したとはいっても、余にはヴァルディッシュたちを捌く自信がある。
今の身体に宿す、魔力を含めた全ての力が、元の残滓でしかなかったとしても。
余には経験がある。生きた知恵がある。才能がある。
最強の魔族として百年を過ごした余の頭脳さえあれば、こんな植物風情に、遅れは取らないだろう。
「では……戦闘は、お任せしちゃいますよ? フレデリカ様がまともに戦う姿は、初めて見ますわ」
「くく、心して見るがよいぞ♪」
余はいつものようにソフィアの胸に飛びつき、首に手を回す。彼女も慣れた手付きで、余を抱き上げた。
うむ。定位置は落ち着くのう。
特筆すべきは、ソフィアの爆乳に顔を埋めたくなるほどの、最高のポジションであることだ。
じゃが、おっぱいをじっくり堪能している場合ではない。
余はソフィアの腰元をまさぐり、剣を鞘からそっと抜き出した。
ソフィアが扱うそれは女性用であるためか、細身のものだ。十字架のような鍔元には宝玉も埋め込まれてあり、聖水を纏っているのも相まってか、綺麗な装備品という感想しか湧いて出ないだろう。
儀礼用の剣に見えなくもないほどだが、それが悪を祓える聖剣であることは、日々の仕事で証明されている。
余の手にはいくらか、ずっしりとした重みが感じられるが、振るうには問題がなさそうだ。
「あ、あんまり振り回さないでくださいね、フレデリカ様」
「そう心配するでない。お主を傷つけるわけがなかろう? さ、ソフィ、思いっきり走ってよいぞ♪」
「では、木の根たちのことは、よろしくお願いしますね。信じていますわ、フレデリカ様」
「うむ。任せておけ」
ソフィアと視線を交わし、頷き合う。
余たちは、命を共有した間柄。じゃが、例えそうではなかっとしても。恋人として心を通わせ、深い情愛を育んだ仲である。
余が任せろと言ったなら、ソフィアはそれを疑わないのだ。
だからなのだろう。ソフィアは最短距離で、目的地に向かい始めた。多少はヴァルディッシュたちに標的にされようがお構いなしに、通りへと躍り出たのである。
早速、一本の根っこが、横手からシュルシュルと音を立てて伸びてきた。
襲ってきたのは丸太のような太さの蔦だったが、愚直な攻撃だ。細工も無しに、余に通じるわけがない。
余は腕を翻らせて、銀の煌めきを弧に描く。
それは子どもの膂力であろうとも、巨木と思わしき蔦がすっぱりとなますのように切断されていた。切り口からは白煙があがり、強力な除草剤でもかけられたかの如く、萎みながら分解されていく。
ソフィアの騎士剣は聖水の加護を受けているだけあってか、ヴァルディッシュにはよく効くのう。
「お見事ですわ、フレデリカ様っ」
「かかか、これくらいは朝飯前じゃぁ。ほれほれ、ソフィ、もっと走れー♪」
余は気を良くして、腕を振り回してソフィアも鼓舞する。
彼女も余の元気に釣られるようにして、加速していった。
その地面から、肌がちりちりと焼かれるような予感がした。
「下からじゃっ!」
余の叫びに反応して、ソフィアは前へ飛び込むようにして身を投げ出す。ソフィアの後方からは、コンクリートの床を突き破って、蔦がせり出てきた。
余の研ぎ澄まされた神経は、死角からの攻撃も捉えることが可能。それはまさしく、長い歳月を生きた経験からくる感覚なのだ。
余は離れた位置から腕を払い、剣を横に薙ぐ。それが空を切るのは、自明だった。
しかし、剣の切っ先から放出されるは、炎の刃である。
魔力を込めた剣撃から放たれた業火の剣風は、地面から飛び出てきた蔦を焼き切り、黒煙を吹かせた。
「かかか、いい気味じゃのう。炎で焼き切られるか、聖剣で浄火されるか、選ばせてやろうとするかのぉ♪」
「はぁはぁ……っ。フレデリカ様は、どうしてこのような状況で、そんなに楽しそうにしていられるのですかっ!」
「ほれほれ、ソフィ、まだ走れるじゃろ? 余とともに、今この時を楽しもうではないか。死と隣合わせの戦いじゃ。これほど、生きていると実感できるものもあるまい?」
「わたくしは、こんなにも緊張する生の実感はいりません~!」
「余にとっては、生まれてはじめての緊張なのじゃ。くくく、楽しくて楽しくて、身が震えるわ」
余が悦に浸る中、ソフィアはどうにか立ち上がり、移動を再開させる。彼女がはためかせる黒の修道服は、裾がボロボロになり、汚れにまみれていた。それでもソフィアは、心を屈さずに、崩壊した街を疾駆する。
じゃが、それを阻止しようとするつもりなのか、四方から空気を裂くような裂帛の飛来音が押し寄せてきた。
四本もの蔦が、建物の影から同時に現れたのだ。
「ほれほれ、ソフィ、足を止めるなよ。掴まったら一瞬で終わりじゃ♪」
「だから、なんでそんなに楽しそうなんですかぁ!」
ソフィアは泣き叫ぶような悲鳴をあげながら、脇目も振らず疾走した。
その背に、一本の蔦が横切る。
ソフィアの背中には触手がかすり、衣類の一部を破り去っていく。
余はその蔦に向かって、魔力を乗せた剣で、切っ先を滑り込ませた。
「ソフィの肌を見ていいのは余だけの特権じゃ。そんな生ぬるい攻撃では、服をずたずたにできんぞ。余がいる限り、な」
余の魔力を剣伝いに浴びた蔦は、後方で火だるまになり、奇妙なダンスを踊るように身をうねらせていた。
その消し炭を置き去りにして、ソフィアは走る。走る。
余は、剣を振る。払う。炎熱を迸らせる。
追ってくる蔦は全て、斬り伏せてやった。
楽しいのう、楽しいのう。
ソフィアは生死の緊張、そして、余を抱きながら全力疾走していたためか、苦しげに呼吸をしていた。彼女の肺は酸素を求めて、悲痛な叫びを口の隙間から漏らしている。
「ソフィ、辛そうじゃの。じゃが、もう少しじゃ、頑張れ。……戦いが終わったら、いっぱい愛し合おう。余は戦いもそうじゃが……やっぱり、ソフィとえっちをしているときが、一番生を実感できるからの」
ソフィを労るように、耳打ちする。
彼女の返事はなかった。代わりに、余を抱きしめる力に、強さが増す。
ソフィアの頬が緩んでいるのも、見逃せない。こんな危機的な状況でも、余に愛を囁かれると嬉しいらしい。
こりゃあ、今晩は頑張らねばならんのう♪
余のテンションは爆上がりして、剣に乗せる魔力もそれに比例するかのような威力を伴っていた。
じゃが、調子に乗っていると、すぐガス欠になってしまうのもまた、子どもの姿の弊害である。
余は高ぶる気持ちの中、冷静にも力の調整は怠っていなかった。
これもまた、百の年月を過ごした経験によるものなのだ。
ソフィアの走る道。その後ろには、ヴァルディッシュの根たちの残骸が道標かのように連なる。
そうして十数分も駆け抜け続け、目的の場所へ辿り着くことができた。
西側の地区は落ち着いた居住区や、それらの住民を対象とした店が多く見受けられる。
通りにはブティックやら、お洒落なカフェが視界に飛び込んできていた。
しかし、今は見る影もない。路上には店や街路樹だったものが無残にも散らばり、地面にも大穴が何箇所も穿たれている。
そして、道の中央には。
今まで襲ってきた蔦とは、比較にならないほどの巨大な根っこが、どっかりと構えていた。
どうやら、こいつとは避けて通れない戦いのようじゃ。
奴を掻い潜って地下に降り立たなければ、ダムへ続く水路には到着できない。
最後の一仕事、といったところになるかのう。
「はぁはぁ……。フレデリカ様、さすがにあれほどの相手……応援を待ったほうが得策ではないでしょうか?」
「お主もラウナみたいなことを言いよるのう。これは余とあの化け花の勝負じゃ。それに、無茶を言うのはソフィに似てしまっただけかもしれんしな」
「……わたくし、いつもこれほどの無茶、言っていましたの?」
「かかか、そういうことじゃ。ま、黙ってみておれ。剣は、借りておくぞ。ソフィと思って扱うわい」
そう言い残して、余は通りへ身を露わにした。
人気の消失した、水都の街路。
風が、建物の崩れる音を運んでくる。粉塵がパラパラと、視界の端に飛んでいた。
対峙するのは、小柄な童女と、ビルのように聳え立つヴァルディッシュの根だ。
ま、それも本体ではなく、根っこの一部なのだから、そこまで大げさな対決ではないがの。
余も本来の身体ではないから、これを最後の勝負とさせてもらうとしようではないか。
巨影が、余を覆い隠すように、頭上から現れた。
それは単純に、質量の差で叩き潰してくる攻撃だ。しかし、奴の体躯がいくら大きかろうが、そんな知性の欠片もない攻撃、当たるわけもない。
余はひらりと曲芸師のように飛び、地面に叩きつけられた一撃をかわす。
巻き起こるのは、爆発でも起きたかのような衝撃波だ。宙空でそれを受けた余は、突風に見舞われたかの如き勢いで、身を打たれる。
態勢を崩された余を迎え撃つのは、無数の細い触手たちだった。
それらは大木の根から、枝分かれするみたいにして生え出てきたものだ。触手たちは余を捕食しようと、消化液のようなものを垂らしながら、凶刃を伸ばしてきている。
ソフィアの悲鳴が、届いてきた。
余は、にやりと微笑む。ソフィに、安心せい、と語りかけるように。
そして、剣を握っていないほうの腕を振りかざした。
焔風が舞う。
余の魔力は空気を焦がし、業火の炎を顕現させる。細身の触手たちはそれに触れるや、即座に炭化していった。
この身体では、あのボス蔦を焼き尽くすほどの火力は出せないが、細い根っこ程度ならば、いくらでも払えるわい。
余が地面に着地すると、今度は極太の本体が、横薙ぎに襲いかかってきた。
暴風が、巻き起こる。
かかか、あんなものに当たったら、余は簡単にミンチじゃな。しかし、ぺしゃんこにされてしまったら、余のことを食せなくなるというのに、知能を持たない生物とは本当に阿呆じゃのう。
余はそれを、ぴょんと飛び越すようにして、軽々とかわす。後方では、その攻撃を受けたオフィスビルが飴細工のように、いともたやすくひしゃげていた。
瓦礫が礫となり、降り注ぐ。
余はコンクリートの雨を掻い潜り、打ち払い、突進する。
そして、奴が再び鎌首をもたげる前に、根本部分へ降り立った。
余は両手を使い、天から穿つようにして、根の幹へ聖剣を突き立てる。
息を大きく吸い込む。そして、全霊を込め、魔力を注ぎ込んだ。
「今の身体の全力じゃ、くれてやるわい」
余の白髪は逆立つようにたなびき、ぞわりとした感覚が全身に立ち上る。
すると聖剣にも、余の力が奔流のように伝い、溢れ始めた。
剣は刀身を魔界の炎で燃え盛らせ、赤光に煌めく。そして、ヴァルディッシュの根の内部に、灼熱の業火を走らせた。
焼き尽くせないならば、内側から破壊するまでじゃ。
聖剣の破壊力と、余の魔力を合わせれば、それは可能だった。
あっという間に、内部から蔦の先まで焼かれたヴァルディッシュは、その巨躯を街路に沈み落とした。あれほどの巨体は萎びてしまい、ピクリともせずに横たわっている。ざまあないの。
ただ、これだけの死闘を尽くしても、奴本体は無傷なのだから、くたびれ損じゃ。
「……かぁ、けっこうクタクタになってしまったの」
余はぜぇぜぇと、肩で息をしていた。
小柄な身体では、少々無茶な魔力を使ってしまったようだ。
「す、すごいですわ、フレデリカ様……」
駆け寄ってきたソフィアは、余を抱きすくめてくれる。
これで全てが終わったわけではないのに、大げさな喜び方をしよって。じゃが、この後に聖歌を詠って、それで奴の球根を浄化させれば、ようやくハッピーエンドじゃ。
「かかか、ソフィは余の本気を知らんからのう。どうじゃ、チビの姿でも格好良かったじゃろ?」
「はい、とっても……。やっぱり魔界の王族なのですね、フレデリカ様は」
「惚れ直してしまったか。可愛いやつじゃのう、ソフィは。さあ、さっさと仕事を終わらせようぞ」
ソフィアは頷くと、余を抱えたまま、焼き焦げたヴァルディッシュの根本から、地下水路へと侵入していくのだった。