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「お主はどうして、金もないくせに全て女に使っとるんじゃ」
下水処理施設の管理所の中は、どうやらニーナの住居となっているらしく、彼女の私物が少しばかり見受けられた。とはいっても、せいぜい数週間ほどばかり、こっそりと使っていただけのようだが。
室内は狭く、下水の管理に使うだろうコンピュータなどが多く目立っていた。当然ながら電源は落ちているし、部外者が勝手に起動することはできないらしい。……ニーナは管理室の中に、鍵を壊して侵入したらしいので、それだけで犯罪に思えなくもない。まあ、そこは見て見ぬ振りをしてやった。
部屋には、ニーナが買った女の子たちが、五名ほどもいた。
ニーナの言葉通り、彼女たちは思い思いにくつろいでおり、居心地がいいという供述は嘘ではないようだった。狭いながらも、雑誌やら何やら、娯楽すら備えてある。
そんなお店の女の子を、梯子伝いに地上へ送り返し、一段落したところだった。
ここはスラム街の直下。上へ登れば、すぐにでも彼女たちの働く店へ帰ることができるようだ。だからこそ、ここに長時間寝泊まりしていた、らしいが。連絡を入れるのを忘れるほど、住心地の良い空間だったのだろうか。
ニーナはあれでいて、女の子の扱いは上手いので、それが理由の一つでもあるとは思う。特に、メイクやファッションなどは流行を抑えているし、若い女の子からの支持は得られやすいだろう。
ちなみに、延長料金はラウナが支払いをしていた。
「衣食住よりも、女の子に使うほうが優先なのは、当たり前だろ?」
「それは、わからんでもないが……」
やはり、ニーナとはどこか馬が合う。
余がうんうん、と頷いていると、
「さすがに常識に欠けすぎでは?」
と、ラウナからの冷ややかな突っ込みが入るのだった。
「にしてもおかしいじゃろ。ニーナの家は裕福なのに、どうして金がないんじゃ」
「そりゃー、こんなに長く人間界にいる予定じゃなかったし……」
そこまで話していて、余は嫌な予感がした。
ラウナにしろニーナにしろ、余の知人とどうしてこうも、水都で偶然にも再会したのか。もしかしたらニーナも、ラウナのように余の匂いを辿ってきたのだろうか。
だとしたら、余はもう少し、慎重に行動しないといけないのか……それは嫌じゃのう。
「だったら、帰って金を取ってくればよかろう。余たちが来なかったら、結局は金を払えなくってお縄になってたんじゃないのかえ」
「いやー、この部屋、居心地がよくってさー、ついつい、帰るのが面倒くさくなっちゃって。ま、払えなかったら払えなかったで、そん時は身体で払ってたよ……」
「ったく、人騒がせな女じゃ。お主はなんでこの街にきたんじゃ。しかも、こんな地下に隠れて住みよって」
「どうして、って、フレデリカを探そうと思って家を飛び出したはいいんだけど……宛もなくポータルを渡り歩いていたらさ、この地下に辿り着いて。ここの匂いが気に入っちゃったんだよね」
匂いが気に入った。
うーむ、やはり、ラウナと似たようなことを言っておるのう。余が引きつけてしまった、とみて良いのじゃろうか。
そんな考え事をしていると、ラウナが肘で余の脇腹を突いてきた。
なんじゃ、と目配せすると、彼女はニーナの扱いをどうしようか困っているようだ。
なぜなら、彼女は未だに腕を縛られたままで、ラウナがその手綱を握っているのだ。
「このメンヘラ、どうするんですか? 縄を外すのも、なんだか危ないような気がするんですけど」
「確かにのう。逆恨みで、ソフィを狙われたら、たまったもんじゃないわ」
急に話しが飛んできたソフィアは、何事かと首を傾げている。
自分のことに関してはとんと危機感のない女じゃ。
ニーナのメンヘラ具合を知らないから無理もないとはいえ、彼女が逆上する可能性は大いにあり得る。
何せ、ソフィアは余の恋人である、と紹介してしまったのじゃからな。
「フレデリカの彼女か……いいな……。でも、手を出すわけないじゃんか、可愛い女の子だし。いや、性的な意味でなら、出してもいいかもね」
「ラウナ、こいつの縄は解くでないぞ」
「冗談だって!」
ラウナは余の命令には忠実なので、聞く耳持たず、といった風にニーナの拘束を続けていた。
かといって、永遠とこうしているわけにもいくまい。
どこかで解放してやらねばいけなかった。
「おいニーナ。さっきの殺人の話なんじゃが」
「なんだよ、まだあたしを疑ってんのか?」
「そうじゃない。事件はこの近辺で起こっているんじゃ。何か、不審な出来事とか思い当たる節はないか?」
「んー……いきなり、そう言われてもな……」
ニーナは、うーん、と唸って、記憶を遡っているようだ。
彼女のことだけが頼りだった。
なにせ、殺人事件に関しては、手がかりが無しの状態である。一からこの近辺を探索するのは骨が折れるし、成果が得られるとは限らない。
ニーナの熟考を、全員が沈黙で見守っている。
室内には機械の作動音だけが響いていた。
「あー、そういえば」
ニーナは何か思い至ったのか、呑気な口調で話しだした。
余たちは、全員が彼女に注目する。
「見回りっていうのかな……何日かに一回、人が歩いてたこと、あったんだよね」
「ほう、それで?」
「どうやら男みたいだったからさ、見つかりたくなくって隠れてたんだけど……。この辺をなんか調べた後に、もっと奥に行ったみたいなんだよ」
「うーむ、それだけか……?」
「でもさ、よく考えたら、ちょっとおかしいかなって。だって、見回りなら、帰りにまたここを通るだろ? でもさ、行ったきり、帰ってこなかったんだよ。よく考えたら変じゃないかな。全員が全員だぜ?」
ニーナの証言に、余たちは顔を見合わせる。
おかしいと言えばおかしいし、おかしくないと言えばおかしくはない。
なぜなら、水都サウレスの地下は複雑に絡み合った迷宮である。どこか他の出口から地上へ出ることは、いくらでも可能なのだ。
ソフィアも同じ考えに至ったのか、彼女は懐から水路の地図を取り出していた。
「この先は、どうなっています?」
「えーっと……下水処理のための、大きなダムのようになっているみたいですわ。そこで行き止まりになっていますわね。地上へ出るためには、管理の鍵が必要みたいですけど……」
ラウナの質問に、ソフィアが答える。
スラムの下を通る人間が、果たして鍵を持ち歩くだろうか。しかも、数日起きに、何度も何度も。
「この先、行ってみる必要がありそうじゃの」
余は、白皙の指先で自身の顎を弄りながら、提案する。
大人の身体でいられるのは、後何分ばかりだろうか。
できれば、この身体のうちに事件解決はしておきたいところである。
じゃが、それも杞憂だとは思う。なぜならニーナが魔族の痕跡を出していたのだから、これ以上の敵はおらぬと見て良いじゃろう。
「では、行ってみましょうか。このメンヘラはどうします?」
「放してやれ。おいニーナ、お主も事件解決を手伝え。ともに行くぞ」
「あ、ああ、任せてよ。お金、払ってもらっちゃったし。……それに、フレデリカと一緒なら、なんだってするから」
すぐにメスの顔になりよるのう、この女。
ニーナの見張りはラウナに任せるとしようかの。
余は見せつけるようにして、ソフィアと腕を組んで、管理所を後にする。
さて、ここからダムまでは、梯子を使って登ったり降りたりの、少しばかり立体的な移動が必要となるの。
何か手がかりがあるといいが……。
「そういえばラウナよ。お主、ニーナに負けたのは、何が理由なんじゃ」
梯子を下って、横に広くなった地下水道を歩きながら、余は思い出していた。
戦闘訓練をされたラウナが、ニーナに遅れを取るなどとは、絶対にありえないことなのだ。
ではなぜ、ラウナは敗北を喫したのか。
そこにはきっと、面白おかしいエピソードが存在すると睨んだのだった。
「……別に、何もありませんけど?」
努めて平静に答えたつもりなのだろうか。しかしそれは、幼き子どもが出来の悪いテストを隠すかのような口ぶりだ。どうやら、いつもは怜悧なメイドっぷりを発揮しているラウナには、かなりの動揺が走っているらしい。
これは、大当たりのようじゃな。
余はお宝を発見した盗賊のような満面の笑みで、ニーナへ顔を向けた。
「ニーナ、何をやったんじゃ?」
「何、って簡単だよ。ハ……もがっ」
恐ろしいまでの早業だった。
ラウナは瞬時にニーナの口を抑えると、彼女の両手をも縛り上げている。再び拘束されたニーナは、息をするのも苦しいのか、青白い顔をさらに青く染め上げていた。
この反応……どれほどの弱みを見せられたというのだろうか。
何が何でも、聞き出してやるわい♪
「ラウナ、余の命令じゃ。ニーナを放せ」
「断ります! 断固拒否します! 絶対に放しません!」
あのラウナが、ここまで慌てふためく姿が、すでに笑いのツボを刺激してくる。
じゃが、まだ笑うわけにはいかんのじゃ。
余はスススーっと、ラウナの後ろに忍び寄る。
銀髪のメイドはニーナを抑えるのに必死なので、背中ががら空きじゃった。フリフリのメイド服が視界を埋め尽くす。余はそのスカートをそっと掴んだ。
ラウナはそれすらも気づいていた。
彼女は振り向きざまに、拳骨をお見舞いしようとしたのか、拳を振り上げている。
じゃが、今の余は大人の姿だ。
ラウナの痛烈な打撃が浴びせられる前に、余は彼女の手首をガッシリと握っている。
「残念じゃったな。この姿にはお主とて手がでまい。さ、ニーナよ、今のうちに教えておくれ」
「くっ……卑怯ですよフレデリカ様っ!」
ラウナは必死に身を捩るが、余に取り押さえられては、振りほどくことは不可能。
それでも往生際が悪く、あろうことか、ラウナは膝蹴りを余の腹に叩きつけてきた。
じゃが、そんなもの、最強の魔族である余には通用しない。ラウナの膝の腹は、手のひらで受け止めている。
ラウナの奴め、大人の余にはガチの攻撃をしてくるわい。
「このメイドさ、あたしとフレデリカのハメ撮りを見せたら、固まっちまったんだよ。その隙に、ね」
自由の身となっていたニーナが、お返しとばかりに言い放つ。
ラウナはそれを聞くと、抵抗も虚しくなったのか、がっくりと項垂れていた。その頬が赤に染まっているのを、余は見逃さない。
「かかかっ、そりゃあ愉快じゃ。ラウナめ、余のこと好きすぎじゃろ」
ラウナのギャップにたまらなくなり、余はもう大爆笑。周囲の目など気にせず、腹を抱えて地面を転げ回る。
にしても、ハメ撮りとは、またニーナらしい手段を用いりよったのう。
彼女とは何度もセックスをした間柄ではあるので、様々なプレイをしたのも、良い思い出じゃ。
性に免疫のないラウナ、唯一の弱点じゃの。
笑いの発作が止まらない余は、ゲラゲラとした哄笑を地下水路に、永久と思えるほど、反響させていた。
その脳天に、ゴチン、と不吉な効果音が鳴る。
衝撃はすぐに走り抜けた。
頭が爆ぜ割れたのかと思った。
鋼の耐久力を誇る余の頭部が、痛みに涙を訴えている。
その頭頂に、今一度、ゴチン、と音が鳴った。女の頭で奏でられることなどあってはならない、地獄のような耳障りだ。
「ぐおぉぉ……ラウナ、お主、主君の頭を蹴りよったな!? 二度も!」
ラウナはなんと、余が転げ回っているのをいいことに、頭部につま先をめり込ませてきたのである。
確か彼女の履いている靴は、特殊な金属が埋め込まれてある凶器のスニーカーだ。
それに加えて、奴の脚力である。ラウナはあろうことか、主君の頭を思いっきり足蹴にしたのだ。
いくら大人の姿の余とはいえ、やりすぎではなかろうか。
「フレデリカ様にとっては、大したダメージではないでしょう。先ほどの記憶、消去されるまでは蹴らせていただきます」
「待て待て待て、余が悪かった。この話はそれでしまいじゃ。事件解決が先じゃろう!?」
「遊び始めたのは、あなたでしょうフレデリカ様」
ラウナがまたもキックの態勢に入る。それは球蹴りでもするかの如く、大きく振りかぶったモーションだ。余はどうにか立ち上がり、それが放たれる前に姿勢を正し、三発目を回避する。
「そんなに大振りなキックをすると、くまさんパンツが覗けてしまうぞい。はしたないのう」
軽口を叩くと、ラウナにギロリと睨まれる。その瞳は、まるで剣山である。
可愛げがあるのか、ないのか、よくわからんメイドじゃ。
しかし、悠長に遊んでいても、チビの姿に戻ってしまうしのう。
余は残念な気持ちで、ラウナをからかうのをおしまいにした。もう少し、笑っていたかったものじゃ。
それを見たラウナは、未だに余の背を刺し貫くように、睨めつけている。
しかし、彼女はニーナの監視にも使命感があるらしく、結局はニーナと隣並んで歩み始めた。
事態を傍観していたソフィアが、余の傍に寄り添ってくる。
「あのぅ、フレデリカ様。はめどり、とは、なんでしょう?」
「いや~、純粋なソフィには癒やされるのぅ。お主は知らんでいいことじゃ」
「教えて下さい、フレデリカ様。なんだか、今日ははぐらかされてばっかりですわ。……わたくしの知らないことばかりだと……モヤモヤするんです」
「わかったわかった。本当に可愛い奴じゃの♪ 安心せえ、後で教えてやる。ベッドの中でな」
余が、ソフィアにだけ聞こえるように、耳元でそっと囁く。
すると、彼女は煙をあげるようにして、急速に顔を赤らめた。
「どうして、ベッドの中なんですか?」
「事件が終わった後、ゆっくりと、布団の中で語り合うのが、いいじゃろう。余ははぐらかさん。約束じゃ」
「約束ですよ?」
「うむ」
余とソフィアは、指切りを交わす。
大人の姿だと、ソフィもちょろいものじゃのう♪
ハメ撮りくらいなら、実直してやらんでもないし、楽しみが増えたわい。
鼻歌でも口ずさみそうになりながら地下水道を進む。
すると、ダムへと続く梯子が顔を覗かせていた。