11.
11
「ぎゃはははははははっ」
ラウナの元へ舞い戻った時、機械の駆動音すらもかき消すような大爆笑が辺りを支配した。
その出処は、余である。
「ら、ラウナよ、お主、ニーナに負けたのか……。ぎゃははははっ」
ラウナはなんと、ニーナに組み敷かれており、短剣を奪われたのか、それを首元に突き付けられた状態だった。
その表情は、屈辱やら、恥辱やら、憤りやら、様々な感情が内包されており、見ているだけで笑いを誘われてしまう。
余はそのありえない光景を目にして、腹を抱えていた。
状況が状況だけに、笑っているのは不自然に見えなくもないが。事実、背中にはソフィアの緊張した視線が突き刺さっている。しかし、面白いものは面白いのじゃ。
「申し訳ありません、フレデリカ様……」
「かかかっ、ここが余のお屋敷じゃなくてよかったのぉ。お主、メイドをクビになっているところじゃぞ」
ラウナの首筋に刃がめり込みそうなことなど歯牙にもかけず、余は歓談をするようにしてニヤニヤと話しかける。
それに対して、自身の優位が揺らいだと思ったのだろうか。
ニーナはこれみよがしに、ナイフをラウナに押し当てて、睨んできた。
「フレデリカっ、まさか本当にやってくるとは思わなかったよ……。これが見えているだろ? 大人しくしないと、本当にこいつの首を掻っ捌くぞ!」
ラウナは髪の毛を掴まれ、顔を天井に向けさせられている。そして、喉元が余によく見えるように晒され、短剣が軽く食い込んでいた。
じゃが、それを見せつけられたところで、余にはなんの感慨も存在しない。
ちらり、とニーナを見やるだけだった。
「フレデリカ、よく聞け。あたしとヨリを戻すなら……こいつは解放してやってもいい」
ニーナは余を見つめるや否や、即座にメスの顔を取り戻していた。
うーむ、いきなりそんな取引をしてくるか。こやつの執念、身の毛がよだちそうじゃ。
だけど、それは女と女の、ドロドロとした痴情のもつれ、というわけにはいかなかった。なぜならば、人質にされているラウナがしきりに、鋭い眼光で隙を探っているからだ。ニーナは女の顔をしつつも、人質を取り逃すことのないよう、常に神経を尖らせている。
「残念じゃが、余にその気はない。怪我をしたくなければ、諦めて投降せんか」
「おっと、動くなよ。あたしだって、上流魔族の端くれだ。一瞬でこの犬の首を掻っ切ることくらい、できる」
「やれやれ、じゃのぉ」
「いいから、フレデリカは責任をとってあたしを嫁にしろよ!」
痺れを切らしたのか、ニーナはぷす、とラウナの首筋に短剣を幾ばくかめり込ませて、怒号する。
メイドの首からは血の雫が一筋、滴り落ちていた。
それでも、余とラウナ、両名にはなんの感情も浮かんでいなかった。
ただし……。
「ど、どういうことなんですか、フレデリカ様っ! 責任をとる、って……」
ソフィアが居ても立っても居られなかったのか、口を挟んでくる。
今までその存在を気にも留めていなかったニーナが、ソフィアを視界に収めて、訝しげに眉を動かしていた。
「そ、そのじゃな。何だか知らんが、この女に言い寄られておってのぅ……」
頼むから、いらぬことは言うなよ、ニーナ。
余はそんなことを願いながら、冷や汗をかいていた。
まるで、ナイフを喉元に突き付けられているのが、余であるかのように。
「しらばっくれるなよ、フレデリカはあたしの元カノだっ! あたしの言い分も聞かずに捨てやがって!」
「元カノではないじゃろう! お主は元セフレじゃ!」
売り言葉に買い言葉、余はニーナに食って掛かっていた。
しかし、それを聞いていたソフィアは、余の後方で暗黒のオーラを迸らせている。
ああ、もう、どうしてこうもややこしい展開になるんじゃ!
……いや、これは全部、因果応報か……。
「せふれ、ってなんですか、フレデリカ様っ! 元恋人なんですか、どうなんですか!?」
「後ろのシスターはフレデリカのなんなんだよ!?」
ソフィアとニーナが、喚き散らす。
人質にされているはずのラウナは、カップルの喧嘩にでも巻き込まれたような哀切な表情で、目眩を起こしているようだった。これには余も同情せざるを得ないな、すまぬ、ラウナ。
「ソフィは余の今カノじゃ。将来を誓い合っておる、な」
「……なっ」
ニーナは、絶句していた。
その表情は絶望に塗り潰され、今にも手元の短剣を床に落としてしまいそうだ。
しかし、彼女はギリリっと下唇を噛むと、今度は憎悪の顔に彩って、余を睨めつけてきた。
「ならば、そいつと別れろ。でなければ、このメイドは殺す」
「嫌じゃ。ソフィとは永遠の愛を誓ったのじゃ」
「フレデリカ様。私に構わず、このメンヘラを捕らえてください」
事態が硬直をたどり、ラウナもついに身を挺する発言をしてきた。
余はそれが情けなくなって、慨嘆する。
ニーナは、勘違いをしていた。余に打つ手なし、と見ての溜息だと思ったのだろう。彼女は自分こそがこの場を支配しているのだ、と余裕の表情を保っていた。
しかし、そんなニーナに、余は覇王の如き豪胆な笑みを見せつけるのだった。
「お主ら、揃いも揃って馬鹿なのかえ」
全く。余は魔界ナンバースリーの実力者。
このような人質、あってなきようなもの。それすらも理解できないほど、彼女たちの頭が悪いようには思えんが。余の力を忘れてしまっているのなら、いい機会じゃ。
久しぶりに、わからせてやるかの。
「これが、見えていないのか!?」
ニーナの手にする短剣が、またしても一つ、薄皮を食い破る。
これ以上は、ちと危険か。
余は、すぅっと息を吸い込み。
ニーナの瞳を強く、一睨みした。
瞬間、ニーナの顔面は、強烈な銃撃を受けたかのように、後方へ弾かれるみたいにして仰け反った。
鮮血が赤の筋となって、宙空に弧を描く。
ラウナはその一瞬で身を捩り、旋風が巻き起こりそうなほどの速度で、拘束から抜け出ている。
そして、銀髪のメイドはニーナの腕を引っ掴んで、今度は逆に床へ押し倒していた。完全な形勢逆転である。
ニーナは身体を痙攣させ、ぐったりとしていた。
しかし、すぐに意識が戻ってきたのか、恨むように面を上げる。
「ばっ、化け物がぁ……」
ニーナは鼻腔から血をドクドクと垂らしていた。それはまるで、顔面を鈍器で強打されたかのような、派手な出血だ。
やれやれ、やりすぎてしまったかの。
手を抜いたつもりじゃったが、力加減は難しいわい。いくら犯罪に手を染めたとはいっても、元セフレじゃ。ついつい手心を加えてしまった。
余は相手の瞳を睨むことで、精神に直接攻撃をしかけたのだ。邪眼、と呼ばれる魔族特有の技ではあるが、余のそれは別格の威力を誇る。ニーナは何が起きたのかすらも、理解できていないだろう。
余と対峙している……ただそれだけで、致命傷だということがわからぬのならば、それはもう敗北しているも当然なのだった。
「身柄を拘束します。これにて一件落着ですね」
ラウナのメイド服には便利なものが色々詰まっているのか、彼女は縄を取り出してニーナの腕を縛り上げていた。
そのニーナといえば、あれほど牙をむき出しにしていた面影は皆無、今や悄然と俯いている。鼻血が流れているからなのもあるだろうが、そこにあるのは何の変哲もない少女の顔だ。
「うぅ……くそぉ……。フレデリカぁ……せめて、あたしのことは元カノって言ってくれよぉ……」
……そこなのか。
余とラウナは、ニーナの怨嗟のような言葉に、落胆の色を隠せていなかった。
「では、フレデリカ様、このメンヘラはこのまま教団へ突き出しましょうか?」
ニーナのすすり泣きが終わると、ラウナは無表情で口を開けた。
銀髪のメイドはニーナを拘束したまま、何事もなかったかのように澄まし顔である。迷子センターでも探しましょうか、みたいなニュアンスですらあった。こやつ、一寸前まで人質にされておったくせに。
「なんだよ、教団って。あたしが何をしたって言うんだよ」
ニーナはこれまた同じように、先刻の喧嘩など素知らぬ顔だ。ちなみに、鼻血やら鼻水やらはソフィアが拭いてあげていた。
余はその態度に、溜息をつく。
そして、ニーナの顔をまじまじと覗き込んだ。すると彼女は、みるみるうちに頬を染める。
一体どれほど余のことを愛しているというのか。
ニーナは顔も身体も悪くはなかったのじゃが、性格がちと好みではなかった。彼女とは遊びのつもりだったのじゃが、一度抱いたら恋人面をしてきおって、その後が至極大変じゃった。しかも手首にはリストカットの跡まである。
上流魔族のリストカットは、それはもう凄まじいものだった。なぜならば、彼女らは生命力が段違いであるからだ。あるときには、魔界の猛毒を塗りたくったナイフでリスカしているときたものだ。そんなものを見せつけられてばかりいたものだから、こちらが精神崩壊しそうなものじゃった。
「観念せえ、ニーナ。昔のよしみじゃ、罪を軽くするようには言ってやる」
「あぁ? 罪ってなんだよ。そりゃー……そこのメイドには少し傷つけちゃったけどさ。あたし、女の子を殺すなんてことは、絶対にしないよ?」
捕らえられた後のニーナはしおらしくなっており、見た目がちとボロボロなのを除けば、確かに犯罪者には見えない。
ただ、事件現場の近くに身を隠しておいての発言は、信用度が地に落ちているも等しい。
「あなたの殺気は本物でしたけどね。しらばっくれても、無駄ですよ」
ラウナが事務的に告げると、ニーナは慌てて首を横に振った。
「違うって! あたしはただ……フレデリカに、構ってもらいたかっただけだよ……。メイドのことは嫌いだけどさ、殺すつもりはなかったよ」
さすがメンヘラのニーナ。構ってちゃんっぷりは、余よりも遥か上におったか。
にしても、凄まじいまでの一途な想いじゃ。なんなら、邪眼の一撃すらも喜びと感じていそうなほど、ドMっぷりも垣間見せておる。
余はそんなニーナの発言に、鼻白んでいた。
やはりどうにも、彼女が殺人を犯すとは思えんのう。何せ、彼女と余は、同じレズビアン同士である。その意気投合によって、セックスにまで発展した仲なのだ。
彼女が男性を食らうなどとは、信じがたいのも事実。なぜなら、触れるのも悍ましく思うはずなのだから。
ソフィアも彼女の心に感化されたのか、ニーナの傍らに立って、彼女をつぶさに観察していた。
「もう少し、お話、聞いてあげましょう。……フレデリカ様の元、恋人、なんですよね?」
「恋人じゃないわい! して、ニーナよ。どうなんじゃ。お主には、殺人事件の容疑がかけられておる。何か言いたいことはあるかの?」
ソフィアにそそのかされて、ニーナに今一度問うてみる。
すると、彼女は目を丸くして驚いていた。
「殺人? あたしが、そんなことするわけないだろ。あたしはこれでも、魔界の貴族だよ。人間界で犯罪を犯すわけないって」
余とソフィアは、きょとん、としてしまう。ニーナこそが犯人だと決めつけていたばかりに、手がかりが白紙に戻ってしまったのかと思ったのだ。
ただ、ラウナだけは未だに嫌疑の眼差しを向けている。
「どうせ、でまかせですよ。女の子をさらうなんて、この人くらいしかいないでしょう。それに、その身なりです。男性に見つかってしまったので、腹いせに殺して、空腹を満たしたのでしょうね」
「あのさぁ……男なんて触れるどころか、見るのも嫌だっつーの。っていうか、今なんて言った? 女の子、さらってるって、もしかして、そんな話になってるの?」
どうやら、行方不明事件のほうは、心当たりがあるらしい。
ニーナは照れた風に笑った後、真相を紡ぎ出した。
「いやー、それがさ、女の子にお金払って、ここに連れ込んでたんだよね。そしたら、その子たちもなんか居心地がいいって言うから、延長に延長を重ねてたんだけど……それのことかな?」
「……はぁ?」
それにはラウナも、気の抜けた返事しかできないようだった。
……この事件、行方不明とは名ばかりの、ずさんな管理をしていた娼館の不手際のようだ。
しかしながら、殺人が起きているのはまた真実で、それのせいもあってか、行方不明となされていたのかもしれない。
「じゃあ、男の死体には心当たりが全くないのかえ? 食われているような亡骸だったらしいぞ」
「だから、知らないって。想像するだけでも気持ち悪いな」
「……か~、こりゃ、また一から捜査じゃぞ。仕方ないのう、金で買った女の子だけでも、さっさと店に帰してやらぬか」
余は天を仰いで嘆いた。
そしてニーナはといえば、何やら言いづらそうに、唇をすぼめている。
「あ、あのさ。延長料金払えないから、お金、貸してくんない?」
「…………」
ラウナもソフィアも、それにはダンマリとするしかなかった。