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 そこは開けた空間となっていた。

 大型の下水処理施設は、スラム街の下でも皓々とその存在を見せつけている。

 先の道とは打って変わって、電気はきちんと通っているようだ。暗闇の地下水路に明滅する電灯は、眩しさに目が潰れてしまいそうだった。


 周囲には大きな機械が蠢き、何やら駆動音で騒がしい。だが、それらを監視する作業員の姿は、どこにもなかった。それはスラム街であるのも理由の一つだが、水都サウレスの地下には、このような処理施設はごまんと存在している。人手の足りていない水路管理は、定期点検の手段が主なものだった。ただし、重要な拠点には作業員が箱詰めで働いているらしいが……少なくとも、スラム街の下には、人の影は一つも存在していない。


 サウレスの地下に、これほど大掛かりな水路がひしめいているのは、過去の産物だったと聞く。現代において、作業員が減ってもなお、利用が続いているのは、コンピュータの発展によるものらしい。ある程度の期間ならば、無人でも問題がないようだった。


 機械たちのすぐ傍には、本来ならば作業員が収容されているはずの管理所が建てられてある。

 ……魔族の痕跡は、そこから漏れ出ていた。

 事件の犯人と思しき人物は、誰もいないのをいいことに、管理所をねぐらにしているようだ。


「どうやら、中にいるみたいですね」


 ラウナは機械群に身を隠しながら、ひっそりと呟く。その囁きは、すぐに騒音の中に溶け込んでしまう。

 だが、しっかりと聞き遂げたソフィアには緊張が走り、恐らく無意識だろうが、剣の柄に手をかけている。

 逆に、余は欠伸をかきたくなるほど、余裕綽々だった。


「ラウナよ、お主がノックでもしてこい。どうせ大した相手ではないじゃろ」


「……そうですね。気配からすると、一人だけのようですし。さっさと片付けてしまいますか」


 ラウナはそっと立ち上がり、スカートの中に手を突っ込む。そして、その手首が翻ったときには、短剣の一振りを逆手に握っていた。


 ソフィアはひとまず、ラウナに任せるつもりなのか、息を呑んで彼女を見守っている。

 

 銀髪のメイドは短剣を手に、音もなく下水施設管理所の傍らに忍び寄っていた。

 彼女は室内を窺うように、壁に耳を当てている。

 しかしながら、周囲に鳴動する機械たちによって、音の情報は何も得られないだろう。

 耳を澄ましたとて、せいぜいが流れ出る水のせせらぎが感じ取れるくらいである。さりとてラウナも、無駄なことをしているわけではなかった。漏れ出る気配を感じ取れるレベルの器官を有する彼女は、中の些細な動きを探っているのかもしれない。


 何分ほど、そうしていただろうか。

 氷の彫刻かと思えるほど、整然と立ち尽くしているラウナ。彼女は、突然に飛び退った。

 それはまるで、壁に電流でも流れたかのような、反射的な動きに近い。


 扉から一歩引いたラウナは、そこをじっと凝視している。

 普段の冷え切っていた彼女の瞳は、激情に駆られているみたいにして燃え盛り、施設の扉に目を向けたまま、動かない。

 そして、短剣を後ろに構えて、いつでも攻撃に転じれるように筋肉を撓ませていた。


 ソフィアには、変化が感じられなかっただろう。どうしてラウナが戦闘態勢に入ったのか、疑問の眼差しを向けている。


 しかし、管理所の扉がゆっくりと開いたことによって、その答えが出されていた。


 一つの人影が、悠然と顔を覗かせてくる。

 ラウナがその一瞬で相手を取り押さえられなかったのは、現れた人物が強敵だと、認識したからだった。


「気配を殺してたつもりだろーけどさ、あたしにはバレバレだったよー?」


 低い笑い声を伴にした人物が、光に映し出される。


 黒髪の女性だった。

 顔はやつれており、蒼白い。目の下には隈がアイシャドウのように描かれ、髪型はボサボサだ。魔族特有のピンと尖った耳は、彼女の種族を知らしめている。

 そしてシャツにスカートと、平凡な服装ではあるが、実際にはそれはボロボロであり、洗濯をしていないようだった。だが、スタイルは良く、おさげの髪型もあどけなさを残しているので、健康な顔色にでもなれば上品そうに見えなくもない。


 そんな、ちょっとばかり物ぐさそうな女は、漆黒のオーラを漂わせているかの如く、禍々しく見えた。見かけによらずの、強力な力を隠しきれていない。よもやこれほどの上流魔族が潜んでいるとは、思いがけないものだった。


 ……しかし、余とラウナが驚いたのは、そこではない。

 その顔には、見覚えがあったのだ。


「あなたは……メンヘラビッチ!?」


「あぁん? って、おめー……フレデリカの犬かぁ!」


 女は、突然に目を見開き、瞳を炯々と輝かせる。そして、犬歯をむき出しにして激高した。彼女が抑えていた魔力の源は爛々と迸り、一気に威圧感を放出させた。

 ラウナと女、二人の視線はぶつかり合って、辺りには重力でも発生したかのように、鈍重とした空間ができあがっている。


 彼女の名はニーナ。

 ……余の、昔のセフレじゃ。

 まさか、彼女がこんなところで人さらいをしているとは、意外じゃった。

 じゃが、魔力の痕跡から彼女を察せなかったほど、徹底して隠れているところを見るに、事件の犯人で間違いはなさそうである。

 奴の性格上、ありえなくもないが……余はどこか腑に落ちなかった。


 しかし、懐かしい顔を見て、郷愁に浸っている場合ではないか。

 余はソフィアに抱かれながら、機械に身を潜めたまま、いつでも飛び出せるように様子を窺っている。


「ここで会ったのは何の縁だぁ? お前には色々と世話になったよねぇ……。またしても、あたしの邪魔をするってんなら、痛い目を見てもらうよ」


「それは言いがかりですよ。それに、あなたは今、重大な犯罪者です。ここで身柄を拘束させていただきますね」


「犬のくせに、なにをわけのわかんねーこと、ごちゃごちゃ言ってんだよ。おめーの大切なご主人様は、一緒じゃないのか?」


 二人の目線は鋭く交錯して、まるで瞳で斬り合っているかのようだった。

 彼女たちは今すぐにでも掴みかかりそうな状況だが、お互いの力量を把握しているからか、動きはない。


 しかしニーナも、幼くなった余の力までは感じ取れていないようじゃな。ソフィアと余が隠れていることくらいは、お見通しじゃろうが。それがフレデリカ本人とまでは、感づいていないようである。


「フレデリカ様は今頃、恋人とイチャイチャしておられる時間のはずですね」


 ラウナは挑発するかのように、嘲弄を込めて言った。実際それは、当たらずも遠からずじゃが……。

 ニーナはまんまとそれに乗せられたのか、こめかみに血管を浮かび上がらせ、荒い息をついている。……どうやら奴め、余のことをまだ引きずっているようじゃな。


「ちっ、イライラする。てめーをヤッて、フレデリカをおびき寄せる餌にしてやるよ。そこに隠れてる二人は……今なら、見逃してやってもいい。せいぜい、フレデリカでも呼んでこいよ、お前の大切な番犬ちゃんがヤラれそうだ、ってな」


 空気がピリピリと、緊張に張り詰められていく。ニーナは気配から、余たちの場所までも察知しているのか、正確に捉えられているようだ。


 殺し合いでも始まりそうな剣呑な雰囲気に、ソフィアは足を震わせていた。

 なぜならば、ラウナもニーナも、超上流の魔族。その力は、人間とは比べ物にならないほど、卓越したものなのだから。


「ソフィア様、そこのメンヘラがこう言っておられるので、今のうちに退避してください。庇いながらでは、少々厳しい相手ですので」


 ラウナはニーナから目線を外さずに、言ってきた。

 じゃが、ラウナの力を鑑みるに、それは不可能ではないだろう。それでも、確実性に欠けると踏んで、申し出たのだ。

 

 ニーナは魔族の上流階級、そのお嬢様である。彼女は潜在能力こそ高いものの、戦闘訓練はされておらず、ラウナならば遅れは取らない。

 しかし、ニーナが暴れ狂ったとすれば、街の被害は甚大な影響を受けるだろう。


 ソフィアはどう判断すればいいのか、すぐに逃げようとはしなかった。

 余はそんな恋人に、こっそりと耳打ちする。


「一旦引くぞ。ラウナの言う通りじゃ、余たちは足手まといになる」


「で、ですが……。ラウナさんが心配ですわ」


「いいから、行くぞ。あやつの心配をしておる場合ではない。余とて、こんなところで死にとうはないわ」


 ソフィアは余の命を握っている、と思い出したのか、どうにかこうにかその場から離れると決めたようだ。

 彼女は余を脇に抱えたまま、暗闇の水路へ踵を返していった。





 ラウナとニーナ、彼女たちの戦闘区域からだいぶ離れると、再び真っ暗で、静寂な水路に後戻りとなっていた。

 ソフィアは余を地面に降ろすと、肩で息をしている。

 ラウナから渡されたランタンの光が、ソフィアの額にじっとりと浮かぶ汗を映していた。


 余を抱えて走ったとはいえ、それほど体力を消耗するはずがない。ソフィアのスタミナは中々のものを誇り、毎日毎日、余をおぶさったり、抱っこしたりして街を歩いているのだ。


 しかし彼女の顔には今、疲弊が色濃く発露していた。

 超上流魔族の圧を一身に受けたソフィアは、神経系に多大なる負荷を感じたのだろう。

 だが、そのエメラルドグリーンの瞳に、翳りは一切ない。むしろ、強く発光しているような力があった。


「……やっぱり、戻りましょう、フレデリカ様」


「馬鹿を言うのはよさぬか。ラウナが何のために逃してくれたと思うておるんじゃ。死にに戻るだけじゃぞ」


「ラウナさんが心配なんです。フレデリカ様は、不安じゃないんですか?」


「余はあやつの力をよーく知っておるからのぅ。ソフィこそ、ラウナを信じてやれんのかえ?」


 問われたソフィアは、そうではないと言うように首を横に振った。


「すごく、嫌な予感がするんです。それに、お二人とも、お知り合いなんですよね? 一体、あの女の子は、何者だったのですか?」


 逆に問われて、余は言葉に詰まった。

 これは、どうしたものか……。素直に、昔のセフレじゃった、と答えてしまったら、ソフィアも奴みたいに病んでしまわないだろうか? 浮気には厳しいし、その兆候はなくもない。


 ま、ソフィアならば、メンヘラになっても愛せるじゃろうがの。じゃが、今はそう言っている場合でもないか……。


 ニーナとは遊びの関係だったのだが、彼女はそれを現実として受け入れなかった。

 彼女に別れを告げた後。奴はリストカットをしてきたり、余をストーカーしたり、屋敷にも何度か忍び込もうとしていたくらいの筋金入りである。その度に、ラウナに追い払われていた過去があった。

 だからこそ、ニーナはラウナのことを過剰に嫌悪している。……ラウナにとってみればそれは仕事上のものだったので、逆恨みも甚だしいところじゃろうが。


「ま、まぁ。昔の友達、じゃよ」


 身体関係のじゃがの、と心のなかで付け加える。嘘は言っておらぬ。


「……お友達、にしては、随分怒っていたようですけれど……」


「色々と、な。余は王女じゃし、ニーナ……奴も、上流階級じゃから、しがらみが複雑なのじゃよ。ま、全て過去の話じゃ。ソフィが気にする必要もない」


「気にしないわけにはいきませんわ。だって……ラウナさん、危険な目に合う予感がするんです。あの方は、それくらい怒っていましたわ。……お願いします、フレデリカ様、力をお貸しください。ラウナさんを援護しに戻りましょう?」


 一度言い出したら、ソフィアを説得させるのは難しい。

 我が恋人の頑固さが、ここにきて発動するとはのう。

 じゃが、彼女の予感、を信じてもいいかもしれない。

 普段は自分の力でどうにかしようとするソフィアが、珍しく余を頼ろうとしているのだ。そこまでして助けに戻りたいと言うのならば、嫁のわがままを聞いてやるのは、寛容な余の役目である。


 それに、ニーナが犯人だとしたら、ここで元の姿に戻っても問題はないか。

 少なくとも、余が子どものまま、のこのこと出て行ったら、危険がすぎる。ソフィアの言う万が一、ラウナが負けていることを危惧するならば、余は大人になっておいたほうがいいだろう。

 どれほどの時間、戻れるかは不明じゃが……最悪五分でもあれば、片は付くかの。


「しょうがないのう、ソフィ。わがままな嫁を持つと苦労するわい」


「すみません、フレデリカ様……。でも、いつもわたくしのわがままを聞いてくださって、嬉しいですわ。愛しております」


「うむ。愛しておるぞ、ソフィ」


 それが合図となって、余とソフィアは急接近する。彼女は小ぢんまりとした余の背丈に合わせるようにして、前屈みになって唇を差し出してきた。そのブロンドのウェーブヘアがさらりと揺れ、前髪を横にどける仕草に、情欲が駆り立てられる。


 闇が支配する地下水路にて。余とソフィアは唇を重ねた。

 ランタンが浮かび上がらせるは、少女と童女のキスだ。


 余はソフィアの口内に舌を滑り込ませ、彼女のそれと絡み合わせる。

 唾液が混ざり、甘やかな味覚を余にもたらせてくれた。


 余は恍惚の表情となって、愛する恋人の唾液を喉に流し込む。


 その感覚は、すぐに去来した。


 全身の細胞にくまなく、力が漲ってくる。筋肉が内側から弾け飛びそうなほど、膨張するようにして、力が満ち溢れた。

 とてつもない解放感が、体内を駆け巡る。それらは魔力となりて、余の全てを構成していく。

 地下の水路は大気が震え、そこに流れる水の道は余の力に怯えたのか、波を荒立たせていた。

 

 最強の魔族、レヴィアンサス家の次女フレデリカは、サウレスの地下水道にて再来したのだ。


 着用していたワンピースは体の成長についてこれず、無残にも上下に破れてしまっている。

 若干パンク風味な、へそ出しの上着と、ミニスカートのような格好になってしまっていた。

 ……お気に入りの服だったんじゃがの、致し方あるまい。


「さて、とっとと終わらせにいくかの。……っと、ソフィ、そんなに物欲しそうな顔をするでない。続きがしたくなるではないか。セックスは事件が終わってから、じゃ」


「あ、い、いえっ、そんなつもりでは。早くラウナさんのところに……」


 ソフィアは慌ててランタンを拾っていたが、そのほっぺたは桜色に染まっている。それが決して、ランタンによる火の光ではないことが、余にはわかっていた。

 この姿になると、いつも見惚れられてしまうのじゃ。それはそれで、余も嬉しいがのう。


「おお、そうじゃった。今日はこれが終わったら、もう元の姿には戻れぬのじゃったなあ。事件後のえっちは、子どもの姿でさせてもらうぞ」


「い、今はそんなこと、言っている場合ではありませんわ!」


 ソフィアはそれを想像しないように務めているのか、ラウナの元へ向かって足を駆けさせた。

 余はかかか、っと笑い飛ばし、その後に続く。


 さて、久しぶりに暴れるとするかのう。

 ニーナには、少々痛い目を見てもらおうではないか。

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