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9.



 スラム街から南下すると、そこはもう町外れだ。この辺一帯まで来ると、浮浪者や犯罪者も近寄らないらしく、人の気配は全くといっていいほどしなかった。付近には過去の名残なのか、朽ち果てられた教会や、ボロボロの家屋が時折顔を覗かせている。

 水都に凪ぐ涼風も、ここではまるで別物。それは過去の哀愁を乗せてきているかのようであり、荒廃した街並みに物寂しさを覚えそうだった。しかし、草花たちは変わることなく、伸び伸びとしており、地面の彩りだけは豊富だ。


 視界の隅に映る水路は整備される予定がなかったのか、小川のように剥き出しにされている。そんな水の通り道が、町外れには至る所に点在している。


 ソフィアは複数ある水路から一本を選び、それを辿っていた。

 彼女のエメラルドグリーンの瞳は、倒壊寸前の教会を横目にしている。

 それは果たして、いつの時代に造られたものなのだろうか。解体すらされずに見捨てられた教会は、ソフィアにとって何か感じるものがあるようだ。

 街の南側は、このように発展に追いつけなかった区画が多かった。

 

 雨除けにもならないような廃墟郡を通り抜けると、周囲には建物さえも影を隠す。そして、ほぼ街の郊外にまで辿り着くと、一本の水路が横に大きく広がりを見せていた。

 その水の道が行き着く先には、トンネルのような建造物が待ち受けている。半円形の入り口は水路を飲み込むように大口を開けており、一本の大河を思わせるほどだ。奥は薄暗くて視認できない。


 徒歩での移動は可能なようであり、両脇にはコンクリートの道がどこまでも先に伸びているようだった。

 流れる水はやや濁っている。異臭こそはしないものの、かといって足を浸そうとも思えない。そんな水路が辿り着く先は、下水処理の施設であることを物語っていた。


「……かすかに、臭いますね」


 ラウナは漆黒の水路を見据えながら、慎重な面持ちで言った。

 余はそれに対して頷き返し、ソフィアだけが目をぱちくりと開閉させている。


「わたくしには何も匂いませんけれど……やっぱり、下水に繋がっているからでしょうか?」


「いえ、そうではありません。これは微かな魔族の痕跡……どうやら、この先にはそれなりの力を持った魔族がいるみたいですよ」


 余とラウナが感じ取ったのは、魔力の残り香だ。

 魔力とは、魔族に流れる力の源のようなものである。それは身体を護るための膜のような役割を持っていたり、力を自在に操る能力を会得していれば、様々な攻撃手段に用いることもできる。魔族から見れば人類が脆弱に見えてしまうのは、この魔力と呼ばれる潜在的な差によるものだ。


 そして、魔族にしか捉えることのできない、不可視のオーラでもあった。……いや、司教ノワールの反応を見た限り、彼女もまたそれを知覚できるようだったし、手練の人間ならば、可能なのかもしれないが。少なくとも、ソフィアにその力は備わっていなかった。


 漂ってくる気配は、只者ではないことを示唆している。

 どうやら、余たちの読みは正解だったようだ。はたまた、ラウナの言った通り、罠、の恐れもあるが。


「……わたくしたちだけで進んでしまって、大丈夫でしょうか? 魔族がいるのならば、司教さまに相談に戻るのも手、ですよね」


「まあ、問題はないですかね。所詮は地下に身を隠す、卑怯な犯罪者です。私一人でも充分でしょう」


 ラウナは切れ長の双眸に、感情も込めずに言い放つ。それは絶対的な自信の現れだった。まるで、台所に出た害虫を処理するかのような言い草でもある。

 ソフィアは未だにそれを信頼することができないのか、不安な表情を募らせていた。

 メイドの格好でそんなことを言われても、信用性に欠けるのはわからんでもないが。


「その、ラウナさんは、丸腰ですけれど、戦いになっても平気なのですか? 格闘でも習っていたのでしょうか?」


「いや、そうではないぞ。ソフィ、これを見よ♪」


 余は俊敏な動きで、ラウナの背後に回り込んだ。

 そして、彼女のエプロンドレスのスカートを、バッサリと捲りあげる。


 現れたのは……おおっ♪


「ラウナよ、お主、その歳でくまさんパンツとは、可愛いのぅ」


「わぁ、すごい」


 余の視界に広がるのは、純白のショーツにくまの絵がプリントされた、少女趣味のような下着だ。

 同時に感嘆の声をあげ、じっくりと凝視しているのは、ソフィアである。彼女もまた、女の子には目がないのであった。ただ、他の女のパンツに目を奪われるとは、嫉妬してしまいそうにもなるがのう。


「…………っ! こらっ、フレデリカ様!」


 ラウナは普段の澄まし顔は皆無、顔全体を真っ赤に染めながら、余に痛烈な拳骨を浴びせてきた。


「ぐ、ぐぉぉ、これは効いたぞ、ラウナ……」


「スカートを捲るなんて、はしたなすぎます。全く……」


 余は頭頂部を押さえながら、蹲る。

 ラウナはぱんぱん、っとスカートを叩き、どうにか平静を保とうとしていた。しかしながら、なかなかに顔面の熱は引かないのか、褐色肌の頬は桜色を浮かべている。こういうところは、ラウナも可愛げがあるんじゃがのう。


「で、でも、くまさんのおぱんつ、とっても可愛らしかったですよ。わたくしも、同じような物が欲しいですわ」


 フォローを入れてくるソフィアも、どこかずれている。彼女もまた、大人のショーツは経験のない、色気のいの字もない下着ばかりを好んでいた。ソフィアが今身につけているものは、ラウナとほとんど代わり映えのしない、いちご柄のパンツだったかのう。

 ラウナはその話題を逸らしたいのか、大きな咳払いをした。


「はぁ……。ソフィア様も、どこをじっくり見ていたのですか。フレデリカ様が言いたかったのは、きっとこれですよ」


 ラウナは自らスカートをたくし上げ、膝の上辺りまで捲くって見せる。

 ソフィアの生唾を飲む音が聞こえたような気がした。

 しかし、さしものラウナも、自らくまさんパンツを披露するような痴女ではない。


 彼女の両の太もも。そこにはガーターベルトよろしく、黒革のホルスターが巻かれてあった。

 それに差さるは、二振りの小太刀である。

 ラウナは暗殺者の如き、短剣の使い手なのだ。


「あら、しっかりと武装はなされていたのですね、これは失礼致しました」


「かかか、パンツはくま柄じゃがのぅ」


 余が茶々を入れると、ラウナにぎろりと睨まれる。

 拳骨の二撃目が飛んでこないように、ソフィアの背にささっと逃げ込む。


「遊んでいないで、犯人が逃げてしまう前に、さっさと行きますよ」


「ええ。慎重に進みましょう」


 ラウナはそんなソフィアの言葉とは裏腹に、ずかずかと用水路の奥に進んでいった。

 最早彼女の脳内には地図がインプットされているのか、案内も不要のようだ。


 余たちも慌てて、ラウナの背を追った。





 足音だけが、暗闇の道には反響していた。

 もちろん、なるべく誰にも悟られないように慎重な足取りではあったが、完全に無音で歩く技術をソフィアは会得していない。

 代わりに、ラウナのそれは恐ろしいくらいにしなやかで、呼吸音すらも殺していた。


 水路の中は、明かりがまるで見当たらない。元々は作業用として使われていたらしく、壁には電灯の残骸が定期的に連なっている。

 しかし、誰もが利用しなくなったこの道に、電気は通っていないようだった。

 ラウナが手にする小型のランタンだけが、漆黒の水道を照らし上げている。


「ふぁぁ、意外と退屈じゃのう。もう少し何かと遭遇するかとも思うたが、何にもおらぬではないか」


 余は緊張感もなしに、不満をぶちまけた。

 それは驚くほど周囲に響き渡り、隠密行動かのような捜査をしている余たちには愚行でもある。

 じゃが、退屈なものは退屈なのじゃ。

 

 余にとって、この水路に待ち受けているのは、悪者か低級魔族のオンパレードだと思っておったのだ。

 何せ水都サウレスの地下は、それら市民の敵が跋扈している、と聞かされていたのじゃからな。


 しかし、歩けど歩けど、生物の存在すらも疑わしい虚無の道が続くだけ。

 空気すらも死んでしまったかのような、底冷えする空間だった。


 余が沈黙を破ったためか、ソフィアは金の睫毛を伏せ、嘆くように溜息をつく。


「フレデリカ様、もう少しお静かに。後少しで下水処理施設に着きますから」


「わかったわかった。じゃが、もうちょっと何か刺激が欲しいものじゃの」


 ソフィアは真っ暗な道で余が離れないように、手を取ってくれている。

 いや、もしかしたら、彼女自身が暗闇を恐れているだけかもしれぬが。それでも、ソフィアと手を繋いでいる感触は、余にとって心に温かみをもたらしてくれる行為である。


 じゃが、手持ち無沙汰なのもまた耐え難い苦痛じゃ。

 余は気配を押し殺して、先を進むラウナの背にそーっと忍び寄った。

 そのスカートに手をかける直前、彼女はくるりと反転する。


「何をしようか、バレバレですよ。フレデリカ様」


「いや、大した反応じゃ。その勘は衰えておらんようじゃの、安心したわい」


 決してやましいことを、したかったわけではない。そんなことをアピールする余であったが、ラウナにその言い訳は通じなかった。

 二撃目の拳骨が、お見舞いされる。

 衝撃が、余の脳天を貫く。

 それは鈍い響きとなって、地下水路にこだましていた。


「お、お主……余はお主の主君じゃぞ。手加減くらいせんか……」


「手癖の悪い子どもの主に躾をするのもまた、侍女の務めでありますから」


 ああ言えばこう言う。困ったメイドじゃ。

 しかしながら、彼女と過ごす時間は退屈が削がれるというもの。

 ま、ソフィアと二人だけでも、退屈、には無縁じゃったがの。それら全ての時間は、愛を育む時間に代わるだけなのじゃ。


 だけど、ラウナの前でずっとイチャイチャするわけにもいかないし、先立つもののために、仕事は遂行しなければいけない。


 もう少し、ラウナに暇を付き合ってもらおうかのう。


 何度か拳骨を受けていると、下水処理施設の近場にまで到着していた。

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