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繭による神魔共同体の地上への侵攻

作者: 小財 明

Ⅰ.成田医師の悪


成田医師は誤診、精神病院の野田病院である「病院」に朗を入院させる診察をするに当たって、「誤診」をした。2016年8月11日の事である。


朗は、頭を怪我していただけであり、頭の怪我をした事による「混乱と動揺」はあったものの、精神病は特に悪化していなかったと自分では思っていた。


入院は長期に及んだ。


朗は頭の怪我は野田病院で2週間ほどで治ったので、もう退院出来るものとばかり、思っていた。


看護師、第一病棟の看護師にそう何度か訴えた。


なぜ、例えば、機能病院、月矢の家から数キロの場所にある病院で「外科的処置」を施さなかったのか?


2度、書くが朗は頭を怪我していただけであり、本当に精神的に危篤(きとく)な状態ならば、何故(なにゆえ)、外科的な処置をしたのに、以前、頓服の薬を、夜間の当直の野田病院の内史先生が診察した時には、処方して、帰宅させたのに、なぜ今回は、薬が出ずに外科的処方を、包帯を頭に巻いて、膏薬(こうやく)を塗布したにも関わらず、詰まり、外科的処置をしたのであろうか?明らかに精神病特有の「脳へのダメージ」が、脳味噌のねっとりした物体にプスプスとした電極を予見させ、詰まり、発症後に勤務していた熊本佐久木病院の検診で精神病、当時も精神分裂病と症名がされていたが、朗はその病院で「異常」無しとされていたのであり、熊本佐久木病院では、MRIも撮影していたのであり、精神科も受診したのであるが、熊本佐久木病院の医師は診察をさせなかったのである。野田病院側が、外科の病院への紹介状を書かなったのが大きく疑問に残るところである。頭のケガが治療された時点で、朗は今回の事態を心配すべきであった。明らかに異常事態であり、不吉な禍々しい紅の空が東の朝の空に出現しており、それは明らかに怪しく邪な空として、朗の目には映ったが、担当に一時期なった看護師は怯えておらず、笑いながら傲然(ごうぜん)と胸を張るのであった。


ハンターハンターの可哀想な弱いハンター。太宰治の『富嶽六景』の、「脳医者」とだぶる精神科医達、全く安心に依拠しえない日本の近代文学、「桜桃忌」と言う名目で、自分の性的魅力を誇示する文学少女達、「なるちゃん憲法」、前天皇が自分の息子に「憲法」を象徴、事実上の帝国后妃が利用していいの、と言う私的な疑問になる。成田医師には奥さんがいたのだろうか?訊いたことは無い。


自分の子供を可愛がっていただけかもしれない。


憎むべき、他者への優越感に依居したマルクス主義。


優しさの詰まった村上春樹さん文学。


魔女は、本当に悪?


詰まり、野田病院が、それを多分に魔女の大乱による成田と看護スタッフの「冷静な混乱」による魔法ファッショ的な状況の下に、成田医師が自らの手で悪に傾いた心の下、医師の職務を放擲(ほうてき)した結果、朗は少し勾配のある近所の坂で「白い月」を頭上に仰ぎ、転げて、魔犬と聖犬の2匹に血を嗅ぎ取られて、成田に『自殺未遂』と診断されたわけである。


Ⅱ.ドイツ観念哲学の悪


朗は今にして思うのだが、当時は、合理性の有る判断が出来る状況では恐らく無く、病院の医師たちや、看護師は一見すると落ち着いていたが、ああ言う状況下で、落ち着いて冷静でいられる方が、よほど、変なのである。そう言えば、今回の入院の時、救急病棟である第一病棟の若い男性看護師が、ポーズをとって、一人「人間めっ」と威勢良く元気にハキハキと明るく言ってたっけ。


ナチスの親衛隊は、「ゲーテ全集」を読んでいたと言う。


文学のドイツ文学の名著である。


朗は政治学の名著、マキャベリの悪の意味を説いた『君主論』を読んでいる。


悪と本当の悪を見分ける区別位はつく。


日本は明治以来、ドイツの教養に価値の重きを置いている。インターネットにかほどの流行の波を許したのも、意外な点から考察しうるであろう。インターネットは、カントの「蜘蛛の巣」である。


悪と本当の悪を見分けるためには、時代の名著を青年時代に読んで、直に時代の空気を知るために、街歩きと新聞を読むことである。


医者は病院のパソコンと言う「箱」の中に何かを見いだすことにならされつつあり、ドイツ観念哲学の囚人になっている。


我が国の教育水準の劣悪さが、端的に現れているのが、団塊の世代、詰まり成田医師に見られる観念としての「生」であろう。それと、一番大きな問題点として、その日、もはや人類は、魔族の構造転換にかかっていた、魔法の影響下にあった点が挙げられる。魔法の世界の出現である。


Ⅲ.おかしいと言う疑問符


白い月が8月の空に浮かんだ。この現象と無関係ではないのだろうが、その日、その晩、朗は魔法使い、中級魔族になって、父も母も喜んだ。そのままで良かったのだ。


結果からいえば、それは永遠の命だったし、社会もそう言う魔法社会だったからそのままで良かったのだ。


そのままが良かったのだ。


しかし、朗はその日出てきた夕食の(まぐろ)のとろろがけを巫山戯て、はしゃぐ今や朗と同じく魔族と化した父の言動を目の当たりにして、「おかしい」と少し感じた。父は、普段どんな時でも食べ物については厳粛な態度を示す人で、そんなことをする人では無かったからだ。


母、宇賀子は、合志市の地元、菊地恵楓園の人権委員を務めたことがある。


朗のこの社会に対する、つまり魔法陣営が世界同時クーデターを起こし、世界を乗っ取ってから起こった一連の混乱、日本においてはマスコミの会社人の意識を乗っとり、大衆をマインドコントロールし続けていると言う「悪しき動き」は、未だ大収束の域に達しきれておらず、しかし、現在、2020年7月、一時ほどの異常な混乱はTVなどのマスコミにはもう無いのであった。


「人間観察モニタリング」と言う劣悪な真刻に劣悪なテレビ番組がある。人間をこきおらす、馬鹿にする番組である。


こう言う番組が存在していること自体、魔族の人間に対する攻撃がある証拠になり、真面な文化人なら、先ず見ないであろう。


この番組だけであろうか?案外、病巣はマスコミ界の病巣は深いのではないだろうか。


書斎に、本と音楽と煙草と飲料水、阿蘇の天然水を切らすな。


魔族と化した朗はテレビを見ていたが、途中までは覚えている。確かバレーボールの試合が放映されていた。


それから朗は太陽の事を思い出す。インターネット、パソコンに向かう父、魔族から指令でも来ていたのだろうか。父が、革命前、関わっていた農業団体のNPOの団体、それとは無関係だろうが、私の身体的特徴を書いていた、中には実父が書いたとは思えない<私>の身体的特徴の部位について書かれた記述もあり、例えば、パソコンの画面上の問診票には性器の先にバツが付けられていた。どこの医療機関のものだったのだろうか。


黄色い写真、手形をぺたりと押され、家族でならんで、車のスパイク側のサッシのところで、何者かに撮らされた一枚が存在する。


続く「おかしい」という意識の芽生え。


「おかしい」という意識は今や父の愛車のホンダ・スパイクに頭部をひどく怪我して病院にかつぎ込まれる、その時にまで「おかしい、なにかおかしい、もう何もかもおしまいだ」と言う絶望感に伴う疑問符は続き続けていた。


Ⅳ.世の終わりと本勢力の奮闘


世の終わりが来ていた。


少し前に気づいたこと、破魔の銀の盾を持っているかのような私の精神構造体。作られたものなら変えられる、以前本で読んだ本の一節の紹介である。


「魔族の世」を一旦定まった魔族の世を再び、人為の世界に戻すためにはどうすれば良いか。本を読み、教養を高め、実生活で反魔族を実践する。意味=世界=言語であり、考えや思ったことが、世界に投影され、言葉に昇華され、再び編み出される言葉によって世界が能動的に変わっていく。音楽を聴いて、感性を研き気持ちを、反魔族の気持ちを保っていく。その気分が世界に乗り移っていく。対魔戦は今も継続中である。本の勢力の奮戦ぶりは続く。


先ず、自分の身の周りから考えていこう。周延部分から中心点へ、一気に破壊させていくような、強い矢のイメージ、ダーツの矢でボードの中心をくり抜きつつ壊していくようなイメージで行動を起こすのだ。


Ⅴ.悪を見抜くには


昨日は何があったのか?書斎の窓から見える深刻な惨禍が浮かび上がってくる。TVのような受け身のメディアでは決して解らない事態が生じていた。暗雲の中、風の神装兵器から、魔族が繭状に地上に降り、魔族の攻撃が合志市にも直接的に始まった日であると朗は恐ろしく感じた。


それでも日は明け、朝はやって来る。


朝には神族の繭が黒い禍々しい壺から地上に投下される。闇と光の両者の性質を持つ者たちが二度に渡り侵攻を始め、人間の地を狙っている。


魔族と神族の融合体、神魔共同体の侵攻である。


一日が今日も始まる。


本のシニフィエ・シニフィアンが無くなるまで、魔族との暗闘は続けられることになり、神族は人間の地を浄化するために、虎視眈々(こしたんたん)と台風などをけしかけ、目を光らせる。そして、今回の神魔共同体の侵攻である。魔族と神魔共同体に相対するため、デカルトの発展的段階である、魔法的自我を持つ「魔法近代人」である朗は頑張ることになるのである。


朝、今、気付いたのだが、これは、「神魔、神魔共同体による人間への殲滅戦(せんめつせん)」である。


敵は、実体化している可能性が大変高く、注意が必要である。朗の魔法的自我で、神魔共同体の「魔族」の攻撃分野は自宅から7kmはほぼ無化することは出来るだろうが、完璧には安心出来ない。


賀楢書店のお婆さんの助けが、急遽必要であると分かった時、朗の心は煙草を求め、煙草を吸おうと机の上の箱を右手でしっかりとつかんだ。


吸い終わっとき、神魔共同体への恐怖は9月の初秋の空のように消えており、朗は、長い安堵の息をはいた。


曲は、ペガサス。


気分はかなり良くなり、食欲も出て来た、枕の方向を変えずに今晩からはゆっくり眠れそうである。


風は台風が近づいている性もあって、荒れているが、荒れ地には雨が降るため、犬は喜ぶだろう。犬輪は首を締めあげる。家には、スコッチと言う雄のビーグルが居る。あくまで、職務上の意識を言うならば、名札をつけなければいけない銀行員は可哀相である。銀行員は神経使う「お金」を扱う仕事をしている。責任と言うものは、名誉に比例する。


人生と言うのは雪だるまの様に増える責任の集合体なのかもしれない。


凡庸な悪と本当の悪の違いは、魔法を使って、世界を悪のIT社会に変え、魔法化させてしまい、かつ隙あれば、一気に魔法社会の完全な移行を完成させてしまうことである。


悪を見抜け!

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