第88話 勇者と少女
ケインが眠っている間、世界の情勢は極めて大きく変貌を遂げていた。
そのきっかけを作った張本人が眠ったままなのは勿体ないだろうと彼の仲間の何人かは考えたが、ケイン自身にその偉業をむやみにひけらかすような自己顕示欲も、巨悪を打ち倒した後の世界をどうこうしたりする意志も能力も持ち合わせていないことも知っていたので、対応すべきところだけは自分たちだけで処理しようと努めた。
天守五影を除き、その出番が回ってくる心配も大してなかったのだが。
デュナミク王国は敗戦後間もなくその事実と女王の崩御を発表し、国外から捕らえた奴隷を全員解放した。
解放した奴隷のほとんどが既にデュナミク王国によって国を滅ぼされた者たちで、彼らに対し心からの謝罪と共に不自由ない生活を送るための物資と居住区が与えられ、まだ国が健在の者に対しては物資を与えられた後、故郷へ丁重に送り帰された。
無論、それで彼らが受けた仕打ちが帳消しになるわけがなく、反感は持たれ続けていたのだが、デュナミク王国の国力が目に見えて衰えようとも復讐する者は現れなかった。
ヒノデ国がデュナミク王国と和平条約を結んだのである。
デュナミクの敗北に乗じて侵略に出るものだと、ヒノデ国を知る者の大半が予想していただけに、この和平は世界中を震撼させた。
無論、ヒノデ国王ヨリミツ=マドカは心底から和平条約を望んだわけではない。
赤影から朗報を聞いた直後、勇者一行の討伐とデュナミクの侵略を命じたのだが、当の赤影から初めて命令を拒否された。
天守五影もザクロも疲労困憊、更に勇者も疲弊してはいるが、勇者を取り囲む魔獣たちが万全であるために勝ち目がないというのが理由だったが、ヨリミツを屈服させたのは赤影が発したとどめの言葉だった。
「我々は王を守る影。貴方に刃を向ける者が在るならば喜んでこの命、盾として差し出しましょう。が、避けられる火種にあえて油を纏い飛び込もうと仰るのであれば、我々は喜んで『天守五影』から『勇者五影』に名を改めましょう」
これを言ったおよそ1時間後、ヨリミツ王の名代として赤影と、デュナミク王国から暫定党首ジェラルドによる和平条約が結ばれ、デュナミク王国はヒノデ国に守られる形で元奴隷からの復讐を防いだのであった。
海賊たちは特に何をするでもなく、デュナミク王国からそのまま離脱、海へと帰って行った。
去り際に悪事を働けばまたケインと戦わねばならなくなることをライガに告げられると、ビアンコはこう返した。
「うっかり死に損なったけどよぉ、最強になっちまった勇者を相手取るほど俺らぁ強くも馬鹿でもねえ。まあ誰かに迷惑かけたりしねえで生きてみせるさ。世界中に眠ってるお宝のこと、オーロ船長が教えてくれたんでな。まずは船長がどこ行ったかを追いながら、それらのことも探しに行くとするぜ」
黒魔女クラリは森へ帰り、子育てに専念することにした。
ケインが起きたら彼に対して礼を述べたいと考えていたブンだが、クラリがそそくさと立ち去ろうとするのを見て後に続いた。
ブンは既に勇者の印であるミサンガが千切れており、レイブ村へ帰る道も残されていたのだが、あえてクラリと共に森に帰ることを望んだ。
「あなたはいいのよ?スカーと一緒に村に帰れるんなら、帰ればいいじゃない?」
「赤ん坊のおしめも替えられないような魔女が偉そうに言うなよ」
「……替えられるけど?」
「ダメダメ!おしめ一枚に魔法使ってたんじゃあ、赤ん坊が可哀想だっての!俺と親父がやってるの見て覚えろよ!」
そんなやり取りをしながら、二人は怒ったような、しかしどこか嬉しそうな顔で帰って行った。
そうして9日後、復興作業真っ只中のデュナミク王国の病院でケインは目覚めた。
それまで看病してくれていたククやライガとシーノにデュナミクやヒノデ国のことを聞いている間、ある違和感に気付いた。
ライガとシーノがお揃いの指輪をはめていたのだ。
それも、左手の薬指に。
「ちょ、お、おまえら、ま、まま、まさか……!!」
「結婚しました」
「しました」
普段からは想像がつかないほど畏まった言い方もあり、ケインは思わずベッドから転げ落ちた。
グラブ国では13歳で成人と認められるため、二人としては何の問題もないことなのだが、レイブ村において成人及び結婚は18歳からとされているケインにはどうしようもないほどの驚きだった。
それでもどうにか平静を取り戻した時、口から出た言葉は素直だった。
「おめでとうな」
新婚さんの二人は照れ臭そうに笑った。
「ありがとうよ。へへっ。ケインが起きたこと、忍者たちにも知らせないとな」
そう言ってライガはおもむろに右手の小指を突き出すと、そこにオーラを集中させた。
「『忍法・意思伝糸』緑影へ」
小指から半透明の糸がどこかへと伸び、さらにそこから声が聞こえてきた。
「もしもし緑影です。どちらさんでっか?」
「リョクさん!ライガだよ!ケインが起きたんだ!」
「ホンマかいな!!ちょぉ待っときや!今みんなに知らせるさかいな!」
糸の向こうで何やら騒がしい声がするのを聞きながら、ケインは尋ねた。
「……どういうこと?」
「『意思伝糸の術』を緑影が教えてくれたんだよ。小指からいつでもあの人と通信できるんだ。『糸友』って言うんだってよ」
「イトトモ……」
ケインはどこから突っ込めば良いものか悩んでいたが、今度は自分の右手の小指に違和感を覚えてそこに目をやると、これまた糸が伸びていた。
やはり人の声がする。
声の主は青影だった。
「ケイン殿、起きたらしいな。寝ている間に勝手ながら拙者と『糸友』登録させていただいた。今後はこれでいつでも連絡が取れるぞ」
「あー……どうも」
「ふふ、まだ病み上がりで頭が回らぬか。あれだけの激闘の後だ、無理もない」
「いや、多分そこじゃなくて……」
「まあ今しばらくは安静にしておくことだ。拙者たちはまだ色々とやることがあるが、何か困りごとがあれば糸を出して呼びかけてくれ。いつでも行くのでな」
「逆にこれ、糸を切るのはどうやるの?」
「かけた側からしか切れぬが」
「不便!」
「冗談だ。切りたい時はそう念じるか『意思伝糸・切断』と……」
そこで声が途切れ、糸も切れた。
「アホかぁ青影ェ!!説明しとる最中に『切断』言うてもうたら……」
ライガの小指から聞こえていた緑影の声も、それから聞こえなくなった。
その夜、病室でうとうとしていたケインの枕元に置かれていたマキシマムサンストーンから炎が噴き出し、炎王カウダーが姿を見せた。
「ヒヒャッヒヒヒ。オイ、起きろよケイン。俺のことは気にしねえのかよ?」
「……別に、ずっとマキシマムサンストーンの中におまえの気配はあったんだし、気にしなかったよ」
「けっ、あーそうかい」
「これからどうするつもりなのかは気になるよ。魔界かダンテドリ島に帰るのか?」
「ヒヒッ、そうそう、そういうことだよ。まあ炎王カウダー様完全復活なわけだし、魔界でトップの座に君臨すンのも……」
「ゴアも魔界帰るぞ?」
「……じゃあナシだ。ダンテドリ島に帰ンのもイマイチ乗り気しねえ。しばらくは居心地良い場所で過ごすかな」
「居心地良い場所って?」
「決まってンだろ?」
そう言うとカウダーはまたマキシマムサンストーンに身を潜め、石だけとなってケインの懐に潜り込んだ。
「トモダチといつでも一緒にいられる場所だよ」
石の中から発せられた声にケインは胸の奥がじんわりと温かくなり、そして互いに友達としての挨拶を交わして眠りについた。
「おやすみ、カウダー」
「おやすみ、ケイン」
3日後、病院を後にしたケインたちが向かったのは、ウェルダンシティにシマシマが建てたサラミ婆さんの墓だった。
遺言通りに仲間たちと仇を討てたことを報告しに来たのである。
「どうか安らかに、ドーズ様やサヤ様と仲良くしてください」
墓の前で手を合わせた後、ケインたちはそれぞれの今後を話し合った。
「俺とシーノはとりあえずここでシマシマと町の復興作業の手伝いだな。シマシマがすげえよく働いてるからもうすぐ終わるらしいんだけど」
「えへへ」
自慢げに笑うシマシマの髭をシーノが優しく撫でるのを横目にライガは続ける。
「ケインとククはどうするんだ?」
「俺たちはひとまず魔界に行くよ。ゴアを魔王として復活させないといけないからな」
ロレッタの死により、ゴアは元の魔力を完全に取り戻していた。
ケインとゴアが最初に交わした約束、ケインが強くなる方法を教える代わりにゴアが魔王として復活するのに協力する、魔界にゴアを連れて行き復活を見届けることで、これがとうとう果たされるのである。
「まだゴアは寝てるのか?」
「力を溜めてるらしい。少しでも消費するのが嫌なんだろう。俺の方からよろしく伝えとくよ」
「ケインはその後どうする?」
「さあな……ブンさんたちに挨拶行って、一旦は村に帰るかな。母さんやザック……俺の親友な、に顔見せて早く安心させてあげたいし」
「んじゃあここでお別れか」
「とりあえずは、な」
先程まで黙っていたシーノが、ケインに右手を差し出した。
「ん」
何気なくその手を握ると、震えた声でシーノは言った。
「絶対、ゴアにも伝えてね。もうどれだけ言っても足りないけど……あんまり言葉も出てこないけど……」
その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「楽しかった……ありがとう!!」
釣られてか、ライガもケインの手を握りしめ、泣き出した。
「ありがとう……ありがとうなあ……!」
「なんだよおまえら、別にこれからずっと会えなくなるわけでもなし……あっ」
ケインは気付いた。
自分の目からも涙が溢れていることに。
「やめろよ……俺涙脆いんだからさ、こういうの弱いんだって。俺だってさ……俺だって……」
ケインは二人の手を振り解くと、二人の肩を強く抱き寄せた。
「楽しかったよ!!おまえらと旅ができて!!幸せに暮らせよ!!!」
ケインの左脇でククが抱きつき、四人を囲むようにシマシマが抱きつき、さらにそのシマシマをいつの間にか出てきていたカウダーが炎で包む、なんとも奇妙な光景がそこにはあった。
三人はそれからしばらく大声で泣いた。
そうして、ケインとククはライガたちと別れ、魔界に向けて出発した。
いつものようにククを背負い、彼女の負担にならない速度での浮遊魔法を使うつもりだったが、出発してすぐにククは言った。
「速く飛んでも大丈夫ですよ、ケインさん」
それまで珍しくあまり喋らなかったククがようやく口を開いて出た言葉がそれだったにもかかわらず、ケインは大して意外にも思わずに速度を上げた。
ククは普段のおしゃべりはどこへやらまたしてもしばらく黙っていたが、やがて重々しそうに言った。
「ケインさん、私、ケインさんに言わなきゃいけないことがあるんです」
「君が魔王ゴアの主人格だって話かい?」
長い沈黙の後、泣きそうな声でククは言った。
「……どうして、そう思うんです?」
「ロレッタと戦った時、みんなから魔力を貰っただろう?その時みんなの魔力だけじゃなくて、断片的ではあったけど記憶も流れ込んできたんだ」
「その中に、私の……?」
「ゴアの記憶に混ざってね。でも俺と会う以前のことは何もはっきりした記憶が入ってこなかったよ。ただ、ぼんやりとだけど、ククはゴアのことを下に見ている、ゴアはククのことを対等に見ている、それだけはわかった」
「下に……見てるんですね、私」
ククが震えていることは背中越しに伝わるが、構わずケインは続ける。
「ゴアがシマシマやクラリを見ているようにね。でも、前からそうじゃないかなーとは思ってたんだ」
「……どういうことです?」
「どっちが自然かって話だよ。魔王の中に少女の人格があるか、少女の中に魔王の人格があるか。俺はね、後者の方がまだ自然だと思うよ」
「そう……なんでしょうか」
「それに、別に内緒にしてたわけじゃないんだろう?俺と初めて会った時に記憶を失くしていた、それは本当なんだろう?ゴアが力を取り戻すのに合わせて記憶を取り戻していった、つまり、君が完全に魔王ゴアの主人格だって自覚できたのは、ついこの前のことなんだろう?」
「……本当、優しいですよね、ケインさんって」
安心させるように優しく問いかけるケインにククの声色も少し安定していた。
「ケインさんが言ったこと、全部その通りです。でもまだケインさんが知らないこと、ケインさんに言わなきゃいけないことはいっぱいあるんです。それを全部お話しします。今から1500年くらい前に始まる、私の……『創魔神』の全てを」
少女は、静かに語り始めた。




