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第87話 安らぎの祈り

 敗北を喫したロレッタの元へ多くの兵士が駆け寄ったが、誰もが重い口を開くことができずにいた。

 勝ち続けることでこれまでに得た全てを手放さねばならない哀しみと屈辱を言葉に出そうにも、主君の痛ましい姿が目に映る度に詰まってしまうからだ。

 対照的に、勝者であるケイン一行は歓喜の渦に包まれていた。

 抱擁、握手、胴上げ、17人で出来得る限りのあらゆる喜びの表現を全身で行っていた。

 その勝者への負け惜しみや罵倒さえもできず、ただ兵士たちは横たわる主君を眺めていたが、やがてそれもできなくなった。

 女王ロレッタの全身から『色』が失われ、透け始めたのだ。


「……時間のようですね」


 そう言ったロレッタの目に既に光はない。

『アラルガンドの右腕』と『ストリジェンドの左腕』を失った瞬間から、彼女はその代償を支払わねばならなくなっていた。

 支払うべきは、彼女自身の命。

 兵士たちがざわつきだす中、ジェラルドだけはそれを察し、確かな事実として受け止めた。


「陛下」


「ジェラルド警備兵長、よく聞きなさい」


 最期の時を迎えようとしていながらも、ロレッタはその威厳と品格を微塵も損なうことはなかった。

 デュナミク王国の女王としての振る舞いを決して乱すまいとする彼女の姿勢に、ジェラルドの目から熱いものが流れた。


「わたくしはもうあとほんの少しでこの世を去ります。わたくし、そしてヴァンピロ総司令官、この国の最高戦力と次点がいなくなることになります。ですが、デュナミク王国は続きます。続かねばなりません。国を発展させるのではなく、また昔のように国を守ることが重要となるでしょう。その指揮は……」


「承知しております。陛下の魂が永久に安らげるよう、このジェラルド=エレジャーコ、邁進して参ります」


「……わたくしは本当に良い従者を持ちました」


 ジェラルドに言いたいことはもうひとつあったのだが、それは呑み込んだ。

 言いたかったこととは、いつもロレッタが言っていること。


『死に貴賤なし』


 自らの死も例外ではなく、今日犠牲になった他者、ヴァンピロなどよりも盛大な弔いは無用だと、そう言いたかったのだ。

 実際、彼女が王座に就いた日から、デュナミク王国の人間は皆例外なく、どれほど偉くとも、どれほど貧しくとも、同じ規模で葬儀が執り行われていた。

 だが、それを言ったとして聞き入れてはくれないのだろうと諦めた。

 ジェラルドの熱い眼差しが、彼女が何を言いたいのかを真に理解し、且つその一点だけははっきりと拒否していたからだ。

 最良の従者の断固たる意志を残された時間で折れさせるのは不可能だと観念し、ロレッタはため息をついた。

 そしてロレッタは、顔を傾けて真っ直ぐに視線を向けた。

 視線の先にいる人物を察し、兵士たちが身を退かせる。

 その視線を向けられていたケインは、先程のお祭り騒ぎはどこへやら、神妙な面持ちでロレッタを見つめていた。


「勇者……名はケイン、でしたか」


「ああ」


「わたくしは根本的にデュナミク王国以外の全てを信用できません。例えわたくしを倒した者であろうとも、です」


「なンだぁテメェ……!」


 未だ掌サイズのカウダーが突っかかるのを、ケインは無言で制した。


「信用はできませんが、信用するしかありません。あなたがわたくしとの戦いの最中に言ったことを」


 デュナミク王国に危害は及ぼさない。

 罪を償う以上のことはさせない。

 それがケインの言ったことである。


「あの時言ったこと、あれは本心ですか?それともわたくしに勝つために油断を誘おうとして言ったでまかせですか?」


「本心だ。あんたがいなくなった後、この国に報復しようとする人は大勢いるだろう。恨みなんてなくてもチャンスだと思って乗っ取ろうとする勢力もな」


「ギクゥ」


 わざとらしく赤影たちが肩を強張らせたが、ケインは構わず続ける。


「でも、俺がいる限りそんなことはさせない。デュナミク王国を無闇に傷つけさせはしない。それは他の国も同じことだ。もう誰かの命を踏みつけにさせはしない」


「それを聞いて安心できるほど、容易くわたくしの心が変わることはありません。ですが、正しさを強さで証明してきたわたくしの生き方に準ずるのならば、きっとあなたの言葉は正しいのでしょう」


 ケインは苦笑した。

 強いこと、勝つことで正しさを証明するというのは、改めて言葉にすると乱暴なものだと思えた。

 しかし、それこそが人類の歴史において常に繰り返されてきた戦いの根幹である。

 信念を持つ者に、己の正義を疑う者はない。

 その正しさを証明するには、やはり戦って勝つ以外の方法は存在せず、そして勝利したケインが正しいというのがこの場、この戦いによって証明されたものなのだ。


 ロレッタは開いていた右目も瞑り、これまでの人生に想いを巡らせる。

 勝ち続けることで国を満たし、己を満たしてきた。

 デュナミク王国以外の全てを踏みにじることで。

 敗北とはそれまで勝利によって培った全てをゼロに戻すことだというのが経験に基づくロレッタの考えである。

 全てを手放し、搾取され続ける。

 だが、自分を打ち負かした勇者はこれまで他者から奪ったもの以上のことを要求せず、更なる搾取から守ると言う。

 そんな慈悲を敵に向けたことなど一度もないロレッタに信じられるはずもなかったが、死を待つ身ではそれを信じる以外のことは何もできない。


 否。

 ひとつだけ、ロレッタにできることが残されていた。

 最期にもう一度目を開け、声を絞り出した。

 誰に向けた言葉でもないが、誰もが聞いている、女王の最期の言葉に耳を傾けないはずはないという傲慢さをそのままに。


「わたくしがこれまで破壊した土地……枯らした大地……再び蘇る保証はありませんが、もしも蘇らせられるのならば……」


 最初で最後のことだったが、ロレッタはデュナミク王国以外の全てに対して祈りを捧げた。

 これまでの全てに対しての、深い懺悔の念を込めて。


「『フェダウト』……この世界に」


 瞬間、色を失いかけていたロレッタの全身が赤く染まり、人としての姿を失った形容しがたい塊となって空に舞い上がったかと思うと、細かな粒子となって拡散した。

 粒子がどこへ行こうとしているのか、ロレッタの言葉を聞いていた者は全員察しがついていた。

 世界中、デュナミク王国の女王として、ロレッタが被害を与えた全ての土地に、恵みを与えに向かったのだ。

 枯れた大地を蘇らせるほどの力が『腕』を失った彼女に果たしてあるのか、彼女自身が不安に思っていたことだが、その心配は無用だとケインはすぐに確信した。


「おい、これってよォ、あの女王の瘴気か?なンか……これ……!!」


 掌サイズに縮小していたカウダーが、徐々に大きく、元に戻っていたからだ。


「すンげえ……うンめェなァァァ……!」


 歓喜の声を上げながら、カウダーは浮上する。

 瘴気を吸って力を取り戻しているのは、カウダーだけではなかった。

 クラリやシマシマ、そしてもちろんゴアも、その瘴気の濃さに驚愕しながらもケインに与えた以上の力を得て興奮していた。

 ゴアは瘴気によって力を取り戻しながらも、姿は魔王ではなく少年のままだった。

 戦いの最中はともかく、ここで魔王に戻って混乱を招くのを防いだのだ。


「『腕』を宿す器もまた……巨大だったというわけか」


 ロレッタ=フォルツァート、享年27歳。

 彼女の名は今後、デュナミク王国の教科書には最良の名君として、それ以外の国では最悪の暴君として載ることになる。

 時代は悪と定めたが、彼女がデュナミク王国のために人生の全てを尽くしたことについては、誰も否定しようのない事実である。


 





「ジェラルド警備兵長……」


 先程の壮絶な戦いを終えた後とは思えないほど元気なカウダーを筆頭に、力を得た魔獣たちに対する恐怖から、デュナミクの兵士たちはジェラルドへ声をかけずにはいられなかった。

 だが、ジェラルドは毅然とした態度で一同へ言い放った。


「祈れ!!!」


 そして両手を組み、目を閉じた。


「女王陛下、ヴァンピロ総司令官、そして今日命を落とした()()()()に対し、祈れ!彼らの魂が安らかに眠ることを」


 兵士たちが一斉にその場で跪き、同様に祈りを捧げる。

 ケインも同様であった。

 敵対していながらも、ジェラルドはデュナミク王国以外の犠牲者に対しても祈っている。

 その敬意に対し、敬意で以て応えねばならないと、ケインは祈った。

 そして、ケインが祈るのならばと、ゴアをはじめとする全員がそれに続いた。

 目を閉じ、死者へ祈る。

 長時間目を閉じるという行動が、勇者の緊張の糸をついに断ち切った。


「ケイン!?」


 異変に気付いたカウダーがケインへ駆け寄ろうとしたが、既にゴアと入れ替わったククが支えていた。

 祈りを終えたシマシマやクラリ、他の者も不安気にケインを見たが、ケインは穏やかに寝息を立てていた。

 海賊キャプテン・オーロと女王ロレッタ=フォルツァート、世界を混乱の渦に叩き込んでいた二人との決着を一日の内につけたケインの精神的疲労は、とっくに限界を超えていた。

 ククはケインの頭を膝に乗せると、彼を静かに撫でた。

 他の誰でもない、彼が安らげるよう、祈りながら。


「お疲れ様でした」


 少女の腕の中で勇者は眠る。













 最後にして最大の試練が待ち受けていることを、彼ら二人は予感していた。

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