第86話 祈りを継いで、心を連れて
女王の帰還を今かと待ち続けていたデュナミク王国の兵士たちは、ある異変に気付いた。
空模様がやけに明るい。
ゴアたちが戦っていた時は、彼らの魔族特有の力に影響されて闇が空を包んでいたが、魔力をケインに背負わせて以降、闇は晴れた。
それを差し引いても、今は夕暮れ時のはず。
実際に太陽は西へと沈みかかっているのだが、空は明るい。
ゴアをはじめとするケインの仲間には、正確に言えばケインに魔力を与えた全ての者には、その理由がわかっていた。
ケインとロレッタの両名が、戦いながらデュナミク王国に近づいて来ている。
片や数万の祈りを、片や数百の願いを一身に背負い、個人が発揮できる領域を遥かに超越した魔力と魔力のぶつかり合いは、ついに世界全体を照らすに至った。
「これを見れんというのは中々に勿体ないな」
ゴアがそう言ったのは、待ちぼうけをくらっているデュナミクの人間と、いつの間にかケインの浮遊魔法で飛ばされて来ていた気絶中のブンに対してだった。
ケインに魔力を与えた影響か、ケインと視覚を共有しているゴアたちは、途方もない力同士の戦いを間近で観戦している気分に浮かれていたのだ。
もちろん、不謹慎であることもわかってはいるのだが、不安はなかった。
ケインの敗北が自分たちの死に繋がるということへの恐怖も一切ない。
覚悟はできている。
だがそれだけではない。
ケインは、否。
自分たちは必ず勝つと、信じているからだ。
「『魔王ダークビーム』!!!!!」
「『紅蓮戒煌波』!!!」
戦いは天井知らずに勢いを増していた。
光線がぶつかり合い、その優劣が決まるのを待つこともなく、互いに接近して攻撃を繰り出す。
「おりゃああああ!!」
ケインの剣はまたしても『ストリジェンドの左腕』によって阻まれ、『アラルガンドの右腕』による反撃に遭う。
それでもケインは僅かも怯まず、次なる攻撃を仕掛ける。
ロレッタも残った右目さえ素早く動く敵の姿を捉えることはできないが、『腕』を振るって応じる。
幾度となく攻防は繰り返された。
一方が攻撃を与えれば、また一方が反撃に出る。
しかしロレッタにダメージはなく、肉体的に消耗しているのはケインだけだった。
『腕』は一度として主の肉体を傷つけさせず、ケインの攻撃を悉く防ぎきっていたのだ。
ケインも既にロレッタ本人に対して攻撃することを諦めていた。
『アラルガンドの右腕』と『ストリジェンドの左腕』の撃破、これが最優先だと理解し、そのために行動していた。
ロレッタ本体ではなく、『腕』を撃破する。
即ち、小細工ではなく純粋なる『力』で敵を打ち破らねばならないのだと、彼は理解し、覚悟したのだ。
大きく距離を離されながらも、体の内側から湧き上がる魔力に、仲間たちからの魔力に問う。
「……いけるよな?みんな!!」
ロレッタにはその言葉が誰に向けて発せられたものかを理解できなかった。
ここには自分と敵、二人以外の何者もいない、そう思っていた。
しかしケインは違った。
確かな声を、聞いていた。
「おう!!!!!」
仲間たちの声を聞き、より強く剣を握ってケインは構える。
ドーズから受け継いだ最強の技を、構える。
「勇者ごときにわたくしの……デュナミク王国の正義を覆すことはできません!!」
吼えながらロレッタも迎え撃つ。
『ストリジェンドの左腕』から魔力を抽出して精製された鋭い光の槍が、『アラルガンドの右腕』に握られた。
「『勇気ある者の一撃』!!!!!」
「神速の槍、『イスタンテ・パウーラ』!!!!!」
『アラルガンドの右腕』から放たれた槍と、突き立てられた勇者の剣がぶつかり合った瞬間、激しい光が周囲を包み込む。
辺り一面何もない白の世界となったかのような光の中で、ロレッタは見た。
黄金色の魔力を纏い輝く勇者が迫るのを。
その手には剣は握られていない。
槍とのぶつかり合いによって、手から零れ落ちてしまったのだろう。
遥か彼方まで飛ばされたか、或いは周囲の物を操る天守五影の能力を使って手元に戻そうとしているのかはわからない。
どちらにしても、素手の勇者にロレッタがすることは決まっていた。
確実に葬るため『腕』に身を委ねる、ただそれだけ。
『アラルガンドの右腕』が大きく膨張し、ケイン目掛けて振り下ろされる。
激突する直前、ケインから溢れた魔力が背中へと流れ、彼を支えるための分身が形作られた。
本来は敵の目を欺くために作られる魔王ゴアの技『魔王パワーマリオネット』を、ケインは己の補助に使ったのだ。
そして、本来なら分身は使用者の姿をそのまま写したものだが、ケインが作り出し、背中合わせとなった分身の姿は、ロレッタが思いもしないものだった。
「その姿……!グラブの戦士……!!」
「いくぜスコット!!!」
スコット=ゴーバーの姿をケインが選んだのは、彼の無念を少しでも晴らしてやりたいという想いもあるが、何より彼とも一緒に戦いたいからであった。
しかし魔力によって作り出した分身を維持できるのはほんの僅かな時間だけ。
僅かではあっても、ケインにはこの上なく幸せな瞬間であった。
高められた想いと魔力、そして背中合わせの分身に支えられ、ケインの右拳は『アラルガンドの右腕』と本日百度目の激突を果たす。
「ウオオオアアアア!!!」
「はあああああああ!!!」
互いに最大限の力を発揮した一撃。
しかしケインはこれまでと異なり、己の背を支えるスコットがいる。
味方がいる時の戦い方を、ケインはライガとシーノから魔力と共に受け継いでいた。
個々の力を何倍にも高める、二人での戦い方を。
「『二人が紡ぐ無限の力』!!!!!」
スコットと共に発揮された力で、ケインは拳を振り抜き、ロレッタを吹き飛ばす。
その反動で分身の魔力が切れて消滅してしまうのを名残惜しむ暇もなく、追撃へと飛ぶ。
口いっぱいに魔力と想いを込めて。
「『竜王……」
ロレッタには体勢を立て直す時間も残されていないが、彼女自身それはもう諦めていた。
『腕』さえ戦える状態にあるのなら、自身のことなど問題ではないのだ。
「老婆焼殺砲』!!!!!」
ケインの口から発射された炎を眺めながら、ロレッタは『腕』へと呼びかける。
「あなたたちは我が国民たちの祈りによってここまで強くなったのです……その祈りに……報いなさい!!!」
呼びかけに応じるかのように、両の『腕』は冷気を纏い、炎目掛けて発射した。
「『ダダンズヴェリオ』!!!!!」
火炎魔法は氷結魔法により相殺され、『腕』は反撃に移るべくロレッタの体勢を無理やり起こして更なる魔力と冷気を纏う。
ケインも負けじと両手に炎と友への想いを纏う。
「『秘緋燈・火t's……!!」
「『ダダンズヴェリオ……!!」
「ケイィン!!!俺の技であいつの技に負けンじゃねえぞォオオ!!!」
頭の奥から響く友の言葉に差を押され、全力で両拳を振るった。
「焼焼焼焼焼』!!!!!」
「銀の鎮魂歌』!!!!!」
一発一発に互いの想いを乗せた連撃。
力も速さも互角だった。
正義、苦悩、信念、憎悪、情愛、悲哀、勇気、意地。
あらゆる感情を力に変え、息継ぎすら忘れて両者は殴り合った。
辺りを包んでいた光が弱まった頃、僅かずつ、ほんの僅かずつではあるが、速さに差がついてきた。
ケインの速度が上がっているのだ。
ロレッタがいくら焦ろうとも、その差は縮まらない。
何故差がつくのか。
そこにロレッタが気付けないまま、ついにケインの拳が一発分、『腕』の速度を上回った。
『腕』を殴り飛ばした直後、ケインの右手に再び剣が舞い戻ってきた。
ロレッタが考えていた通り、天守五影の『氣界念操』によって手元まで戻るように仕掛けていたのだ。
更に、左手には名刀『八百耀璃虎』をこの戦闘において初めて握った。
両手共に武器を構えるというのはすなわち、次の一撃で勝負を決める意志の表れである。
「『勇者二刀流』!!」
剣と刀を交差させ、一直線に飛ぶ。
勇者の姿を右目に捉え、女王は歯を食いしばった。
「負けられない……!負けられない……!!!負けられない!!!!!」
その時、『アラルガンドの右腕』と『ストリジェンドの左腕』もまた、ここにきて初めての変化を見せた。
二本の『腕』が重なり合い、一本の巨大な『腕』となってロレッタの腹の中心から生えているかのように変貌したのだ。
『腕』はそのままケインめがけて伸びていき、最大最後の攻撃を仕掛けた。
勇者最大最後の攻撃を迎え撃つために。
「『王道凱歌』!!!!!」
「オオオオオオ!!!」
ケインは剣を交差させたまま、『腕』を押して進む。
最後の押し合いは、拮抗しなかった。
ケインの両腕は武器を手放すことなく、剣は十字の軌道を描いて振り抜かれた。
「『正邪十字斬』!!!!!」
ついに『腕』は斬り裂かれ、ガラス細工が砕けるような音が響き渡った。
その衝撃は主であるロレッタにも伝わり、同時に『腕』は霧散、消滅した。
「い……!」
「い……!!」
「ぃよっしゃああああああああッ!!!!!」
ケイン一行が口々に歓喜の声を上げた。
決着の場、奇しくもそれはデュナミク王国首都アマビレ上空であった。
つまり、それまで視界を共有していたケイン一行だけでなく、デュナミク王国の人間も、決着を目の当たりにしたのだ。
「女王陛下!!!」
デュナミクの面々で真っ先に声を上げたのは警備兵長ジェラルドであった。
『腕』を失い、落下する女王を、ジェラルドは必死に走り、そして抱き止めた。
「じょ……」
あまりに痛ましい女王の姿に、ジェラルドは言葉を失った。
両腕が消滅し、閉じられた左瞼が陥没していることから、眼球までもが消滅しているのは察せられた。
しかし、外傷はそれだけである。
敵から受けた傷はひとつもなく、故にそれらは、女王自らの覚悟の証なのだと、ジェラルドは悟った。
同時に、とてつもない後悔の念が彼を襲った。
もしも、自分が『腕』へ祈りを捧げていたのなら。
自分だけではない、他の隊長も祈りを捧げていたのなら、結果は変わっていただろうか。
或いは、女王の負担だけが増え、自滅に終わっていただろうか。
その疑問に答えを示せる人間は、誰もいない。
そこにあるただひとつの真実を、残った右目を開けたロレッタと共に、ジェラルドも受け止めた。
「わたくしは…………負けたのですね」
「…………はい。我々の、負けです」
一方、ケインはゆっくりと降り立ち、それと共に仲間たちが一斉に駆け寄った。
口々に賞賛や感謝の言葉をかける中心で、右手を挙げ、堂々と勇者は叫んだ。
「俺たちの勝ちだ!!!」
デュナミク王国時間18時8分。
戦争は終結した。




