第79話 炎王カウダーVS総司令官ヴァンピロ=ビス
デュナミク王国における主戦力が次々と戦闘不能に陥ってもなお、兵士たちは勝利を信じて疑わなかった。
女王ロレッタ=フォルツァートと総司令官ヴァンピロ=ビス、この二名が健在であったからだ。
ジェラルドやグイドをはじめとする名将だけでなく末端の兵士からもヴァンピロは決して好かれていなかったのだが、実力だけは絶対的な信頼を勝ち得ていた。
ヴァンピロに対するは、デュナミク王国の誰もが知る邪悪なる魔獣、炎王カウダー。
この両者の戦いが、兵士たちの士気に絶大な影響を及ぼすと見て間違いないだろう。
しかし、兵士たちは加勢はおろか、戦いそのものを間近で観戦することがほぼ不可能であった。
カウダーの放つ炎とヴァンピロの放つ氷。
どちらも非常に有効射程が広く、特にカウダーは周囲の被害など一切関知せずに攻撃を繰り返していたのだから、ある程度の実力を持っていたとしても、観戦即ち危険行為とさえ言えた。
ザクロがジェラルドに勝利を収めた現在に至るまで、両者未だ小手調べ程度の力しか出していないにもかかわらず、である。
「ヒヒヒヒャッヒヒハハハハ!!!またどっかでてめえのお仲間さンが力尽きたみたいだぜェ!?」
炎の弾を放ちながら、カウダーは上機嫌に笑っていた。
周囲に漂う魔力の流れを読み取り、戦局がどんどん良くなっていることを察したのだ。
対するヴァンピロは顔色ひとつ変えず、火の弾を全て片手で受け流してみせた。
手に纏う魔力により、火傷などは一切負っていない。
「ジェラルドは奴なりに良く戦った。女王陛下から魔力を授かっていなければ、本来奴ごときではあれほどの使い手を相手にどうすることもできんかっただろうからな」
「ヒヒャヒヒ。相変わらず厳しい労い文句だぜ。もう派手なドンパチは俺らとケインたち以外に残っちゃいねえようだな」
両者は一度完全に手を止め、より正確な周囲の状況を確認した。
実際には海賊たちとデュナミクの兵士による小競り合いは未だ続いているのだが、カウダーもヴァンピロもそれに関してはカウントしなかった。
「……なあロズ、そろそろ頃合いだろ」
「頃合い、とは?」
何度も『ロズ』と呼ばれたことで、ヴァンピロは一々否定することもしなくなっていた。
「てめえがその気にならねえンなら、俺から先に本気出させてもらうぜ?こっちはクラリから魔力貰って久しぶりにパワー全開なンだからな」
「フッ、貴様の魔力量などたかが知れたもの。勇者の仲間たちがご丁寧にも極力殺しを避けて戦ってくれているおかげで、貴様が回復するための瘴気も余り出てはおらん。そんな状態で本気を出してしまっては、あっという間にバテるのがオチではないか?」
「だ・か・ら・よ!!!」
カウダーの全身から放たれる熱気により、周囲の温度も上昇していく。
即座にヴァンピロも冷気を放って対応するため、結果的には大した変化はないのだが。
「あっという間にてめえをブッ殺しゃあ、バテる前にてめえから出る瘴気で回復って寸法よォ!!」
「単純な脳みそが考えそうなことだ。脳みそも炎ではそれも仕方ないがな」
挑発を合図に戦いが再開される、ヴァンピロはそう思っていた。
だが、意外にもカウダーは攻撃せず、何かを待っているようだった。
その『何か』というのは、ヴァンピロにもわかっていた。
「……頃合いというのは、もうひとつあるのだろう?言ってみろ」
「……もういいだろ、ロズ」
ヴァンピロが知る限りで、カウダーがこれほど静かな口調で喋ったことは一度としてなかった。
「そろそろ話してくれてもいいだろ。てめえがなンで、人間に生まれ変わってンのか、その理由をよォ」
「ふっ、200年も経てば変わるものだな。まさか貴様がそんなしおらしい口調で喋るとは、驚いた」
俯きながらヴァンピロは笑う。
最早デュナミクの戦士としてではなく、氷王としてカウダーと話している自分への嫌悪感をたっぷりに。
「だが無理に隠すようなことでもない。貴様の言う通り、もう話しても良いだろう。何故私が人間に生まれ変わり、前世氷王ロズの記憶を宿すのか……それ自体に勿体つけるようなことはないのだからな」
顔を上げ、ヴァンピロは静かに語り始めた。
「貴様に何度も言っているように、今の私はヴァンピロ=ビスという名の人間であって、氷王ロズではない、それは事実だ。だが、今言ったように私には氷王ロズの記憶が宿っている、それもまた事実。では何故そのようなことになったのか、全ての元凶は200年前、氷王ロズがしでかしたことだ」
「200年前……てめえやゴアが勇者にヤられた時か」
「そう。その日、氷王ロズは魔王ゴアを倒しに海を渡ってやって来る勇者を迎え撃つべく、手下であるバンパパイヤの群れを引き連れて待ち構えた。奴には勇者など敵ではないという自信があった。勇者の姿を視界に捉える瞬間まで、僅かも揺るぎない自信に満ちていたのだ。音を立てて崩れたのはその直後のことだ」
「ヒヒッ、ゴアでも勝てなかったって勇者だ。てめえじゃ勝てるわけもねえよな」
「全くその通りだった。勇者は実に緩やかな動作で剣を構え、振ると思った時には既に振り抜いていた。氷王ロズは勝負どころか勇者と同じ土台に立つことすら許されず、呆気なく倒された。だが幸か不幸か、魔力は十分に残されていたのと、僅かながら意識はあった。もう間もなく死ぬというところだったが、最期の悪足掻きには十分な時間が残された。その時どういった悪足掻きを行ったのか、如何に単純な頭を持つ貴様でも察しはつくだろう?」
「……生まれ変わりの魔法を使った、ってワケか」
ヴァンピロは低く笑った。
「転生魔法というのは元々、白魔女アカリ、黒魔女クラリの前任が開発していたものだ。魂と記憶を次の世代に受け継がせることで、自身の存在を不滅のものとする。だがそれが成功するか否かを知るのは転生した後になるため、失敗した場合を恐れたアカリは結局転生魔法を使うことはなく、記憶だけをクラリに引き継がせた。開発の過程を知っていた氷王ロズは、死の間際にそれを思い出し、イチかバチかの賭けとして実行に移したのだ」
「そンで、ロズが生まれ変わった結果がてめえか」
「ところがいくつかの問題が発生した。まず、転生に200年もの歳月を費やしてしまったこと。次いで、魔獣ではなく人間に転生してしまったこと。そして、転生してしばらくは氷王ロズとしての記憶が戻らなかったこと。誰も使ったことなどなかった転生魔法に賭けた結果、氷王ロズはとんでもない過ちを犯してしまったのだ」
「だが、今はロズとしての記憶が戻ってる。元のクソムカつくロズに戻ってる。違うか?」
カウダーの言葉についたヴァンピロのため息は、白く冷気を纏っていた。
「それが最大の問題だ。ヴァンピロ=ビスとして過ごしてきた人間の脳に、少しずつ魔獣として生きてきた記憶が浮かび上がる苦悩が、貴様にわかるか?最初から氷王ロズの記憶を遺したままだったのなら、いっそ記憶など消え去ったままだったのなら、どれほど楽だっただろうか。デュナミク王国に全てを捧げる決意を固めた男の心に!!氷王ロズが!!!いなかったなら!!!!!」
自分自身に憤るヴァンピロの右手には氷の剣が握られていた。
戦闘再開の秒読みが始まっていることはカウダーにもわかっていたが、血の気の多い彼には珍しく、説得を諦めてはいなかった。
「ロズに戻ったンなら、俺との喧嘩はともかくよォ、ゴアに矢ァ向ける必要なンざねえはずだぜ?最上級魔獣で一番の忠義モンだったてめえに、裏切り者なンて役柄は似合わねえよ」
「……まだわかっていないようだな」
氷の剣が太く、大きくなっていくのを、カウダーはあえて見ぬふりをした。
「生まれたきっかけはどうあれ、ヴァンピロ=ビスとして生を受けたのだから、この命を捧げるべき相手は魔王ゴアではない。愛すべきデュナミク王国、そして君臨する我らがロレッタ=フォルツァート女王陛下だ。魔獣でなくなったこの私がすべきこと、それはデュナミク王国に仇なす貴様らを始末することだ!!!」
「……もういっぺンだけ言ってやる」
カウダーの声は微かに震え、全身の熱がまたしても高まりつつある。
それでも臨戦態勢に入らないのは、彼なりに本心からの訴えを真っ直ぐ届けようという想いからだった。
「てめえは氷王ロズなンだよ!!今までもこれからもなァ!!!」
「何度でも言ってやろう!!今の私はヴァンピロ=ビス!!氷王ロズは過去の遺物だ!!!」
その言葉を聞いた瞬間、カウダーの両腕が炎の鞭へと変貌を遂げた。
「『秘火・双火炎鞭』!!!」
鞭は左右同時にヴァンピロへと伸び、彼の体を縛ろうと取り囲む。
熱量を更に上げ、縛ると同時に焼き尽くすほどの勢いだ。
「あくまで敵だって言い張るンならよォ、やっぱさっさとブッ殺させてもらうぜェ!!!」
ヴァンピロの両腕と胴を鞭で縛り、氷の剣をも封じたカウダーは高らかに笑った。
「ヒヒャハハハハハ!!氷王ロズならこンぐれェすぐ抜け出せただろうによォ!!生まれ変わった弊害がこンなとこにも出ちまったなァ!!!」
「……確かにな」
余裕の表情で返答するヴァンピロを見て、カウダーは異変に気付いた。
炎の鞭で捕らえたというのに、ヴァンピロの体は一切焼かれていない。
まだ本気で殺そうとはしていないが、それでも重傷を負わせるくらいは躊躇いなく行えるカウダーにとって、これは異常事態であった。
かつての氷王ロズにそれほどの耐久力はなかったのだから。
「ふん!!」
ヴァンピロの右手から氷の剣が復活し、鞭を切り裂いた。
カウダーが両腕を再生させようとするよりも速く、氷の剣はカウダーの胸を貫いていた。
カウダーの知る、氷王ロズよりも圧倒的な速さで。
「て……てめ……ェ……!!」
貫かれた胸から、カウダーの全身が凍っていく。
炎の勢いより、氷結魔法の魔力が勝っているのだ。
「確かに氷王ロズと同等の強さを取り戻すのは並大抵のことではなかった。生物というのは皆はじめは弱く、対照的に魔獣は生まれたその瞬間から全盛期の力を得る。だが、そこが魔獣の限界でもある。国に尽くすためにと鍛錬を続けた私の力は、氷王ロズをも凌駕した。これが貴様の知らぬ、ヴァンピロ=ビスの力だ」
実体のある炎だからこその奇跡とも呼べる光景がそこにはあった。
剣に貫かれたまま、炎の化身カウダーは氷の彫刻と化していた。




