第75話 驕りに消えた勝機
渾身の力で突き出したライガの拳は、またしてもライモンドの肉体にダメージを与えることは叶わなかった。
前のめりに全身を捻ることで身を躱し、更に体を覆う風魔法の刃を突き出された拳に合わせるカウンターを、ライモンドは容易に成功させたのだった。
「ぎぃっ!」
風魔法で切り裂かれた腕を即座にライガは治癒魔法で完治させ、直後に来ると予想していた追撃に備えて両腕を交差させ、顔面を防御した。
「『竜鱗・鼓舞羅』!!!」
体を捻って回転することですれ違ったと錯覚させた相手の不意を突く、蛇繰拳の技、そのひとつである。
会得していなくとも蛇繰拳に関しては知り尽くしているライガはそう来ることはわかっていたが、拳にも纏う風魔法の刃は容赦なくライガの腕を切りつけ、引き裂き、その衝撃は骨にまで達した。
完全に骨を断たれる寸前、ライガは自ら跳躍して拳の威力を逃がし、すぐさま治癒魔法を発動させて腕を治した。
「治癒魔法に長けた奴はこれだから厄介なんッスよね。勝ち目ねーんだからさっさと殺されてくれりゃあいいのに」
苛立っているかのような口調とは裏腹に、ライモンドは中々死なない格下を甚振れる状況を楽しんでいた。
特に相手は、かつて素手による戦闘において最強と謳われたグラブ国の若手のホープで、しかも蛇繰拳の使い手であった男の息子ときている。
そんなライガを蛇繰拳で屠ることができると考えると、笑いがこみ上げて仕方がなかった。
「うおおおあああああ!!!」
ライガはまたしてもただ闇雲に突撃するだけで、策があるようにはとてもライモンドには思えない。
軽くライガの飛び蹴りを躱し、自慢の蛇繰拳を強化アレンジさせた竜鱗拳を見舞った。
「『竜鱗・阿那坤堕』!!!」
飛び蹴りの隙を狙って攻撃が来ることはライガも想定内であり、避けられた勢いを利用してすぐさま防御体勢を整えていた。
蛇繰拳『阿那坤堕』は、腕自体をうねり、しならせることで相手に受けることも防ぐこともさせない突き技である。
腕がぶれることによる拳の加速は手首のスナップで補い、結果通常の突き以上の破壊力を相手の防御をすり抜けてぶつけることが可能となるこの技が、更に風魔法の刃を纏って強化されている。
上手く防御できたとしてもそれをも貫通する一撃とあっては、ライガが狙うべきはひとつしかない。
相討ち狙いのカウンターである。
ライモンドもライガはそう出るものだと確信し、拳でのカウンターで狙いやすい顔面、蹴りでのカウンターで狙いやすい腹部に意識を集中させ、万全の態勢となっていた。
しかし、ライモンドの予想は裏切られることとなった。
ライガは腕を顔面に密着させ、決してすり抜けられないよう防御を固めた。
更に両腕にオーラを集中させることで、風魔法の刃の威力を軽減させることにも成功したのだったが、完全に威力を殺し切ることは流石に叶わず、切り刻まれつつも防御する腕の下で見せないようにライガは苦悶の表情をしていた。
「ぎぃぃ……!!」
拳を振り抜いて敵を後退させたライモンドの胸中には、ある疑念が浮かび上がっていた。
怒りに身を任せるにしては、ライガの攻めは消極的すぎている。
今の攻防にしても、怒りに囚われた人間が攻撃の直後に防御体勢を取れるはずがない。
ましてや、どう防御してもダメージを受けてしまうような攻撃に対してカウンターもしないのはあまりに不自然。
怒っているように見せていることもフェイクなのだろう。
何かしらの作戦があるとしか思えない。
疑念により警戒心を強めつつも、ライモンドは戦法を改める気にはならなかった。
相手の力量は既に把握しており、最早ただ攻め続けるだけで勝てるという絶対的自信。
そして格上である自分が戦法を改めることなどあってはならないという矜持。
それらが彼の判断を鈍らせた。
「……何考えてようがブチ殺しゃあおんなじっしょ」
防御の上から容赦のない追撃を加えるライモンドには、その下で不敵に笑うライガの表情が見えていなかった。
グイドもまた、ライモンドと同様の違和感を持っていた。
如何に自分が攻防一体となるハンマーを振り回す戦法を取っているとはいえ、シーノの攻めは消極的すぎている。
常に一定の距離を置き、攻撃手段も拳圧を飛ばす以外にほとんどない。
五体による打撃技が最大の攻撃手段であるシーノがそれを行使しないのは、単にそれができるだけの隙がないからだともグイドは思ったが、すぐにそうではないことにも気付いた。
僅かに回転速度を緩め、あえてシーノが攻撃する隙を作ってみせたのだ。
それまでの攻防から考えて、その隙を見逃すようなシーノではないことはわかっている。
距離を詰めて勝負に出るだろうと思っていたが、シーノは乗って来なかった。
勝つつもりがないのだろうか。
しかし、最初から勝ち目がないと諦めているのであれば、勝負を捨てて他者を助ける、或いは自分でも勝てるような相手に挑むのが普通だろうが、そちらを選択する様子もない。
「何を企む……!?」
回転し続けているために敵の表情を見ることはできないが、グイドはより注意深くシーノの様子を音と気配で探った。
ハンマーが風を切る音だけを頼りにこれまで敵の動きを察知していたが、それによって得られるよりも詳細な情報がグイドの頭に入ってきた。
シーノは何かを観察している。
グイドだけでなく、周囲にいる敵を見渡し、それらを見比べている。
それが何かはグイドにもわからないが、シーノが歯軋りをする音を聞き、はっと気付いた。
戦いが始まってからしばらく、何度かその音を聞いている。
単なる癖であればそれで良いが、そうでないのなら大切なことを見落としているということになる。
グイドは思わず回転を止め、周囲に耳を澄ませた。
「ぎりりっ」
余程周辺に気を配っていなければ気付かない程度の音だったが、確かな歯軋りの音が聞こえた。
自分とシーノが戦っているすぐ近く、心強い味方ライモンドと戦う相手、ライガが発した音だ。
その音をグイドが聞いたことを察したシーノは、舌を出して笑った。
「ばれた?」
「……いつからだ?」
ライガとシーノは、何度もさりげなく歯軋りして音を双方に届けていた。
グイドとライモンドが協力せず各々を信じ、一方を任せきりにしていることに気付いた二人は、それを利用したのだ。
極めて高度な技術を駆使した伝達手段を、彼らは数日前、ある人物から教わっていた。
「声に出さんと味方にメッセージを伝える技術?」
ヒノデ国にて、ギガライコーを倒し、ケインとショーザンが戦う少し前のこと。
人懐っこい性格のライガとシーノは、物怖じせずに緑影に尋ねていた。
「ニンジャって絵本とかで読んだんだけどさ」
「絵本しか読まないでしょライガは」
「うっせー。で、ニンジャってさ、なんかこう、暗号?みたいなのをお互いに決めといて、何か伝えたいことがあったらそれで伝えるんだろ?俺もそういうのやってみたいなーってさぁ」
「あー……あるにはあるけどもなぁ。わしらの場合やと」
緑影は右手を前に出し、指の関節を鳴らした。
黒影がそれに反応を示し、同じように指の関節を鳴らした。
「やかましいわ」
「え、あっちのニンジャと暗号のやり取りしたの?」
「わしが今指鳴らしたんは『たこ焼きは醤油かけるのが一番やな』って意味や」
「そんな細かい内容まで伝えられんの!?」
「ほんで、あの黒影っちゅう奴は『ええ?マヨネーズとチーズも乗せたいんだけど』とか返事してきよったんや。ホンマふざけたやっちゃ。お前らどない思う?」
「それは別にどうでもいいよ。それよりさ、その指鳴らすやつ!それ俺もやりたい!」
「私も!戦ってる最中とか、声出さなくて伝えた方がいい局面ってあるわよね」
「……無理や」
「えー!?」
「特許技術なんや。使おう思うたら使用料貰わなアカン。お前ら金持っとるんか?」
「げっ、金取るのかよ。つーか特許ってなんだよ」
「まあホンマにどないしても使いたい思うんやったら、教えたらんこともないで?指関節やのうても代わりになるもんはなんぼでもあるしな」
「ホンマか!?」
「ライガ、うつってるうつってる」
そんなやり取りがあったおかげで、ライガとシーノは自分たちだけの暗号を伝える技術を身に着けていたのだった。
歯軋りの音で伝えていたのは、自分たちがそれぞれどう動くべきかと、今自分が戦っている敵の情報。
五感を研ぎ澄ましていなければ判別できない暗号を常に送り続けていたからこそ、ライガもシーノも冷静さを欠くことなく、敵の動きを見極めることができていた。
ライガはライモンドの細かな動きや癖、シーノはグイドたちが纏うオーラから推測できる彼らの強さを、それぞれ見極めて伝えた。
シーノがずっと気にしていたのは、グイドたちがこれまで想定してきたデュナミク王国の戦士たちの強さを逸脱しすぎているという点。
実質的なデュナミク王国のナンバー2と言える総司令官ヴァンピロと比較しても遜色ない、或いは部分的には上回る強さをも持つのは流石に不自然に思い、細かく観察していた。
そこでわかったのは、グイドもライモンドも、身に纏うオーラが彼ら本来のものだけではないということだった。
彼らが持つ本来のオーラを覆うようにして、強力なオーラが彼らの強さを底上げしている。
上空にいる女王の『腕』が発するオーラと、それは同質のものだった。
更にはグイドとライモンドだけでなく、他のある程度地位の高い者は『腕』と同質のオーラを有しているようだった。
シーノは自ら立てた仮説を真っ先に歯軋りの暗号によってライガへと伝えた。
『こいつら、女王からオーラ貰ってる。だからこんな強くなったんだ。本当ならこんな連中、私たちの敵じゃないのに』
先程までよりも長い歯軋りに、グイドは嫌な予感を覚えた。
「何を伝えた?その暗号で一体どういう内容を伝えたのだ!?」
グイドのハンマーがシーノを襲う。
それを避けるでも受け止めるでもなく、ただ歯軋りをしてライガにメッセージを送った。
『助けて』
ハンマーは空を切り、目標を見失ったグイドは即座に気配を察知して振り返った。
獲物であるシーノを抱きかかえたライガがそこにいた。
「ぎりりり」
「ライガ、もう近くにいるんだから別に暗号じゃなくていいわよ」
「おまえこそ、助けてって言っても別に大したピンチじゃなかっただろ。逃げようと思えば逃げれたくせに」
「ナイトに助けてもらうお姫様の気分を味わってみたくなったの。あんたも悪い気しないでしょ?」
「……まーな」
照れるライガの後ろから、ライモンドが襲い掛かってきていた。
しかし、振り下ろされた拳はライガには届かなかった。
ライモンドが想定していたよりも倍近い速さでライガは飛んだようにライモンドには見えた。
ライガだけが飛んだように、ライモンドには見えていた。
この時、この瞬間、ライモンドとグイドの勝ち目が完全になくなったことを、まだ彼らは気付いていない。
ライガが何故後ろからの攻撃に即座に反応し、限界以上の速度で躱すことができたのか。
シーノを抱えているのに?
違う。
シーノを抱えているから可能な芸当であることにこの時点で気付いていれば、ライモンドにもグイドにも対処の仕様はあっただろう。
だが彼らは気付いていない。
それを察し、ライガとシーノは互いに顔を見合わせて笑った。
二人の勝利を確信し、笑った。
空中でシーノはライガの腕の中から出て、再び戦闘態勢に入った。
手を繋いで二人は地面に降り立ち、二人の敵を見据えた。
「逃げ足は速くなったみたいッスね……!」
「逃げたんじゃねーよ。てめーらじっくり観察して、タイマンじゃどうしても勝ち目がねーことがはっきりわかった。女王からオーラ貰ってドーピングしてんだから、そりゃ勝てねーよな。だから俺らも奥の手でいくことにした」
「素手で戦う以外に戦法がない貴様らが、サシでなければ勝てる奥の手があるとでも?」
「俺らを無理やり分断して二対一になったとこを叩く、ってとこッスかね?そんなんが通用すると思うのはやっぱガキッスね」
「ドーピングして強くなっただけでそこまで私たちを格下だと侮れるんだから、あんたたち相当図太い性格してるわね。サラミお婆ちゃんに稽古つけてもらった成果、今ここで見せるわよ」
「ああ、シーノ」
ライガとシーノ、二人のオーラが最高潮に高まり、そして互いを包み込んだ。
「いくぜ!!新技!!!!!」




