第7話 アラルガンドの右腕、ストリジェンドの左腕
デュナミクの女王、ロレッタ=フォルツァートは、船の大砲が自らに飛んで来ないギリギリの距離で停止した。
海からはかなり離れた地点の空中。
そこで向かい合う、海賊船と一人の女性。
異様な光景だと思いながら、ケインは彼女の姿を見る。
ウェーブがかった金髪にティアラを着け、白いドレスに赤いマント。
空中に浮いているという異様さを除けば、女王と呼ぶに相応しいと言えるだろう。
およそ人間に対して向けているとは思えないほどの蔑んだ眼差しも、ある意味では。
「真下から見たらパンツ丸見えですね、お頭」
見張りをしていた男が降りてきたようで、オーロに声をかける。
オーロはその声に脳天へのげんこつで応じた。
「いででで」
「次お頭って呼んでみろ、呼んだ数だけこうしてやるからな」
そう言いながら、オーロはロレッタを見ている。
ロレッタはどうやら何かを喋っているようだったが、距離があるせいで何も聞こえない。
それに気付いているのかいないのか、ロレッタは構わず喋り続けている。
いたたまれなくなり、ケインはオーロに話しかける。
「あれ、聞こえてないのわかってるんですかね?」
「あちらさんの考えじゃ、こっちが集音魔法使って注意深く聴く、ってのが当たり前なんだろうな。あちらさんの方が拡声魔法を使うって発想がないんだろう」
まさに女王だよな、と笑うと、オーロはケインの方を向く。
「ケイン、お前さん集音魔法は?」
「基本的な戦闘用の魔法しか使えません」
オーロは最初からケインにはあまり期待してなかったらしい。
すぐに前に向き直り、集音魔法の対象としてロレッタに意識を集中させる。
「んじゃ俺がやるしかねえか。一応お前さんらにも聞こえるように範囲広めにな。『ホチョチョ』」
オーロがそう唱えると、ロレッタの声が聞こえてきた。
「……けんでいかがかしら?」
ちょうど話し終えたところだったようだが。
「黙っていないで何か言ったらどうなのです?さっきからわたくしがずっと喋っているばかりじゃないですか」
まだ話が聞こえていなかったことに気付いていないようで、ロレッタの苛立った様子の声が船内に響く。
さすがにオーロも気まずい様子で、今度は拡声魔法の呪文を唱える。
「『メガホ』。すまん女王!!最後の方しか聞けてなかった!最初からもう一回頼む!!」
ようやく聞こえてきたオーロのその声に、ロレッタの目はより一層、まるで家畜でも見るかのような冷たいものになっていく。
それでも放たれる鋭い眼光には、一国を統べる者としての風格が漂っていたが。
ロレッタは咳払いをし、もう一度最初から話し始めた。
「わたくしがたった一人、こんなところまで、あなたたちのような下劣で汚らわしい、海の掃き溜めのような連中にわざわざ会いに来たのには、理由があります」
「おー第一声からそんな罵声を浴びせてたのか」
オーロからのやじを無視してロレッタは話を続ける。
「海賊キャプテン・オーロ。あなたたちと我々デュナミク王国は、長らく反目の関係にありましたが、わたくしはこの辺りでそれを水に流そうと思って来たわけです」
「ハンメなんて言葉を女王が使うか普通」
他の船員もやじを飛ばすが、拡声魔法を使ったオーロ以外の声はロレッタには届かない。
「あなたたちの我が国以外における土地での空中航海、及び略奪行為の一切を不問とします。その代わり、略奪した戦利品の内、7割を我が国に上納しなさい。それによって、あなたたちは自由な海賊暮らしを満喫できるのです」
「めっちゃピンハネする気ですぜお頭。いでっ」
見張り役にげんこつを喰らわせながらオーロはにやけ顔で黙って聞いている。
ロレッタは続ける。
「更には、我が国での居住権を認めてさしあげましょう。階級は一般国民と奴隷の間、犬や猫と同一のものとします。物の売買や娯楽施設の一切の利用は禁じられますが、まあ服の着用くらいは良しとしてさしあげましょう。以上の条件でいかがかしら?」
そう言い終わると、ロレッタは誇らしげに髪をかきあげた。
オーロはにやけた顔のままで言う。
「あんた本気でそんな条件で手打ちになると思ってんのか?」
その問いかけに、ロレッタは首をかしげる。
「これ以上何があるのでしょう?わたくしはあなたたちに最低限度の人権まで与えると言っているのですよ?デュナミクに生まれなかった者たちに対して、そこまでしてさしあげると言っているのです」
「デュナミクの国民以外は全部罪人……だったっけか?」
「ああ、下賤な外界民にもわたくしが言った言葉を覚えていられるだけの脳はあるのですね。それでも完全には覚え切れていない辺り、その程度ということなのでしょうが。そう、生物界に生態格差があるように、人間にも格差というものがあるのです」
言いながら、ロレッタは右手を上げ、親指から順番に折り曲げていく。
「まず頂点にわたくし及び歴代のデュナミク王が、次がわたくしに守られ、わたくしを奉る大切な国民たちが、次がその国民たちに飼われるべき奴隷ども。次に我が国において愚かにも罪を犯した罪人ども。そして最後が、あなたたち、デュナミクに生まれなかった外界民。あなたたちは生まれた時点で罪人未満なのです。我が国の民が今日捨てるちり紙でさえ、あなたたちに比べればずっと貴いものなのですよ。慈悲深いわたくしは、そういう汚らわしい外界民どもをわざわざ国に招き入れる際には、人間としての格を上げて扱ってさしあげているのです。まあ、せいぜいが罪人と奴隷の中間程度の扱いですがね」
ロレッタは胸を張ってそう言った。
「ペチャパイが胸張ったって嬉しくもなんともねえや」
船員の一人がそう言う。
拡声魔法を使っていないから、聞こえるはずもない。
そう思っての発言だったのだが。
「…わたくしは女王として、常に心を広く持とうと努めています。多少無礼な発言があったところで、わたくしは気にも留めません。ですが、わたくしへの無礼は、即ちデュナミクへの無礼。それを弁えた上で、今後は発言しなさい」
ロレッタはやや前傾気味になりながら言った。
ばっちり聞こえていたようだった。
一方でケインは、先程の彼女の言葉を思い返し、呆れていた。
デュナミクに生まれなかった者は生まれた時点で罪人未満。
自国以外の一切を認めないエゴイスト。
それ以外で言い表しようがないその女性を、とても好意的に見ることができなかった。
ケインの様子を見て、オーロは声を潜めながら訊く。
「どう思う?あの女」
「すっごく嫌な人ですね」
「女王!!ここにいるケインって勇者もあんたが嫌な奴だって言ってるぜ!!」
「言うなよ!!」
二人のやり取りを聞いて、ロレッタは鼻で笑う。
両手を広げながら、更に蔑んだ眼で二人を見つめる。
「勇者だろうが所詮は我が国に生まれ損なった罪人未満の木っ端ではないですか。そんなことより、先程の条件を飲むか飲まないか、結論を言ってくれませんか?」
「海で好き放題してるクソどもを嫌々ではあるんだが一応人権を認めてやる、だから私に従え、か。まず言いたいことはわかったよ」
「あなたがわかったのかわかっていないのかを知りたいわけではないんです。わたくしが知りたいのは、あなたがこの条件でわたくしに従うか!従わないか!それだけです!」
苛立ちを隠しきれずに、ロレッタがわめき叫ぶ。
これ以上、下郎と話してなどいられない、といった様子だった。
ケインにしか聞こえない声で、もっとイラつかせてやってもいいかな、とオーロは呟いてから言った。
「それよりなんであんた一人なんだ?それを言いにわざわざ来たのはいいが、それなら他の従者をよこしゃ済むだろ」
「…王国に仕える兵士の中で外界を担当する者たちは今、ダンテドリ島周辺を調べさせています。あそこはどうやら、問題が起きているようですからね」
「ああ、俺の部下たちにも何人か調べてもらってるところだ。あの島には確か火山が…」
「そんなことよりも!話を逸らさずにはっきりと答えてもらえませんか!でないと結論を出す前に……」
ロレッタの声に呼応するかのように、彼女の右半身から黄金の、左半身からは白銀の光が放たれる。
光はそれぞれに横に伸びていき、伸びる毎に強烈さを増していく。
一定の長さまで伸びたその光は輝きを潜めると、徐々に形を成していく。
ロレッタを中心として伸びているそれは、まるで半透明の巨大な―――――。
「……腕?」
ケインは呆けたような顔で言う。
両方合わせれば、船にも匹敵するほどの大きさを誇る、半透明の腕だった。
それを見ながら、興奮気味にオーロは言う。
「出やがったな、デュナミクに伝わる珠玉の逸品!俺のコレクションに是非加えてえお宝中のお宝!『アラルガンドの右腕』と『ストリジェンドの左腕』がよぉ!!」
『腕』は双方に広げられ、掌に当たる部分も開いている。
指のようなものもしっかり5本ずつ見える。
その手を握ったり開いたり繰り返しながら、ロレッタは告げる。
「イエスかノーかで結構。30秒経ってもどちらも出されないようならば、その時点で敵対行動と判断し、この『腕』で攻撃します」
その言葉に、船員たちが震えあがる。
「ど、ど、ど、どうするよ船長!!」
「あんなもんでやられちまったら俺ら終わりだよ!!」
「ここは一旦手打ちってことにして、そっからは後で考えよ!な!お頭!!いでっ」
見張り役にげんこつを喰らわせると、オーロは笑った。
「大丈夫だ野郎ども。どんなにとてつもない衝撃が来ようとも、この船が壊れたりすることはねえし、俺は死なん」
「船長一人が死ななくったって俺らは死ぬよぉ!!」
船員の言葉をよそに、オーロは船首へ向かって歩く。
「そうだ船長!!今のうちに大砲とか撃っちゃおうぜ!!」
「馬鹿野郎、なんであれレディーファーストが基本だぞ。全員どこかしらに掴まってな。俺の予想では海まで飛ばされるぞ」
そう言いながら船首に上ると、ロレッタに笑いながら言った。
「女王よ、俺は海賊だ。誰よりも自由を求める海賊なんだ。誰かに許された自由を求める海賊がこの世界のどこにいる?それによ…」
ロレッタは既にオーロの言葉を聞いていなかった。
船にゆっくりと近づきながら、右の『腕』を振りかぶっている。
船員たちはあちこちで網や船の淵に掴まっり、衝撃に備える。
ケインも舵輪にしっかりしがみつきながら、二人の様子を見ていた。
オーロは息を思い切り吸い込んでから叫ぶ。
「俺はどんな苦難からも生き残ってきたんだ!!てめえみてえなペチャパイ女王の脅しに屈してちゃ、キャプテン・オーロの名が廃るぜ!!!」
轟音を上げながら、『腕』が勢いよく迫る。
どんどん近づくその『腕』に、船員たちが悲鳴を上げた。
「船長!!これマジでヤバイやつだぞ!!!」
「心配するな!!!俺は死なん!!!」
「俺らがあああああああああああああ!!!!!」
船体が『腕』に殴りつけられる。
コンリード・バートン号は激しい打撃音と共に、遥か彼方、海まで吹き飛ばされた。