第69話 ケインならば
怒れるケインを見て却って冷静になったライガとシーノは、シマシマの胃袋に一緒に入れられていたウェルダンシティの人々を中から取り出し、これまでのいきさつを説明して、町の復興作業を頼んだ。
復興作業が終わるまでには元凶であるデュナミク王国の女王を倒して来ると約束すると、町の人々もどうか無事に、しかし必ずロレッタを倒して欲しいと願い、頭を下げた。
サラミ婆さんの死を知った子供たちが泣きじゃくるのを、シマシマは懸命に宥めていたが、やがて諦めてケインのところへと戻った。
「食糧と寝床は当面の間、俺の胃袋でなんとかなる。でも、悲しいって気持ちだけはどうしようもないよな……」
その言葉も、それまでの周囲のやり取りさえ、ケインの耳には入っていても頭には入っていなかった。
「行こう」
誰に言ったのか、口走った本人にもわかっていない。
「……ケイン?」
怪訝な顔で止めようとするシマシマの手をすり抜け、ケインは歩を進める。
「待て、待てよケイン!」
その声はケインには届かない。
ただ滾り、溢れる怒りを一刻も早くぶつけるため、デュナミク王国へ飛ぼうと屈んだ。
その時だった。
「待ってくださいっ」
ゴアと入れ替わってククの人格が出現し、ケインの背へと抱きついた。
普段なら顔をほころばせて照れるケインだが、いつも通りの声色を向けるだけで精一杯だった。
「どう、したんだいクク?すぐに、行かなくちゃ」
胸中に渦巻く感情を抑えるために、言葉が詰まってしまう。
いつもなら心底楽しいはずの会話が、今は無性に辛い。
「ケインさん、顔、見てもいいですか?」
いつも通り全く変わらない、緊迫した雰囲気にはそぐわない可愛らしさを持ってククは問いかけた。
それだけに、ケインの動揺もより大きくなるばかりだった。
「……顔?」
「私に今の顔、見せられませんか?」
「ちょっと……無理かな」
「だったら、今行っちゃ駄目だと思います」
「どうして……」
「ケインさんが一番わかってますよね?」
訊かれるまでもなかった。
それでは勝ち目がないことは理解していた。
怒りに身を任せることで、オーロと戦った疲労と使い切った魔力は回復したが、それだけなのだ。
あくまでベストコンディションに戻っただけ。
これまでのケインは、その時の自分の限界を超えた力を引き出していたからこそ勝てていた。
それはいつだって怒りや憎しみといった負の感情を上回る情愛が齎した勝利であった。
恋人のため。
友のため。
世界のため。
何より、倒すべき相手のため。
負の感情に囚われ、女王ロレッタに対して怒りと憎しみしか向けられない今の自分が、ドーズやオーロと戦った時のような力を発揮することは到底不可能なことは、訊かれるまでもなくケインは理解していたのだ。
それでも、戦わなければならない。
情愛を向けて戦うことのできない相手ならば、せめて怒りと憎しみを燃料に肉体を動かすしかない、そう思っていた。
「クク……今行かなくちゃ、また女王はこの町にやって来る。そうなる前に、俺たちが行って倒すしかないんだ。例えドーズ様やオーロと戦った時のような力を使えなくても……」
「できますよ、ケインさんなら」
ずしり、と。
背中にかけられた言葉が重く圧し掛かってきた。
自分では不可能だと思っていることを、私は心底からできると信じているのだと、そう言われた。
返事を中々出せない。
自身の心を偽って肯定することも、信じてくれるククに対して真っ向から否定することもできない。
今の自分がどれほど弱り切った精神状態にあるか、余りの情けなさに固く目を瞑った。
それを察しているのかいないのか、ククは優しくケインの背を撫でた。
「ケインさんはいつだって、誰もできないようなことをやろうと頑張って、頑張って頑張って、自分のためじゃあ駄目だからって他の何かのためにまた頑張って、頑張って頑張って頑張って、そしてちゃんとやり遂げてきたじゃないですか。サラミお婆さんが殺されて、悲しくて悔しくて憎いでしょう。でも、それを押し退けて、デュナミク王国のために女王を倒す、そういう気持ちを持つことができるって、ケインさんならできるって、私は知ってますよ」
重荷となっていた言葉が染み込んで、徐々にじんわりと温かく、ケインの全身に広がっていく。
デュナミク王国のために女王を倒す。
それができる自信はまだない。
だが、できると信じてくれているのは、自分にとって限りなく大切な人だ。
ならば応えなければならない。
今一度、その答えが聞きたくて、それを以て己を奮い立たせたくて、ケインは尋ねた。
「俺に、できるかな?」
「ケインさんならできます。私の大好きな……ケインさんなら」
聞きたかった以上の答えだった。
怒りも憎しみも、消え失せたわけではない。
ただそれらは矛として向けることも、心の内に仕舞うこともなく、ケインの両足へと移り、彼を支えた。
ケインはククの頭に手を乗せ、いつもの笑みを向けて言った。
「やるよ、クク。皆のために」
「はいっ!」
「やっぱりケインはそういう顔のが似合ってるよね」
シーノの声に振り向くと、そこにはライガもいた。
二人とも全身からオーラを漲らせ、今すぐにでも戦えることをアピールしている。
「怒ってパワーアップってんなら俺らに任しとけよ。女王に対してだけじゃない怒りも全部、俺たちの力にしてやるぜ」
「女王に対してだけじゃない……?」
「海賊との戦い、俺ら連れてかなかっただろ」
「あ」
「あ、じゃねーよ!のけものにしやがって!!!俺らだって新技習得してすげーことになってんだぜ!!」
ライガの隣でシーノも頷き、目でケインに謝罪を要求していた。
「ご、ごめん……オーロとはサシで決着つけたかったからさ……ところで新技って、そんな凄いのか?」
「すげーのなんのって!!もうスコットは超えたぜ!!見てろよ、俺らの強さバッチリ向こうで拝ませてやっからよ!!」
「スコット超えたかは微妙だけど、でも私たちそれぞれこないだまでの倍は強くなってるからね!!ケインが思ってるような足手まといなんかならないんだから!!」
咄嗟に話題を変えたことで、ライガとシーノの機嫌はどうにか保てた。
シマシマは倒壊したゲキウマサラミの地下から食糧を引っ張り出してきて、ケインたちに渡した。
「まずは食べよう。見た目元気になっても、蓄えは必要だよ」
言い終わる前からケインたちは齧り付いていた。
ケインとライガとシーノは魔獣の肉に。
ククは牛の干し肉に。
食べることで、その肉を闘志の燃料とした。
ケインたちが食べている間、シマシマの胸中にはある疑念が浮かんでいた。
先程のククの言動についてである。
これまでの穏やかな、しかし抜けた言動とは違う、芯のある強いククの言動に、違和感を持たざるを得なかったのだ。
もしや、200年前までの記憶が戻ったのではないかと、そう思ったのだ。
だが、そこに考えを至らせるより前に、デュナミク王国の方角から発せられた信号をキャッチしたために、それどころではなくなった。
「……クラリから魔力の信号が送られてきた。『は・や・く・し・ろ・し・ん・で・し・ま・う』……食べてる途中で悪いけど、そろそろ行こうか」
「ああ」
ククはゴアと交代し、ゴアは体内に蓄積された瘴気を魔力へと変換した。
ケインたちはそれぞれ手を取り合い、浮遊魔法によって浮上を始める。
「もう誰も死なせない……見ててよ、サラミさん」
「やるぜ俺たち。ようやくグラブ国の仇を討てるんだ」
「私たちの願い、スコットの願い、それにあいつらにやられた世界中の人々の願い……」
「これが最後の戦いだ、勝つぞケイン」
「……行こう!!!」
一行はデュナミク王国へ向けて、最大速度で飛び立った。
「……さて、どうする棟梁?」
ケインたちを遠くから見ていた天守五影、青影が言った。
緑影も既に合流し、今後の動きを話し合っていたのだ。
「これからデュナミクで巻き起こる大戦、はっきり言ってケイン殿に勝ち目はあるまい。我らがついてもきっと変わらぬだろう。ここはデュナミクにつくことで、奴らに恩を売れば、今度ヒノデ国に被害が及ぶ可能性が低くなるかもしれぬ。無難な選択をするのならば、だが……」
赤影は皆の目を見る。
ケインたちを再び敵に回すということの是非を、目で問いかける。
答えは、全員一致だった。
「……死ぬぞ」
その赤影の言葉は、己自身を含めたそれぞれの覚悟を問うためのものだった。
「わしらが恩売ったかて、そないなことあの女王は気にもしませんて。どうせ恩売るならちゃんと買うてくれる人にせな」
緑影が言った。
「ケイン殿はあの海賊からヒノデ国を救ってくれた恩人だ。そもそも売られた恩を俺たちが買わないというのなら、俺たちが売った恩も買ってもらえる保証もあるまい」
桃影が言った。
「どうせ死ぬならカッコよく死にまショー。カッコ悪く死ぬのは嫌デース。それにワターシ、ミスターケインのことなんとなく気に入ってしまいマーシタ」
黒影が言った。
「ケイン殿に勝ち目はないと言ったな。しかし拙者はそうは思わぬ。ショーザン殿に対しても、海賊オーロに対しても、ケイン殿に勝ち目などありはしなかったのだから。それを覆したケイン殿にならば、賭けても良いのではないか?」
青影が言った。
ヒノデ国への忠義は根底に、しかし彼らは、奇跡を起こしてきた勇者のことを、信じずにはいられなかった。
それは、赤影も同じことだった。
「……ならば勝とう。あの勇者に、ケイン殿に今一度奇跡を、起こさせよう」
天守五影は一斉に走り出した。
ケインたちの後を追って。




